ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
王女は苛立っていた。
そのせいで、シャーレビルを歩く足は速いし、些か乱暴に歩行しているのを自覚さえしている。だが、どうにも苛立ちは治まってはくれなかった。今も、中々来ないエレベーターに苛立ってボタンを連打している。こんなだから、長い階段など昇る気にもならない。
それは、王女にとっては珍しいことだ。苛立つことがではない。王女とて苛立ちくらいはする。小鳥遊ホシノと話すときなどいつもそうだった。
珍しいのは、抑えきれないことの方だ。
「……何なんですか、もう……」
馴染みの音と共に到着したエレベータに乗り込むも、全く治まらない。エレベーター内部の鏡には、口がへの字になって眉間にしわの寄った王女が大写しになっている。顔に手をやって、表情を矯正するがどうにも上手くいかない。違和感が残る。
理由はおおよそ予想が付く。毎度の事情聴取という名の拘束。所謂いやがらせである。朝から呼びつけられ、昼頃の今になって漸く解放された。腹が立つのは何もおかしくはない。だが、いつもはシャーレに到着すれば治まってくれる程度の物でしかないのだ。
それなのに、今のこれはどういうことか。このままエレベーターが止まれば、この顔をカヤツリに見られてしまうだろう。それは、どうにも避けたかった。
だが王女の努力虚しく、エレベーターの扉が開く。到着ベルの音を聞きつけたのだろう。給湯室からエプロン姿のカヤツリが顔を出した。
「おかえ……どうした王女。機嫌が悪そうだが」
それに答えず直行した手洗いでの鏡で、王女は察した。
これではただいまの挨拶も、矯正した表情も、滲み出る不機嫌さを隠すには不十分に過ぎた。幸いなのは、先ほどよりは眉間の皺が取れていること。きっと不機嫌さに気づいてくれたおかげだ。
しかし、気づいてくれたことは嬉しいが、それが不機嫌さを全て消し去るには量が足りなかった。
「また、詰められたのか?」
髪を縛り溜息を吐きつつ、掛かったエプロンを取って給湯室に向かうと、カヤツリが心配そうに王女を待っていた。その表情をさせた自分に対して、苛立ちが募る。
「ええ。塗ればいいんですか?」
「任せた」
オーブン用の天板には六枚の食パンが敷き詰められている。脇には何か入った皿とスプーン。傍の開封済みの缶詰とマヨネーズ、何かを切ったらしい包丁を見れば、何かは察せられた。
皿の中の餡。ツナトーストの餡をスプーンで六等分にして、まだ火の通っていない食パンへと投下していく。
こういった時には単純作業だ。まだサンクトゥムタワーの地下に閉じ込められていた頃、こうして王女は心を落ち着かせていた。投下された餡を崩して塗っていくと、少しずつ落ち着いてくる気がした。
──先生も帰ってきている。
塗りながら、そんなことを思う。
食パンの六枚という枚数からして、先生の分も入っている。一人二枚で丁度良く、一人三枚は多すぎるからだ。となると妙だった。
昼食にトーストは珍しくない。この作業も、何回やったかはすぐに答えられないくらいは行った。だが、カヤツリがこのメニューを作るのは冷蔵庫に碌な材料がない時だ。
何せ、朝食用の食パンと買い置きのマヨネーズと玉ねぎ、保存食のツナ缶幾つかで作れる。買い物に行かないなら仕方がないが、今日は違ったはずだった。
「アビドスまで行ってきたんでしょう? 材料、買ってこなかったんですか?」
「ちょっと、面倒なことになった」
カヤツリは、王女作の残り物のスープを温めていた。どこか疲れた表情だ。帰り道に買い物を忘れるくらい面倒なのだろう。そして、続けて出た言葉に王女は耳を疑った。
「ネフティスと事を構えることになった。いや、それと私募ファンドか」
カヤツリの話したことは、おおよそこの一言に集約されていた。アビドスの債権を取得したネフティスと私募ファンドは、取引を申し出てきたと言う。
砂漠横断鉄道の権利を寄こせ。代わりに他の権利をくれてやる。要約するとこうなるらしい。その砂漠横断鉄道とやらには、とんでもない価値があるのだと。ただ、問題の発言はここではない。
「列車砲シェマタって言うのがあるんだ。それをネフティスは欲しがってる」
シェマタ。その名前を、王女は聞いたことがあった。それも、ごく最近。カヤツリからでも、小鳥遊ホシノからでもない。全く別の人間から聞いたのだ。
──あなたは、囮ですか。本命は、シェマタ。そういうことですか。
不知火カヤだ。あの女は、今日。そんな事を王女に向かって言い放った。それは、明らか王女をバカにしたような口調で。そのせいで機嫌が悪かった。
シェマタは列車砲だと言う。長大なレンジを盾に一方的に相手を殴る。そんな兵器。
カヤツリはあれは出来損ないだとか。本命は砲弾の方なんじゃないかとか。そんな事をブツブツ言っていたが、王女はそれどころではない。思考が段々と加速している。
今日までの事。何故、防衛室が王女を拘束したのか。あんな言いがかりに近い証拠でここまで拘束したのか。何故、不知火カヤはそうしたのか。
──何か、彼から聞いていませんか? 協力できるかもしれません。
そう。事情聴取の最初の会話はそうだった。王女と不知火カヤの最初の会話は。あの女は、味方の振りをして、何かを探ろうとして来ていた。カヤツリの考えを探ろうとしていた。
王女は何も話さなかった。最初は余りにも胡散臭かったし、その次はカヤツリが何も言うなと言ったからだ。王女も、王女の力を目的として近づいていると思っていた。
でも違う。今朝の言葉はそれを意味しない。王女の事を囮と言った。本命はシェマタであると。何故シェマタを知っていたのか。恐らく、誰かから聞いたのではないだろうか。候補は一つしかない。カイザーコーポレーションだ。
サンクトゥムタワーを襲撃したのは、キヴォトス征服の為の宇宙戦艦とやらを起動したかったらしい。なら、カイザーはそれに類する兵器の事は知っているだろう。防衛室を使って、探させもしたかもしれない。
言ったタイミングも妙だ。アビドスにシェマタがあると発覚してから言っている。まさか、まだカイザーと繋がっているとでも言うのだろうか。それに、カイザーが債権を売り出したのも妙である。
──線が多すぎますね……
カイザー、ネフティスの思惑と不知火カヤの思惑が交じり合っていた。前二つも大事であるが、何より大事なのは不知火カヤの思惑だった。今も王女の機嫌が悪い理由は、ここにある気がする。まさか、あの物言いだけでこうなるのは、いくら考えてもおかしかった。
──あなたは、囮ですか。本命は、シェマタ。そういうことですか。
あの言葉から分かる事は幾つかある。一つは文面通りの意味。王女は囮で本命はシェマタ。もう一つは、誰にとっての囮で本命なのか。考えるまでもない。不知火カヤは、カヤツリが王女を囮にして、シェマタから目を逸らさせたと思っている。
初めから、目的は王女では無かった。王女を拘束し、カヤツリの出方を見たかったのだろう。しかし、何故そうする必要がある?
特にカヤツリは敵対行動をとっていない。寧ろ先生の方が邪魔だろう。というよりも、その考えであるなら、もっと前からちょっかいを掛けてきた来たはずだ。それなのに、先生着任の一件以降、特に接触はない。今更になってどうしてこんなことをする。一体何を考えて……
──なら、それがあれば聞くわけですか?
ゾワリと、鳥肌が立った。王女はとんでもない事を思い出す。違う。今更ではない。最初から、シャーレビルに来た時だ。とんでもない勘違いをしていた。最初に、カヤツリに向かって何かを言っていたではないか。
──なら、私に従いなさい。私の下で、この状況を対処するべきです。
そうだ。最初から、不知火カヤはカヤツリに執着していた。あの時は気にもならなかった。ただの連邦生徒会長の嫉妬を拗らせたものだと思っていた。けれど、その後に王女は知ったはずだ。カヤツリの過去を。
──ああ。やっぱり君だったか。また会えて嬉しいぞ。カヤツリ
カイザー理事。今は何をしているか分からない大人。カヤツリの上司だった大人。不知火カヤはカイザーと繋がっていた。ならば、カイザー理事とも繋がっていた可能性がある。
気づかないはずだ。方舟襲来時点では関係が切れているから、残党から逆算のしようがない。そして不知火カヤは、そこでカヤツリの事を知った。自分と同じような手段を使い、連邦生徒会長に認められた人間の事をだ。
──となると……
時系列順に並べて浮かび上がった事実に、王女の手に力がこもる。
方舟が襲来した日。あの日にカイザーを手引きしたのは不知火カヤだろう。それをする動機も、手段もあったのは一人だけだ。
先生を会議に出席させない事で、会議を滅茶苦茶にした。代行の信用を落とそうとした。恐らくはそれだけだった。カイザーに先生を拉致しろとは言わないだろう。足止めくらいに思っていたに違いない。
今では鉄壁のアリバイになっているのが皮肉ではあるが、そこをまんまと裏切られた。他の役員と同じように監禁された。本来なら、カイザーにサンクトゥムタワーを占拠された状態で方舟が顕現していただろう。先生もいないとなれば、最悪の状況である。
でも、そうはならなかった。王女が頑張ったからである。だが、それは表向きにはなっていない。表向きには、カイザーがいきなり襲撃して自爆した。それくらいに終わっている。そうするために、王女は自分たちがそこに居たと言う記録を抹消した。だが、例外というものは存在する。
王女の拘束の原因になった動画がいい例だ。流石にあの短時間でキヴォトス中の個人端末の確認はできなかった。そして、王女が手を出せないものが一つある。
人の記憶だ。あの場で、その人間が見た物を忘れさせることはできない。もしかすると、不知火カヤは見たのかもしれなかった。ベアトリーチェを引き連れて、カイザーをなぎ倒すカヤツリの姿を。
するとどうだろうか。不知火カヤの目線では、どういう風に見えるだろうか。カヤツリが事態の収拾を図ったかのように見えるのではないだろうか。それも、圧倒的な暴力でだ。
それは、不知火カヤに一番足りない物。肩書だけで人は動かず、最終的に事態を収拾する力は必要になる。それを、不知火カヤはカイザーに騙された時に知ったはずだ。
カヤツリと不知火カヤのとる手段は似ている。カヤツリは不知火カヤの手段。その切り方には苦言を呈するが、肯定はしてはいる。
カヤツリは不知火カヤの足りない物を持っている。手段も似ている。だから、不知火カヤは欲しくなった。彼女なりのやり方で手に入れる事にしたのだ。だから、王女の映像なんか持っていたのだ。あれは、調べようとしなければ出てこないし、アレが本物であると確信していないなら、ああも自信満々に出してこない。
やはり、あの女は知っているのだ。あの日にサンクトゥムタワーで、カヤツリが戦っていたことを知っている。カヤツリを手に入れようとして、目的を理解しようとして、きっとそれだけではない、不知火カヤ自身も知らない理由で、今日まで接触してきていた。
──最悪ですね……繋がりました
王女の頭で、事実が繋がり始めて一本の線になる。いつの間にか、スプーンが手の形に曲がっていた。まだシェマタの見解について話すカヤツリにバレないように、コッソリまげて伸ばし直す。
とてつもなく、気分と機嫌が悪い。こんなことに、今の今まで気づいていない自分に吐き気がする。そして、安心している自分にも。
これは、王女のミスだ。思ったようにはなっていない。それが、唯々安心だった。そう感じる自分に怒りを感じる。
それは、何故なのか。考えてはいけないと、どこかで誰かが叫んでいて。王女はずっとそうしていた。ただ見ないようにしていただけで、ずっと不安だった。そして、それを突かれたから気分が悪い。
カヤツリが欲しい。自分に足りないものだから欲しい。カヤツリの事情など知ったことではない。不知火カヤのそれは執着だ。まだそれがそうだと気づいていないだけでそうだ。
ならば、王女のそれと違うと何故言える? 王女だって執着ではないのか。不知火カヤと同じように、無理矢理でないだけで。
「王女!」
「! 何ですか?」
カヤツリに大声で呼ばれて、王女は飛び上がった。気が付けば、食パンの上に餡が山盛りになっている。考え事をしていたせいで、乗せすぎてしまったらしかった。餡の水分を吸ったパンがビショビショだ。
「平気か? なんかあっただろ」
「……平気ですよ。それに、何かあったのはカヤツリの方でしょう。アビドスでの事といい、それに……」
「それに?」
「ケイに何か言われましたか? ここのところ、新しい身体について何も言ってこないので」
「別に?」
返事がいつもよりコンマ数秒速い。心当たりが多少はあると言ったところか。この結果にチクリと胸が痛む。
ケイといい、カヤツリといい、デカグラマトンといい。ここ最近はどこか妙だった。それに、カヤツリはアビドスに出ずっぱりで、そこも王女の不安を煽る。何か歯車が噛み合っていないかの様な、仲間外れにされている様な。そんな嫌な感覚が残っている。
「そうですか。なら、良いです」
言い終えると、安心が湧いてくる。それを振り払うかの如く、仕上げ終えたトースト群を、オーブンに投入した。
王女は聞けなかった。聞く準備が、心構えが出来ていなかった。揺らがなかった筈の土台がグラグラ揺れていて、あまりにも不安定だった。
どうにもならない事に安心感を覚えるなど、意味がわからない。サンクトゥムタワーに何故かカヤツリがいた時など、微塵もそうは思わなかった。
「美味しそうだね」
「先生……」
給湯室の入り口から、先生が顔を出していた。カヤツリが温め直しているスープの匂いに釣られたにしては、表情が妙だった。
「何ですか先生。まだかかりますよ」
「いや、カヤツリ。ガスの調子はどうかなって」
「ガス? 何の話ですか」
カヤツリは困惑している。いきなりガスの調子を聞かれたらこうもなるだろう。先生も同じ様な顔で言う。
「いや、プラナがね。ガス管がおかしいって」
「ガス管が? 見ての通りですよ。普通に出てます。不完全燃焼なんかしてませんよ」
鍋の下では青い炎が揺らめいている。都市ガス特有の匂いもしなかった。先生も確認したのか、シッテムの箱に話しかけている。
その瞬間に、王女の全身に鳥肌が立った。それは覚えのある感覚だったからだ。王女しか振えず、方舟を顕現させていない今は誰も振えないはずの力。可能性が書き換わる感覚。
「大丈夫そうだけど……え? 離れろ?」
「全員伏せて下さい!」
王女が先生を突き飛ばすと同時に、給湯室のコンロが爆発した。コンロには火柱が立ち、吹き飛ばされたスープの入った鍋が中身を撒き散らしながら狭い部屋の中を跳ね回る。
火災報知器のブザーが鳴り響く中、王女は先生を部屋の外へと押し出して、自らも転がり出た。
仰ぎ見れば給湯室から火が噴き出ている。それと、何かの爆発音もだ。オーブンや食洗機やら、他の電化製品に引火したらしい。
「急に何なんだ……不具合のガス爆発? いや、兎に角にも消火器か……」
同じ様に逃げ出したカヤツリが、火を吹く給湯室から背を向けた。フロアに設置された消火器を取りに行く気だ。
その時、王女はまたあり得ない感覚に襲われる。カヤツリが背を向けた給湯室から、また何かが爆発する音がした。
「カヤツリ!」
「何だ──!? うおっ!?」
先ず飛んできたのは俎板だ。爆発で割れて、尖った杭の様になったそれが、爆風の勢いでカヤツリ目掛けて飛んで来ていた。慌てて回避するカヤツリを追撃する様に、今度は白いものが飛んでくる。
次は割れた食器と天板だ。鋭利な割れ跡そのままに、回転する皿とギロチン染みた天板たちがカヤツリを襲う。だがカヤツリもさるもので、給湯室の扉から離れていく。
給湯室から飛んで来ているのだから、扉の開口部から外れてしまえば当たらない。それは正しい考えで、王女も先生を連れて、同じ様にしようとした。
その時、天板や俎板、食器の破片。それらに紛れて、銀色の何かが走るのを王女は見た。その正体はすぐに分かる。包丁だ。
カヤツリには見えない角度で、王女には見える角度で、爆風の勢いのままに、その包丁は切先をカヤツリに向けて殺到する。
王女が叫ぼうとする前に、カヤツリも気づいていた。ただし、もう躱わせない。殴って逸らせない。回避終わりの体勢ではどうしようもない。
でも、カヤツリは諦めていない。片手を前に出して、包丁を睨みつけている。白刃取りする気だ。
かくして、それは成功する。包丁は止まった。二本の指に挟まれて、しっかりと。
でも、王女は見てしまった。
包丁が、ほんの少しだけカヤツリの指を傷つけるのを。そこから血が流れるのを。そして、その血が赤紫に燃え上がり、傷と包丁を焼き尽くしたのを。