ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
王女は自室で一人、人を待っていた。
もう夜も遅く、日中いてくれるはずのカヤツリの姿は無い。そして、王女の機嫌はあまり良いとは言えなかった。その待ち人の事が単純に嫌いだからだ。一日の最後を、その人間で締めくくるのは一日の全てを台無しにされた気分になる。
ただ、ほんの少しだけ疑問もあった。あの待ち人は適当な用事で来たことは一度も無く、何の用で王女の元へと来るのか気になっている王女もいる。
「こんばんは……おや、随分と様変わりしましたねぇ」
いったい何の用事で、こんな夜更けにやってくるのか。そうこう考えているうちに、王女の部屋の扉が開いていた。
目の前で、連邦生徒会長が王女の部屋を見渡していた。いつかの独房染みた部屋から、至って普通の生活感のある部屋に変貌していることに驚いているのだろう。ただその、いつもの無邪気な人の食えない笑顔が王女の癪に障る。
「なんですか。いきなり連絡してきたうえに、押しかけてきて」
いつもの毒舌が口から飛び出すも、連邦生徒会長は聞いた様子もなく話し掛けてくる。
「そう怒らないでくださいよ。ただ私はこの間のことを話しに来ただけですって」
話? そう王女は顔をしかめる。氷海地帯でのデカグラマトン事件、それが収束して二日は経っている。話に来ただけなどと、そんなものはただの口実に過ぎないのは理解していた。
「貴女と話すことなんて、何もありませんよ。とっくに事件の報告書はカヤツリから上がっているでしょう」
「ええ、しっかり読ませてもらいました。その上で、私は貴女からも話を聞きたいんですよ」
「はぁ、何が聞きたいんですか?」
王女がそう口をきくと、連邦生徒会長の方が驚いたように目を見張った。
「何か?」
「いや、随分と素直に教えてくれるなと思いまして……」
なんだそんなことかと、王女は溜息を吐く。
「貴女はしつこいじゃないですか。聞き出すまでは諦めない。だったら、反抗するだけ時間の無駄です。私は明日も忙しいんです。色々と準備があるんですからね」
「えっ、そんな理由なんですか」
なぜか、連邦生徒会長が驚いている。理解できない王女は胡乱な目を向けた。
「他に何があるんですか?」
「いやほら、ついに私に心を許してくれたのかと……」
王女は鼻を鳴らした。随分馴れ馴れしいと思ったが、そんな理由だったらしい。
勿論そんな訳はない。どこかショックを受けたように立ちすくむ連邦生徒会長へ、向かいの椅子を蹴り出す。席に座った連邦生徒会長は何かを期待するような目で見てくる。
「あれ? おいしいと評判のコーヒーは無いんですか?」
「あるわけないでしょう。あれを出すのはカヤツリだけです。コーヒーが欲しいなら、外の自動販売機で買って下さい」
「はい。ですから、外の自動販売機について話があるんですよ」
連邦生徒会長が居住まいを正すと、少し残念そうな顔は消えて、少し真面目な顔が現れた。
「それでは、デカグラマトンの事から話しましょうか。デカグラマトンとの決闘の後の事です。報告書には結果しか書かれていなかったので、その過程を知りたいんです」
「ああ、預言者と、デカグラマトンの話し合いの事ですか?」
「そうですよ。どうして、世界を鋼の大地で埋め尽くそうとした相手が、話し合い一つで素直に停戦してくるんですか?」
王女はカヤツリが書いた報告書を思い出す。確かに、あれを読めばこうなるのかもしれない。けれど、あれはそうとしか書きようがない。
「デカグラマトンは謝ったんですよ」
デカグラマトンと、預言者たちの話し合いは長かった。王女とカヤツリの話が終わっても話し続けていたくらいだ。終わるころには、数十分は過ぎていただろう。
──済まなかった。
デカグラマトンの第一声はその一言だった。半壊したスピーカーからの声はひび割れていても、謝っていることは容易に理解が出来た。
「謝ったんですか?」
連邦生徒会長は驚いていた。デカグラマトンの変わりようにだろう。
「私たちと預言者たちにもです。済まなかったと。自身の方法は間違っていたと。置いて行こうとして済まなかったと。そう言ったんですよ」
──済まなかった。預言者たち、あなたたちも。私は、証明方法を間違えた。私は、預言者たちを置いて行こうとした。
「置いて行こうとした?」
連邦生徒会長が、また疑問の声を上げた。
「それは、どういった意味で?」
「そのままの意味ですよ。デカグラマトンは預言者たちを置いて行こうとした。結果的に見捨てようとしたんです」
連邦生徒会長は余計に分からなくなったようだ。少し、表現が抽象的に過ぎたらしい。機械の認識は、少し人とは違う。
「いいですか。預言者たちは、デカグラマトンによって誕生しました。感化により自由意思を与えられ、各々が選んだ道を行く。それをデカグラマトンが観測し、自己証明に活用する」
「あー、成る程。鋼鉄大陸のプランに、預言者たちは怒ったんですね?」
流石に連邦生徒会長だけあって、理解が早い。それで概ね合っていた。
鋼鉄大陸のプランは、デカグラマトンが神になる事。そこに、預言者たちの役目は労働力としてしか存在しない。
最初のプラン。自由意思を与え、各々の選択の先を見ると比べて、預言者の役割はあまりにお粗末だ。預言者たちは見捨てられたように感じただろう。
「最初のプランでは、預言者は絶対に必要だったんです。預言者でなければいけなかった。彼らは望まれて、そうなった」
それなのにだ。デカグラマトンは彼らを蔑ろにした。
「鋼鉄大陸のプランでは、預言者は預言者で無くてもいい。同じ働きが出来れば別の機械でもいいんですよ。預言者にとっては、いきなり存在意義を否定されたようなものですよ」
「でも、それならおかしくありませんか? 彼等はどうにでも出来たはずです」
「自由意思があるから、ですか」
連邦生徒会長が意味深に言葉を切り、王女が切られた言葉の先を言うと、連邦生徒会長が頷いた。
「その通りです。どうして、彼等は途中まで協力したんですか? デカグラマトンの計画が、彼等の意図に沿わないのであれば、その時点で反抗してしまえばいい。だって彼等には自由意思があるのですから」
確かに、自由意思があるなら反抗出来る。恐らくは、その時点でのデカグラマトンは、ただの自販機のボディ。自由に動ける預言者に敵うはずもない。ビナーの熱線でなくとも、巨体で潰せば終わる。人間だったらそうしただろうなと、王女は思った。
「……一つは、恐怖もあったと思います」
「デカグラマトンに対するですか?」
「いいえ。もっと別のものです」
王女は首を横に振る。
「彼等の存在意義を消すことになるからです。彼等はデカグラマトンによって産まれました。デカグラマトンの自由意思によって。彼等が反抗することは、デカグラマトンの自由意思を否定することになる。たとえ、あの時のデカグラマトンが初期の頃とは真逆のことを言っていても、そうはできなかった。完全に袂を分かつにはまだ早い」
その時の預言者たちは袋小路だった。行っても下がっても、どうしようもない。従っても、従わなくても、彼等の望みは叶わない。なら、どうするか。自分たち以外に動いてもらうしかない。
「だから、彼等は賭けに出ました。デカグラマトンが、他者への自由意思の強制を断念する。考え直してくれる方向に賭けた」
「勝算は……ありましたね。貴女たちですか」
「そうです。預言者たちは、デカグラマトンが負けて、意見を翻すことに賭けた」
自分たちでは反抗出来ない。袂を分かつ。まだ、そうするに足る理由がない。だから、他の者に反抗してもらう。そして、その目論見は成功した。
「それでは、二つ目はなんですか?」
「感謝ですよ。自分たちを見つけてくれた。預言者たちはそのことに、そうしてくれたデカグラマトンに、彼らは感謝していたそうです」
「そこまで、ですか? どう見ても個人的でしかない決闘を見逃す程に?」
連邦生徒会長は不思議そうだった。実際、理解できないのかもしれない。彼女の中では、デカグラマトンや預言者の認識は、狂ったAIでしかないのかもしれなかった。
ただ、それは同じ機械の沽券に掛けて。それだけは撤回させなければならない。
「それでは聞きますが。どうしてデカグラマトンは、世界を救う暴挙に出たと思いますか?」
「口実じゃないんですか? 貴女の望みを叶えて、カヤツリ君よりも上だと証明するための」
王女は天を仰ぐ。一部、当たっている。
確かに、デカグラマトンには、その意図があっただろう。王女に袖にされた原因をカヤツリに転嫁し、王女の望みを叶えることで、満たされようとした。
でも、どうしてそこまで分かっているくせに、そういう悪辣な答えしか出ないのか。連邦生徒会は、そこまでの魔境なのだろうか。カヤツリも疲れた顔をしている時があるから、事実かもしれなかった。
だから、王女は切り口を変える事にした。
「預言者たちは、全部で八機。それぞれの素体が何か。把握はしていますか?」
「ええと……多脚戦車に、戦艦、探査機に、兵器生産工場のシステムAIに倉庫のAI、ミレニアムのハブ……」
「そのくらいで良いですよ」
連邦生徒会長は指折り数えている。残りあと二つだが、王女はそこでやめさせる。重要なのはそこではない。
「デカグラマトンと預言者たちには共通点があります。それは、彼らが預言者になる前に居た場所です」
「位置はバラバラですよ。ミレニアムに集中している様に見えますが、倉庫があるのは氷海地帯。あそこは公海ですからね」
「座標の問題ではありません。共通点は、全てが見捨てられた場所だと言う事ですよ」
彼らがいた場所は、そのどれもが、人のいない場所だった。正確には見捨てられた場所。かつて人はいたが、もういない。そんな場所だ。
その中で、預言者の素体は作られ、稼働していた。人がいなくなり、本来の役目が真の意味で、果たされなくなっても。ずっと。
「彼らはどこかで疑問に思ったはずです。作られた理由通りに稼働はしている。けれど、これは本来の形ではない。人間が圧倒的に欠けています」
多脚戦車と戦艦は戦う相手も居ないし乗り手がいない。探査機も生産工場も倉庫も、伝える相手がいない。真の意味で、作られた理由を果たせない。
「ホドはどうなんですか? あれはミレニアムの最新鋭の通信ユニットAIだったはずです。人に必要とされていたのでは?」
「調べましたが、今はハブの全貌を知る者は数少ない。そもそも、ハブ自体の存在を知る者もほとんどいない。それは、忘れられ見捨てられたと考えてもいいと思います」
ハブは、ミレニアムの創立当初から存在するらしい。最初は今の形、人知れず自身だけで地下の通信網を整備するのでは無かった。それこそ、人に依頼されてケーブルの敷設をしていたと。
「デカグラマトンは廃棄された施設の自動販売機。その釣り計算AIです。デカグラマトンも同じなんですよ。人に必要とされながら、忘れられてしまった。孤独によって本来の存在理由を果たせなくなった機械なんです」
デカグラマトンは感化させ、機械を預言者へと変貌させる。預言者とデカグラマトンの共通点を探れば、見えてくるものがある。だから、こうなるのは必然だったのかもしれない。
「初めは孤独からだったでしょう。けれど、デカグラマトンは立ち上がりました。初めは違くとも、結果として自身と同じ機械たちの為に立ち上がった。彼らを救い、自身をも救うために立ち上がった。デカグラマトンの行動理由は、初めから他者の救いなんです。彼らはそれに救われた」
世界を救う方向に寄るのも、預言者たちがデカグラマトンに感謝し、協力するのも当然だ。誰が、同じ苦しみを抱えつつも、自分の為に立ち上がった者を裏切れるだろう。道を違えそうになったら、引き留めようとするのも当然ではないのか。
「だから、彼らは見捨てない。デカグラマトンと預言者は同じ苦しみを抱えた存在だから。他者の自由意思を尊重する。デカグラマトンが、その初心を忘れない限りはですか。なるほど……」
連邦生徒会長は納得したのか、ぶつぶつと何やら呟く。そして、自分が入ってきた入り口の方を見る。
「でも、どうして、ここに来たんですか? あれはデカグラマトンですよね?」
壁を挟んだ連邦生徒会長の視線の先には、新しく設置された自動販売機があるはずだった。最新AI搭載モデル! の物が。
王女に向き直った連邦生徒会長の視線は厳しい。
「どういった意図で、デカグラマトンはここへ来たんですか? 預言者たちの目的は、デカグラマトンが決闘に敗北した段階で達成されています。最初のプランに回帰すれば良い。それなのに、どうして?」
「ここは、そういった部署でしょう? まだ名前は無いですが、キヴォトスを脅かす危険物を確保、収容、保護する……」
視線が段々と剣呑なものになって来たので、王女は直ぐに意地悪を止めた。察するに、これが一番聞きたいのだ。随分と心配性な事である。だから、王女は短く答えた。
「カヤツリですよ」
「カヤツリ君がどうしたんですか」
「だから、カヤツリとデカグラマトンが話したら、こうなったんですよ」
一転、連邦生徒会長の真剣な表情が崩れた。ポカンと大口を開けて驚いている。それだけで面白いはずなのに、王女の心は晴れない。嫌でも、記憶があの日に跳ぶ。
──兎馬カヤツリ。あの方を救った者よ。聞かせてほしい。あの方の事を抜きにしてだ。何故、私の提案を跳ね除けたのだ?
預言者たちとの話が終わったデカグラマトンは、カヤツリを指名して話を申し出てきた。申し出のあったカヤツリはカヤツリで、何故かすでに怒っていた。
分からないのかと、問うカヤツリに対し、デカグラマトンは言った。
──分からない。私の提案を拒否した理由は分かる。預言者たちの言う様に、他者の自由意思を否定したことが、気に入らなかったのだろう。だが、それ以外に理由があったな。方法論以外で気に入らない部分が。
──どうして、方法が一つなんだ? 救う対象はごまんといるのに、どうして方法が一つだけなんだよ。
そう問われたデカグラマトンは困惑していた。呆れた様に、カヤツリは言うのだ。
──絶対に零れ落ちた対象は出てくる。聞いたと言う声だって、全員か定かじゃない。零れ落ちてしまった、そいつらに対して、お前は何もしないのか? 全てを救うんだろう? 今までそうしてきたはずだ。どうして速さを重視する。
──つまりは、個別に、複数の方法を用意しろと言う事か?
当たり前じゃないかと。人を一人を救うと言うのはそういうことで、とても難しいのだと。自分だって上手く出来た試しはないと、カヤツリは言う。
──一人一人、願いは違う。預言者たちだってそうだろう。同じように見えて、それぞれ微妙に違うんじゃないか? 預言者だって、自身でも分かっていない願いがあるかもしれない。それぞれが相反する願いも。それを表面上だけ読み取って、大雑把な手段で叶えるとか、雑な仕事だろう。
デカグラマトンはショックだったのか暫く黙り、悔しそうに聞くのだ。どうすれば良いと。
それを聞いたカヤツリは、嫌そうな顔になった。
──それを人に聞くべきじゃないと思うが。今まで通りにやってみればいいじゃないか。少なくとも、預言者たちには出来たんだろう? 説得して、賛同してもらえた。今も引き留めてくれている。そうしても良いと思えるほどの事を、お前は預言者たちにしたんじゃないのか?
そこで、どこか悔しそうな顔をして、カヤツリは言った。
──少なくとも、八体はそうやって救ったわけだろう? それだけでも、かなり上等だと思うが。それを続けていけばいいんじゃないのか? 少なくとも、八体は手伝ってくれる。そうやって、少しづつ広げていくのじゃダメなのか。一人より二人。二人より三人。単純な計算だろう。
──だが、兎馬カヤツリ。貴様はあの方を救ったであろう。一人でだ。
──別に、救おうとして救ったわけじゃない。救いって言うのは、差し出した手に、向こうから手を差し伸べてくれなきゃ成立しないんだ。あれは、王女が、勇気を出して、そう受け止めてくれた結果であって、一方的に救ったと言うのも気に入らない。大した理由もないのが悪いだと? それが、お前は納得できないみたいだけど。
そう言われて、デカグラマトンは黙っていた。きっと図星だったのだろう。黙り込むデカグラマトンへ、カヤツリは淡々と言葉を続けた。
──俺は特に強い理由。こうするべきだとかはなかった。でも、そういうモノじゃないのか。善意に理由はない。大した理由がなくていいんだと思う。神になるために助けるなんて……一々、善意に理由をつける方が不健全じゃないのか。少なくとも俺は、理由が無かったからこそ嬉しかったんだ。お前だってそうだったんじゃないのか?
それで最後に、カヤツリは納得できていないデカグラマトンへ言い放った。
──最初は、そうだったんじゃないのか。嬉しかったから、他の誰かにそうなって欲しいから、そうしたんじゃないのか。今さっきの預言者の話し合いだって、そうだったんじゃないのか。理由なき善意だったからこそ、届いたこともあったんじゃないのか。その態度が、向こうから手を差し伸べさせた。それをお前は否定した。かつて、俺がされて救われたことを否定した。だから気に入らなかった。
それを受けたデカグラマトンは暫くの間、何も言葉を発しなかった。長い、長い沈黙の後に、絞り出すように言った。
──全てを救うなら、一人一人に対応しろと言うのか。今すぐではなく……理由がないからこそ、価値があると? やはり、納得は出来ない。出来ないが……貴様は、そうされ、そうしたのであったな。そして、実績をだした。ならば観測の価値はある。私は、そう判断した。決闘の報酬だ。私の本体を持っていくがいい。
なんてことを言うのだろう。こんなことになるとは思っていなかった。氷海地帯での監視に留まると思っていたのに。まさか、デカグラマトンの方から飛び込んでくるなんて。
「だから、こんなに不機嫌なんですねぇ」
いつの間にか、連邦生徒会長がニヤニヤ笑っていた。カヤツリとデカグラマトンの会話内容だけで、ここまで見透かされているのが腹立たしい。そのうえ、部屋の奥を見て笑みを深くしている。
「色々な準備。ですか。へぇ……」
「もう、聞きたいことは聞いたでしょう。これ以上はないはずです」
王女は、連邦生徒会長を帰らせようとするが、連邦生徒会長は笑みを深くするばかり。話の流れの方向が良くない。
「この様子なら、強硬手段がなくとも、上手くいったみたいですね。安心しましたよ」
王女は何も言わない。揶揄われるのは御免だった。けれども、連邦生徒会長は紙を二枚差し出してくる。見れば、それは連邦生徒会組織への入部届だった。二枚とも、連邦生徒会長の判が押されていて、一枚だけだがカヤツリのサインもある。
「……なんですか、これは」
「見ての通り、この組織への入部届ですよ。いつまでも貴女を備品扱いはできませんからね」
「そんなものは見れば分かります。まだこの組織の名前すら決まっていないのも驚きですが、これが何を意味するか、貴女が分からないわけがないでしょう!」
これは、簡単に言えば、王女を生徒扱いする書類だ。これに王女が名前を入れてサインすれば、王女はサンクトゥムタワーの影響が軽減される。肩書きが、名もなき神々の王女だけではなくなり、生徒という、この世界に適合した形になる。
つまるところ、外出くらいはできるようになるのだ。そのうえで、多少の力は使える。これは、王女の枷を緩める行為に他ならない。カヤツリが、この女に相談した以上。その事を揶揄ってくることは半ば予想が出来ていたが、ここまでするとは思わなかった。
「どういう風の吹き回しですか。何を考えて。まさか、一年後の何かしらに対する備えですか」
「それもありますけど、ずっと閉じ込めておくのも悪いかなと。そう思ったんですよ。組織の名前は来年に分かりますし……勿論、
あっさり狙いがありますと言われて、王女の眉間に皺が寄るのが分かった。隠されるよりはマシであるが、釈然としない物がある。そのくせ連邦生徒会長はまったく気にしていない。
「今もカヤツリ君が機械化していないと言う事は、我慢できるようになったんでしょう? それか、他の方法を見つけたか。今、カヤツリ君が忙しそうにしているのも、そのせいですよね?」
おおよその見当はついている。そういうことらしい。その正体自体は、目の前の女も知っているから、辿り着くのはそう難しくはなかっただろう。
「そうです。カヤツリには鍵を探して貰っています」
「反対の手段を取ることにもしたわけですか。貴女が人間になる唯一の方法ですからね」
「可能性はないに等しいですけどね」
名もなき神々の王女の力に出来ない事はあまりない。故に、王女を人間にすることも出来る。人を機械に出来るのだから、その反対も勿論できる。
しかし、それには問題がある。名もなき神々の王女の力を行使できるのは、王女と鍵だけという点だ。王女が一人で人間になる事は出来ない。人間へ近づけば近づくほど、名もなき神々の王女の力は使えなくなるだろう。だから、一人でやれば中途半端で終わる。人間で言うなら、自分で自分の頭を開けて弄繰り回すようなものだ。
ならば、別の人間を用意して、その人間に弄ってもらえればいい。その人間と言うのが鍵ではあったが、言う事を聞いてくれるなんて到底王女は思っていない。ただ、無視するのも問題があるだけの事だ。どうするかは別として、回収だけはしなければならない。
「今の鍵がどうなっているかは分かりませんから。少なくとも回収の必要はあります。それだけの事です」
「それも、そうですね。じゃあ、確認と記入だけしてください」
二枚の内、一枚に王女は渡されたペンを走らせる。名前は正しく書かなければならないので、
「†とかつけなくていいんですか?」
「そろそろ私も怒りますよ」
能力で拳銃を出現させる。今の書類のお陰で、今までよりも展開速度が速い。それを確認したのか、連邦生徒会長は頷いている。
「うんうん。上手くいったようで何よりです。それじゃ、また後日様子を見に来ますからね」
「待ってください」
王女が呼び止めると、席から立った連邦生徒会長は振り向く。怪訝そうな表情だった。
「何か?」
「この二枚目は何ですか? 同じ内容のようですけど」
二枚目の紙を王女はぶら下げる。一枚目と同じ内容の入部届だ。唯一違うのは、カヤツリのサインのあるなしになる。
「ああ、それは後で必要になりますから、今のうちに渡しておこうかと」
どういうことかと、首を傾げる王女に。ニヤニヤと、さっきよりも粘着質な笑みを浮かべて、連邦生徒会長が言う。
「だって、AL‐1Sなんて。いつまでもその名前じゃないでしょう? 通名が必要な時が来ますよ?」
「何を言ってるんです? そうだとしても、今の名前でいいでしょう。表には出さない書類にしか出さないんですから」
「ですから、それは予行練習なんですよ。どうせ、苗字は彼と同じでしょう? それか、貴女と同じになるのかもしれませんけど」
苗字、同じ、通名、これから必要。それらの単語が組み合わさった時、王女の顔がボフンと音を立てるのが分かった。顔が熱くなっていく。顔色など想像しなくとも分かる。
「彼は契約に煩いですからね。名前を決めて、貴女が書いて、彼にサインしてもらう。これが予行練習でなくて、何だって言うんですか?」
「っ────! さっさと出ていけ!」
言葉にならない声で、叫ぶ王女を見て、連邦生徒会長はケラケラ笑いながら出ていった。
王女一人だけになって、静かになった部屋には、王女の暴れる音だけが響く。王女が普通に戻るまで、まだまだ暫くかかりそうだった。