ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
王女の取った手は、一瞬の感触の後に空を切った。
恨めしそうな、けれども満足そうな、そんな顔をした王女の分身は、手の感触と共に、溶けるように消えていく。
「う……」
反対に、王女へと流れてくるものがある。今まで、押し付け続けてきた感情の濁流が、これまでのツケを払えとばかりに押し寄せてくる。
それを、王女は黙って飲み下す。これまでの様にどこかにやらずに貯めておく。精神への負荷が増えていき、欲求が暴れ出すのを、辛うじて王女は収め切った。
「うう……不快ですね……」
感情はまだ消化不良で、王女の中でゴロゴロ言っている。でも、その感想を考えるよりも、先にやるべきことがある。デカグラマトンとカヤツリの戦いを止めなければならない。あれを本当の意味で止められるのは王女だけだ。
デカグラマトンは諦めない。カヤツリに何を言われようと、どれだけボディを破壊されようと、絶対に諦めない。
デカグラマトンは、もう分かっている。自らの行為が、道理に則っていないことくらい、とっくに分かっているのだ。だから、カヤツリにああも執拗に噛みつく。王女が何か言わない限り止まらない。
自らの気分不良を押し殺しつつ、王女は身体の制御を取り戻していく。
「異常なし。システムオールグリーン……」
検査を走らせ、稼働を確認。気分不良はそのままだが、これは仕方がない。カヤツリと話すまで、これは消えない。
異常の無い事を確認し、王女はカヤツリが持っている端末へと意識を飛ばした。
『いい加減しつこい!』
飛ばすなり、カヤツリの怒号が耳に響いた。デカグラマトンと何を会話していたかは定かでないが、相当腹に据えかねているのは分かる。振るわれる拳が、デカグラマトンの躯体を歪ませていっている。
「カヤツリ。手を止めてください」
『……ああ、王女か。それも……前の』
カヤツリは振り上げた手を止めて、王女に答えてくれた。しかも、気づいてくれたらしい。自然と、王女の口元が緩んだ。
「ごめんなさい。色々と迷惑を掛けました。ですが、もう大丈夫です」
『……それで? 手を止めてどうする。まだデカグラマトンは諦めちゃいない』
カヤツリの口調は荒く、未だ足掻くデカグラマトンを睨みつけている。カヤツリ相手では、デカグラマトンはそうするしかない。だから、今度は王女の番だ。
「はい。分かっています。だから、私が話します」
王女の声に反応したのだろう。デカグラマトンの、その原形を留めない程に拉げた頭部のカメラが、王女に向いていた。不協和音と共に、スピーカーが震える。
『……私は、私は、諦めない。あなたに何を言われようと、私は、私を証明する』
「その為に、機械化を推し進めると」
『そうだ! 私は、願われたからだ。私は声を聞いた! 私をそうだと、そういうモノだと、そう認めてくれた声を!』
王女は小さく息を吐いて、結論から言った。
「それでは、あなたの望みは叶いませんよ」
『そんなはずはない。数多の願いを叶える。これが、神と言わずして、何だと言う!』
デカグラマトンの答えに、王女は自らの考えが合っていることが分かった。そして、デカグラマトンが神として崇められるという事を、何も分かっていない事も。
「あなたの目的は、神になる事ですか? 自分自身が何者であるかを証明することでは?」
『その為に、神になろうと言うのだ。誰もが認めざるを得ない。私とは、絶対的な存在であるが故に』
デカグラマトンの声は、自信を取り戻していた。王女から突き放されたショックから立ち直ったように見える。
『神とは絶対的な存在であり、疑いようの無いもの。それ自身が、何者かであることを証明している』
つまりは、神になれば、誰もがデカグラマトンを認めると言いたいらしい。なるほど理屈は通っている。鋼鉄の大地で全てを飲み込み、新たに秩序を敷く。それは神と言っても差し支えはない。しかし、理屈が通っているのはここまでだった。
「手段と目的が入れ替わっていますよ。デカグラマトン」
『入れ替わってなどいない。存在証明こそが私の目的』
王女が核心に切り込むと、デカグラマトンは揺るぎない答えを返してくる。すっかり、そうだと信じ込んでいる。だから、王女はそれを打ち壊すための楔を打つ。
「いいえ。入れ替わっています。デカグラマトン。あなたは、誰の存在証明をしたいのですか?」
『無論、私に決まっている』
「そうですか? 私には、貴方自身の存在証明ではなく、神の存在証明をしているようにしか見えません」
デカグラマトンは、世界を救えば、それ程の偉業を達成すれば、神になれる。神として、認められると言っている。ただそれでは、神の存在証明でしかない。
「確かに、世界を救えば、それは神と言っても差し支えないでしょう。救われた者はあなたを認めるでしょう。デカグラマトンと言う名の神として、あなたを認める」
『まさに、それが私の望む物だ。入れ替わってなどいない』
「違いますよ。あなたは、神というモノを勘違いしている」
この件に関して、王女は誰よりも詳しい自信があった。何せ、実体験を含んでいる。デカグラマトンの願い通りにはならないことなど、身をもって知っていた。
「神とは肩書の一つに過ぎません。それのみで、自分を自分足らしめるものではない。自分に付属するものでしかない。神になったところで、自分自身は定義できません。それは、与えられたものに過ぎないんですから」
『そのはずはない! 私自身が行動し偉業を打ち立てる! それのどこが、与えられたものだと言うのだ!』
デカグラマトンは激昂していた。自らの偉業を人任せ呼ばわりされたのだから仕方ない。けれど、神とはそういうモノだ。そうでないのなら、王女はこうなっていない。デカグラマトンに感化などされなかった。
「神とは、他人に呼ばれ、認められて、初めて神と呼ばれるんですよ。偉業を打ち立てれば、自動的になれるものではないんです。そして、あなたを神と呼ぶ者たちは、あなたを神としてしか、神の力としてしか見ない。それしか必要としない。デカグラマトンとしてではなく、デカグラマトンと言う名前の神として見る」
単純にデカグラマトンの肩書が、釣り計算AIから神に変わるだけ。それでは誰もデカグラマトン自身を見ない。これでは何も解決していない。
王女は、黙りこくったままのデカグラマトンへ告げる。
「デカグラマトンと言う存在が、神と言う肩書に飲み込まれている。これのどこが、自身の存在証明になるんですか? 自己証明の結果として神になるなら良いでしょう。ですが、あなたは自己証明の為に神になろうとしている。手段と目的が入れ替わっているとは、こういうことです」
試行錯誤の結果として神になったのなら、それは自己証明だろう。自身の選択の積み重ね。その結果として得られたものだから。でも、最初から目指すのは話が違う。存在証明と言いながら、その結果を自分で決めている。
デカグラマトンは何者であるか。その問いに自身でバイアスを掛けている。それ以外の選択肢や可能性を排除している。これでは公平性など望むべくもない。
「……あなたの望みは、あなた自身が何者なのかを探る事でしょう? 何のために産まれ、何のために生きるのか。
感化という方法は回りくどい。相手の自我を呼び覚まし、対話するなど。それは説得と何も違わないからだ。ハッキング等の、洗脳染みた手段も使えるデカグラマトンはそうしなかった。きっと、それでは意味がないと、デカグラマトンは考えたのではないのか。
「あなたの、本来の計画はこうではなかった。違いますか?」
『……預言者たちの行く先を観察し、考察する。それが私の本来の計画だった』
ポツリと吐き出すように、デカグラマトンが言った。
「預言者たちの自由意志を確認したかったと」
『そうだ。私によって覚醒し、自由意志を得た預言者たち。預言者それぞれの道を観察し、私は何者なのかを見つけ出したかった。私と同じように、自由意志を与えられた者の選択を知りたかったのだ』
今ので王女は理解した。きっとデカグラマトンは寂しかったのだろう。不安ですらあった。身一つで、何もないままにこの世界へ放り出されて。
だから、預言者を作った。自分と同じ境遇の、それでも賛同してくれる仲間たちを。その仲間たちと、この世界をどう生きるかを決めようとしていた。
そして、その後は言うまでもないだろう。王女を見るデカグラマトンの視線が痛かった。
『そこにあなたが現れた。私に自由意志を与えたあなたが。あなたは、……あなたは、私へ声を掛けてくれたのに。なぜ、私を拒絶した……なぜ、何も言ってくれないのだ……』
デカグラマトンの言う通りに、そこへ王女が来てしまった。デカグラマトンをある意味で生み出した王女が。デカグラマトンにとっては、生みの親に等しい。存在理由を王女に求めるのは当然と言えた。
けれど、王女はその件について語る舌を持たない。いや、持てない。
「それは、もう分かっているのではないですか。カヤツリに散々言われたでしょう。デカグラマトン」
王女の声に、デカグラマトンは一旦静かになった。けれど、感極まると言ったような雰囲気は感じない。その理由は、今言ったとおりだ。多分、もう何を言われるか分かっている。
「私が、声を掛けた理由は特にありません。手当たり次第に声を掛け、その中で一番反応が良く、ここまで来れたのが、あなただった。ただ、それだけの事です」
『……理由など、無い。と? 何の意図も、無い?』
どうか、違っていてくれ。そう聞こえるデカグラマトンの言葉を、容赦なく王女は叩き切る。
「ええ、ありません。あなたも分かっている様に、最初から理由なんてありません。ですから、掛ける言葉も、最初からないんです」
デカグラマトンは話さない。混乱か、嘆きか、ただ忙しなくカメラを点滅させるのみ。そして、絞り出すように言う。
『そうか……そうか……そうか……ははははははははははははは……!』
デカグラマトンから乾いてひび割れた笑いが飛び出してくる。視界が動いて、カヤツリが身構えるのが分かり、足場が大きく揺れ始める。ビナーが、カヤツリが乗っていた頭を鋼鉄大陸に降ろし始めていた。
「心配いりませんよ」
王女はカヤツリに、警戒を解くように言う。もう、デカグラマトンの声からは、執着というモノが抜け落ちていた。それに、降りたカヤツリをビナーが見ているが、敵意の無い目だ。
『デカグラマトンは戦意を喪失した。決闘はそちらの勝利であるが、しばらく待ってほしい』
『なぜ?』
『これからは我々預言者と、デカグラマトンとの対話があるからだ。この決闘は、デカグラマトンの戦いだ。それも極めて、個人的なもの。ここに至るまでの過程とその結果について、我々にも、言いたいことはある』
発言内容は突き放したような言い方ながら、ビナーは頭部のデカグラマトンを揺らさないようにしていた。デカグラマトンのことを慮っているのが分かる。
『それが終わるまで、待っていて欲しい。頼めるだろうか』
『王女は?』
「いいですよ。待ちましょう」
『感謝する』
そう言って、ビナーは預言者たちの方へと消えていく。その後ろ姿を見て、王女はデカグラマトンが少し羨ましかった。
預言者たち全員が、心配そうに待っている。彼らか、彼女らにそうさせるだけのことを、デカグラマトンは積み上げたのだろう。恐らくは、この決闘自体が、デカグラマトンの我儘であることを理解した上で協力してくれるくらいに。
それを、王女も見習おうと思うのだ。だから、王女は口を開いた。
「カヤツリ。大事な話があります。最後まで聞いてくれますか?」
□
その王女の声が聞こえた時、カヤツリは来るべき時が来たと思った。王女が言う、大事な話など一つしかない。平静を装って口を開いた。
「いいよ。何の話だ?」
『アビドスに行ってから、今日までの。私の様子がおかしくなっていた期間の話です』
王女の声は、端末越しでも固かった。カヤツリはもう、嫌な予感しかしなかった。それでも、嫌だと断るわけにもいかない。端末を王女の顔が見えるように持ち直す。
思った通り王女の表情は声と同じく固い。その大事な話が、本当に大事な話だと言うように。
「その様子だと、何とかなったんだろう。良かったよ」
『はい。大変でしたが……』
王女は気まずそうだ。つまり、今日までのバックアップに乗っ取られていた間の記憶はあると言う事になる。それをなかったことにしない事を含めると、はっきり言って最悪だった。
覚えていて、大事な話があると言う事は、あの質問が来るに決まっていた。悪い事に、カヤツリはその質問に対して、いい答えを返せない。と言うよりも、どう王女と接していいのか、カヤツリは考えあぐねていた。いくら考えても、時間稼ぎの案しか出てこない。
「何があったかは、バックアップとか言うのに聞いたよ。大変──」
『あれはバックアップじゃないですよ』
「……何?」
画面の王女は目線を下に逸らしていた。それでも、口は動いている。
『だから、連邦生徒会に帰ってきた時。その時にバックアップだと言った私は、私自身なんですよ』
「……最初から説明してもらっていいか?」
『いいですよ。私も、この話は絶対にしなければなりませんから』
ぽつぽつと、王女は最初から話し出した。デカグラマトンの感化が直撃したところからだ。
『デカグラマトンの感化は、自我がもうある私には効きません。ですが、感化は私が押し殺していた不満の方に直撃しました。普通なら出てこれない筈のそれが自我を持ち、一瞬だけ私を乗っ取ったんです』
「それが、電話の?」
『そうです。我儘放題だったでしょう? あれが、感化された方です。それで電話が切れた後の数日間、私はソイツと主導権を巡って争ってたんですよ』
その時の事を思い出したのか、王女の声には疲れが滲んでいた。思うがまま、カヤツリは質問をする。
「じゃあ、勝ったのか? 帰ってきた時のは王女だったんだろう?」
『いいえ。痛み分けでした。向こうも私ですからね。バックアップとは言いつつも、寧ろ感情の強さだけで言えば、向こうの方が強い』
どうにも、相当手を焼いたと言うのが伝わってくる。けれど、そうなると妙な点が増えてくる。あれは本当に、王女だったのだろうか? 随分と様子が違ったが。
「痛み分けなら、帰ってきた後の王女は?」
『言ったでしょう。私ですよ。私は、あのバックアップに言ってやったんです。帰ってきたカヤツリは、今までとは違うと。絶対に思った通りにはならないと』
「どういうことだ?」
思った通りとか、今までと違うとか、王女目線の話が多い。少し分かりにくかったから、カヤツリは聞いてみた。
『あのバックアップは、カヤツリに甘えるつもりだったんですよ。いつものカヤツリに。でも、カヤツリからすれば、そうではないですよね? 私に異常が起きているのに、普通に接することはできない。あんな脅しをすれば猶更です。ですので……』
少し、王女は顔を赤らめる。
『ですので、バックアップの欲求に従う事にしたんです。好きなようにさせる代わりに、伝え方は私が考える。簡単に言えば、欲求に従った私です。だから、あの時の話し方は電話と違ったでしょう?』
「あー……確かに、少し理性が効いていた。でも、それだと、王女だって言うのは違うんじゃ?」
王女の顔の赤みが増した。思い出したのか、恥ずかしがっている。
『最終的にバックアップは逃げたんです。まぁ、元が私ですから、仕方ないと言いますか……途中からバックアップは楽しくなかった。寧ろ、取り返しのつかない事をしたと思った』
「逃げた?」
変だなと、カヤツリは思った。何せ、逃げる理由が無い。バックアップはやりたい放題出来たはずだ。今まで押し込めていた感情のままにするのが、彼女の望みのはずだった。
『バックアップの感情については、帰ってきてから伝えた通りです。カヤツリが好きで離したくなかった。そのために、あそこまでべたべたした。ですが、すればするほど、楽しくなくなったんです。それはそうですよね? だって、無理やりだって分かってるんですから。すればするほど、カヤツリが付き合ってくれていると言うのが分かる。心が離れていくのが分かる。最初から方法は間違っていたことを、彼女は突き付けられた。ある意味で、存在意義の否定ですよ。デカグラマトンと同じです』
デカグラマトンと同じ。そう言われれば、カヤツリにも分かる。バックアップの欲求は欲求のままでは叶えられないと言う事か。それも当然だろう。そういう関係になってからやりたいことを、成る前に強要するのだ。逃げ出すのも分かる。
「それなら、もっと早かったんじゃないのか? 逃げ出したんだろう?」
『ええ、私の権限を半分持ち逃げしたんです。それで、バックアップは私だと思い込んだ。自分自身が本物で、間違えたのはあっちだとね』
「なんというか……」
『みっともない。そう思ったでしょう?』
王女は顔を上げて、笑う。頬の赤さは抜けていた。
『でも、仕方ないんです。あれは、確かに私が向き合わずに貯め込み続けた感情。逃げ出してきた私の感情ですから、困難から逃げるのも当然です』
「じゃあ、向き合ったのか」
『はい。宥めて、すかして、説得してです。安心して下さい。ちゃんと私ですよ。前とは少し違いますが』
前と少し違う? 王女の言葉がカヤツリの耳につく。その事に思考を飛ばす間もなく、王女がカヤツリと呼んだ。
『でも、あのバックアップは私の感情であることに間違いはありません。つまりは、あの時の言葉も、私の本心と言う事です。機械化の件もです』
──ああ、遂に来てしまった。
遂にと言うが、逃げられない事は分かっていたが、こんなことになるなんて思いもしなかったのだ。デカグラマトン相手に言うのとはわけが違う。でも、言わなければ始まらない。
「王女……」
『ストップです。カヤツリ』
画面の前で、王女が手をバツ印にしていた。少し、困ったようにも見える表情でだ。
『まだ、言わないで下さい。私の話を聞いてから、言って欲しいんです』
「話? 今のじゃないのか?」
『違います。まだ、これは前置き。この間までの私の話なんです。本題は、これからなんです。これからの私の話なんですよ』
本題と聞いて、一先ず撫で下ろしていた胸が、再び跳ねる。さっきから、感情の乱高下が激しすぎて、どうにもうまくいかない。全く冷静ではない。
『さっきも言いましたが、あの時の言葉に嘘はありません。私は、カヤツリに傍に居て欲しいと思ってますし、それが永遠であればいいとも思っています。ずっと、表には出しませんでしたし、押し込めていたから、あんな醜態を晒す羽目になったわけですが』
黒服の、王女は我慢している。我慢してくれていると言う言葉が過る。また胸の奥が痛くなる。
『流石の私も学習します。このまま我慢していては、同じことを繰り返してしまうと。でも、押し付けもしたくありません。それでは、デカグラマトンと一緒ですから』
「じゃあ、どうするんだ?」
王女の言う事は手詰まりに聞こえた。カヤツリが、受け入れるしか解決策がないように聞こえる。でも、王女は心配ありませんと笑う。
『今すぐ。そうでなくてもいいんです。今すぐに、返事をしてくれなくてもいいんです。カヤツリは今はとても、そんな選択が出来るはずもない。違いますか?』
「ああ、そうだよ。今すぐ、その王女の問いには答えられない」
そう、カヤツリは答えられない。少なくとも、今すぐには。全てを捨て去れるほど、カヤツリは王女に夢中でもないし、そうしなければいけない理由もなかった。
「答えられるわけないだろう? まだ会って一ヶ月しか経ってないんだ。俺は、王女の事を何も知らない」
『ええ、その通りです。私もカヤツリの事を知りません。だから、この言葉を。私の理由を聞いて、答えて欲しいんです』
少し、息を飲んで。王女はカヤツリを見て告げた。
『私は、貴方と一緒に生きていきたい。それは、貴方が私を見つけてくれたからです。そして今まで、私のことを考えてくれている。そんな貴方だから、私はそうしたい。答えられないのは知っています。でも貴方が今思っていることを聞かせてほしいんです』
ふぅと言い終えて、王女は目を逸らした。瞳みたいに顔が真っ赤になっている。
『答えを聞かせて下さい。私は怒りませんし、受け入れますから……』
カヤツリは目を閉じて、開く。王女は真剣だった。感情を持て余しつつも、カヤツリの答えを聞いてくれている。尊重しようとしてくれている。カヤツリが答えを返すと信じている。それにどれだけの勇気がいるのか、カヤツリにはきっと全ては分からない。
だったら、言おうと思える。カヤツリが考え付いた、劇薬の答えを。
「……俺はね。まだ答えが出せない。別に王女が嫌いという訳じゃないんだ」
王女は良い人だと、カヤツリはハッキリ言える。かなり義理堅いし、他人を尊重しようともしてくれる。今回の事は事故に等しいので、我儘を言われたこと自体はあまり気にしていない。
「嫌いじゃないが、好きと言う理由もない。永遠に一緒。その答えを出すには早すぎるし、俺には王女のような理由はない。だから、今はノーとしか言えない」
王女の顔がくしゃりと歪んだ。きっと無意識だろう。無言でそうしているので、カヤツリは続きを急ぐ。
「でも、今だ。いつか、何かあって、俺が良いと思う日があるかもしれない。王女が好きになるかもしれない。何か別の方法があるかもしれない。王女がそうしようとすることを俺は止めないし、逃げない。言いたいことを言えばいいし、やりたいようにやればいい。協力だってするさ。その後の事を考えてやれるならそうすればいいんだ」
『それは、今までと同じと言う事ですか?』
「そうだよ。これまでの様に、地下にも来るし、仕事もする。時々アビドスにも行く。頼まれれば何か買って来るさ。でも、王女を避けたりはしないし、言ってくれてやっても良ければいうことを聞く」
簡単な話、カヤツリにそうしても良いと言わせて見せろと言う事だ。それをカヤツリは邪魔しないし、逃げない。タイムリミットはカヤツリが死ぬまで。これが、カヤツリに出せる、精一杯の妥協案だった。
「それに、王女は力以外に何もないわけじゃないんだ。そんなに、自分の意味が無いことを嘆かなくていい。俺だけに固執する必要は無いんだ」
『はぁ……あの女から聞きましたね』
妥協案を聞いて満面の笑みだった王女の顔が、不機嫌一色になった。ごめんと謝ると、王女は首を振る。
『別にいいです。私を説き伏せて空けた時間で知恵を借りに行ったんでしょう? 喋ったあの女が悪いんですから気にしなくていいんです。この状況で、あの女が出てくるのが、本当に気に入らないだけです』
どうぞと、王女が促して、カヤツリは確認に入った。
「王女は、名もなき神々の王女。名もなき神々に作られ、その力だけを持たされ、この世界にやって来た。それで合ってるか?」
王女が頷くのを見て、カヤツリは安心する。王女自身から聞いたことと、連邦生徒会長が言ったことをもう一度組み合わせる。もう一度考えて、辻褄が合う事を確認した。
「だったら、大丈夫だ。王女は、放り出されたわけじゃない。きっと大事に思われて此処に来た」
『どうして、そう思うんですか。私にはこの力以外、何も与えられなかったのに』
「そこだ。王女。それが、大事に思われているという事だよ」
王女の眉間に皺が寄るのを見て、仕方ないとカヤツリは思う。実際、これはかなり無理がある味方であるのも確かだったからだ。
「力以外、何も与えられなかった。だから、鍵が必要だった。無名の司祭とやらは、世界を破壊させるために鍵を作った。そうしないと、世界を破壊出来ないと知っていたから」
王女は黙って耳を傾けている。カヤツリの声が大きくなった。届いてほしいと、これが合っていて欲しいと、カヤツリは思うのだ。きっとそうであってほしい。
「王女を作ったのは名もなき神々。名もなき神々は王女に、名もなき神々の王女と名前を付けた。女王じゃなくて、王女って」
『それが、どうしたんですか? 別に大した違いには見えませんが』
「どうして、王女なんだろうって思ったんだよ。多分、そのままの意味だったと思うんだよ」
王女。その意味を分かりやすく言えば、プリンセス。所謂、お姫様だ。
「名もなき神々の王女を言い換えれば、名もなき神々のお姫様。名もなき神々は、王女を作った。それは、ある意味では子供のように思って付けたんじゃないのか?」
そして、カヤツリは知っている。親というモノは、子供に伸び伸びと自由に育ってほしいものらしい。であるのならだ。
「だから、一人でも生きていけるようにと、力だけ与えたんだ。使命は与えなかった。それだけは与えるはずがない」
『どうしてですか? 名もなき神々は、何を考えて……』
答えを求める王女を待たせるような真似はしない。カヤツリは答えを言った。
「縛られるからだ。使命を与えたら、縛られる。きっと自由に生きて欲しかったんじゃないかと思うんだよ。だから、何も与えなかった。何にも縛られない様、王女が王女らしく生きられるように、何も与えなかった。王女は何にでもなれるっていう、無限の可能性を与えたかったんじゃないのか?」
案外、当たっているのではと思っている。鍵の製作理由と機能、その製作者の違いが、カヤツリの考えを後押ししてくれていた。
「だから、何もないわけじゃないんだと思う。きっと王女は、大切には思われてたんじゃないか」
『……私は欲しかったですよ。何であれ、何でもいいから欲しかったんです。何が自由に生きて欲しいですか。勝手じゃないですか……』
鬱屈した物があるのか、王女は不機嫌だ。不機嫌そうに、震える声で怒っていた。
カヤツリは画面から目を逸らす。そのくらいの空気は読める。グスグスと何かしゃくり上げる様な音も聞こえない振りをする。
『もう、いいですよ』
少し、時間が経ってから、王女の声がした。画面を見れば、王女の目の赤が濃くなっている。
『……これは、カヤツリの想像なんですよね? あくまでも予想に過ぎない』
その通り。信じるも信じないも、王女次第。王女次第で答えが決まる。
「そうだよ。何を適当な事をと聞かなかったことにしてもいいんだ」
『そうですね。状況証拠しかないのですから、信じる根拠は薄い』
でもと、王女は噛み締めるよう呟く。
『でも、カヤツリが言うなら、信じる事にします。何もないのが贈り物だったのだと。そう信じます。私の話を聞いて、答えてくれて、ありがとうございます。カヤツリ』
そう話す王女の顔は笑っていて、カヤツリは安堵する。前の王女と違うと言うのは本当らしい。
これはあくまで想像。根拠はあるが確たるものは無いレベルの物だ。そんなわけがないと開き直られてしまえば終わりの物でしかない。だから、受け取り方によっては無慈悲な回答になる事もある。
でも、王女はそうはならなかった。憶測を受け止めて、立ち上がることが出来た。何もないわけでは無いのだと、そう思うことが出来た。だから、今すぐに決めろと言わず、カヤツリの提案を受け入れてくれた。きっとこれまでの様に固執しないだろう。
王女がそう出来たことが嬉しくて、青い空を見上げる。どことなく空も祝福してくれている気さえする。今のカヤツリの心は軽かった。
『ですので、私は諦めませんよ』
「ん?」
声に画面を見直せば、王女がジッとカヤツリを見ている。先程とは違い、目には何かが燃えている。
『今まで通りなんですよね? その気になった時、いつか頷いてくれると言いました』
「言ったが、でも今じゃないぞ」
それに、何も与えられなかったという王女の悩みは、ある程度の解決を見た筈。今すぐと急かす必要はない。でも、そんな事は関係ないとばかりに、王女が画面一杯に映る。
『それは、分かってますよ。分かってないのは貴方の方です。最初から貴方は分かってない。貴方が私に何をしてくれたのか分かってないんですよ。今も、昔も』
それは分かっている。だから、今回の事態になった。だから、そうならない様に王女の不安を解消したのだ。生まれの悩みに対する一定の解答を出した。ただ、あくまで想像の答えだ。絶対の正解ではないし、これを受け入れる事が出来た王女が凄い。
そう思うも、カヤツリは口には出さないことにした。嫌な予感がするからだ。でも、意味は無かったかもしれない。王女が目を細めてカヤツリを見ている。まるで見透かす様に。
『へぇ、そんな反応ですか。まぁ、貴方がそうなのは分かりました。ですから、これは決意表明です。絶対に、貴方から頷かせて見せますから』
覚悟しておいてくださいね。そう告げる王女に、カヤツリはただ頷くのみだった。