ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「ひぃん……何、何なのぉ……?」
少女は混乱の真っ最中だった。何しろ目の前で喧嘩が勃発している。
「臭い! そっちの匂いのせいで分からなくなった!」
「じゃあ! 気のせいなんじゃないんですか!? 同じことを何度も言わせないで下さい!」
少女の目の前で、二人の少女が顔を突き合わせて喧嘩している。シロコとかケイとか呼ばれていた少女たちだが、いきなり喧嘩を始めたのだ。喧嘩を始めて数分経つが、全く静まる様子を見せない。先生の声も聞こえていない様子だった。
その原因は、どうにも少女のようで。シロコとかいう方が、誰かしらに電話した後。いきなり少女の匂いを嗅いだことから始まったのだ。どうにもよくわからなかったのか、二度も三度も嗅いだ結果がこうだった。
──うえぇ……そんなに臭いかな……?
袖を鼻に持って来てくんくん嗅いでみるが、鼻を刺激するのは乾いた砂の匂いだけで、どうにも分からない。
「あのぉ……?」
恐る恐る声を掛けてみても、二人の喧嘩の声が大き過ぎて、全く届かない。少女が目覚めてからの街の住人と全く一緒だ。声を掛けても、目の前で大きく手を振っても、何も反応を返してくれない。それが、少女がここに来た理由だ。少女は非常に困っているのだ。
少女は、気が付けば見知らぬ場所に居た。そして何も持っていなかったのである。お金も、記憶も、自分の名前すら憶えていない。覚えているのは一つの使命染みた思いだけ。
ただそれだけあってもどうしようもなく、少女は行く当てもなく彷徨っていたのだが。ここで小さな幸運があった。
──シャーレの先生は、生徒の事を助けてくれるだろう。
彷徨っている最中、そんな声が聞こえたのだ。きっと通行人の話し声か何かだったのだろうが、少女にとっては幸運でしかない。その情報だけを胸に、えっちらおっちら時間をかけて、シャーレまでやって来たのだった。
ノックして、返事があったから部屋に入ればこの事態。気づいてくれたのはいいけれど、これでは最初に逆戻りだ。仕方なく、自分らしからぬ大声を出そうと深呼吸したところで、部屋のドアが突然、大きな音を立てて開いた。
「ひぃん!?」
あまりにも突然で、予想以上の大声が口から飛び出した。そのおかげで喧嘩は止まったようだが、何事かという視線が少女を貫いて、少女は体を丸める。
「ッ……やっぱり……!」
「あれ? ホシノちゃん……?」
こちらを見る三人の奥。扉を開けた少女を見て、無意識に名前が飛び出す。それを受けたホシノちゃん? は悲しそうな顔をするだけだ。そして、ユメの頭に痛みが走る。
「痛ッ……痛いよ……」
空っぽの頭に何かを詰め込まれている。ぎゅぎゅうと遠慮も無しに情報が叩き込まれて、ユメは小さく悲鳴を上げた。頭がガンガンして、床に座り込んでしまう。
「……大丈夫ですか。ユメ先輩」
「あれ? もう痛くない……」
ユメ先輩。そう少女が言われただけで、痛みはどこかへ消え去ってしまった。差し出されたホシノの手を取れば、すんなりと立ち上がれる。
「ありがとう……ホシノちゃん……でいいのかな? なんかちょっと違うよね?」
「はい。小鳥遊ホシノとは、姉妹のようなものです。テラノとでも呼んでください」
どうにも、よく似てはいるが、ホシノでは無かったらしい。ユメは人違いをしたから、こんなにぶっきらぼうなのだろうか? ついつい、反射で言葉が飛び出す。
「うぇぇ、ごめんね? 間違えちゃって……」
「別にいいです。慣れてるので。それで、良いんですか?」
「へ?」
首を傾げれば、記憶の通り、ホシノと同じように肩をすくめるテラノが映る。
「いえ。私が勝手にユメ先輩と呼びましたが。それで合っているんですか? それに、その反応。私に会いに来たわけじゃないんじゃないですか?」
「えっと、えっと……名前は、多分そうなんじゃないかな。私、記憶喪失なんだよ。やらなきゃいけない事以外は覚えてないんだ」
ざわりと、テラノ以外の三人が騒めいた。記憶喪失という言葉に反応したのか。それとも、軽い調子の少女の反応が信じられなかったのかもしれない。少女としては、特に気にしていない。無い物は無いのだから、仕方が無いのだ。やらなくてはならない事。それをこなせば思い出せそうな気もする。
「でも、テラノちゃんのお陰で思い出したよ。私の名前は梔子ユメだよ!」
「え……?」
「嘘……」
先生含めた三人が、また騒めいた。信じられないような目でユメを見ている。
「あれ……? 私、またなんかやっちゃった……?」
「いいえ。
「そうなの? よかったぁ……」
ユメは一安心して、一息つく。ここに来るまではどうなる事かと思っていたけれど、少しずつ前に進んでいる。それが嬉しいのだ。
「それで、やらなきゃいけない事は何なんですか? そのためにここまで来たんでしょう? ユメ先輩」
「あっ、そうだよ。そうだったね。ありがとう、テラノちゃん!」
すっかり思考が飛んでいたことを指摘されて、ユメは恥ずかしくなる。照れ隠しも兼ねて、テラノにお礼を言えば、テラノは俯いて顔を隠していた。
これまたよく知っている反応に、ユメは微笑んで先生へと向き直った。
「あなたがシャーレの先生ですか? もしよかったら、頼みたいことがあるんです!」
「うん。梔子ユメさんだね。とりあえず座って。話を聞くから」
もしかしたら忙しいかもしれない。部屋の散らかりようから、そんな事を思っていたが。案外話を聞いてくれるらしい。来客用だろう。広いソファに座って、ユメは結論から言う事にした。
「私は会って話さなきゃいけない人がいるんです。その人を探して、私を連れて行って欲しいんです!」
「……その人は?」
少し緊張した面持ちで先生が聞いてきて、ユメはハッキリと答えた。
「カヤツリ君! 兎馬カヤツリ君に、私は会いに行かなきゃいけないんです!」
先生たちの反応はまたしても妙だった。困ったように、信じられないかのように、顔を見合わせている。
「あれ? もしかして忙しいんですか? だったら、私も手伝います!」
「いや……」
忙しくて手が離せないのかと思って、ユメは手伝いを申し出るも。先生たちの微妙そうな反応は変わらない。また会話が止まったのを見かねたのか、テラノがパンパンと手を叩いた。
「相変わらずですね……いえ、そうでなきゃおかしいんですが。とりあえずユメ先輩の話を教えてください」
「え? だから今……」
「はぁ……だから、ユメ先輩は結論しか言ってませんよ。これじゃあ何も分かりません」
腰に手を当てて、テラノが困り顔だ。溜め息と言葉が一緒に出てきている。
「ユメ先輩が、カヤツリに会いたいのは分かりました。けど、どうしてですか? 世間話をするために会いたいんですか? そういった背景が全く分からないんですよ。毎度毎度、説明を端折らないで下さい。宝探しの時とは違うんですよ。あの時も水なんか出なかったでしょう。水着なんか着なくてよかったんです」
「ひぃぃぃぃん……テラノちゃんが虐める……だって、あの時はそう思ったんだもん。それに、そのお陰で、カヤツリ君に会えたんだよぉ……」
「へぇ……それは覚えてて、私なのに話も通じるんですね…………ユメ先輩だから? 今思い出した?」
ぶつぶつと小言だろう言葉をテラノは呟いている。姉妹のようなモノと言うだけあって、ホシノとそっくりの問い詰め方に、ユメは情けない声を上げる事しかできない。
「ちゃっちゃと説明をお願いします。ユメ先輩。先生たちも困っているでしょうが」
「ひぃん! 分かった。分かったよ。テラノちゃん!」
テラノの言う通りに、ユメは考えを即興で纏める。余計な事は考えずに、最初からでいいだろう。
「えっと、私。気づいたら砂漠の真ん中に居たんです。その時は、カヤツリ君と話さなきゃって。それしか覚えてなくて……」
そして、ここまでやって来たことをユメは語る。話し掛けても誰も反応してくれない事。先生なら何とかしてくれるかもしれないと道すがらに聞いた事。そしてここまでやって来た事。
「どうして無事だったの?」
「え? どういうこと? えーと……シロコちゃん?」
シロコが良く分からない事を言うので、ユメは首を傾げる。会えなかったという意味が分からない。
「ん。シロコでいい。だって、砂漠で目が覚めたなら。そこはオンボスのはず」
「オンボス? アビドスじゃないの? オンボスなんてところ、私は知らないよ?」
砂漠があるならアビドスだ。オンボスなど聞いたこともない。ただ、それがシロコにとってはおかしいようで、目を丸くしている。
「アビドスって……待って……徒歩で、ここまで来たの? 水もコンパスも何もなしに?」
「うん。ほら、私は慣れてるから……コンパスが無くてもサンクトゥムタワーで方角は分かるから」
信じられないとばかりの反応であるが、事実ユメはそうやってここまで来たのだ。記憶は無くても、身体は覚えていると言う奴なのだろう。
でも、シロコは納得できないのか。不審そうな目でユメを見ている。
「ここまで来るのに、オンボス。いや、街を通ってきたはず。そこの警備の人に誰にも気づかれないのはあり得ない」
「でも……全然気づいてくれなかったよ。目の前で大声も出したのに……」
「まぁ、ユメ先輩がここに居るってことはそうなんでしょう。そこを問い詰めても答えなんか出てきませんよ。ユメ先輩は、そういう人なので」
「ひぃん……そこまで言わなくても」
テラノはユメの事を信じてくれてはいたが、発言は素っ気なかった。ユメから目を離して、先生の方へと顎をしゃくる。
「先生。ユメ先輩に協力するんですか? 見るからに迷っているようですけど」
「……そうだね」
先生は顔をくしゃくしゃにしている。テラノの言う通りに迷っている顔だった。その原因は、ユメ以外の全員が承知しているようで、疎外感を感じる。何というか、ユメにそれを言えないような雰囲気なのだ。
「……多分、ユメ先輩の手伝いをすれば、オンボスへ入れますよ。しかも、気づかれずに」
「そうなの?」
「ええ、だから、ここまで来れたんでしょうしね。それに、先生側の事情も話せば、きっとユメ先輩も協力してくれるでしょう。こういう人ですからね。私も付き合いますよ」
テラノの言葉は呆れがあったが、信頼も混じっていた。それが先生にも伝わったのか。先生がユメに目を合わせた。
「ユメさんの頼み事は分かった。だけど、私たちも問題を抱えていてね。それはユメさんの頼み事にも関係する事なんだ」
先生は、テラノの指示で、最初から。今起こっている問題を話してくれた。砂漠横断鉄道から、今日に起こったことまでを。話し終えた先生は、少し疲れてしまった様子だ。
「今、カヤツリ君はカミガヤ君として、オンボスに居るんだ。そして、怒ってもいる。私の対応の所為で、話もしてくれない状況なんだ。今、どうすればいいのか。頭を悩ませている最中でね……」
先生からは後悔している気持ちが伝わってくる。話を聞けばそうだろう。カミガヤ。いやカヤツリがやっていることを、先生は止めたい。苦しんでいるだろうカヤツリを助けたい。
でも、それはカヤツリにとって、余計なお世話なのだという。別に、カヤツリは救われたいわけでは無いのだと。先生がそうなる様に追いやってしまったのだと。止めて欲しいのも、結局は先生側の都合でしかない。カヤツリの事を考えるなら、放置が一番なのだと。
「ユメさんの頼み事。それを叶えるために、私たちはオンボスへ突入することになる。その過程で、カヤツリ君のやっていることを邪魔するだろう。私の目的の為に、君の頼みごとを利用する形になるんだ」
先生はきっと、それが心苦しいのだろう。自身の都合の為に、他者を利用した。それが恣意的であれ、違うのであれ、そうなってしまう事が悲しいのだ。
だから、ユメの頼みを受けるか悩んでいた。でも、ユメの言葉は決まっていた。
「別に良いと思います。先生はカヤツリ君に謝りたいんですよね」
「えっ……?」
先生は不思議そうに、ユメを見た。ユメが何を言ったのか、言葉では理解していても、頭では上手く理解できていないような顔だ。
「だって、そうじゃないんですか? 対応を間違えてしまったから、謝りたいんですよね? カヤツリ君をそうさせてしまったから、元に戻したい。そう思うのは悪い事じゃないと思います」
だから、ここで燻っているのではないだろうか? 本当にカヤツリが間違っていると思っているのなら、それが本当にカヤツリのやりたい事であるのなら。この大人は迷わないし、止めたりしない。そんな雰囲気がする。
それに、ユメのしなければならない事と一致しているような気がするのだ。
「謝って、それから聞けばいいと思うんです。それがカヤツリ君の本当にやりたい事なのかって。それは、カヤツリ君一人がやらなきゃいけない事なんですかって。それを、ホシノちゃんや、他の人に聞いたのかって。その人たちは、全てを知って、それでもそれを望んだのかって」
また新しい記憶が蘇る。ビナーの時の問答だ。あの時もそうだった。
「多分、カヤツリ君は聞いてないと思います。反対されると分かってたからそうしたんです。巻き込みたくなかったんです。でも、それはホシノちゃんは嫌だと思います。自分だけが楽をするのはきっと」
ユメには、テクスチャだとかそういった難しい話は分からない。でも、分かる事もある。とても簡単な事だ。
「人の気持ちは聞いて、言ってくれないと分かりません。カヤツリ君は聞かなかった。なら、その機会を作るのは別に悪い事ではないと思います」
「……ありがとう」
先生は、どこか活力が戻ったようだった。短い感謝の言葉だけで、それが分かった。やっぱり、人が嬉しそうにしているのは気分が良い。
「じゃあ、今すぐ──」
「ちょっと待ってください」
今すぐ行こう。そう言おうとしたユメを、テラノが止めた。
「ユメ先輩は、カヤツリに会って、どうするつもりなんですか?」
「……????」
答えを言おうとして、何も出てこなかった。幾ら頭を探っても、何も出てこない。ユメの顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「会う事だけに専念して、それ以降の事は忘れてましたね?」
「ううっ」
テラノの呆れ声が耳に痛い。続けての二の矢が飛んでくる。
「今からって言っても、向こうに着いたら夜になりますよ。それに先生も準備があるでしょう? 突っ走り過ぎですよ。出発するなら、少なくとも明日の朝です」
「うううう」
余りに真っ当な意見過ぎて、何も言い返せない。確かに、もうおやつの時間帯ではあるが。ここまで言わなくても……
「なんですか?」
「うっ、でも、明日の朝まで何処に居ればいいの? 暇だし、何かできる事は……」
「……シャーレの空部屋にでも泊ればいいでしょう。私も隣の部屋を借りますから」
テラノの答えは的確で、ユメに言い訳を許さなかった。先生もテラノの迫力に押されて頷くばかりで、テラノの言う通りに事が進んでいった。
「ああもう、なんて顔をしてるんですか……別に怒ってはいませんよ」
「そうだけど……」
ただただ、申し訳なさがある。なんだかんだ言って、ユメの頼み事は大事なのだ。それを文句一つ言わずにやってくれるのだ。何もせずにいるのは居た堪れない。
そんな事はお見通しなのだろう。テラノが仕方なさそうに口を開く。
「なら、シロコちゃんと一緒に、ミレニアムの水族館に行ってきてください。喧嘩で話しにくいでしょうからね。気分転換です。私はケイちゃんと話があるので」
テラノは、白い髪の小さなミレニアム生とシロコに目配せしている。仲がいいのか、それだけで互いの意図は通じている様子だ。もしかして、友達だろうか。そうだったのなら、なんだか嬉しい。とても機嫌よく行けそうだ。
「分かったよ! テラノちゃん! ちゃんと全員分お土産も買ってくるからね!」
「お金持ってるんですか?」
「あっ……」
財布すら持っていない事を思い出して、ユメはまた小さくなる。それが哀れだったのか、シロコがゴソゴソと懐を探り出す音がした。
「シロコちゃん駄目だよ。ユメ先輩を甘やかしちゃ。先生から支給してもらって」
「ありがとうございます……」
テラノの言う通り、先生からとりあえずのお金を貰った。額としては十分で、行って帰って、お土産を買う分だけはあった。
「じゃあ、シロコちゃん。ユメ先輩をお願いね。それと、ここじゃないなら、もう匂いは気にならないよね?」
「うん。分かった。行こう?」
シロコがユメを手招く。シロコはそれに従いながらも、テラノにちゃんと挨拶をする。
「じゃあ、テラノちゃん行ってくるね!」
「はい。気を付けてくださいね。ユメ先輩。…………ああ、それと」
鼻が詰まっているのか、鼻をスンスン鳴らすシロコと一緒に部屋を出るところで、テラノの声がした。振り向けば、テラノがじっとユメを見ている。
「……ちゃんと、思い出せるといいですね」
その言葉の意味はよく分からなかったが、ユメはしっかりと頷いた。