ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
今日も今日とて、対策委員会では定例会議が開かれていた。
「前回の議題は復興に向けての活動を挙げてもらいました。今回はそれとはまた別の切り口で考えてみたいと思います」
アヤネがいつものように司会をしている。目の前には後輩たちが全員座っている普通の会議だ。普通の会議ではあるが、それが殊更に異常だった。仕方ない、仕方ないが、この針の筵のような状況は勘弁してほしい。
そんなカヤツリを置いてけぼりに、会議は順調に進んでいく。
「ん! ん! ん!」
「それでは、シロコ先輩から」
シロコがブンブン手を振っている。とてもやる気が天元突破しているに見えるが、オアシスが湧いてからはこうなので違う。
「ん。これで優勝すればアビドスも有名になる」
シロコが机に広げたのはチラシだ。パソコンから印刷したのか、紙はやけに新しい。
「ゲヘナカップ……?」
デカデカと紙に書かれたものを口に出す。参加条件をゆっくりと読んで、ノノミへ回す。順繰りに紙は回ってアヤネで終わるが、全員なんとも微妙な顔だ。
「万魔殿議長開催のレースですか……でもシロコちゃん。参加条件はどうするんですか?」
ノノミが、参加条件の欄を指で指す。
「車両であれば何でも良いとは書いてありますが、どう見ても戦車を想定した書き方ですよ?」
チラシには爆走するデフォルメ戦車が描かれている。しかも、カップと名前が付いているくせに評価ポイントはスピードではないらしい。
「撃墜力や耐久力? それも評価するの? いやいや、何なのよこれ。何でもありってこと?」
セリカが、顔を引きつらせているが、そのままの意味だろう。
「そうなんだろうな。基本的にはレースの体を取るが、前を走っている奴に砲撃を撃ち込んでも構わないわけだ」
そうでなければ、撃墜力だの耐久力だのの評価ポイントが存在する理由が無い。
この何でもありで暴力的、感想としては如何にもゲヘナらしいレースだ。だが、ゲヘナは三大校の一角。外部にまで出場者を募っている以上、レースの規模は相当の物だと想像できる。ともなれば、シロコの狙いも見えてくる。
「アビドス発信のイベントでは予算の限界があるから、広告費にそこまで割けない。だから、ゲヘナの資金力に乗っかってしまおうって?」
「そういうことになる。宣伝は向こうでやってくれる。晄輪大祭みたいまでとはいかないけど。大きなイベントで優勝すれば、アビドスの名前がキヴォトス中で有名になる。前みたいにはならない」
シロコの鼻息は荒い。イベントで名を挙げるのはなかなかいい手だ。前のアビドスサイクリングコースは、シロコのSNSの発信力では限界があった。もう一人のシロコしか来なかったことが、相当ショックだったらしい。宣伝が足りないことが問題だと感じて、今回の件を画策したらしかった。
「晄輪大祭ですか……」
だが、前と聞いたアヤネは何かを思い出したか微妙な顔になっている。色々あった晄輪大祭に話題がいきそうになるのを、カヤツリはそっと逸らす。
「まぁ、あのリレーは無かったことになったからな。だが、今回のゲヘナカップはレースかつ団体戦だ。シロコの狙い通りにいくだろう。エントリー出来ればだが」
「む……」
シロコが不満そうに頬を膨らませる。シロコの考えはいい考えであるが。優勝できればの話である。そもそも、ノノミも言ったその前のハードルは考えているのだろうか。
「でも……ヒフミも参加するって。トリニティが参加できるのなら、私たちもできる」
「はぁ? なんでわざわざ? 別に限定ペロロ様とやらがあるわけじゃないのに。また試験サボったんじゃないのか……?」
カヤツリは憶測を言おうとして口ごもる。トリニティが参加出来ている以上、シロコの言う通りに学校で参加資格どうこうはないだろう。問題はもっと別のところにある。
「まず、シロコは戦車の運転できるのか? そもそも、戦車をどうやって用意する。残念ながら対策委員会にヘリや車両はあっても戦車は無いぞ。今までに全部売却していたからな」
レースというには車両が必要だ。しかも、それなりの物がいる。得てして、そういった専門性の高い物は値段が張るものだ。恐らく他の参加者は、それなりの物を出してくるだろう。そして、最初からアビドスにそんなものはなく、戦車もない。
砂漠で戦車を乗り回す利点がそもそもない。鈍くて燃費や維持費ばかりかかる上に、火力も大してない。それなら、生身で駆け回って発砲した方が安上がりだ。輸送に関しても、ヘリコプターや四輪駆動を使った方がよほどコストパフォーマンスがいい。
だからカヤツリにとって戦車とは、低い地力をそれなり以上に引き上げるものであって、アビドスでは必要ないと言うだけの話だった。専らそれらを使うのはヘルメット団やカイザーで、対策委員会が戦車に触れるのは、それらを回収するくらいだ。そして、乗りもしないので売ってしまう。だから、ここには戦車は無いのである。
「ん、まず。戦車とはどこにも書いてない」
「それで? 確かに書いてないから、戦車でなくともいいんだろうが……」
絶対に却下されるだろうが、やけに自信満々なシロコに喋らせることにした。シロコは何か名案を思い付いたのかもしれない。白と黒のオッドアイが、期待でキラキラ輝いている。
「カヤツリ先輩の言いたいことは分かってる。撃墜力や耐久力も求められる以上、相手は戦車でくるってこと。下手な車両で行けば、簡単に撃破される。勝負以前の問題だって」
「そうだ。だからと言って、装甲を限りなく削って軽量化した車両で行くのも無しだ。スピード勝負ならそれでいいかもしれんが、これは総合力を求められる。レースで一番だからって勝てるとは限らない」
得点の配分はスピードと撃破力、耐久力の三つ。スピードを取れば二つを捨てることとなる。その手が悪いとまでは言わないが、それのみを狙うのは勝ち筋が細すぎる。それくらい、他の人間だって考える。後方から回避しにくい弾幕でも撃ち込まれれば、それだけで作戦は破綻するだろう。
「これは、相手がこの手を知らないという前提のもとに組まれた作戦だ。穴が多すぎる」
「なら、盾があればいい。攻撃を全部受け流す盾があれば、問題無い。スピードだけじゃなく耐久性もクリアできる」
真っ当な意見である。攻撃が怖いなら盾を、装甲版を追加すればいい。だが、装甲版はそれなりの重量である。そんなものを後付けするのなら、最初から戦車に乗ればいいの話だ。だが、シロコは戦車には乗らないと言う。
「盾なんてどこにある。装甲板か? でも重くて硬いから、そんなには積めない。溶接も大変だぞ」
「ん。酷い。そんなこと言うなんてホシノ先輩に失礼。先輩たちを見て思い付いたのに」
「はぁ? ホシノが装甲版って……」
シロコは、カヤツリの肩口あたりを見ていた。カヤツリは目を瞬かせる。シロコの発言が一瞬だけ理解できなかったが、それを口に出す前に、首に痛みが走る。
「ホシノ止めろ! そんなつもりは無かったんだって! 重くて硬いとか……痛い!」
「うへー!!」
カヤツリの首筋にガジガジとホシノが噛みついている。血が出るほどではないが、痛いものは痛いのである。暫く噛みつくとホシノは満足したのか、首筋から口を離した。首筋がベタベタで気持ち悪い。
「……まだなんですか?」
ハンカチで首を拭くカヤツリを、ノノミが心配と何かが混じったような顔で聞いてきた。視線はカヤツリの肩口で固定されている。カヤツリには一部分しか見えないが、そこがどうなっているかは分かっていた。
「ホシノ。ちょっと……」
「うへ!」
不機嫌そうな声が聞こえて、肩の重みが増した。ホシノがしがみ付く力を強くした結果であった。ここ二日はずっとこうである。蝉のごとくしがみ付いて、うへしか言わない。いつか、うーへうへうへうーとか、うへうへうーうへうへうーとか、うへうへうへうへ……とか、蝉のように鳴き出すのではないかと思うほどだ。
だから、会議で針の筵に座らされている気分だったのだ。外から見れば怨霊に取りつかれているように見えるだろう。ただ、怨霊と違ってホシノは目に見える。それなのに、後輩たちはいつも通りに接するのだ。頭がおかしくなりそうだった。
「きっと二人の間の事だと思って、しばらくは何も言いませんでしたが……カヤツリ先輩は一体、何をしでかしたんですか?」
「しでかした? 酷いな、アヤネ後輩。俺は何もしてないよ。してないのに、謝るも何もない」
しがみ付かれてカヤツリは振りにくい首を振るが、アヤネの見る目は厳しい。隣のセリカも同様だった。
「えぇ……? ホシノ先輩がこんな風になるのよ? カヤツリ先輩が何かしなきゃ、絶対ならないわよ。うへしか言わないし、がっちり掴んでるし……」
セリカが後ろに回って引きはがそうとしているらしく、少し揺れる。だが、しがみ付いたホシノはびくともしない。寧ろ指が肩に食い込んで少々痛かった。
「ん、カヤツリ先輩はちゃんと話すべき。しばらく私たちで話し合って様子を見たけど治らない。だから、今日の二番目の議題はこれ」
「えぇ……」
渋い顔をして反抗の意を示すも、後輩たちは言うことを聞いてくれない。あの砂漠横断鉄道の事件からこっち、後輩たちはカヤツリとホシノの扱いが段々と雑になっていた。仕方なく、カヤツリはこうなった日の事を思い出す。
「ほら、あの黒服の鑑賞会から数日か。朝に目が覚めたらこうなってた」
「……? どういうことですか?」
「だから、朝に目を覚ましたら、背中にホシノがへばりついてたんだよ」
言葉通りの出来事であるから、そうとしか説明できない。けれど、後輩たちからの追及は止む気配を見せない。
「じゃあ、あれでしょ。一緒に寝たかったのよきっと。それをカヤツリ先輩が、また乙女心を読まなかったのよ。学校で寝てるんだからとか言ったんじゃない?」
「言ってないし、そんなことはあり得ない」
セリカの中では、カヤツリは乙女心が読めない男らしい。それに対して言いたいことは多々あるが。それを言う前に、アヤネが喰いついた。
「あり得ない? どうして、そう言い切れるんですか?」
「はぁ……好きだねぇ……」
アヤネの眼には、興味の色が色濃く出ていた。他の後輩たちもそうだ。女子生徒というのは、つくづくこういう話が好きらしい。
「……毎日一緒の布団に寝てるんだから、そんなことはありえないんだ。理解したか?」
「おぉぅ……」
小さな声一つと、ごちそうさまでした。そういうような表情で、アヤネは黙った。すると、今度はノノミが追及してくる。
「それなら、お二人が寝ている間にホシノ先輩はカヤツリ先輩の背中にしがみ付いたわけですね。となると、その夜に何かあったんですよ。寝言とか言ったんじゃないですか? 夢とか見ましたか?」
「ああ……夢見は悪かったな」
「内容は?」
「済まないが、言いたくない」
もう一つ、夢以外にも起きたことはある。けれど、これは絶対にホシノには関係ないものだ。
「そうですか。なら、聞きません」
ただ、ノノミは何か思い当たることがあるのか、探る目を向ける。
「初日の事を覚えていますか? この状態で、私たちに会った最初の日です」
勿論覚えている。何せ、後輩たちにこの惨状を説明しなければならなかったからだ。説明も何も、後輩たちは夫婦喧嘩ですよねと言って終わったのだが。
「あの時、ホシノ先輩は私たちをみてどうしました?」
「あ? うへーって、威嚇する鳥みたいに……」
確か、カヤツリの背中に一層強くしがみ付いたのだった。それを言うと、ノノミは少し考えているようだった。すると、セリカが勢いよく立ち上がる。
「ちょっと待って? 寝る時は分かったけど、他はどうしてるの?」
セリカが耳を上にピンと立っていた。セリカが何かに気づいた時の兆候であるが、今はとてもよろしくない。
「まさか、ずっと張り付いてるの? 一日中? 家でも寝る時だけじゃなくて……?」
カヤツリは目を逸らした。セリカの予想は当たっていた。入浴や着替えの時すらも扉の前からホシノは離れようとしないのだ。流石にトイレにはついてこないし離れるが。一度逃げ出せばそれすらも自重しなくなりそうで、カヤツリは逃げ出せないでいた。
「なるほど……分かりましたよ」
ふふんとノノミが両手を叩く。
「嫉妬ですね。カヤツリ先輩が寝言か魘されて何か言ったんでしょう。女の人の名前とか。それで不安になったんですね。カヤツリ先輩がちゃんと気を付けてあげなきゃいけないのに……」
黒服が言ったマリッジブルーだか何だかの発言を受けての答えだろう。大体、ノノミが言ったような事はしていないが、それを口に出さない程度の知能がカヤツリにはあった。でも、セリカは違ったようだ。
「そんなので? 別にそれくらい……それに誰の名前なのよ。カヤツリ先輩の携帯に入ってる三大校の偉い人達?」
「ほら、セリカちゃん。この間にあの黒い大人の人の所で色々と見たでしょう?」
「え……? あっ……あー……ごめんなさい……」
どうしたことか。勝手に納得して勝手に謝られた。何を想像したのか予想は着くが、絶対にありえない。寝言でユメの名前など、絶対に吐くものか。だが、肩越しのホシノの反応からして少々当たっているようだった。
「分かった、分かった。参考にするよ」
「ん。なら、私の話の続き」
シロコは、すっぱりと話を終わらせた。他の後輩たちも特に異論もないようだ。ホシノの事で信用されているのかいないのか分からなくなるが、信用はされているのだろう。
「私は自転車、ホルス一号で出る。後ろにホシノ先輩を乗せれば完璧」
カヤツリは言葉もない。普通なら一笑に付して終わりだが、シロコとホシノなら話は変わって来る。攻撃は盾で防げるだろうし、攻撃もどうにでもなるだろう。スピードは言うまでもない。射程が足りなくても、自転車から飛び移ってきそうだ。シロコの想定以上にやれる。恐らくはヒナ辺りが出ない限りは出場者を全滅させられそうだ。
だが、問題しかない。
「勝つだけならそれでもいいだろう。ただ一度勝つだけなら」
シロコは真面目に言っているのだろう。ルールとアビドス現状の中で最善を尽くそうとした。それは良い。それは良いが、それはシロコの求める物だろうか。
「それで優勝したとして、シロコの目的は達成されるのか? ゲヘナカップに優勝することは手段だろう。目的はアビドスの知名度を上げる事のはずだ」
「ん。分かった。なら、先輩はいい考えがあるの?」
最後まで言わずとも、シロコは納得したようだった。というよりも、この顔からしてこっちが本題か。さっきの作戦はホシノが了承しないと成立しない。そしてホシノは頷きはしないだろうから。それを言い訳にして、ホシノと話すつもりだったのだろうか。
正解は分からない。それを聞いたところで意味もない。結局、シロコは自分たちを心配してくれただけなのだろう。
手段は褒められたものではないが、それは教えたのと、そうでもしないと言わなさそうなカヤツリ自身がいけないのだ。この感じからして、一日様子を見て変わらなかったら初めからこうするつもりだったのか。毎回、こんなことをさせる訳にもいかないから、そろそろ態度を改めるべきか。
──もう、俺が言わなくても良いのか。
ふと、そんな思考が頭を過ぎった。
後輩たちはもう、自分で考えて動けるのだ。そんな、なんとなく湧き上がる寂しさを振り払って、カヤツリは唇を尖らせた。
「いい考えか。普通に戦車で出ればいい。俺の会社から戦車の購入資金は出そう」
「え……?」
呆気にとられた顔のシロコに、カヤツリは笑う。
「世の中の選手が全員、自腹で競技用品を買うものか。大体の選手にはスポンサーが居るんだよ。宣伝費としちゃ安いし、話をすればネフティスだって噛んでくるだろうよ。中身だってこっちの意見を聞いてくれるかもしれない」
「本当に……いい考えですね」
ノノミが完敗と言う顔をしている。本来なら、ノノミが言うべきことだからだ。でもそれくらいは許してほしかった。もう出来なくなるからだ。
「じゃあ、早速……セリカ後輩は帳簿を出してくれ。幾ら出すか決めるから」
「え……」
「なんだ、いきなり……」
どのくらいの支援をするかの確認をしたかっただけなのだが。急にセリカが挙動不審になった。それどころか、後輩全員が焦った顔をしている上に、背中のホシノまで固まっている。一体全体なんだと言うのか。リオみたく、まさか横領などしている訳もあるまいに。
手をひらひらさせて催促すると、おずおずと帳簿が差し出される。
「ふーん……ほら、返すよ。なんだ。変なところはないじゃないか」
さらりとだけ見て、帳簿を返す。セリカが目を白黒とさせているが、特にカヤツリからは言う事はない。言うべきことがあるのならば、一つだけだ。
「これは独り言だが……」
少し、言うのを躊躇って。カヤツリは言葉を口に出す。
「一々、全部俺の許可なんていらないんだ。もう、今まで通りのアビドスじゃないんだし、来年からはシロコやノノミ後輩が頑張って運営していくんだ。その次は、セリカ後輩やアヤネ後輩がな」
カヤツリとて、こんな寂しい事は言いたくないのだが、もうカヤツリの上級生としての役目は終わる。そんな時期が近づいている。
「でも、俺はそれが楽しみでもあるし、困った時は何時でも言っていいんだ。俺はいつまでも先輩なんだからな」
怖さはある。寂しさもある。でも、それだけは消えないものだ。カヤツリは、後輩たちにこれからの事を語りながらも、胸に残る寂しさについて考えていた。
□
対策会議はすんなり終わった。または、お役御免とも言う。
何しろ、これから対策委員会は後輩たちが動かしていくのだ。実際、もう動かしているのは、帳簿を見て分かった。
だからカヤツリは、ホシノを背負ったまま教室の外へと出てきていた。後輩たちも止めなかった。何をするのかはもう分かっていたのだろう。カヤツリは空き教室に着くなり、口を開く。
「あの帳簿の支出にゴーサインを出したのはホシノだろう?」
「……そうだよ」
返事はうへではなく、しっかりとしたものが返ってきた。ずっと肩に食い込んでいた指が離れてホシノはカヤツリから降りて、カヤツリに向き直る。
「シロコちゃんやノノミちゃんから話があったんだよ。それを聞いた私がいいよって言ったんだ」
「そんなに、俺には言いにくいのか?」
ホシノに許可を取ったなら、カヤツリを避けたということだ。後輩たちは反対されると思ったのかもしれない。割合真剣に態度を改めようかと思うくらいなのだが、ホシノの反応は微妙だった。
「いや、今回の場合はしょうがないって言うか……」
「そう、ならいいや」
軽い調子でカヤツリは言う。それを聞いたホシノは目を丸くしていた。
「いいの?」
「結構な金額だが、ホシノはそれが何に使われるか知っているんだろう?」
「うん。アビドスの為にもなるんじゃないかな。どうせ、いつかはやるんだし。観光資源化は恥ずかしいけど……いい着眼点だと思うよ?」
カヤツリが見たのは、そこそこな大きさの建物が立てられそうな金額とホシノの認印だけ。実際の物は何なのかは想像もつかない。だが、ホシノが言うならそれでいい。後輩たちが秘密にしておきたいのなら、それに甘えるくらいはする。
「それで、シロコ達を庇いに降りたところ悪いけど、話があるんだ」
「そうだね。私からもあるんだ。どっちからにする?」
ならと、カヤツリが手を挙げる。
「……何を拗ねてる? まさか、ノノミ後輩が言った事が本当なわけじゃないだろう?」
「ちょっと当たってるんだよね……」
どことなく、ホシノは言いにくそうに目を逸らす。
「いやな。嫌な夢を見たんだよ。詳細は省くけど、カヤツリが私を置いてどこかに行っちゃう夢」
ホシノは自分で自分を身体を抱きしめる。力を入れ過ぎて、手が白くなっていた。
「少しづつ何処かが違うのに。やけに真に迫ってて、現実みたいだった。それだけなら良かったんだけどさ」
じっとホシノはカヤツリを見上げる。
「朝起きたら、カヤツリの空気がおかしかった。寝てるだけなのに、どこか寂しそうで。ふらっとどこかに行っちゃいそうな雰囲気だったから」
「だから、しがみついてたのか」
「そうだよ。一緒にくっ付いてたら、私から逃げられないでしょ。うへうへ言ってれば言いくるめられないもの」
ホシノは自分でもどうかと思っているのか、口調にはためらいの空気が見える。
「でも、カヤツリは私を引きはがそうとはしなかった。それに、これ以上シロコちゃん達に心配を掛けるのもね。悪いと思ったんだよ」
流石に二日間はやり過ぎだよねと、ホシノは頭を掻いていた。
「それに、話してくれるんでしょ?」
正面から見上げてくるホシノは、どこかに確信があるようだった。
「分かる?」
「分かるよ。今はあの時と同じ雰囲気がする。夢の話をノノミちゃんが振った時からするんだよ」
降参である。カヤツリは内心で白旗を振った。ホシノの言った事は大体合っている。ホシノが感じたと言う雰囲気の正体は単純なものだ。
「まず、夢見が悪かったんだ」
「覚えてるの?」
「いいや、全く。悪夢を見たなって感覚だけだよ」
「ただ、それはあんまり関係がないんだ。問題は、その後なんだ」
「その後? 夢から覚めた後って事?」
カヤツリは首を横に振った。
「いいや、夢の中だ。そこで、俺はセトに会った。そこで言われたんだよ。お別れだって、もう会う事はないって」
あの時の、どこかユメに似た姿で、セトはそう言ったのだ。
「別に死ぬとか、そう言った理由じゃない。ただやるべきことがあって、やりたいことがあって離れるんだって。もう俺は一人でも大丈夫だからって」
そうして、それだけを言って。セトは消えてしまったのだった。そう言われた所為なのか、本当にいなくなったせいなのか、カヤツリの胸には喪失感が残っている。その雰囲気をホシノは感じ取ったに違いなかった。
「それは良い事なんだ。別に死に別れたわけじゃない。ユメ先輩に似てたからじゃない。でも、なんだか寂しいんだ。寂しくて、悲しくなる。理由は分かってるんだ」
それはきっと、初めてだからだ。初めての別離だから。今まで歩いて来た道の終わりが見えてきたから。
「ユメ先輩の時とは違うから。何もできなかったわけでもなく、俺の所為でもないから……」
「それに一方的じゃないから?」
いつの間にか、ホシノが近くにいた。
「見たから、知ってるよ。私はちゃんとユメ先輩と話してお別れできた。でも、カヤツリは違ったもんね。気を失ったユメ先輩に話すしかなかったもの。でも、セトちゃんの時は話せたもんね」
それは、そうなのかもしれなかった。言われてみれば納得が広がっていく。
「ああ、そうなのかもしれない。それにほら、シロコ達と話して。もう、俺がやる事はあまりないんだなって……」
残り期間もそうだが、シロコ達は成長していた。アビドス運営に関して、カヤツリが口を出すことは残っていない。カヤツリの居ていい理由が消えていくようで、なんだか寂しくなったのだ。
「カヤツリは寂しいんだね。ちゃんとお別れできたし、シロコちゃんたちも面倒見なくてよくなったから寂しいんだ」
「そうだな。きっと、そうなんだろう」
ホシノの声は優しくて、カヤツリを包み込むようだった。続けて優しい声が降って来る。
「そういう時のおまじないを教えてあげる」
ぎゅっと、正面から抱きしめられていた。小さくて暖かいホシノの身体がとても近くに感じる。
「私も良く、ユメ先輩にやってもらってたんだ。装甲版みたいに、ちょっと固いかもしれないけどね」
「そんなことない……」
ぎゅっと正面から、ホシノを抱きしめ返す。そうすれば、そうするほど。寂しさが薄れていく気がした。一分か二分か、いつまでそうしていただろうか。困ったようなホシノの声が聞こえる。
「うへー……カヤツリがおじさんを大好きなのは分かったけど、ちょっと疲れるよぉ……あ」
カヤツリが迷惑かと思って身を引くと、ホシノは寂しそうな声を上げた。表情も少し不満そうなものに変わる。
「離しちゃうんだ……」
ちらちらと椅子に目線を送るので、カヤツリが椅子に座れば、ホシノが正面から抱き着いてくる。
「うん。これでいいよ。これでもう、寂しくないでしょ」
耳元にくすぐったい吐息が掛かる。普段ならそれとなく振り払うそれが、今は唯々心地よかった。
「それにね。シロコちゃん達が成長して、ちょっと寂しいのは私も同じだからさ。お互い様なんだよ。それにカヤツリが面倒を見る相手が、今直ぐ近くにいるでしょ? それもこれからずっとね? だから寂しくないよ。今みたいに寂しくなった時は、こうしてあげる。私も面倒を見るべき相手が、直ぐ近くにいるしね?」
そうだ。カヤツリにはホシノが居た。これから、カヤツリはホシノと生きていくのだ。あの大オアシスで、カヤツリはそう決めたのだった。
捨てられ、拾われて始まったカヤツリの旅は、ここまで辿り着いていた。そしてそれはもう、終わろうとしている。
これからカヤツリは、今の様に寂しくなる時もあるだろう。何かを手に入れる事もあるだろう。きっと、色々な事がこの先に起こるだろう。
でも、ホシノは一番傍にいてくれるのだ。一緒に悲しんで、一緒に喜んで、互いに面倒を見あって助け合って。そうやって生きていける。
やるべき事もまだまだある。決してここで終わりではない。終わって、また始まるのだ。
なら、もう怖いものは何もなかった。カヤツリの幸せはここにあったからだ。もう二度と動かない幸せがここにある。
カヤツリは正面のホシノを抱きしめ返す。身体だけではなく、心が温かくなっていく。自分自身にとっての幸せを抱きしめて、カヤツリは満足げに微笑む。
もう旅は終わった。けれどまた、新しい旅が始まるのだ。ならばもう、寂しくはなかった。