ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「ここは……?」
ノノミが気が付くと、真っ白な天井がノノミを見下ろしていた。どうにも横たわっているらしい。
状況が全く把握できないまま、何事かと身体を起こせばベッドの上で。見渡せば四方は薄いベージュのカーテンに囲まれている。うっすらと消毒液の匂いも。此処がどこなのか、ノノミはアタリを付ける。
「病院……?」
消毒液の匂いと、ベッドに寝かされているとくれば病院だろう。だが、ノノミは着の身着のままだ。病院着は着ていない。それに他にも妙な違和感が付きまとう。どこか、ここに見覚えがあるような気がするのだ。いや、そもそもそれ以前に、自分はどうしてこんなことになっている?
──確か、緑の光が……
考え込んだ数秒後。ノノミはこの直前に起こったことを思い出して、一気に頭が冴えた。慌ててベッドから飛び起きる。
「シロコちゃん達は……!?」
早く、仲間の無事を確認しなければならなかった。雷帝の遺産の暴走にノノミたちは巻き込まれたのだ。呑み込まれると不味い様なことをマトが言っていたが。ノノミが無事な以上は運良く助かったのだろう。それで、後から駆け付けたホシノに回収されて。この病院に担ぎ込まれたに違いない。
きっと、カーテンの向こうに皆が寝ているはずだ。そう思って、思い切りカーテンを引く。
「シロ……あれ?」
引いた先には、ベッドが一つだけ。それも真新しく綺麗にセットされたもの。触るとシーツは冷たかった。嫌な予感がして、他のカーテンも開ける。
「誰もいない……?」
他はベッドですらなかった。薬品や資料が入った棚や冷蔵庫が顔を出しただけだ。それに、最初の違和感が漸く分かりかけてきた。
ここは病院ではない。病院にしては部屋が狭すぎる。かと言って、誰かの家と言う雰囲気でもない。ここはどこなのだろう?
「……起きましたか?」
「わっ!?」
入口の向こうからの声にノノミは飛び上がった。誰もいないと油断していたところに、いきなり声を掛けられればこうもなる。
原因たる声の方角を見ると、小さく引き戸に隙間が開いていた。隙間の向こうではどこか見覚えのある制服を着た女生徒が、心配そうな瞳でノノミを見ている。
女生徒はノノミが認識したのを確認してから、引き戸を開けて入ってきた。縮れ一つない長い黒髪と丸眼鏡がやけに目立った。
「すいません。大声もどうかと思ったのですが、驚かせてしまったようですね……どうですか? 身体の調子は?」
「あっ、大丈夫ですけど……」
声に従って身体の様子を確認するが異常はない。痛みも何も。それを見て安心したのか、女生徒は安堵の息を吐いている。
「そうですか。何事も無かったようで何よりです。最近は物騒ですからね」
「物騒?」
物騒とオウム返しに聞き返したノノミに、女生徒は変な物を見るような目になった。
「……混乱しているようですね。あなたは道で倒れていたんですよ? しかも、銃と携帯以外の持ち物は無いようですし。追い剥ぎに遭ったのではないのですか?」
「そういえば……そうだったかもしれません」
勿論、そんな訳はない。だがとりあえず、ノノミは話を合わせることにした。この女生徒が嘘を吐いているようには見えないが、ここで騒いでも何もならない。
「ふむ……今日が何月何日か言えますか? あとここがどこか? それと自分の名前も」
「えっと……今日は……」
「それは合っていますね。それでは、ここは?」
医者かそれに類するものらしい女生徒は、ノノミの記憶が混濁していると思ったらしい。それらしい質問を繰り出してきて、ノノミは素直に、日付から順番通りに答えていき、場所で詰まった。答えられないノノミに、女生徒は答えを教える。
「アビドス高校ですよ。ここはその保健室です」
「は? ここが、アビドス高校?」
ノノミは取り繕うのも忘れて、女生徒を見た。女生徒の視線が強くなるが、ノノミはおかしくなっているわけではない。それはありえない。
確かにアビドス高校の校舎には保健室がある。何度かノノミ自身も世話になったことがある。今になって思えば、この場所に見覚えがあるのもそのせいか。だが、断じて。こんなに綺麗ではない。
それに、この女生徒は見たことが無い。
アビドス高校にはノノミ達以外いない。そして、女生徒の制服はネフティス中学のもの。まだ新入生の見学予定もないのにいる筈もない。大体が、ネフティス中学はとうに廃校になっている。
目の前にある全てが、ノノミの常識と食い違う。それなのに女生徒は、ノノミが混乱していると思っている様子だ。
「ああ、本館と勘違いしているんですね。此処は分館ですから、知らないのも無理はありません」
「本館……?」
本館。今この女生徒は本館と言ったのだろうか。ノノミの頭はもう大混乱だ。此処が分館であるのは百歩譲っていいだろう。だが、本館? 今の言い方では、まるで本館がちゃんとあるかのような言い方だった。だから言うのだ。あなたが知っている本館の保健室と、この分館の保健室を勘違いしていると。
でも、女生徒は無慈悲に証拠を突きつけてくる。
「ほら、窓から見えるでしょう。あれが本館でなくて、何だと言うんです?」
「嘘でしょう……?」
ノノミの混乱は、ついに頂点に達した。
女生徒の言う通り、保健室の窓からは見覚えのないものが見えた。家々の屋根を飛び越えて、陽炎で揺らいだ向こう側。そこに巨大な建物の影が見える。あそこは今日に行った本館の位置ではなかったか。
けれど、ノノミを混乱の渦に突き落としたのは、そちらの方ではない。
「なんで、生徒が……?」
校庭には生徒がいた。女生徒の物ではない。アビドス高校の体操服を着た生徒たち。彼女らが、ホイッスルの音と共にハードルを跳んでいる。
「ああ、もう授業時間ですが。私も書類を書きますし、遅刻の事は気にしなくても大丈夫ですよ」
女生徒は、ノノミが遅刻したことにショックを受けていると思っているようだが。そんなものではない。ノノミの目の前で、ありえないことが起こっている。何でも眼をこすって見るが、その光景は変わらない。
大勢の生徒が、校庭で、授業をしている。
かつて、アビドスにあり。ノノミの知らない光景が目の前で展開されている。幾ら目を擦ろうが、頬を抓ろうが。目の前の状況は変わらない。
それどころか、よく見れば背景もおかしい。ここからの景色はノノミの記憶と大きな違いはない。砂塗れの道に老朽化が目立つ空き家の群れがあるはずだ。それなのに、景色はそのままに全てが真新しくなっている。まるで、災害なんか初めから無かったかのように。
ノノミが愕然としている様子を見た女生徒が溜め息を吐いた。
「その様子ですと、何も覚えてはいないようですね」
「何をですか?」
「あなたを襲ったであろう襲撃者ですよ。てっきり顔の一つくらいは見たかと思ったんですけどね」
やれやれと言ったように、女生徒は首を振る。このノノミにとって異常な状況の中でも、女生徒はこの場所に不釣り合いだった。
「……あなたは、中学生ですよね? それも、ネフティス中学の」
「ええ、その通りですが?」
心外だと言うような反応であるが、ノノミはこの女生徒が不気味で仕方がない。中学生と言う割には、妙に肝が据わっていると言うか。失礼極まりないが、眼鏡と長身も相まってか。見た目に雰囲気がありすぎる。ドスを利かせた声を出せば、ノワール映画に出れそうだ。
そんな感想は脇に置いたまま、とりあえずの疑問をノノミは投げつける。
「どうして中学生のあなたが、ここに居るんですか? ここはアビドス高校なんですよね。やけに慣れている様に見えます。しかも、今は授業中なのに」
「ああ、それは何度もここに来たことがあるからです。それと授業をサボったからですね」
「サボった?」
「ええ、サボりです。あなたが言い訳に協力してくれれば、サボリでなくなりますけど」
女生徒はニッコリ笑顔だが、威圧感が増すだけだった。だが気にした様子もなく、女生徒は話し続ける。
「あなたが襲われたことからも分かる様に。アビドスの治安が急激に悪化しているんです。一過性の物であればいつもの事です。ですが、今回は妙におかしいと私の勘が囁くので。ですので調べているんですよ。あなたを拾ったのはその途中でです」
今の言葉を聞いて、ノノミの中に一筋の光が差す。
「他の生徒はいませんでしたか? 私と同じ制服を着た。赤い眼鏡やツインテールや、オッドアイの生徒とかは……」
「……知らないですね。拾ったのはあなたが初めてですよ。まさかとは思いますが、今挙げた方々は友達ですか?」
おずおずと頷けば、女生徒が気の毒そうな顔になる。
「もしかしたら、あなたを襲った誰かに捕まっているのかもしれません。その友人たちはあなたを決死の覚悟で逃がしたのかも……私だって同じことをします」
ぶつぶつと最後の方で何かを呟いている女生徒を見て、ノノミは申し訳なくなってきた。誰かに襲われたと言うのは、ノノミの方便でしかないからだ。今もどこか真剣に考えてくれている女生徒に罪悪感が湧いてくる。次の女生徒の言葉を聞いて、それが更に倍増していく。
「そのお友達が心配ですね。私も手伝いますよ。あなたの記憶は混濁しているようですが、このアビドスを回れば何か思い出すかもしれません」
「そうですね……」
少し、ノノミはこの提案に乗るのかどうかを悩んだ。どうやらノノミの置かれた状況は混沌としている。
廃校になっていないネフティス中学、何故か復活しているアビドス本館に、この様変わりしたアビドス分館。どうにもノノミの想定を超えた事象が起こっている。
その原因はどう考えても一つしかない。あの雷帝の遺産だ。あれをマトは転送装置だと言っていた。人は送れないとも。じゃあ、どうして人は送れないと知っているのか。それは実際に送って失敗したからではないのか。きっと、誰も来なかったのだろう。
でも、消えた以上はどこかに行ったはずである。その答えがこれだろう。あくまでノノミの予想でしかないが、別世界に跳んでしまったのではないかと思っている。
別世界自体の存在は確定している。もう一人のシロコが居る以上は、それは確かにあるのだ。それが一つだけとも言う保証はない。その内の一つに、ノノミはやってきてしまったのではないのか。
ここが、どういった出来事を辿った世界かは分からない。ただこの様子を見る限り、アビドスを滅ぼした大災害が起こらなかった世界なのかもしれない。
「それでは、お願いしても良いですか?」
ノノミは、この女生徒の提案に甘える事にした。騙しているという罪悪感が胸をグサグサと滅多刺しにしているのは我慢するしかない。
そんなノノミの胸中を知る由もない女生徒は満足そうに頷く。
「そんなに気に病まなくても大丈夫ですよ。まずは、そうですね。砂狼サイクルに行きましょうか」
「……砂狼サイクル?」
「砂狼サイクルですよ? それも知らないんですか? 結構有名なのに?」
くわっと目を見開いた女生徒は、正気を疑う目線を向けてくる。ノノミはたじろぐも、頭の中では砂狼と言う苗字がリフレインしていた。その苗字はよく知っている。ノノミの、もしかしたらと言う想像が、加速度的に膨らんでいく。
「……砂狼サイクルは自転車店ですよ。一般用から競技用まで、あらゆる自転車を扱っています。チューニングや個人個人に合った改造までやってくれると評判なんですよ。勿論、レンタルもね」
「そこで自転車を借りようと言う事ですね」
「はい。足もなしでアビドスを回るのは自殺行為です。私も大して足が速くはないですし」
女生徒のコンプレックスだろうそれを聞きながら、ノノミの頭は回転していた。砂狼サイクルから思考が離れない。
──砂狼って、シロコちゃんの……
そう、シロコの苗字だ。行き倒れていたシロコが覚えていた数少ない物のうちの一つ。もしかしたら、災害が起きない世界では、シロコは行き倒れないのかもしれない。
そこまで考えて、嫌な想像がノノミの頭を襲う。もしかしたら、対策委員会は全員、別々の世界に飛ばされたのかもしれないと言う想像だ。
砂狼サイクルに行った場合、シロコが居るかもしれない。でも、そのシロコはノノミの知るシロコではない。この世界のシロコだろう。そして、あの空が赤く染まった日。もう一人のシロコは何をしたか。
シロコを浚った。そうしなければならなかったのだと、あの方舟の中でもう一人のシロコは語っていたはずだった。そうであるなら、その法則がここにも適応されうるかもしれない。
そうなった場合は最悪だ。ノノミは世界を移動する術を持たない。唯一の手段はあの遺産だけで、もしかしたら別の対策委員の傍にある場合や、全く別の場所にある可能性もある。
考えれば考えるだけ、嫌な想像しか湧いてこない。その間に女生徒は保健室の棚を漁って、何かを探していた。
「ああ、ありました。これをお願いしても? 名前だけでいいですから」
女生徒が取り出したのは一枚の紙だった。差し出してくるそれを見れば、欠席届だ。どうにもアビドス学園共通らしく、やけに書き込む場所が多い。女生徒が指さす場所には名前欄があった。どうやら、証明のために必要なのだろう。
机からペンをとって、ノノミはそれを走らせる。そして、苗字を書き終えたところで止まった。強い視線が、そうさせない。
「……十六夜? あなた、十六夜家の人間なんですか? ネフティスの人間……?」
女生徒の視線が鋭くなっていた。ジロジロとノノミの身体を上から下へと舐め回している。そこには、さっきまであった親切心は消え去っていた。
「あなた、何者ですか。よくよく見ればノノミさんに似ていますが……いえ、まさか……それはあり得ません」
しまったと思った。ネフティス中学があるのなら、ネフティスだって存在するはずだ。しかも大災害が起こらなかったのなら、悪徳企業などと呼ばれることもなかっただろう。ともなれば、この世界のノノミはアビドス高校に居るのかもしれない。それを、この女生徒は知っているのだ。
「それはアビドスの制服ですよね。何でそんなの着て……まだ着るならハイランダーでしょう」
女生徒の言い方に、嫌な考えが浮かぶ。アビドスの制服を着るのは良くなくて、ハイランダーなら良い? それじゃあ、まるで……まるで……
「十六夜ノノミが、ハイランダーの関係者みたいな……」
「下手な言い訳……だって、そうでしょう? ネフティスはハイランダーに出資している。そのお陰もあって砂漠横断鉄道は完成し、アビドスはここまでになったんですし……成り替わるにしても調べが甘い……」
強く頭を殴られたような気がした。砂漠横断鉄道は完成したと、女生徒は言った。砂漠横断鉄道はアビドスが災害に襲われて初めて計画された代物であることを、ノノミは知っている。
だったら、ここはあの大災害が起こらなかった世界ではない。もっと別の世界だ。もっと別の可能性の世界。
ここは、ノノミがハイランダーに入学した世界ではないのか? そうすれば、全ての辻褄が合う。
ノノミがハイランダーに行ったから、全てが上手くいったのだ。砂漠横断鉄道は完成し、アビドスは蘇り、ネフティスは悪徳企業にならなかった。だから、本館があるし分館も新しい。自治区が繁栄しているように見える。ならば、この光景も納得だ。
ここは、ノノミが正しい選択をした世界なのだ。そう思うとノノミの全身が冷たくなる。ここに居てはいけないと言う思いが強く湧き上がってくる。
「そうですか……」
女生徒の威圧感が倍増した。眼鏡の奥から、鋭い眼光がノノミを捕えた。
「本物に手を出した。いえ、これから出そうとしているわけですね。ですが何の因果か、途中で行き倒れたと。とりあえず、叩きのめしてから話を聞かせて貰いましょうか」
入り口は女生徒の後ろで、逃げ場は何処にもない。手には拳銃が握られていて、それがノノミに狙いをつけている。
ノノミはじりじりと後ずさりする。少しずつ距離を詰められていたからだ。もう言い訳も何も聞いてくれないだろう。ノノミが騙していたのは確かだからだ。それに、別世界から来ましたなど、信じてくれるはずもない。
ノノミは背を向けて、女生徒から逃げ出す。銃口が狙いを定める気配がした。それと余裕ある声も。
「逃げられませんよ。窓ガラスは強化ガラス──な!?」
強化ガラスなど気にする必要もない。勢いのままに拳で突き破って逃走する。
ノノミは校門を目指して走る。校庭からの視線が突き刺さり、後ろから女生徒が発砲し、銃撃が全弾直撃するが、それどころではなかった。
痛い。けれど、屁でもない。視界に入るノノミの世界に比べて発展している光景と比べれば。
目に入る差異全てが、ノノミを責め立てているような気がした。それから逃げるようにノノミは走り続けた。どこに向かっているかはノノミ自身にも分からなかった。