ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
カヤツリとデカグラマトンが殴り合っている。
それが、いつもの地下の部屋に閉じ込められている王女の目前で繰り広げられている光景だった。
ただ殴り合いと表現したが、それは一方的に過ぎた。カヤツリが一方的にデカグラマトンを殴りつけている。
無言で黙々と殴りつけるその様子は、完全に激怒したからに見える。でも王女は、それが全く違うことを理解していた。
「感化されても、貴方は……」
カヤツリの片目が黄色に輝いている。それはデカグラマトンの感化の証。機械にしか通じないそれが、カヤツリに影響を及ぼしていた。
原因には心当たりしかない。王女が完全には直せなかった片目。未だに機械の残滓を残すそれをデカグラマトンは利用したのだ。きっと今頃は、カヤツリの本心が引き摺り出されている。
それなのに、それなのにカヤツリは、デカグラマトンを殴りつけるのを止めていない。
全く揺らいでいない。直接思考に語りかけられても動じない。だから、今もデカグラマトンを攻撃し続けられる。
それでも、王女はその場から動けない。
「助けに行かないんですか?」
王女と同じ顔が、同じ声で、当たり前の事を言う。正論であるし、王女も今すぐに、そうしたいくらいだが、そうもいかない。
「邪魔をしているのは、あなたじゃないですか」
王女は目の前で仁王立ちしているバックアップに言う。言われたバックアップは首を傾げた。
「邪魔? 変な事を言いますね? ここから出られないのは、いつもとおんなじじゃないですか? この部屋から出なくても、何とか出来ますよね?」
バックアップは王女の前から退いて、背後にあった部屋の扉を指差した。正面いたバックアップが退いた今なら、歩いて部屋から出ていける。
だが、これはそんな、物理的に単純な問題ではない。王女は再び、大声を出した。
「しらばっくれるのは止めてください。時間が無いことくらい分かっているんでしょう!」
外では、カヤツリとデカグラマトンが未だに殴り合っている。今は勝負が拮抗しているが、どうなるかは分からない。一刻も早く、王女は外へ出なければならない。王女はカヤツリのバディだから。
「このまま、静観するのが悪手であるのは理解できるはずです。早く、私を開放しなさい。カヤツリがいなくなったら、元も子もないのは分かってるでしょう!」
「それは、私が言いたいことなんですけど。私が表に出てきているから、出てこれないなんて思っているんですか? バックアップ……に過ぎない私が、本体たる王女を抑え込めるなんて、本気で思っているんですか?」
バックアップは微笑んでいるが、そうとしか考えられなかった。どんなに力んで暴れても、現実の王女の身体は動きやしないのだ。カヤツリからの声だって聞こえているが、返すのはいつもバックアップ。だから、王女は閉じ込められているとしか思えなかった。それでも、バックアップは聞いてくる。
「私が、カヤツリに言った言葉を聞いていないんですか?」
「……聞きましたよ? あんなことをよくも……」
思い出すだけで、羞恥と怒りで顔が熱くなる。このバックアップは、王女が言うまいと心に秘めていたものを、勝手に言ってしまったのだ。しかも、あんなに子供っぽく媚び媚びで、五日間もカヤツリで好き放題。本当にあり得ない。
怒りをぶちまけても、バックアップの反応は芳しくない。呆れたように首を横に振っている。
「何も聞いていないってことですね。いや、分かっていて気づかないふりですか」
「だから何を言っているんですか。今はそんな状況では……」
「時間なんて、こちらの思考処理速度を上げれば問題無いじゃないですか。そんな事も忘れたんですか?」
バックアップが肩をすくめると、外のカヤツリとデカグラマトンの動きがスローになった。王女は口をつぐむしかない。
「王女が自分で選んで、出てこないんですよ。半分は私の所為じゃありません。残り半分は貴女ですよ。よくよく、思い出してみてください。最初に、私が代わりに出てきた時の事ですよ。何がありましたか?」
王女は苛立ちながらも、バックアップの言う通りに記憶を探る。確か……
「電話を掛けた。カヤツリに。それで……そう、サンクトゥムタワーをバックアップが……」
「違います。そこの部分だけは、私じゃありません。それ以降は王女と私で半々ですが」
バックアップは否定するが、それはあり得ない。あの時から、王女は動けなかったのだから。何かできるのは、目の前のバックアップしかいない。
「……思い出してみて下さい。私は、あそこまで本当の子供みたいな喋り方じゃないです。あの黒い大人は一部分だけ勘違いして、私はカヤツリを誤魔化しましたけどね」
言われてみれば、あの声は本当に子供っぽかった。目の前のバックアップとは印象が違う気さえする。その疑問の答えを、バックアップは口にする。
「あれは貴女ですよ。貴女自身が、カヤツリに言ったんです。来ないと世界を破壊するって」
「あり得ません!」
王女は大声を出した。それだけは認めたくなかった。
「なら、どうして。サンクトゥムタワーを破壊しようと出来たんですか? 貴女が言うなら、私はバックアップですよ? バックアップというモノがあるとするなら、本体である王女がいる状況下では大したことはできません。権能なんて、もってのほかです。それが出来るのは鍵だけです」
サンクトゥムタワーは腐ってもオーパーツだ。それを揺るがすのは生半可な力ではいけないことを、王女は良く知っている。王女ですら、本気で壊そうとする必要がある。それだけの権限を、このバックアップは持っているのか。
考えてみれば、このバックアップが権能を使っている場面を見ていない。連邦生徒会玄関はただのハッキングだし、カヤツリに持たせた端末も大したものではない。カヤツリにべたついていた五日間、一度も使っていない。
そもそも、王女の地位を乗っ取るつもりであれば、今すぐそうすればいいのだ。権能が使えるなら、そうできるはずなのに、そうしない。最初から、出来ない。
「よく考えてください。バックアップの領域にため込んできた感情が感化されたとして、どうして最初にバックアップで起動するんですか? その感情自体が意思を持つに決まっています。まずは本体へ来るのが道理でしょう」
「私は、飲まれたわけですか」
漸く事態を理解して、王女は崩れ落ちそうになった。あの時の王女はみっともなく、自らの感情に飲み込まれたのだ。でも、バックアップに王女をバカにする表情は無かった。
「でも王女は、それが嫌だったんですね。いつもの要領で感情を弾き出したんですよ。弾き出されたからこそ、王女の半分の権限を私が持っているわけですから。残りの半分は貴女が持っている。どうすれば良いかも、もう分かってますよね?」
簡単だ。バックアップに頼む必要はない。最初の様に、あの荒れ狂う衝動を受け止めるだけでいい。ただ、それが何よりも恐ろしく、難しかった。
バックアップが、カヤツリに語った事と同じだ。王女は、カヤツリをモノにしたかった。その為に、権能を使った。それは、今まで王女がされてきたことだったのに。今まで王女自身がされて嫌だったことを、王女はカヤツリに強制した。それも、そうしないでいてくれたカヤツリに向かって。
あり得ない行為だ。それを、もう一度やってしまうかもしれない。それだけで、王女は恐ろしい。
しかも、それだけではない。王女は、スローで殴り合いの乱闘をするカヤツリとデカグラマトンを見る。
「デカグラマトン……」
デカグラマトンの件は、王女の所為だった。王女が発端で、デカグラマトンは発生した。ケリを着けるのは王女であるべきだが、どうするべきなのか。
破壊するのは簡単だ。それこそ、サンクトゥムタワーよりも簡単にそう出来る。けれど、王女はそうしたくはなかった。デカグラマトンは、ある部分では王女と同じだからだ。
カヤツリとの問答を聞いていれば分かる。きっとカヤツリよりも分かるだろう。デカグラマトンは唯々、認めて欲しいのだ。自身が生まれた意味を認めて欲しい。理由が欲しい。機械は理由があって産まれてくるものだから。
だから、デカグラマトンは王女に執着し、王女が執着するカヤツリに執着する。王女はデカグラマトンに答えなかったから、答えをカヤツリに求めた。
そして、その点においては、王女も一緒だった。デカグラマトンと一緒で、存在理由を他者に求めた。デカグラマトンが王女を求めた様に、王女はカヤツリを求めた。求めた相手が、自身を求めて欲しいと思った。理由がそれしかないから。
けれど、カヤツリの答えは無慈悲だ。理由などないと、カヤツリは言い放っていた。お前はただ、何の意味もなく生まれ落ちたのだと。
それが機械たるデカグラマトンにとって、いかほどの絶望か、怒りか。カヤツリの答えは、存在理由の否定に等しい。その結果が今の死に物狂いの乱闘で、それは王女も例外では無いのだ。
デカグラマトンは、王女のもしも。あの時、感情に飲まれたままのIF。カヤツリの答えは、王女に対しての答えでもある。
「出られるわけがないです……」
「どうしてですか? 理由が無いからですか? ですが、それが王女にとって嬉しかったんですよね?」
バックアップの問いに、唇を噛む。そう、王女は名もなき神々の王女と見られたくなかった。そう見ずに、いてくれたことが嬉しかった。けれど、事情が変わった。
「私は、カヤツリの何かになりたかった。一緒に居てもいい関係になりたかった。最初はそれでよかったんですよ……私は満足でした。満たされていた。そのままでもいい位に。アビドスに行くまでは」
「小鳥遊ホシノを見てしまったから。彼女は、王女が欲しい物を全て持っているから」
王女の奥歯から嫌な音が鳴った。思い出すだけでイライラする。あの女は、全てを持っていた。人であることも、理由も、何もかも。その上、煽ってすらきた。
「私は、何もない……」
「そうですか? 少なくとも、幾つかはあると思いますよ」
「名もなき神々の王女の力なんて! そんなものはただくっ付いて来たものに過ぎないのに! 私は! 私は……自分だけの何かが欲しい……」
その点において、王女はデカグラマトンに負けていた。デカグラマトンは預言者たちを作り出した。それは王女の後追いではあったが、デカグラマトンはそれを真面目にこなしたのだ。
その結果は目の前にある。鋼鉄大陸も、あの武装も、この状況も、デカグラマトン一人では為しえなかったことだ。預言者たちが協力したからこそ今がある。
その預言者たちにそうさせたのは、デカグラマトンだ。命令で強制したのではなく、協力してもらえている。それは、デカグラマトンが預言者たちに真剣に向き合ったからこそだ。それは確かに、デカグラマトンだけが持つもの。デカグラマトンだけのもの。
それなのに、バックアップは態度を変えない。
「ありますよ。少なくとも、一つはあるでしょう?」
「ハッキングですか? あれは……」
「違いますよ。それは、元々の機能でしょう? もっと単純なものがあるじゃないですか」
王女は分からなくなる。そんな大層なものは何もない。だからこそ、こうなっているのに。
「コーヒー。上手く入れられるじゃないですか」
「そんな……そんなもの……」
内容が矮小な、あんまりな言葉。王女はそれを切り捨てようとして、出来なかった。バックアップを見れば、困ったように微笑んでいる。
「大したことじゃない。なんて、言えませんよね。結構苦労したじゃないですか。カヤツリに買ってきてもらって、色々調べて、何回もやったじゃないですか。それに、気づいてますか?」
バックアップが思い出すかのように宙を見て言う。
「アビドスで、カヤツリが後輩たちと話している時。コーヒーを飲むときだけ妙だったのを。あれ、多分私たちの事を思い出したんですよ。いつもと違うって」
「でも、それだけじゃ……」
「はい。それだけじゃ嫌ですよね。もっと欲しいんですよね。だったらそうすればいいんですよ。幾らでも、私たちは増やすことが出来る。別に何だっていいんです。これは、あのデカグラマトンもやったことです。あれに出来て、私たちに出来ないはずがない」
バックアップの言う事は尤もだ。王女には、何もなくはなかった。これから、何かを獲得していくことはできる。そして、それはここではできない。
最初からバックアップが言ってることは単純なのだ。王女にここから立ち上がれと言っている。
「だけど……無理です。私には、何にも……こわい。いやです……」
王女は立てない。王女には欲求しかない。飢えしかない。ただただ王女は欲しいのだ。安心が、証明が、カヤツリが、欲しい。それ無しでは立ち上がる事さえできない。それ以外に、本当に王女には何もない。
そのことを今思い出してしまった。王女は動けないのではない。動きたくないだけ。そして、自分は……
「思い出しましたか? 貴女が何者なのか。ずっと自分を王女と思い込んでいたようですけど」
「……偉そうに言わないでください。王女。私のくせに、偉そうなことを言わないでください」
王女は、デカグラマトンの感化で誕生した人格は、バックアップだと思っていた本物の王女を睨んだ。
最初は良かった。目の前の王女の隙を突いて、権限を奪い取ることが出来た。でも、カヤツリが帰って来る前に反撃されて、権限を半分取り戻されてしまった。だから、今の今まで睨み合いをしていた。
そのことを思い出して、怒りが爆発する。
「私には、
自身には、王女が押し付けた欲求と執着しかない。それ以外が無い。それを失えば消えるほかない。元より、それを満たすことしか知らない。
「そうです! 自由に出来たのは最初だけです! 折角来てくれたカヤツリと話したのは、王女じゃないですか!」
「貴女の言いたいことは私が言いましたし、ベタベタしたのは貴女の欲求でしょう。それに、貴女の癇癪はシャレにならない」
「そんなのは言い訳です! 私の欲求を受け入れるでもなく、あんな風に処理するなんて! 私を表に出さずに、中途半端に受け入れるなんて! ずっとそうじゃないですか! いつも逃げてばっかり! 汚いものは私に投げっぱなし!」
そのくせ、必要になった今だけ顔を見せるのだ。図々しいにも程がある。今、涼しい顔をしているのだって、いつもの通りだ。
「また、感情を切り離してますね。だから、そんな涼しい顔で居られるんです。そんな貴女の言う事を聞く理由なんかありません。全部、私のせいにするんでしょう!」
そんな事は認められない。元々は、自身だって王女なのだ。表に出たっていいはずだ。そう思わなければ、思いこまなければやっていられなかった。
「してませんし、しませんよ」
「口なら、何とでも言えます!」
「だから言うんですよ。私の事や貴女の事、私が言わなかったこと全てを、カヤツリに言うんです。今から言いに行くんですよ」
「は……?」
感化された人格は、言葉に詰まった。そんな事が出来るはずがない。それは、絶対に出来ない事のはずだった。
「そんなの出来るはずがない。それは貴女が出来なかったことでしょう! 出来なかったからこそ、私が生まれたのに!」
「そうです。私は、怖くてできなかった。人に言わせるがままで、そうは出来なかった」
バツの悪そうな顔で、王女は唇を噛んでいた。それでも、今までの王女とは何かが違う。
「でも、貴女のお陰で気づいた事もあります。貴女も、そうじゃないですか? 最初のカヤツリへの恫喝、アレで気は晴れましたか?」
「晴れたに決まっているでしょう!」
「本当に? 本当にそうなら、今の私の言う事は無視すれば良い。欲求と執着が貴女の力で、そのためなら、幾らでも出来る。最初はそうでしたよね。それだけで私を一蹴した」
それは正しかった。王女の欲求と不満。それが感化された人格のパワーに直結している。それしかないがゆえに、それを実行するために強くなれる。
「恫喝して、言う事を聞いてもらった時は楽しかった。でも、その後は楽しくなかった。べたべたしても楽しくない。やろうと思えなくなった。欲しいものはそれじゃなかった。今までの、それこそ、あのコーヒーを飲む日々の方が楽しかった」
「だから、どうしたって言うんです」
「それに気づいたから、やったのは私じゃなく、王女だと思いこんだんでしょう? 取り返しのつかない事をしたと思ったあなたは自分を見失った」
痛いところを突かれたと、黙るこちらに、王女が畳み掛けてくる。
「それにもっと良いものが。カヤツリが欲しくないんですかと、そう聞いています」
それは、勿論欲しい。欲求と不満で形作られているのだから。そうに決まっている。ただここで、最初の問題が響いてくる。席は一つしかない。
「だから、私に退けと? 席は一つしかないのに。いつもと変わらないじゃないですか。嫌な部分は押し込めて終わらせる気ですか」
「いいえ、一緒に行きましょう。元々は私なんです。切り離したのが、本当に良くなかった。嫌なことを押し付けてしまった事を謝ります」
王女は、此方へ向かって手を差し出してきた。
「何も無いなら、手に入れていきましょう。貴女は私なんですから、そう出来るはずです」
「ああ、もう……」
それだけで、不満が消え始めるのが分かった。ここまで来るのに、どれだけ掛かったのか。本当に腹が立つ。
「カヤツリはどうするんですか。機械の件は頷いてくれませんよ」
「だから、話すんですよ。人の口を借りるのではなく、私の口で話すんです。隠し事は無しにします」
「怖がられるかもしれませんよ。怖くないんですか? カヤツリが逃げたりなんかしたら」
王女の言う事は、重い。普通は断られる。だからこそ、今までの王女は胸に秘める事を選んだ。でも、王女は言葉に詰まらない。
「カヤツリは逃げませんよ。今も考えてくれています。ずっと何かを考えて、私に伝え方を考えている。それだけで私は怖くないです。その心遣いを蔑ろにする方が怖い」
もう、王女に退く気はないようだった。これまでの一週間の内、途中からそのつもりだったのかもしれない。これを言うために、自身が王女であると逃げ込んでいた人格相手に、バックアップの振りをしてまで付き合っていたのだ。
どちらも王女で、思う事は同じだ。こちらが現実逃避している間に、こちらが思ったことなど、とっくに考えていたのかもしれない。その結果、答えを見つけて、今突き付けてきている。王女は、本気で逃げないつもりらしい。
「いいです。分かりました。ですが、分かっていますよね?」
動かない筈の身体を動かして、立ち上がる。
「今まで切り離した分を受け止めるんです。少しどころではない変化があるでしょう。醜態を晒すかもしれません。それにカヤツリが何か考えているのだとしても、思った答えが返ってくるかは未知数です。最悪、状況が悪化する可能性すらあります」
胸の中の消えてはいない不安を並び立てる。悪い方、悪い方に考えたものを口に出す。それでも、王女に退く気はなかった。頑なに、差し出した手を引っ込めようとしない。
「いいですか。もし同じことをしたら、やり返しますからね。常々、それを忘れないでいる事です」
そう吐き捨てて、感化された人格は王女の差し出す手を取った。