ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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ノノミ周りの自己解釈・独自設定あり。


70話 怪物と戦う者は

 カイザーPMC基地からの帰り道。対策委員会と先生が乗っている車内の空気は最悪だった。

 

 カイザーとの会談はいい結果に終わったとは言い難かった。向こうの目的は分かったが、こちらからできることはあまりなかったからだ。勝機はカヤツリの言う通りあるのだろうが、それはいつになるか分からない。まるでゴールの無いマラソンだった。

 

 けれど、車内の空気が重い理由は別の事にある。

 

 カヤツリの隠し事だ。

 

 対策委員の様子を見るに誰も知らなかったのだろう。カヤツリの過去もやっていたことも。先生は教えてもらっていたが、それは対策委員には関係ないことだ。慰めにもなりはしない。

 

 行きとは大違いだと、先生は重い空気の中でそう思う。

 

 カヤツリは沈黙したまま運転しているし、ホシノはさっきよりマシとはいえ暗い顔だ。同乗している対策委員も、画面の向こうのアヤネも同じような顔で黙りこくっている。

 

 きっと誰かが言葉を発すればこの空気は崩れるのだろうが、それが良い方向に行くとはまるで思えない。

 

 話す話題には事欠かない。対策委員含め先生も聞きたいことは同じだろう。

 

 

「……カヤツリ先輩。あの理事の言ってたことって本当なの……?」

 

 

 遂にシロコが口火を切った。

 

 

「本当だが? 奴があそこで嘘をつく理由もない」

 

「何で? 何で黙ってたの?」

 

 

 気負った風な様子もなく答えたカヤツリに、シロコが責め立てるでもなく、どこか悲しそうに聞いた。

 

 それに対して、カヤツリはまるで当たり前の事のように言う。

 

 

「意味がないだろう? それを知ってどうなるんだ。別に昔カイザーにいたからって、仕事に手を抜いたわけじゃ──」

 

「そうじゃなくて!」

 

 

 つらつらと話すカヤツリの言葉を遮るように、シロコは叫ぶ。

 

 

「そうじゃない! 昔にカヤツリ先輩がカイザーにいたことなんてどうでもいいの! 黙ってやっていたこと! 何で話してくれなかったの!? 少しくらいは手伝えたかもしれないのに……。それとも、そんなに私たちは力不足なの!?」

 

「……さっき理事との言い合いで言ったろう。向き不向きの問題だって」

 

 

 理事と話す時の表情のまま、カヤツリは運転を続ける。シロコがどこか泣きそうな顔で訴えているのにも関わらず、運転は静かなものだった。シロコの方を見もせずに、誰にも顔を向けずに、いつものような口調のままカヤツリは理由を話す。

 

 

「シロコには向いてないよ。こういうのには向いてない。だから話さなかった。話せばこうなるのは目に見えてるし、一人で事足りる」

 

「ッ。そんなの──」

 

「やってみなければ分からないって? じゃあやれば納得するのか? なら試してみるか? 俺の手伝いをするっていう想定で」

 

 

 まさかの提案にシロコはびっくりしたように、言葉を詰まらせる。

 

 そんなシロコにカヤツリは窓の外を指さした。その先には何もない。ただの砂原と廃墟が広がっているだけだ。カヤツリが何を言いたいのか先生には分からなかった。

 

 

「奥空後輩にドローンを飛ばしてもらう。シロコはこの車から狙撃しろ。一発で当てられたら考えてやろうじゃないか」

 

 

 先生は猛烈に嫌な予感がするのを感じた。あまりにも突然の提案だからだ。普通の的当てで終わるはずがない。考えるまでもなさそうなシロコにカヤツリは念を押すように聞いた。

 

 

「で? やるか?」

 

「やる」

 

 

 カヤツリは、その答えを聞いてどこか残念そうな雰囲気だった。

 

 

「じゃあ、これは俺とシロコの勝負だから、他の奴らは手出し無用。口も出さずに手も出さないでくれ。俺がそう判断したらシロコの負け。本当にそれでいいのか。シロコ」

 

「それでいい。そんな簡単なのでいいの? 後悔するよ」

 

「それは俺の台詞だよ……」

 

 

 シロコにとっては、簡単な条件なのか。やる気十分といったような様子だった。逆にカヤツリは面倒くさそうに車を停める。

 

 

『準備できました』

 

 

 アヤネがドローンの準備ができたことを教えてくれた。先生は薄々、カヤツリの企んでいることが分かっていた。

 

 おそらく、これはテストだ。

 

 たぶん、対策委員の誰も気がついていない。先生もどこがカヤツリの採点ポイントなのか。全ては分からない。

 

 ただカヤツリのこの様子を見るに、シロコは既にかなりの減点を食らっているようだった。助言をしようにもそれはカヤツリに止められてしまっている。どうしようもできない。

 

 

「じゃあ、確認だ」

 

 

 車から降りたカヤツリは、同様に車を降りた対策委員と先生に条件の確認を始める。

 

 内容は簡単だった。

 

 シロコがカヤツリの運転する車両から、アヤネの操縦するドローンを狙撃するだけ。車はスタートからゴールまで一直線に進み、ドローンはそれに並走する。チャンスは泣いても笑っても一回こっきり。

 

 その説明を聞いてもシロコは余裕の表情を崩さない。セリカも心配はしていなさそうで、ホシノはどこか不安そうな表情だった。ノノミだけが眉をひそめている。

 

 それにカヤツリも気がついたようで少し驚いたような表情だった。

 

 最後にシロコに向き直って告げる。

 

 

「準備は良いか? チャンスは一回だぞ。次はない。やれるだけの事はやったか? ”俺の手伝いをする”そういう想定だぞ?」

 

「やったよ」

 

「最後に聞くぞ。本当にこれでいいんだな?」

 

「ん。何回聞いても答えは同じ。私を動揺させようとして脅しても無駄」

 

「ハァ。……じゃあ乗りな」

 

 

 シロコは一足で車の屋根に飛び乗る。それを確認したカヤツリは運転席に乗ってスタート位置に着いた。もう見ているだけの先生たちは手出しができない。

 

 

「……これは、シロコちゃん。失敗するかもしれませんね」

 

 

 今まで黙っていたノノミが呟いた。先生もそう思うし、ホシノも反論しない。セリカだけが頭に疑問符を浮かべている。

 

 

「え? どう見ても簡単じゃない。アヤネちゃんもドローンの操作ミスはしないでしょ。あんな狙撃なんか私でもできるわよ?」

 

「カヤツリ先輩は勝負って言ったんですよ? それに何回も確認を取ってたじゃないですか。これでいいのかって。あれはヒントだったんじゃ……」

 

 

 ノノミの考えに、今までずっと黙っていたホシノが答える。

 

 

「……たぶん悪だくみはしてるんじゃないかな。だってカヤツリは今までずっと黙ってたんだよ? そんな簡単に”いいよ”って答えるわけがないよ。もし違うなら私にも言ってくれてるはずだもの……」

 

 

 ホシノには、いつもの元気がない。カイザーの言葉責めのせいもあるだろう。でも一番の理由はきっと、カヤツリに隠し事をされていたことだ。ここ三日続けて、カヤツリの隠し事が明らかになっている。一つや二つではないし、内容も軽いものではない。一人で抱えるには大きすぎる物ばかりだ。

 

 カヤツリと一番付き合いがあるのはホシノのはずだ。屋上の件もある。信頼関係が強く結ばれているはずで、少なくともホシノにとってはそのはずだろう。だからこそ話してくれなかったことがショックなのだ。

 

 カヤツリには手伝わせない理由があるのだろう。けれど、一人で抱える理由もないはずだ。だって、対策委員は皆カヤツリの助けになりたいと思っている。カヤツリだけが助けられては行けないなんてことはないのだから。

 

 

『じゃあ行きます! ……ああ!』

 

 

 カヤツリの運転する車が走り出す。速度は出ているが、シロコは気にした様子もない。遅れてドローンが並走する。

 

 そこまでは良い。

 

 しかし、車両とドローンの間には廃墟や廃車があり、射線が塞がれていた。

 

 ドローンはアヤネが操縦しているが、ルートの条件はカヤツリの運転する車に並走すること。だから、実質ドローンを操っているのはカヤツリなのだ。譲歩した条件に見えて全くそんなことはなかった。アヤネが叫んだのはそういう理由だ。

 

 

「あれじゃあ、当たらないじゃない!」

 

「落ち着いて、セリカちゃん。切れ目があるから、そこで撃つつもりなんじゃない?」

 

 

 セリカが叫ぶが、ホシノが少し先を指さした。よく見れば廃墟の一部が崩れてぽっかりと隙間が空いていた。あれなら何とかなりそうだった。シロコもそのつもりなのか、銃を構えている。流石のカヤツリも、突発的なこれには対応ができていないようだ。

 

 

「シロコ先輩が外すわけないわ。カヤツリ先輩は……え?」

 

 

 隙間まで車両は到達し通り過ぎた。その間に銃声は一発響いたが、ドローンは普通に飛んでいる。つまり……。

 

 

『失敗です……。当たっていません』

 

 

 アヤネの残念そうな声が無線から聞こえた。それが意味するのはシロコが失敗したという事だけだった。

 

 

 □

 

 

「ずるい! あんなことするなんて!」

 

 

 カヤツリと一緒に戻ってきたシロコはカヤツリに掴みかかりそうな勢いだった。シロコは負けず嫌いではありそうだが、この様子は尋常ではない。シロコは先生と対策委員が近づいてきたのを見て、大声でカヤツリを非難した。

 

 

「隙間の直前で急に減速した! ルール違反!」

 

 

 ──ああ、やっぱり。

 

 

 先生の嫌な予感は当たっていた。理由を話したくないであろうカヤツリが何もしないわけがなかったのだ。先生は騒ぐシロコを窘めるしかない。

 

 

「残念だけどシロコ。カヤツリはそんなこと言ってないよ。決めたルートを直進するとは言ったけれど、速度を緩めないなんて言ってない」

 

「先生。でも……ずるい! そんなの聞いてない……」

 

「そういうところが向いていないって言ったんだよ」

 

 

 勝ったはずのカヤツリは、全く嬉しそうではない顔でシロコに言う。納得のいかないシロコに言い聞かせるようにカヤツリは続ける。

 

 

「確かにずるいな。でもさ。俺の仕事はこういう事だよ。こういう事をする仕事だよ。こういう事をしてくる大人を相手にする仕事だよ。俺は言ったはずだ。”俺の手伝いをする想定でやれよ”って」

 

 

 カヤツリの提案した勝負は平等なようでいて、全く平等ではなかった。シロコができるのは銃を撃つことだけだ。撃たせるタイミングも、ドローンの進路もこっちの自由になる要素が全くない。全部カヤツリの掌の上だった。

 

 

「それじゃあ、シロコ先輩はどうしようもなかったって事? そんなの卑怯じゃない」

 

「別に卑怯じゃないぞ。俺は何回も言ったよ。これでいいのかってね。そこで別の方法を提案すればよかったんだよ」

 

 

 セリカが憤慨するが、カヤツリは逃げ道を塞ぐように言う。

 

 

「でも……そんなの、カヤツリ先輩の匙加減じゃない! 全然フェアじゃないわ!」

 

「当たり前だよ。シロコは要求しかしないじゃないか、代案も出しもしないで言う事を聞いてくださいなんて通らない。それでも通したかったらもう暴力しかない。まあそれは下の下だけども」

 

『じゃあどうすれば良かったんですか……。正解なんてないじゃないですか』

 

「あるぞ」

 

 

 アヤネの不満が混じった言葉に、カヤツリはどこか疲れを滲ませたような声で正解を言った。

 

 

「そもそも、俺の話にそのまま乗るのが間違いだ。あの場で俺は敵なんだぜ。なんで敵の言う事をほいほい聞くんだ。交渉しろ。妥協点を探れ。そうすれば、勝負自体は避けられなくとも、あんなに不利にはならなかった。まあ、そういう風に誘導したんだけどな」

 

 

 カヤツリの話だと前提からダメだったらしい。だからシロコの対応をみてため息をついていたのだ。

 

 カヤツリは車に寄りかかって解説する。

 

 

「勝負になった時もダメダメだ。相談しても良かったんだよ。あの廃墟だって、奥空後輩と相談するか自己判断でドローンの高度をあげればよかった」

 

「そんなことしたら負けって。カヤツリ先輩が言ったんじゃない!」

 

「だから、そう思い込むように言ったんだよ。それに誰が堂々とやれと言った? 隠れてやるもんだよ。そういうのはな。何のために無線があるんだ。隠れて相談すりゃあよかったんだよ」

 

 

 そのくらいなら、抜き打ちテストみたいなもんだから見逃したよ。そんなカヤツリの呟きにセリカとシロコは項垂れてしまった。

 

 

 

 ──このままではこれで終わってしまう。

 

 

 本当にカヤツリは関わらせたくないのだ。理由は想像するしかないが、後輩やホシノのためなのは間違いない。それなら、大人である自分なら、それなら頼ってくれるかも知れなかった。

 

 

 何だかんだ何が足りないのか説明しているカヤツリに一縷の望みをかけて先生は勝負に出た。

 

 

「ちゃんと理由を説明しているってことは、シロコにはまだ機会はあるんだね」

 

「……何を言ってるんです? 先生」

 

 

 不思議そうに、本当に不思議そうにカヤツリは先生に言った。まるでそれが、常識かのように。

 

 

「次の機会なんてありませんよ。一回こっきりって言ったでしょう。次がないから今、説明してるんじゃないですか」

 

「……え?」

 

 

 意味が分からなかった。別にこれが失敗しても、足りないところを浮き彫りにして次に生かす。そのために今解説しているのではないのだろうか。これではまるで、理事と同じように心を折ろうとしているようにしか見えない。

 

 

「俺の仕事に”次”なんてありませんよ。失敗したらアビドスが終わるんですから。だから、ここまでやるんです。だから一人でやるんです」

 

 

 失敗した他人の尻を拭う暇なんてないんですよ。そうカヤツリは言った。本当に今更なことを聞きますね。とも付け加えて。

 

 先生は今ここに至って、ようやく理解した。

 

 先生は勘違いしていたのだ。愚かしい勘違いをしていたのだ。

 

 住人が女子生徒ばかりだとか、銃の引き金が軽いとか。そんな違いは些細なことだった。先生という肩書に甘えていた。生徒を、子供を導けばいいなんて思っていたのだ。銃があるから簡単だとは思っていなかったけれど、そんな大したことはないんじゃないかとも、心のどこかで思っていたのだ。

 

 ここはキヴォトス。学園都市キヴォトス。

 

 ここは生徒が向こうの世界の大人と同じように政治をしている。学園は国であり領土。住人は国民。襲撃とかやスケバンとか不良とか、そんな聞き覚えのある身近な言葉に騙されていた。

 

 言い換えれば簡単だった。

 

 カヤツリは”仕事”と言うが、違う。そんな生易しいものではない。それは戦争だった。カイザーという侵略者から国を守る戦争。経済破綻したアビドスという国を一人で守っていた。カイザーから、悪い大人から自分以外の全てを。

 

 カイザーは、大人は、さっきのカヤツリの”勝負”とは比較にならない悪辣さで様々なことを仕掛けてくるのだろう。

 

 それに対応するという事は、それに対応できるということは、それと同じ視点を持つという事だ。それと同じ思考を持つということだ。つまるところ”悪い大人”にならなければいけないのだ。

 

 

 ──怪物と戦う者は、自分がその怪物とならぬよう用心せよ。何故なら、それを見ているという事は、それに見られているということに他ならないのだから。

 

 

 昔、どこかで聞いたそんな言葉を思い出す。

 

 カヤツリが、関わらせたくないのは当たり前だった。カヤツリは後輩やホシノに悪い大人になってほしくないのだ。近づいても欲しくない。

 

 対策委員は分かっていない。カヤツリの仕事が大変なものであることは理解しているだろう。でもそれがどんなものかは知らない。知らないから手伝わせてほしいなんて気軽に言えるのだ。カヤツリにとってはたまったものではない。

 

 だからカヤツリは、そんな気が起きないように、今ここで対策委員を叩きのめしているのだ。

 

 カヤツリとしてはやりたくないだろう。誰が好き好んで後輩や同級生を正論で押しつぶしたいと思うだろう。ここまで見越して理事は暴露したのだ。

 

 最悪の置き土産だった。

 

 

「……じゃあ、カヤツリは手伝わせる気はないってこと?」

 

 

 ホシノがカヤツリに対して、何かを滲ませたような声で聞く。カヤツリはホシノをじっと見た後、逆に質問してきた。

 

 

「むしろ、何で手伝いたいんだ。別に楽しくもなんともないぞ。こんなもの。あの理事は楽しいみたいだけど」

 

「だって、私だって……一緒に頑張りたいんだよ。前にも言ったよ。カヤツリも覚えてるでしょ……」

 

「……さっき言っただろう。十分だって。居てくれるだけで助かるんだよ」

 

 

 カヤツリのホシノに対する声色はとてもやさしいのに、顔は全くそうではなかった。何かを堪えているような。言いたいことを堪えているような顔だった。

 

 

「嫌だよ。私は嫌だよ。カヤツリが壊れるのを見てるだけなんて……」

 

「……壊れるっていうのはよくわからんが。そう思うなら、ホシノは自分の仕事をやってくれ。パトロールでもアルバイトでもいいじゃないか。仕事に貴賤なんかないだろう? それに借金返済への一番の仕事はそれじゃないか。俺の仕事なんか、些事だよ。些事。やってることが派手だから、大変そうに見えているだけだよ。借金返済なんていう目標には大して影響しない」

 

 

 でも、でも。と何かを言おうとしてうまく言えないホシノにカヤツリは重ねて言う。

 

 

「俺はね。ホシノ。後輩たちやホシノが、普通の学園生活をしてくれるだけで嬉しいんだよ。幾らでも頑張れる。そのために頑張ってる。だからここに俺は居る」

 

「カヤツリは? 私はカヤツリと一緒に……」

 

「俺にそんな資格も余裕もない。今はまだ。それはホシノも分かってるだろ。だから、この話はここで終わりなんだよ。それに先輩は後輩を守るものだろう?」

 

「……え? その言葉……。そんな、待ってよ。カヤツリ。資格って、まさか……」

 

 

 カヤツリの言葉を聞いて、ホシノは何かに思い至ったのか、悲痛な表情になった。先生もそれを見て焦りが生まれる。

 

 

 ──どうすればいい。このままじゃ、対策委員会が空中分解する。

 

 

 喧嘩別れになるようなことにはならないだろうが、いざという時に何が起こるか分からない。とはいえ、先生に打てる手が何もない。空気はずっと重いままだ。

 

 

「カヤツリ先輩。少しいいですか」

 

 

 そんな空気を打ち壊すような声がした。

 

 ノノミが、今まで見たことがないような、決意の籠った目でカヤツリをみつめていた。

 

 

 □

 

 

「……なんだ。十六夜後輩」

 

 

 目の前でカヤツリ先輩が私の名前を呼ぶ。壁を感じる声だった。空気もさっきの勝負の時から、張り詰めている。

 

 やっぱりと思う。一年前のあの時期と同じだ。あのホシノ先輩と喧嘩する前の時期と一緒だった。あの時ほど追い詰められた様子はない。でも決して平気ではないはずなのだ。

 

 ノノミとて、セイントネフティスの令嬢だ。それなりの教育は受けていた。帝王学というやつのことを自分は大嫌いだったが。今は後悔している。きちんとやっていたなら、さっきの先輩の勝負の真意を見抜けただろう。もしかしたら出し抜けたかもしれない。

 

 

「私が手伝います。先輩の仕事を」

 

「十六夜後輩はできないだろう?」

 

 

 ──ああ、やっぱりだ。

 

 

 思ったとおりの返答に、嬉しさと申し訳なさがこみ上げる。得意の笑顔で先輩に言う。

 

 

「シロコちゃんとは違って、向いてないとは言わないんですね」

 

 

 先輩は何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。きっと自分がこういう事を言うとは思っていなかったのだ。

 

 だってノノミは逃げてきた。このアビドス高校へ逃げてきたのだ。ネフティスからも、ハイランダーからも、生まれの責任からも。自分は何もできないくせに、しようともしなかったくせに、目の前に転がっていた分かりやすい機会に飛びついたのだ。

 

 きっと、カヤツリ先輩にはお見通しだった。だから初対面の時に、よく考えるように言われたのだ。自分はそれに甘えて、ずっと今の今まで逃げていたのだ。

 

 あの理事に言われたとおりに、私たちは頼りっぱなしだった。知ろうともしなかった。用意された楽園で微睡んでいただけだ。楽園の外で誰かが必死に戦っていたのに。

 

 カヤツリ先輩は上手く隠しているけれど、きっと限界が近いのかもしれない。

 

 だってそうだ。先輩は次はないと言った。一回ミスをすれば全てが終わる。そんな事を一人で続けてきたのだ。

 

 ホシノ先輩が、あんなに悲しそうな顔をしているのもそれに感づいていたのかもしれない。

 

 ノノミは感謝していた。いつか先生に語ったように、二人の先輩にはとても感謝しているのだ。

 

 だって二人は時間をくれた。機会をくれた。自分が求めてやまなかった普通の生活をくれた。ネフティスの令嬢という目で見ない。アビドスを崩壊させた悪徳企業の令嬢という目で見ない。周りの目を気にして自分の部屋に引きこもって、登校拒否などしなくていい。仲間と買い物に行く。後輩の面倒を見る。そんな叶わないと思っていたものを、もう十分の物をもらったのだ。

 

 だから今度は自分の番だ。今度は自分が頑張るのだ。かつて二人にしてもらったように。

 

 

「……十六夜後輩は、それがやりたくなくて、ここに来たんだろう?」

 

「さっきまではそうでした。でもそれはカヤツリ先輩もそうですよね?」

 

 

 先輩は、困ったような顔をする。それはさっき自分で言ったことだからだ。自分で言ったことを否定はできない。

 

 かつて、ネフティスで教えてもらったことを記憶の底から引っ張り出しながら、先輩を少しづつ追い詰める。

 

 

「ああ、そうだな。さっき自分で言ったことだ。それで、どうする。十六夜後輩。俺から見て、確かに、一番の候補ではあるけれど。俺の代わりができるなんて思いあがったことは言わないだろう?」

 

「はい。それはそうです。今の私じゃあ、手伝いも厳しいでしょうね」

 

「へぇ」

 

 

 少し先輩の雰囲気が変わった。少し興味が出てきたような、そんな雰囲気だった。

 

 ノノミが思うに、カヤツリ先輩はこういうのは苦手なのだろう。

 

 先輩はカイザーにいたという。だったら周りは悪意に満ちた人間ばかりだったはずだ。だから、さっきの理事のような、悪意や真意を腹の底に隠した人間相手では無法なほどに強いのだ。きっと相手の考えが手に取るように分かるのだろう。だから先回りして叩き潰せるし、先手が取れるのだ。

 

 逆に、善意で。今のノノミのように話す相手には慣れていないんじゃないだろうか。だから、さっきは勝負で煙に巻こうとしたのだ。

 

 ノノミは知っている。何だかんだ言って、カヤツリ先輩は身内にはとても甘いことを。

 

 だから、ノノミは言った。カヤツリの目をはっきり見て。

 

 

「ですから、教えてください。カヤツリ先輩。先輩が、大丈夫だと、任せてもいいと思うまで。私は大丈夫ですから」

 

「言うだけなら誰でもできるぞ。十六夜後輩。始めたらもう逃げられない。もう次の逃げ場所はないだろう?」

 

 

 先輩は念を押すように言う。

 

 先輩ですらこうなるのだ。きっとつらいのだろう。苦しいのだろう。自分が悪い大人そのものに見えることもあるのかもしれない。でも大丈夫だ。大事なものはここにあるから。

 

 

「大丈夫です。私はここを守りたい。だって私は、ここが大好きなんです。ホシノ先輩、シロコちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん、もちろんカヤツリ先輩だって。それなら頑張れます。それは先輩も一緒でしょう?」

 

 

 先輩は虚を突かれたような顔になる。

 

 そのまま、ノノミをじっと見ている。まるで誰かを探しているように。

 

 そのあと長い、長い溜息をついて、さっきとは違う声色で呟いた。

 

 

「…………ふふ。一本取られたな。俺の理由を持ち出されたんじゃ否定もできない。ホントにこういうのに弱いな。俺は。いいよ。分かった」

 

 

 先輩は諦めた様に笑って了承した。そのまま言葉を付け足す。

 

 

「ただし、カイザー関連が落ち着くなりしてからだ。流石にそれは俺でも無理だからな。それでいいか。十六夜後輩」

 

「はい。よろしくお願いしますね」

 

 

 張り詰めた空気が緩んでいった。シロコや後輩たちは、ほっとしている。それを見たノノミは嬉しくなって同じような笑顔になった。

 

 

 □

 

 

 ホシノはその場面を見ていた。

 

 さっきまでの重い空気は消え去って、行きのような明るい雰囲気に戻りつつあった。

 

 ホシノの心中は全くそうではなかった。

 

 

 ──分からない。分からない。分からない。

 

 ──どうして私はダメで、ノノミちゃんは良いの? 

 

 

 先生なら分かる。大人だから。

 

 ゲヘナの風紀委員長も癪だけど分かる。ホシノから見ても仕事ができそうだった。部下にも信頼されていた。それに三年生だ。

 

 ホシノは安心していたのだ。シロコがダメだと言われたときに。とてもいけないことだけど、安心していた。心の奥底で思っていたのだ。

 

 

 ──私でもダメなんだから、シロコちゃんもダメに決まってるよね。

 

 

 なんて酷い先輩だろう。後輩と比較して自分を安心させるだなんて。でもこうでもしないと、ホシノは崩れてしまいそうだった。

 

 

 ──あのまま終わればよかったのに。

 

 

 ノノミが手伝う事が決まってしまった。なら、もう席はない。あの後、カヤツリを呼び出して、資格とは何かを聞き出して、黒服から聞いたことを問い詰めるつもりだったのに。強引にでも、手伝いを認めてもらうつもりだった。カヤツリと一緒に頑張りたかった。

 

 本当にもう、自分ができることは残っていない。黒服が言ったことしか残っていない。

 

 カヤツリは居てくれるだけで良いというけれど。確かにそうなのかもしれないけど。それでは昔と変わらない。ただ言われるがままに、衝動のままに、ユメ先輩にくっついていたあの頃と。

 

 このままでは、カヤツリはユメ先輩のようにいなくなってしまうだろう。それは嫌だった。それを認めるわけにはいかなかった。

 

 だから、だから、もう自分ができる。ただ一つの事をやるしかないのだ。

 

 そう思っているせいか、全く笑えない。さっきから暗い表情しか作れない。

 

 そんなホシノを先生がじっと見つめていた。

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