ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「理解できぬ」
蹲るばかりのカヤツリを前に、無名の司祭は困惑していた。
「何故だ? 何故、本質に立ち返らぬ。色彩が現れない? オシリスは消えた。この地の者、全てに否定された。であるのに、何故?」
司祭の目論見は失敗に終わっていた。
別世界の自身たちの介入。色彩とアトラ・ハシースの方舟による襲撃。それを参考にしたこの作戦。以前に観察したデカグラマトンの件すら組み込んだ作戦は、思うようには進んでいない。
アビドスの住人の全てから否定され、目の前でオシリスは消滅した。そして、絶望しか残っていない。そのはずなのに、何も起こらない。アヌビスの様に、本質を突きつければ、生徒などという偽りの衣など簡単に剥がれるはずなのに。全くそう成ってはいない。
「……理解できぬ」
無名の司祭の理解の及ばぬ事態が起こっている。だが、もう一押しで天秤は傾きそうな気配もして、無名の司祭は何が間違っていたのか思案する。
「……やはり、オシリスの幻影では力不足だったということか?」
この計画の肝でもあり、一番の懸念点だったオシリス。このテクスチャ風に言うのならば、梔子ユメ。その幻影。
あれが出現したのは偶然ではない。材料と状況、そして逸話は揃っていたが、それだけでは不十分。原木の胞子が目覚めるのに衝撃が必要なように、閾値まで刺激がなければ神経が興奮しないように、何かしらの切っ掛けが必要だった。
今の無名の司祭は霞のようなモノ。だが、今の状態でも、ほんの少しの刺激くらいは与えられる。砂漠に沈殿したオシリスの神秘の残留思念。爪先程しか残っていなかった神名文字。それを励起させるくらいは出来るのだ。
そして、目論見は上手くいった。存在もあやふやな幻影ではあったが、目的は初めから持っていて、それは、無名の司祭の目的に沿う物。後はそれに従うままに、幻影は本物へと近づいて行き、そしてここまで漕ぎ着けた。
「何故、何も言わず消えた? それが目的だったとでも? あり得ぬ。それだけはあり得ぬ!」
幻影の気持ちなどは分からない。だが、それだけはあり得ないと断言できる。何故なら、オシリスだからだ。幾ら幻影とはいえ、それは変わらない。セト相手に何かを言わないなどありえない。
「再度の実証は不可。ならば……」
もう神名文字はない。しかし、まだ手はある。目の前の存在に囁いてやればいい。否定の一言でも囁いてやれば事足りるだろう。
無名の司祭は、カヤツリに近づき、耳元に囁こうとして、違和感に眉をひそめた。
「何故、動かぬ……!」
足が動かなかった。それどころか、指先一つ動かせない。困惑する無名の司祭は、自分の胸から何かが突き出ているのに気づいた。
「ぐ、が……ああ!?」
棒が司祭の胸を突き破って生えていた。生えているというのも語弊がある。気づいた瞬間に全身を襲い始めた痛みから考えれば、自分の身がどんな状況なのか。容易に察することが出来た。
「汚い悲鳴だ。静かに死ぬこともできんのか?」
司祭は背後から胸を一突きにされていた。棒に見えたのは杖で。肩越しに見れば、それを突き出した格好になっている獣頭の存在が居た。
「セト……! があ!?」
「……喧しい」
杖がぐるりと捻られ、止めとばかりに杖ごと持ち上げられて、司祭は呻き声を上げる。両手で懸命に身体を支えるも、そんなものは焼け石に水だった。もう一つの手段も無駄で、司祭は叫ぶことしかできない。
「止めろ! 何故だ!? 何故!?」
操れなかった。目の前に居るのは確かに神性のはずなのに。自分たち司祭は神秘を崇める事で保有できるはずなのに。どうして、自分の思うように進まないのか。
「見てくれに騙されるとは……本体はこの子だ。自身で言っていたろう。何故反転しないのかとな」
「まさか……半分だけ……!」
よくよく見れば、神威が足りない。丁度想定の半分ほどで、これでは中途半端にしか支配が効かない。全力で命じてようやく、決まった結末への歩みが遅くなる程度でしかない。
全力で足をばたつかせるも、地面から足が離れた今となっては、無駄な抵抗に過ぎなかった。
「理解できぬ! 何故だ、何故──!」
「我が答えると思っているのか? 疑問を抱いたまま、ここから去ね」
言葉の通りに、なぜこうなったのか分からないまま、まばゆい光と熱を感じて、無名の司祭の意識はそこで終わった。
□
「……中々に容赦のない」
黒服の目の前で、無名の司祭が
「出てくるがいい」
杖を一振りしたセトが此方を見ていた。絶対に見えないはずだが、いかなる理屈か。黒服を認識しているらしかった。杖の先が、黒服を向いている。
「どうしてわかったのですか? 自信があったのですが……」
「ここは特等席だ。先生とあの子の活躍を観戦するにはな。貴様が、そこに居ない筈もない」
「おやおや……私をよくご存じの様だ。そして、良いのですか?」
とうにセトは杖を下ろしていた。無名の司祭の足を止めさせた神威もすでにない。敵意に関しての確認を取れば、小さくセトは頷いていた。
「貴様は探究者だ。探究者は事が起これば、傍観に徹するもの。その極薄のテクスチャも、そのために用意したものだろう? 上からオンボスが被さる前に、それを被ったという訳か。よく考える」
本当に黒服の事を知っている。しかも、話に付き合ってくれるらしい。これは望外の幸運だった。
「そのまま貴方と呼んでも?」
「好きに呼ぶがいい。この場では意味もない。それに、我がどうするかを知りたいのだろう?」
また言い当てられて、黒服は舌を巻いた。全てを見通すなんていう権能は無かったはずだが、随分と頭が回る上に、人というものを良く見ている。
この様子であれば、黒服の懸念は杞憂かも知れなかった。
「我は、何もしない。キヴォトスを破壊しない。どうだ。安心したろう」
「ええ、とてもね。理由を聞かせて頂いても?」
「この子が、それを望まないからだ。我はホルスとは違って身軽なのでな。この子の性格に恵まれた」
黒服は安堵のため息を漏らす。それを見て、愉快そうにセトは言う。
「貴様も、そう思っていたのだろう? だから、ここに来たのではないのか? 未だに契約も満了してはいないのだろう?」
「お見通しでしたか」
「あの契約は、両者の合意があって初めて満了できる。そういった契約だったはずだ」
この子は気づいていないようだがな。そう言いながら、セトは蹲るカヤツリを心配そうに見ていた。
セトの心配する気持ちは理解できた。普段のカヤツリなら、方舟襲来前のカヤツリなら、そんな事は織り込み済みだっただろう。そうさせないために、黒服は小細工を弄したのだが。
「ええ、あの娘たちを任せた甲斐がありました」
「やはりか。キャパシティオーバーを起こしたかったのか?」
「まさか、それでは契約違反です。彼が望み、必要とする物を提供する。それが契約なのですからね」
あの三人の面倒を見させることで、カヤツリのキャパシティを削る。その目的があった事は嘘ではない。しかし、それはあくまでついでに過ぎない。
「私は、今を提供したのです。過去ではなく、今手に入るものを。もう手に入らないものではなく、今から作り上げていくものを。過去とは全く関係のない環境をね」
あの三人はカヤツリに懐いた。それは、あの三人とカヤツリが作り上げた、黒服には作れないもの。
「クックックッ……命令ではなく、お願いとはね。子供と言いながら、自立した一個人として扱う。また手間のかかることを……」
でも、それをするという事はきっとカヤツリも分かっている。でなければ、こんな手間のかかる事はしなかった。
「彼には、過去しかない。しっかりと過去を終わらせることが出来なかった」
これが全ての原因。カヤツリは、梔子ユメの死。かつて幸せだった時が、もう無い事を受け入れられていない。だから、まだ終わらせたくないと、そう言う。
「責める気はないが……良くあのようなことを言えたものだ」
「クックック……ホシノさんですか。梔子ユメが死んだのは、彼の所為。ある意味では正解ですが、そこは運がありませんね。彼は、あそこで否定すれば良かった。それか、逆に怒るかすれば」
そうすれば、小鳥遊ホシノは、出て行けなどとは言わなかっただろう。彼女はあの時混乱していたから。梔子ユメの死が、自分の所為ではないと責任転嫁をしたかっただけ。しかし今回は、その出まかせがクリティカルを叩きだした。
カヤツリは、怒ればよかった。八つ当たりでもなんでも。そうすれば小鳥遊ホシノは正気に戻り、傷の舐め合いからの話し合いに持ち込めた。まぁ、それが出来ないからこそのカヤツリなのであるが。
「彼は、アビドス生徒会から追い出された。アビドスの為に活動する大義名分を失ってしまった。梔子ユメに対しての償いをする権利をね」
「あの子は、自分の所為だと思っている。そして貴様、ワザとあの先生とやらを焚きつけたろう? 最初から、失敗すると分かっていたな。対策委員会と先生の説得など、端から成功しないと」
「そんな殺気を向けないで下さい。貴方とて、それ以外の方法は思い浮かばなかったのでしょう? 彼をとことんまで追い詰めて、失敗させる方法以外は」
セトの殺気は止まった。特徴的な頭のお陰で表情は分からないが、面白くなさそうな気持ちなのは察せられる。
あの時に言った事は嘘ではない。あの時挙げた三人は、確かにカヤツリを止められる。ただまだその時ではない。そこまで持って行くのが難しい。
そして恐らくは、セトと黒服の目的は一致している。それは、カヤツリを今の状況から引っ張り上げる事。
「彼は過去しか見えていません。かつてあった場所。梔子ユメが求めたアビドスを取り戻して償えると思っている。ですが、それは叶わないのです」
「上は見上げるだけキリがないが。悲しい事に、あの子は上まで登れてしまう」
その通り、上は見れば見るほどキリがない。そして、カヤツリは上を見る事を止められない。過ぎ去った過去は、取り戻せない過去は、ずっとカヤツリの中で輝いているから。ずっと自分自身でハードルを上げ続ける。そして、それには永遠に追いつけない。血を吐きながら続ける、終わらないマラソン。
アビドスを復興させたとする。普通はそこで満足する。しかし、カヤツリは普通ではない。次を目指し始めるだろう。同じようなペースで、まだ何も終わっていないと、上を目指し続ける。
カヤツリは良いだろう。能力もやる気も、持続力もある。だが、他の人間は違う。いつか衝突するのが目に見えている。
だから、初めから、話などは出来ない。見ている場所が違う上に、カヤツリは初めから話を聞くつもりが無い。
「今の話や、未来の話をしても無駄です。同じ目線で、共に努力する人間が居たホシノさんとは違って、彼には誰も居なかった」
ホシノとて、前提条件は同じであるが、活動方法が違う。ホシノは場当たり的な改善方法であるから、誰しもが手伝える。結果だって目に見える。結果はどうあれ、成功体験や信頼関係を育むことが出来た。
カヤツリはそうもいかない。対する相手は信頼できず、利益と正論で殴りつけてでしか動かない。結果も中々でないうえ、一人で戦わなければならない。
「クックックック……一度も苦しまなかったから、幸せになれたわけでは無い。幸せも苦しみも、その全てがあったから、今が幸せなのだ……あまりにも眩しすぎる理論ですね」
勇者だけあって、眩しい言葉を吐くものだ。あの言葉は先生を救ったかもしれないが、カヤツリを救いはしない。アレは、今が幸せだからこそ吐ける台詞だ。
「会話の通貨が違うのです。利益という貨幣を提示して会話してきたカヤツリ君に、信頼という信用取引を強制してはね。上手くいくわけがありません。ですから、その前に前提を破壊しなければ」
「……失敗しないのも考え物か」
「そうですね。彼は成功こそしませんでしたが、ちゃんとした失敗も出来ませんでしたからね」
黒服は言葉を吐き出す。運が無いと言ったが、この点でもカヤツリは運が無かった。
「梔子ユメの死、ゲヘナの依頼による事故、ホシノさんの八つ当たり、不知火カヤと羽沼マコトによる巡航ミサイル発射。全てが不可抗力で、彼の所為ではないものの所為で、彼は失敗し続けてきた」
「諦めきれるわけもあるまいよ。何せ、自分の所為ではなく、自身の力を振り絞ったわけでもないのだからな」
蹲ったままのカヤツリを見るセトの声はどこか悲しげだった。今起こっている事を思えば、仕方がない。
「カヤツリ君の過去を否定する。過去は過去であり、もう終わってしまった事だと、もう取り返せないものであると、そう消化させる。彼のあらゆる努力を、しかるべき相手が妨害することで、それを為す。……全くスマートではない」
黒服が自分で計画したものだが、あまりにも暴力的で知的でない。だが、これ以外の方法はない。
カヤツリを止めるには、カヤツリ自身が諦める必要がある。全力を尽くして、あらゆることをやって、全ての手段を取って。それでもダメだった。そんな経験がカヤツリには必要だった。
そうでなければ、カヤツリは諦められない。全ての後悔と、怒りと哀しみ。今までため込んだ全てを吐き出さなければならない。だから、黒服はテクスチャの活用法を教えた。
だが、カヤツリはまだ蹲ったまま。立ち上がる気配すらない。
前提として、これは荒療治だ。カヤツリに立ち上がる意思があって初めて成立する。そんな事は黒服だって分かっている。穏便な方法があるなら、もう既にやっているし、あの三人がそうなのだ。
しかし、今では過去を塗りつぶせはしなかった。一番穏便に済むのは、梔子ユメの蘇生であるが、そんな事は不可能であるから、初めから考慮にも入りすらしないのだ。
「しかし、梔子ユメですか……」
ふと、黒服は思い立つ。無名の司祭が言い、問うた。ある一つの事実についてだ。
「何故、沈黙したのでしょう。彼女は何かをするために幻影として出現したはずです。神名文字に込められた想いがあって初めて、アレは起こったのですから」
「……理解できぬか?」
「ええ、彼女はカヤツリ君に会いたいと言いました。きっと、ホシノさんにも会いたかったはず。であるのにです。彼女は消えてしまった。カヤツリ君に言葉を掛けず、ホシノさんには姿を見せないままで。何故? なぜ? なぜ? なぜ?」
ぶつぶつと疑問が口を突いて出て、全く止められはしない。本当に理解が出来ないのだ。梔子ユメは、黒服たちの事情など知りもしないはずだから。
「きっと、死の間際に彼女は思ったはずです。もう一度会いたいと。会って謝りたいと。そうとしか考えられません」
「だからであろうよ」
ポツリとセトが呟いた。
「そう思ったからこそ、あの梔子ユメは何も言わなかったのだろうさ。小鳥遊ホシノにも、会おうとしなかった」
「それは一体、どういった思考で?」
食いつく勢いで、セトへと身体を寄せた。不敬だとかなんだとか、気にする余裕もなかった。今目の前にある謎の答えが知りたかった。あの時の、先生との問答に思った疑問に通じるものがある様に感じられた。
「恐らく、梔子ユメとして経験した記憶。あの手帳の中身以外は全て持っていただろう。そして、自分自身が、梔子ユメ本人ではないという自認も」
「ええ、そのはずです。だから、彼女はオンボスへとやって来た。カヤツリ君と話をするために。無名の司祭も、それを狙っていたはずです」
そう、それは全員の共通認識のはず。だから、無名の司祭は梔子ユメの幻影を出現させた。カヤツリに対して、致命的な一言を言わせるために。
「だからこそ、不可解なのです。持って生まれた使命を、あの幻影は投げ捨てたのですよ? そのせいで、彼女は消えてしまった。消失するという結果は同じでも、使命を果たしたか果たさないかの有無は重要ではありませんか?」
「あの幻影は、梔子ユメだ。梔子ユメの経験を持った、梔子ユメに限りなく近い思考をする幻影。ならば、考える事は決まっている」
セトは、少し宙を見上げて言う。
「梔子ユメは、兎馬カヤツリと小鳥遊ホシノの先輩。だから、先輩としてすべきことをしたのだ。先輩として、後輩を守り、尊重した」
「待って下さい。その為に、全てを投げ捨てたと言うのですか? 先輩だから? ただそれだけの理由で?」
そこまで言われてしまえば、分かる。分かってしまう。
「あの状態のカヤツリ君へは、何も言ってはいけなかった。何かを言えば、それが感謝でも、謝罪でも、怒りでも。梔子ユメの言葉では何であれ、カヤツリ君は縋ったでしょう。縋って、止まらなくなった。あの時の、一番の答えは沈黙だった」
カチカチと、黒服の頭の中でピースが嵌まっていく。
「ホシノさんへ姿を見せてはいけなかった。ようやく自分と後輩たちで立ち直ってきた場面です。そこへ幻影とはいえ梔子ユメが現れたら全てが台無しになる。これまでの、ホシノさんの覚悟を踏みにじる行為です」
「そうだ。梔子ユメとしての記憶と、これまでの状況を知れば、梔子ユメはそうするだろう。何せ自身の後輩だ。どうするかなど、手に取る様に分かっただろう。だから、そうしたのだ。自身の願いを捨てて、二人を取った。先輩は、後輩を守るもの。梔子ユメ自身が言った言葉。その自分で吐いた言葉の責任を取った」
どこか、称賛するような響きだった。セトは、最後に短く呟く。
「そして、覚えておいて欲しかったのだろうよ」
「何をでしょう?」
「自身の姿だ。好意を寄せる相手には、綺麗な幸せそうな姿で覚えておいてほしい。それが人情というものだろう?」
流れる空気が、少し湿っぽかった。そして、それを振り払うように、セトは黒服に背を向けて、歩き始める。
「良いのですか? 彼はまだ、蹲ったままですが」
「結果は分かっている」
「というと?」
黒服とカヤツリに背を向けたまま、セトは肩越しに振り返った。
「今語ったことは、きっとあの子も気づいているだろう。詳細は分からなくとも、梔子ユメが、自身の為に何かをしたという事は」
「ええ、彼は最初から気づいている。自分が間違っていることには気づいています」
だから、止まれない。止まる方が辛いから。梔子ユメの件は、寧ろ逆風のように思う。けれど、セトは歩みを止めない。
「それを無視できるほど、あの子は鈍くも愚かでもない。それなら我は、次の準備をするだけだ。これから祭りが始まるゆえな」
「なるほど、それもそうでしょうね」
黒服も、カヤツリに背を向けた。祭りが始まると言うのなら、席は取って置かねばなるまい。
そして、歩き出した黒服の耳に、誰かが立ち上がる音が聞こえて。黒服はクククと、何時ものように笑った。