ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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71話 あの日あったこと

 ノノミの宣言により、カヤツリの仕事問題は一応の解決をみせた。

 

 対策委員会と先生がアビドス校舎に戻る頃には、もう日が落ちかけていた。これからどうするか、カイザーはどう動くのか。話したいことは山ほどあったが、時間が時間という事で、対策会議は明日への持ち越しとなった。

 

 先生は暗い校舎を歩く。向かう先は誰もいないはずの対策委員会の部室。シロコの言う事が本当ならそこには人がいるはずだった。

 

 

「ん。来た」

 

「何だ、シロコちゃん。来るのは先生なの? それならそうと言ってよ。おじさん緊張しちゃったじゃん」

 

 

 部室に居るのはシロコとホシノだった。シロコは、真剣な表情でホシノに問いかける。

 

 

「ん。先生に交代。先生でもダメなら、カヤツリ先輩を呼ぶしかなくなる」

 

「……それは勘弁してほしいなぁ。分かったよ。朝の件でしょ。明日話すから。シロコちゃんも何回も同じ話を聞くのは嫌だよね」

 

 

 ホシノは困ったような表情で笑うばかりだった。シロコはそれを見て少し寂しそうな顔をするが、ホシノの”明日話す”という言葉を信じたのか、教室を出て行った。

 

 ホシノはシロコを見送ったのちに先生に向き直る。

 

 

「それで、先生はまだ用がある感じ?」

 

「うん。大事な用があるんだ」

 

「うへ~。おじさん、もてもてだ~。で、どんな用なの? いくらモテモテのおじさんでも告白は受け付けてないんだけど」

 

 

 帰りの車内の時から持ち直したのか、ホシノはいつものような雰囲気とおじさん呼びに戻っていた。そんなホシノに先生は一枚の紙を差し出した。

 

 その紙を見たホシノは、さっきとは打って変わって真剣な表情になる。

 

 それも当然だろう。その紙は退学届けだからだ。まだ何も書いていない空白の紙とはいえ、それを書く予定がなければカバンになど入っていない。

 

 

「……はぁ、そういうことか。シロコちゃんだね。まさか先輩のカバンを漁るなんて……。後でお説教かな。これは」

 

 

 そう。ホシノの言う通り、これはシロコが先生に渡してきたものだ。カイザーの基地から帰ってきた後に、シロコは先生を呼び出して、これを渡してきた。

 

 

「うーん。……見逃してくれる気はないよねぇ」

 

 

 ホシノは困ったような顔で言う。先生もその気はなかった。

 

 白紙だから、その気はないのかもしれないが、ここ数日は色々あったから。先生はホシノの考えを聞きたかった。

 

 

「……面と向かって言うのは恥ずかしいし、ちょっと歩こうか、先生」

 

 

 ホシノは外の廊下を指さした。外はもう日が落ちて真っ暗だった。ホシノと一緒に誰もいない廊下を歩く。

 

 ポツリとホシノが呟く。

 

 

「……ここ数日は色々あったねぇ。先生。銀行強盗に風紀委員会との戦闘。カイザーにカヤツリの隠し事。もう目が回りそうだよ」

 

「……そうだね。今までそんなことは無かったのかい」

 

「え? ……ああ、昔にあったよ。まだ、三人だけだった時だね。あの時は大変だったよ。でもまあ、今回は先生のおかげかもしれないねぇ」

 

 

 ホシノの言葉に先生は居た堪れなくなった。

 

 決してそんなことはないのだ。確かにホシノの言う通りに、自分が介入したからこうなったかもしれない。確かに全力だったけれど、全身全霊でやっていただろうか。今になって思えば、もっとやりようはあったんじゃないかと思うのだ。

 

 最初アビドスに来た時、相手はヘルメット団だった。同じような集団の事は知っていた。初めてキヴォトスに来た時に苦労したからだ。

 

 対策委員会は優秀だった。先生の指揮と補給で、アッという間に片付いてしまった。その後のセリカの誘拐も、便利屋の襲撃も、銀行強盗も風紀委員会との戦いも、簡単とはいかなかったけれど、同じように終わった。

 

 うまくいきすぎていた。それに相手は敵意はあっても悪意はなかった。手段も直接的である意味素直だったのだ。

 

 先生は無意識に気を抜いていたのだ。ここはキヴォトスで、前いた場所とは違う。それなのに、前いたところの常識が抜けきっていなかった。アビドスには後がないことは分かっていたのに、カヤツリにも色々話してもらっていたのに。

 

 無意識に次があると思っていた。自分が居るのだから、ある程度はフォローができると。

 

 だから先生は、大人の、本当の悪意というモノを、カイザーの基地で初めて目の当たりにした時に何もできなかった。

 

 自分は何も知らなかった。表面上しか知らなかった。そこまでの体力はアビドスに残っていなかったことや、カイザーが本気でアビドスを潰そうとしていることを知らなかった。知ろうともしなかった。

 

 カヤツリが教えなかったというのは言い訳だ。だって、知ろうと思えばいくらでも知れたはずなのだ。先生にはシッテムの箱がある。アロナもいる。情報はいつも手の届くところにあった。そうすれば、カイザー理事が暴露する前に何とかなったかもしれない。

 

 カヤツリは本気だった。他の対策委員だって、きっとそうなのだ。だから、先生だけのおかげではないのだ。

 

 

「ホシノたちも頑張っていただろう? 私は少しだけ手伝っただけだよ」

 

「……でもね。先生。ここまでやってくれた大人は先生だけだよ。先生の言う通りかもしれないけど、感謝してる。だから、ノノミちゃんやセリカちゃん達も、きっとそう思ってるんだよ」

 

 

 逆にホシノに励まされるような形になって、先生は情けなさが増してきた。けれど、大人の意地で切り替える。過去は変えられないから、次に後悔しないようにするしかないのだ。今のそれは、ホシノの言い分を聞くことだった。

 

 

「正直に話すね。先生。風紀委員会と一悶着あった日があったでしょ。あの日私は昼寝をするって言ったけど、呼び出されてたんだ」

 

「え? 誰にだい?」

 

 

 対策委員会のメンバーではない。それなら、シロコがカバンを漁ったり、今朝にホシノに詰め寄らないはずだからだ。ホシノは少し自嘲しながら口を開く。

 

 

「カイザーコーポレーション」

 

 

 ホシノの答えに先生は混乱した。あの理事の発言と矛盾するからだ。ホシノへの、あの言い方は、久しぶりに会ったような感じだった。

 

 よく分かっていなさそうな先生を見て、ホシノは情報を追加した。

 

 

「ああ、ごめんね。先生。あの理事じゃなくて、別の大人だよ。黒服って呼ばれてるね。理事もあの男とか、奴とか言っていたでしょう?」

 

「どういう理由で呼び出されていたんだい? まさか借金関係で?」

 

「ちょっと違うかな。私がここに入学した時からずっとだよ。時々呼び出されるの。紙はその時に押し付けられたんだよ。ここ数日色々あったから、捨てる機会がなくてさ」

 

 

 ホシノの言い分は分かった。辻褄は合うが、退学届けが必要になる提案とは何なのだろう。

 

 先生の視線を受けて、ホシノはさらっと言った。

 

 

「私をスカウトしたいんだって、私がアビドスを辞めて、向こうに所属すれば、アビドスの借金を全額返す。そういう提案」

 

「ホシノ。分かってると思うけど……」

 

「大丈夫だよ。先生。受ける気はないし、カヤツリも言ってたもんね。私がいるから攻めてこれないって。それに耐えていれば勝てるかもしれないんでしょ?」

 

 

 ホシノの答えに先生は安心する。ホシノもそれは分かっていたようだった。今だけは、あの理事に感謝しても良いかもしれない。あの理事の暴露がなければ、カヤツリは、ああ言わなかっただろうから。

 

 納得したような先生の顔を見てホシノは安心したようだった。

 

 

「うん。先生も納得してくれたみたいだし、私もそろそろ帰ろうかな。今日は色々あったし、明日からは大変だからね」

 

 

 にへらと、いつものように笑って、ホシノは部室の方へ引き返す。

 

 ただその時の顔が、ホシノの顔が妙に気になって、どこかいつもと違うような気がして、先生は一声かけた。

 

 

「カヤツリは知ってるの?」

 

 

 ピタリとホシノの動きが止まる。そして顔を向けずに、同じようなことを言うのだ。

 

 

「また明日話すよ。カヤツリにはね」

 

「そう。ホシノ。また明日」

 

 

 続けて放った先生の声にホシノは答えずに、後ろ手に手を振り返すだけだった。

 

 とても嫌な予感がする。ホシノの後姿を見た先生は、それがいつまでも拭えなかった。

 

 だから、先生はできることをやることにした。もう先生は本気だった。

 

 先生はシッテムの箱の電源を入れる。嬉しそうに顔を出したアロナに向かって先生は口を開いた。

 

 

「アロナ。頼みたいことがあるんだ」

 

 

 □

 

 

 真夜中のアビドス校舎。その中をホシノは一人で歩いていた。自分の足音が廊下に反響して喧しいが、誰もいないのだから気にする必要はない。

 

 いつものように対策委員会の部室の鍵を開けて、手に持った紙──記入が終わった退部届と、対策委員会と先生への手紙を置いた。

 

 

「あとは……カヤツリの分だけか」

 

 

 そう、ホシノは呟いて、残りの手紙を手にカヤツリの空き教室へと向かう。部室から空き教室まで少し歩く。その間に、ホシノは黒服に呼び出された時の事を思い出していた。

 

 

 □

 

 

「小鳥遊ホシノさん。貴方に新たな提案を持ってきました。きっと気に入ると思いますよ」

 

 

 あの話し合いは黒服のそんな一言から始まった。ホシノはいつものように断るつもりでいた。

 

 どうせ次には条件の提示が始まると思って、ホシノは適当に聞き流して、帰る気満々だった。けれどあの日は違った。

 

 

「ああ、そういえば。彼は元気ですか? しばらく直接会っていないので、気になりましてね」

 

「なんで、カヤツリの事を教えなきゃいけないの。カヤツリとの契約は終わったんでしょ。じゃあもう関係ないよね」

 

「クックックッ。随分辛辣ですね。短気は損気ともいうでしょうに。いや、彼は大丈夫かなと。そう思いましてね」

 

 

 今ので、ホシノは帰れなくなった。黒服は最初からそのつもりだったのだろうが。

 

 

「お前! カヤツリに手を出したの! カヤツリはもう関係ないでしょ!」

 

 

 怒りのままに銃を突きつけたホシノに、黒服は怯えもせず相変わらずの表情で言う。

 

 

「ええ。関係はありませんが、大分苦労しているようなので。この前も電話で話しましたが、このままだと保たないでしょうね」

 

「……話して。聞くから」

 

「おや、興味がおありで? 先ほどとは食いつきが違うようで何よりですね」

 

 

 そう言って、黒服は説明を始めた。とっても嬉しそうに話すものだから、ホシノはイラつきが収まらなかった。渋々銃を下ろす。

 

 

「このままだとカヤツリ君は帰ってこなくなりますよ」

 

「何それ、どういう事」

 

 

 ホシノは淡々と聞き返す。

 

 帰ってこない?そんなことはありえない。だって約束してくれた。もうそんな言葉に騙されない。

 

 けれども、黒服はホシノの知らないことを言い放つ。

 

 

「……そうですね。分かりやすく言い直しましょうか。彼の中にもう一人いるのは知っていますか?」

 

 

 ホシノは黒服の質問に答えられなかった。そんな場面など見たことがないし、カヤツリもそんなことを言っていないからだ。

 

 ホシノの様子を見て満足そうに黒服は頷いている。黒服だけが分かっているのが嫌で、ホシノは黒服を問い詰める。

 

 

「出鱈目言わないで、そんなわけ──」

 

「私は嘘は言いませんよ。それはホシノさんもご存じのはずです。それに彼と一番長くいたのは私ですから、彼の事は良く知っています。もちろん貴方よりもね」

 

 

 それは本当の事だろう。何時からの付き合いなのかは知らないが、黒服は嘘をつかない。それだけは信じてもいい。でも言っている意味が分からない。カヤツリの中にもう一人いると言われても、そんな気配はないからだ。

 

 

「ええ、そうでしょう。今の段階でホシノさんにも分かるような兆候があるなら手遅れでしたから。まだ余裕はあるという事です。よかったですね。ホシノさん」

 

 

 嬉しいでしょう? とそんな風に言いたげな様子でいる黒服に苛立ちまぎれに続きを促す。嫌な予感が止まらない。

 

 

「……それで、何が言いたいのさ。カヤツリの身体がどうなってるの」

 

「そうですね。彼は限界なんですよ。身体や精神面もそうですが、テクスチャの方がね」

 

「テクスチャ?」

 

 

 黒服の話は分かりにくい、専門用語が多すぎる。その専門用語の解説も分かりにくいときているから、ホシノは黒服の話を理解するのは苦手だった。

 

 

「ふむ。着ぐるみのようなものですよ。カヤツリ君が、このキヴォトスでカヤツリ君でいるために必要な物。それがテクスチャです。貴方たちとは違って、彼のそれは元々が丈夫な方ではありません。成り立ちが成り立ちですから。最近はテュポーンという継ぎ当てを当てましたが、まあ時間稼ぎにしかならないでしょう」

 

 黒服の話ではそのテクスチャとやらが限界という事らしい。それが破れるとどうなるのだろうか。嫌な予感しかしない。

 

 黒服はそんなホシノに頷く。大問題ですよと。

 

 

「テクスチャの中身はカヤツリ君であって、カヤツリ君ではありません。場合によっては貴方を殺そうとするでしょう。それに前に一度破れかけていますから、後二・三回が限界でしょうね」

 

「は? 殺そうとって……」

 

 

 黒服の発言をホシノは信じたくなかった。カヤツリが自分を殺そうとするなど信じられないからだ。黒服は動揺するホシノを見て笑いながら言った。

 

 

「貴方たちの関係は知っていますよ。実に微笑ましい。けれど、そんなことは関係ないですからね。むしろよく我慢している方でしょう」

 

「……我慢って何。誰が何を我慢しているっていうの」

 

 

 黒服はその我慢している者の名前を頑なに言わなかった。黒服はホシノを見て本当に愉快そうに言うのだ。

 

 

「……ホシノさん。貴方は唯一の正式なアビドス生徒会役員でしょう? 貴方にしかできないことはありますよ。例えばそうですね。生徒会長は? アビドスの玉座はどうするのです? まだ空けたままですか?」

 

「それは関係ないでしょ……」

 

 

 ホシノは上手く返事を返せない。黒服は口に相当するであろう亀裂を耳まで裂いて言った。

 

 

「私にはね。けれどカヤツリ君にとってはそうではない。セトは不満なんですよ。次の後継はセトかホルス。それなのに、資格があるホルスは座る気はなく、指名されなかったセトはその資格がない。誰かが仕事をしないせいで、アビドスは荒れ放題ときている。大事な身体もぼろぼろとくれば、大いに不満でしょうね」

 

「セト?」

 

 

 ホルスは知っている。黒服がたまに自分の事をそう呼ぶからだ。暁のホルスと。けれどセトは初めて聞いた。初めて聞く響きのはずなのに、どこか聞き覚えがある名前だった。

 

 

「カヤツリ君の前の名ですよ。黄昏のセト。貴方とは反対です。……おや、名前を聞いても怒ってはいないようですね。いいことです」

 

「何が言いたいの」

 

「セトとホルスは敵対するものですから。いつか貴方が至るであろう太陽の神性の習合である大ホルスならまだしも、今の貴方は未熟な小ホルス。そんな貴方に対して、調伏すらされていないセトが言うことを聞くはずもありません。無意識でしょうが、彼は良く抑えていると思いますよ。彼に文句を言われた事なんてないでしょう?」

 

 

 ホシノは黒服が言っていることの半分も分からなかった。分かるのはただ、そのセトというのが、自分に対して悪感情を持っていることだけだ。

 

 そんなことを言われても困る。玉座とか後継とか資格なんて言われても分からない。

 

 固まっているホシノに気がついた黒服は、急に口をつぐむ。我に返ったのかもしれない。

 

 そして変なことを聞いてきた。

 

 

「……話がそれましたね。貴方とカヤツリ君が初めて会った時に貴方、怒ったでしょう? それも尋常ではない怒り方をしたはずです。それに彼は最近怒りっぽいのでは? 違いますか」

 

 

 違わない。でもあれはユメ先輩のせいのはずだ。そのはずだ。だって今はそんなことはない。むしろ反対の気分になる。それにカヤツリの機嫌が悪いのだって、最近のヘルメット団や便利屋の事のはずなのだ。

 

 

「ええ、その時とは違って、まだ今は安定しているということでしょう。テクスチャが安定しているなら、中身の因縁の影響もさほどではない。けれど、それが剥がれれば話は別です。中身は神秘か恐怖か、どちらの面が強いか分かりませんが、きっと貴方と彼は敵対する。その証拠にほら、見てください」

 

 

 黒服がホシノの後ろを指差した。振り向けば、モニターが用意されている。そこには、見覚えのない部隊がアビドス市街であろう場所に展開していた。

 

 

「何でゲヘナが!?」

 

「これは少し前の状況ですが、ゲヘナ風紀委員会が不良生徒を追ってきたようですね」

 

 

 じゃあ、こんなところで油を売っている暇は無い。そう思って、駆け出そうとするホシノを黒服は呼び止める。

 

 

「今から行ったところで間に合いませんよ。着いた頃には終わっているでしょうから」

 

「ふざけないで。きっと皆や先生が駆けつけるはず。間に合わないなんて、そんなことは……」

 

 

 黒服はホシノの意見を気にもしない。それどころか、否定までしてきた。

 

 

「いえ、逆ですよ。バアルのいない風紀委員会の方が保ちません。見せたい場面までもう少しだけお付き合いください。ああ、出てきましたよ」

 

 

 ホシノは今すぐに駆けつけたい気持ちを押さえて画面を見る。ドローンからの空中映像だ。よく見れば、風紀委員会に対して、誰かが一人で立っている。

 

 ホシノにはすぐに分かった。カヤツリだ。あの姿はカヤツリだ。そのはずなのに。どこか違和感が付き纏う。それはすぐに分かった。

 

 

 ──あれは誰なのだろう。

 

 

 いつもと戦い方が違う。あの戦い方は止めるように言ったはずだ。

 

 混乱するホシノを余所に画面の中のカヤツリが、こちらを向いた。銃まで向けている。

 

 

 ──違う。あれは誰だ。カヤツリじゃない。

 

 

 画面越しでも殺気が分かる。あれはまるで、初めて会った時の殺気だ。

 

 そのまま、カヤツリは拳銃を発砲する。今ので、撮影していたドローンか何かが壊れたのか映像は途切れた。

 

 

「あれがセトです。カヤツリ君の中に潜むモノ。今回は自衛とアビドスに対する外敵の撃退のためだけに出てきたのでしょう。強い権能を使わないところ見ると、かなり気を使っていますね」

 

 

 ──これならまだ彼も保つでしょう。

 

 

 そんな黒服の言葉にホシノは勢いよく振り返った。ホシノがやっと事態を飲み込んだ事を察した黒服が言う。

 

 

「帰って来ないとは、こういう事です。テクスチャが完全に破れれば、そこにいるのはセトであってカヤツリ君ではない。このままではセトは貴方を見限り、彼の意志を無視して勝手に行動を始めるでしょう。今度は手加減などしないでしょうね。権能を全開にして、アビドスに蔓延る問題を排除するでしょう。そうすれば彼に待っているのは存在の消失です」

 

「それを私に言って、どうしろって言うの。私に何をさせたいの……」

 

 

 ホシノの答えを受けて、黒服は笑ったように見えた。

 

 

「ホシノさん。貴方には私どもの企業に所属していただきたい。もちろんアビドス高校は退学してもらいますが。見返りとして、アビドス高校の借金を全額。私が賄いましょう」

 

 

 黒服の言葉をホシノは笑い飛ばした。結局はそれか。お話にもならない。

 

 

「その提案は前と同じだよね。そんなもので私が首を縦に振るとでも思っているの──」

 

「話は最後まで聞くものですよ。ホシノさん。これまではただの前置きですから、貴方にはまず、カヤツリ君の現状を知ってもらう必要がありました。次は原因と今後の話です」

 

 

 ホシノの気分は最悪だった。ただでさえカヤツリが限界だという話を聞いたばかりなのに、また碌でもない事を聞かされるのが分かったからだ。

 

 

「彼がこうなった原因ですが、肩書と貴方への信用の問題です。彼が仕事をしているのは構いませんが、他学園との交渉など、あれは生徒会長の仕事でしょう。だからセトは怒っているんですよ。王になれないのに、王の仕事をさせられている。王の肩書があればもっと楽なのに、そうはなれない。権利がある者はずっと寝ている。理由はさもありなんと言ったところでしょうか」

 

「……カヤツリが、生徒会長になればいいってこと?」

 

 

 何とか理解できたのはこれだけだ。黒服は肯定はしたが、最善ではないという。

 

 

「その資格は彼にはありませんし、彼もその気はないでしょう。その資格は貴方にしかない。しかし、貴方が生徒会長になったところで何ができますか? 貴方は何も知らないでしょう? 梔子ユメが何をやっていたのかもね。結局は彼が仕事をするのは変わりません。それでは何も解決しない」

 

「……カヤツリが仕事を教えてくれないとでも──」

 

「教えませんよ。カヤツリ君は他の者には教えるでしょうが、ホシノさん。貴方だけには、自分の仕事を、自分がやっていた事を絶対に教えないでしょう。ククッ。愛されていますねぇ」

 

 

 ホシノの反論は速攻で潰された。黒服はやけに自信があるような顔で言ったのだ。

 

 その後はもう流れだった。黒服は条件の残りを提示してきた。

 

 

「貴方の生徒としての権利を一時頂きます。その代わり、私が彼の代わりに教えましょう。彼が私に教わったことをね。それなら仕事にも困らないでしょうし、彼と一緒に動けるでしょう。もちろん、貴方を雑な扱いはしませんし、あの校舎に貴方の後輩やカヤツリ君も通えるように手配します。ご一考の程をお願いしますよ。ホシノさん」

 

 

 □

 

 

 とうとう、カヤツリの空き教室の前についてしまった。もう扉を開けて、手紙を置くだけだ。そうすれば、もうここには戻ってこられない。

 

 あの後、契約書を見せる黒服に対して、ホシノは答えを保留にして、風紀委員会との戦場に駆け付けた。

 

 あの時までは、カヤツリはきっと、自分に話してくれると思っていた。そう思っていたのだ。大事に思ってくれているのだから、好かれているのだから。そういった自信がまだあった。

 

 結局は黒服の言う通りだった。自分には絶対に教えてくれないのだ。風紀委員長にも先生にもノノミちゃんにも言ったのに。

 

 もう自分は良いのだ。あの理事に言われた通り、そう思われても仕方がない。けれどカヤツリだけは何とかして見せる。

 

 だから、黒服の提案に乗ることにしたのだ。

 

 借金が全額返済できれば、カヤツリがあんなに頑張らなくてよくなる。黒服が言うには、それで多少は安定するようだし、後輩たちも楽になるだろう。黒服に仕事を教えてもらえれば、カヤツリを手伝える。懸念点はいつ戻れるか分からない事と、何をさせられるか分からない所だが。カヤツリの身の安全や後輩たちの未来には変えられない。後輩たちにも、ずっと耐久戦なんてさせなくて済む。それにやっと、ユメ先輩の言う事を守れた。ユメ先輩の守りたかったアビドスを守れる。いいことづくめだ。そのはずなのに。

 

 

 ──なのにどうして、涙が止まらないんだろう。

 

 

 分かっている。自分が短慮に走ろうとしていることくらい。でもどうすれば良いか分からないのだ。もう誰も教えてはくれないのだ。でも一年の時のように何もできないでいるのは嫌なのだ。自分が何もしないせいで、しなかったせいで、また大切な何かを失うのは耐えられない。

 

 決意を込めて、扉を開ける。部屋は暗くて何も見えない。電気をつけようと壁を確認しようとした時、月が出て月明かりが教室を照らした。

 

 

「……待ってたぞ。ホシノ」

 

 

 月明かりの中、カヤツリが立っていた。

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