ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
──今頃、アビドスでカヤツリは何をしているんでしょうか。
今日はお互いにフリーの日で、カヤツリはカヤツリの、王女は王女の好きな事をやる日だ。王女を放置したのが不満なのか、デカグラマトンが何やら企んでいるようだったが、王女にはどうしようもない。
そして今。王女が何をやっているかと言えば、これから先必要な事だ。やらなければならない事とも言える。その為に電車の中を歩いていた。
電車自体はキヴォトスでよく見る普通の電車だ。幾つか違う点としてはまず、誰も乗っていなかった。そして窓の外には何も見えない。ただただ白いだけの景色が広がっている。
その無人で、どこへ向かうかも分からない車内を、王女は黙々と歩く。自分の行く先は何となく分かっていた。このまま、前へと進めば良い。
そのまま列車間の連結扉を幾つ抜けただろうか。数えるのも面倒になったその先で、予想していた人間が待っていた。
「久し振りですね。一年振りでしょうか?」
「そんな筈がないでしょう? もっとですよ」
王女は、座席に座る連邦生徒会長に言い返した。相変わらず嫌味な発言をするものだ。
「大体、そのザマはなんなんですか。血塗れですよ」
座席に座る連邦生徒会長は血に塗れていた。撃たれでもしたのか、左胸を中心に、白い制服が赤く染まって、座席の下まで垂れている。
「まぁ色々と大変なんです。貴女と同じようにね? 何か、用があるんでしょう?」
それなのに、いかなる理屈か。連邦生徒会長は気にした様子もない。王女の問いを誤魔化して、用など分かっているだろうに問いを投げてくる。
「あれですよね。やっぱり、家庭を持つとストレスが溜まります? いいですよ。愚痴くらい幾らでも聞きます。私の方でも生かせそうですし」
王女が何かを言う前に、勝手にベラベラと喋り出していた。人と話すのは久しぶりなのか、連邦生徒会長は笑顔だ。思わず嫌みが王女の口から飛び出す。
「てっきり覗き見していると思いましたが」
「嫌ですね。私にだって、プライバシーの概念は理解していますよ。全部は見ていません。見くびらないでください」
決して、自信満々に言うべきではないだろうことで、連邦生徒会長は胸を張っている。此処の時間の流れ方は知らないが全く変わっていないようで、ある意味王女は安心していた。
何しろ、見知った顔だ。王女の言うことを理解はしてくれるだろう。正面から殴って言うことを聞かせるのは心が痛む。
そんな王女の内心を知ってか知らずか、連邦生徒会長は嬉しそうに王女を見る。
「いやいや、良かったですよ。本当に。まさか私も、こんなことが出来るなんて思ってもいませんでしたから。一体、何から話しますか?」
「やり直したいんです」
本題を単刀直入に切り出すと、ピタリと連邦生徒会長の口が止まった。へらへらした雰囲気は消え去っていて、オウム返しに聞いてくる。
「やり直したいんですか?」
「ええ、そうです」
静かにそう聞いてきた連邦生徒会長に、王女はそんな返事しか返せなかった。続けて、不思議そうな問いが飛んでくる。
「ちょっと理由が分かりませんね。そうする必要があります? 貴女は努力して、求めるものをつかみ取ったはずです。私では超えられなかったアレを、貴女は超えることが出来た。それなのに、どうしてですか?」
「納得できないからです。私は酷いことをしました」
「酷いこと?」
こてりと、連邦生徒会長は首を傾げる。
「それは、彼を生き返らせたことですか? そうせざるを得ない状況へと追い込んだことですか? あれは不可抗力ですよ。酷いことをしたのは他の人物でしょう? 貴女が気に病む必要性はないと思いますよ」
「違うんです……そういう事じゃなくて……」
生き返らせたことに、それだけに後悔しているのではない。王女の後悔は、もっと規模が大きいものだ。けれど、胸の靄が濃すぎて、上手く言葉が出てこない。
「もう……分からないんです。我慢もできない」
「彼の気持ちですか? 彼が本当に、貴女のことを好きなのか分からない? あり得ないでしょう?」
連邦生徒会長は大仰に両手を振る。
「好きじゃなきゃ、あんなことはしませんよ。どこの世界に、好きでもない相手と数千年も一緒に暮らす人間がいるんですか。義務感だけでは届かない境地ですよ。それは」
「そんなことは知ってますよ」
知っている。そんな事は。王女は分かっている。分からないのは、そこではないのだ。
「貴女、楽しそうだったじゃないですか。死なない仲間もいる。彼らと住める家だって、二人だけの旅行だって、これまでの日々を貴女は楽しんでいたじゃないですか」
「そうですね。楽しかったです」
楽しかった。幸せだった。ずっと続いてほしいと願い。実現した物がそこにはあった。
「あれですか。ホシノさんのお手付きだったのが嫌だったんですか?」
「……違いますよ」
「違わないでしょう。返事が遅いですよ」
そこだけは、チクリと胸が痛んで、返事が遅れた。そうだ。違うわけがない。嫌に決まっている。けれど、それでよかったのだ。そうであるから、ここまで我慢ができた。
「最初は良かったんですよ。気づかないで、騙されていられたんです」
苦笑しながら、王女は混沌の領域での事を思い出す。テラツリに言われたことを。
──なんだよ。お前は価値にしか興味が無いのか。なら止めなくてよかったかな。
「手に入れたものの価値に拘泥する私に、テラツリは価値について語りました。そんなものは変動し、移ろうものだと。だから、それを根拠に、巻き戻すのは止めろと。そこまでしなくても、カヤツリはちゃんと、私の事を愛してくれていると」
そして、機械と人間の違いへと移り。王女を機械らしくないと褒めた。その言葉は、確かに的を射ていた。その言葉自体は正しく、鮮烈で綺麗だった。
「ですが、違います。私が真に悩んでいたのは、そこじゃありません。価値については結果に過ぎないんですよ。本当に私が悩んでいたのは、もっと別の、何でも思い通りに出来てしまう事の方なんですから」
「なるほど……」
それを聞いた連邦生徒会長は天を仰いでいる。
「つまり……言いくるめられたのに、気づいてしまったんですか」
「そうですね。テラツリは、焦ったんでしょう。いきなり私が世界を巻き戻そうとしたんですから」
だから、誤魔化した。強い言葉で殴り、似たような論理を繰り返し、結論をずらしていった。王女の何でも出来てしまうと言う問題から、価値の変動へと。
そうすれば、王女は世界を巻き戻さない。望みが叶った事に満足し、真の問題点は、意識の底へと沈んでいく。そうなるはずだった。
沈む王女に、連邦生徒会長の声が響く。
「ですが、彼の言う事は正しいですよ。決して、貴女のことを都合よく利用したわけではありません。貴女のその力は、切っても切り離せないモノです。我慢するしか……」
それは、その通りだ。生まれ持った物を切り離すことは出来ない。そうしてしまえば、王女は王女でなくなってしまうだろう。
「でも、色々と気づいてしまったんですよ」
ポツリと、王女は呟く。目の前でまた連邦生徒会長が聞き返してくるが、そんなことはどうでもよかった。
「私は、もう。その力をカヤツリに使ったんじゃないかって」
「そんなことは……」
「だって、おかしいじゃないですか。変じゃないですか。どうして私を選んでくれたんですか。どうして気にもしないんですか。どうして私の前だけじゃなくて、どこでも引き摺っていないんですか」
──どうして。どうして。どうして。おかしい。おかしい。おかしい。
俯いて。ガリと、王女は頭を掻く。どう考えてもおかしい。
「どうして、小鳥遊ホシノの事を引きずってないんですか……?」
王女は知っている。王女が手出しを禁じられていた数十年間、ずっと見ていたのだから。どれだけカヤツリが、小鳥遊ホシノを大事にしていたか知っている。
きっと幸せだっただろう。楽しかっただろう。小鳥遊ホシノもそうだったはずだ。それ故に、失った時はとても悲しかったはずなのだ。それは我慢できるものでは、絶対にない。
その事実に、あるタイミングで王女は気づいてしまった。
「ケイは違いました。まだミレニアムの彼女らを引き摺ってます。ケイですらそうなのに、どうして。どうして、カヤツリは引き摺ってないんですか」
普通に考えればおかしい。どう考えてもおかしい。二人を選ぶかで、あれほどまでに滅茶苦茶になっていたカヤツリらしくない。何か理由があるはずだった。そして王女は、その理由に心当たりしかない。
「私が、弄ったんです。きっと気づかない間に、弄ったんですよ。カヤツリを、そういう風にした。そうでしかありえない」
王女は何でもできる。カヤツリを自分の好きなように弄ることができる。小鳥遊ホシノの事を忘れさせ、王女にだけに夢中にさせる。王女の事だけ考えて、王女の事だけを幸せにして、王女の事しか考えない。カヤツリを、そんな王女にとって都合のいいお人形にする。それが、王女にはできる。
そんな疑問が、ずっと。幸せな日々の中で堆積していった。一つ一つは小さくても、膨大な時を経るうちにそれはいつしか山へと変わっていた。今まで誤魔化してくれていた不都合が無いのならば。もう、誤魔化し切れない。
「そうじゃなきゃ、おかしいじゃないですか! だったら、私は……私は……なんてことを!」
唯々、苦しかった。あの時思った事が現実になっていた。あの時のもしかしてが、確かな現実となって王女の前に立ちはだかっている。それが意味することは、たった一つだ。
「私はただ! 私を! カヤツリは唯そのままの私を見てくれて、機械だとか、名もなき神々の王女だとか関係なく! そんなカヤツリに幸せになってほしかったのに!」
それでよかった。王女はそれだけで、そう出来て、そんなカヤツリと一緒に入られれば、それでよかったのに。それだけでよかったのに。そうだったから不都合を飲み込んだ。そうでなければ王女は自分を信じられなかった。
でも、王女は大事なことを忘れていた。愛してほしかったから。そう思う自分自身が確かに存在すること。それを、自分で知っていたのを。すっかり王女は忘れていたのだ。
「デカグラマトンの感化で、私は気づくべきだったんです! そんな自分自身が、確かに存在することをもっと、真剣に受け止めるべきだった!」
そんな王女は、自らの欲望で、全てを破壊した。愛してほしかったからだ。何よりも、誰よりも、一番に愛してほしかった。
「なのになんですか。カヤツリ自身の気持ちすら邪魔だと思って! 私は、邪魔するものは全部壊してしまったんですよ! そんなの、そんなの……アイツらとおんなじ、怪物じゃないですか……」
自らの欲望の為に、他者を踏みつけにする。あの無名の司祭と地下生活者。あれらと王女は同じだった。気づかないうちに、王女はそんなものになり果てていた。
「だから、巻き戻すんですか? そうしないと、そうなる前だと貴女が確信する。その瞬間まで。そこから、貴女が納得できるまでやり直す」
連邦生徒会長の声は厳しい。姿勢を正して、正面から王女をみつめている。その視線が、とても煩わしかった。
「……別に、そうしたとことで意味はありません。貴女の罪は消えない。貴女がそう思っている限り、それは消えません。今だってそうじゃないですか」
連邦生徒会長の憐れみを含んだ視線が、王女を貫いた。
「その罪だって、貴女が勝手にそうだと思っているだけです。あったかどうか定かですらない。貴女は、ただ耐えきれなくなっただけです。だから全てを帳消しにしようとしている。経験談ですが、それは意味がないですよ。きっと貴女は満足しない。回数制限がないが故に貴女はいつまでもそこから動けない。いつか、貴女は目的を見失う。カヤツリ君を元に戻すのではなく、もっと別の……」
「はぁ……」
連邦生徒会長の言葉を遮るために、王女は溜息を吐く。そして、正面を睨んだ。
「そうですね。そう言うと思っていました」
「力づく、そういう事ですか」
握りこぶしを握ったのが分かったのだろう。視線が下へと移った。一歩一歩、連邦生徒会長へと近づいていけばいい。ここから、この女を引きはがせばそれでいい。話を聞いて動かないなら、そうするだけだ。
「……おや? しないんですか? 私では貴女に敵いません。隠し玉も奥の手も、何もないんですよ?」
「うるさい……!」
振り上げた腕が、振り下ろせない。そうすれば、全てが解決するのに。どうしても出来ない。
分かっている。そうしたなら、もう王女は逃げられない。これまでは、無意識だったからだ。無意識であったからこそ、自覚なくここまで悪辣なことができていた。
だが、今この瞬間だけは違う。この瞬間だけは、王女自身で。王女の意思で実行しなければならない。
それがひたすらに恐ろしい。もう王女は罪に塗れているから、このくらい平気なはずなのに、もしもの可能性が、それを許してくれない。
そうしてしまったら、この腕を振り下ろしてしまったら、もう二度と戻れない気がした。怪物から、もう二度と元へと戻れない。
そのまま固まって、どれだけの時が過ぎただろうか。
「……いいですよ」
そう、連邦生徒会長が沈黙を切り裂いて口を開く。
「その様子であれば、代わってあげます。一時だけ。この車両だけ切り離して、貴女に譲りましょう」
「……急に何ですか」
「いえ、貴女なら、大丈夫そうなので。それだけしか歌えないわけでも、それだけしかないわけでもないみたいですから」
そして、王女の望みの事を言う。それなのに、王女の心は複雑だった。良かったと悪かったが混ぜこぜになっている。
何を言うかも分からず、退くように首をしゃくる王女へ向かって。連邦生徒会長は指を一本立てる。
「ですが、条件が一つあります」
「なんですか」
「いえ、私は一先ず隣に行きますが。そこでのあなたの処遇ですよ」
ああと、王女は呟いた。この連邦生徒会長が言う事は簡単だ。隣の世界線で、王女をどうするかということだ。
「好きにすればいいんじゃないですか。どうせ、サンクトゥムタワーではなく元の場所。あの廃墟に閉じ込めておくんでしょう」
「……そうですが。他の世界とはいえ、自分のことじゃないですか」
「なら、大して結果は変わないんじゃないですか?」
そんな事を一々聞いてくるのが嫌で、王女は冷たく言い放つ。結果は最初から決まっている。こんな怪物を放置する選択肢はないからだ。それに、心配する必要もない。
「やり直し、私がここに残る以上。私の経験はここに置いておかなければならない。隣の。他の世界線に持ち込めば方向性が歪みます。そこまでの迷惑を掛ける気はありませんし、貴女もその気はないでしょうから」
今の王女は、この世界のループを認識して形成された性格だ。だが、王女がこの世界をループさせる以上、この経験は流出しない。連邦生徒会長も同じ轍は踏まないだろう。であれば、他の世界の王女は、真っ新な王女になる。何も知らず、何も背負わない、真っ新な自分自身。
それをどうせ、先生あたりに回収させる。対方舟の兵器として。そこまで考えると、何というか、カヤツリと接触の機会すらなさそうな気さえする。カヤツリはアビドスから出てこないだろうから。
「いえ……そうですね。一つだけ良いですか?」
なんだか急に腹立たしくなってきて、王女は一つだけ頼むことにする。
「カヤツリも開けられるようにしてください。そこまでの導線は無くても良いですから」
「……いいですよ。それくらいであれば、問題はないでしょう」
小さな一つだけのお願いを、連邦生徒会長は聞いてくれたらしい。素直に席を立って、隣の車両へと消えていく。
目の前には、血濡れの座席だけが残っていた。ここに座れば、王女の望みの通りになるだろう。王女が犯した罪を清算し、やり直すことができる。
でも、中々、座ることができなかった。
「フフ……未練ですか」
事ここに至って足踏みする自分に王女は笑う。なんて様だろう。まだ、迷っている。
ここでやめて帰っても、いつも通りの日常は続く。ケイが居て、デカグラマトンが居て、預言者たちが居る。カヤツリも待っている。ずっと求めていたモノがそこにある。
しかし、それは王女がズルをして作り上げたものだ。積み上げたものではない。幸せを感じるたびに、それを突きつけられる。
それに王女は耐えられるだろうか。時が経つたびに明らかになる片鱗に、何時まで王女は耐えられるのか。
ここで帰っても、また同じことの繰り返しになる。最近はもう、耐えられなくなっていた。それ以外の事を考えられなくなってきている。もう、こうするしかないのだ。
だって、誰も。王女を止めない。そうしてくれた。そうしなくてもいいよと、悪いことをしたら責任を取る。そう言ってくれた相手を、王女は滅茶苦茶に壊してしまったのだから。
そう思うと、心が冷えていく。余りに寒いから、王女は座席に座り込んで悔いるように小さくなった。
そして、世界は回り出す。これまでとは逆に、これまで通りに。王女を一人乗せたまま、グルグルグルグルいつまでも。