アレーヌ市街戦   作:曽結

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第十二話

 協議の議場として、アレーヌ大学の植物園の近くにある哲学棟を帝国軍が指定した。

 アレーヌ大学は共和国軍制圧下の街区と帝国軍が制圧した街区の中間に位置しているというのが、協議の場所として選ばれた実際的な理由であった。大学という空間が他の干渉を受け付けない空間であるという通念も選定には多少影響した。

 哲学棟を選んだのはその構造の単純さ、建築の小ささが大きな理由だった。

 ターニャ・デグレチャフ少佐は車の後部座席に座り、植物園に沿った道を通って哲学棟へ向かう途中で、植物園の奥に見える建築に気がついた。ターニャは非軍事的な建築について特に造詣が深いわけではなく、むしろほとんど興味がないといった性格だが、そんな彼女でも奥に見える建築には美しいという感想を抱き、ひと言呟いた。

 

 「見事なものだな。」

 

 イルドア風のネオルネサンス様式を採用したその建築は四十年前、つまり帝国統治下で作られたものだった。帝国はアレーヌを獲得して以来、征服地を帝国化するために様々な方策を立てた。ターニャが見た「宮殿」と呼ばれる建築もその政策の一環だった。

 アレーヌにおける教育を帝国語化するだけではなく、アレーヌ大学では帝国による建築、改築が多く行われた。「宮殿」はその目玉ともいえるものだった。帝国の新進気鋭の建築家がイルドアの古典建築を基調に帝国独自の要素を加え、ファサードには帝国の偉大な学者たちの彫像を並べたその建築は、帝国人には非常に評判が良かった。

 しかし、アレーヌ市民には評判が悪かった。アレーヌ的要素がほとんど含まれていないというのが不評の主な原因だった。この非アレーヌ性は「宮殿」に限った話ではなく、帝国によるアレーヌ統治政策全般に見られることであり、それが共和国派を増加させる一因でもあった。

 そもそもアレーヌという都市は中世においては神聖帝国内の自由都市としてのアイデンティティが強く、帝国に近しい地域であるという意識はほとんど存在しなかった。そしていわゆる「太陽王」の時代にアレーヌはフランソワ領となり、「大革命」の時代にいたってようやく共和国市民としての国民意識の萌芽が見られるようになる。

 だが帝国建国の前年に至っても、もしアレーヌの住民に彼らが何者であるかと聞けば、多くの者が「自分はアレーヌ市民である」と返しただろう。「共和国市民」ではない。彼らの独自の意識はそれほどのものだった。共和国からの分離と帝国の統治への不満が「共和国市民」としての意識を強くさせたのは皮肉である。

 ターニャは士官学校や軍大学で「占領地における統治」という単元において、アレーヌの例―ここからも帝国がアレーヌをどのような地域と考えているかが垣間見える―を学んだことがあった。

 だからターニャは、「宮殿」はその象徴性が強烈すぎるゆえに民兵を刺激しかねないという理由で議場の候補から外した。

 命令が「アレーヌの早期の鎮圧」である以上、捕虜が死ぬのはありうることとして考えていたが、協議を通して捕虜が死なずに済むならばそれが次善なのだから。

 しかし時間に追われていることには変わりない。早期の鎮圧に失敗すれば自分の評価がダダ下がりになる。それだけは避けなければ。となると迅速に協議と移送を完了させることに全力を尽くすべきであろう。

 ターニャはそんな事を考えながら「宮殿」を眺めていた。

 

 「どうせならよく見ておきたかったが。」

 

 ターニャはそう呟いた。今後すぐに無くなってしまいかねないのだから、という言葉は飲み込んだ。

 

 「戦争が終わったらまた来ればいいではないですか。」

 

 そんなターニャの心の内は知らず、ジラール大尉はターニャの隣でゆったりと座りながら流暢な帝国語でそう言い、言葉を続けた。

 

 「少佐殿はまだお若い。これから多くのことができるはずですよ。」

 

 そう言い終えると、ジラールはターニャに向かって微かな笑みを浮かべた。

 ターニャは軍人としてのこと以外で自分の未来について期待されるというのは随分久しぶりである気がして、予想外のあまり一瞬呆気にとられた。そしてこの奇妙な男に初めて会った―とターニャは認識している―数十分前のことをターニャは思い出した。

 

 

 

 

 

 

 数十分前、ターニャたちはライン川にかかるアレーヌ大橋―この大橋も帝国がアレーヌを併合した際に建築された―の東側で共和国軍の車が来るのを待ちながら、あることについて肝を冷やしていた。それは、二百三大隊の士官の事情がかなり切迫していたということについてであった。

 交渉の代表であるターニャとその補佐のケーニッヒ中尉については大きな問題はないのだが、問題は記録係の書記であった。

まず前提として、アレーヌを早期に鎮圧しなければ前線への補給が致命的に滞ることになる。ゆえに専門の要員が来るのを待っている時間はないため、この部隊の人員の中で交渉の問題を解決する必要がある。

 交渉要員としての任を果しえたヴァイス中尉とノイマン中尉ら中隊長たちはともに負傷しており、交渉に赴けるような状態ではない。特に後者は建築物の柱を引っこ抜いたらその建物が崩れてきて負傷したという自滅のような経緯であり、文句も言いたくなるものだが今言っても仕方がない。

 他の士官たちはどうかと言えば、そもそも促成教育組の少尉たちはフランソワ語を最低限しか仕込まれていないので論外。促成教育組の中では例外的にグランツ少尉は名家の出身であるのでフランソワ語も十分以上にできるのだが、先ほどの戦闘で利き腕を負傷したので書記はそもそも不可能だ。その他の士官についても東部軍出身者が多いゆえにフランソワ語を必要な水準で扱えるとは言い難かった。

 だから書記としての必要条件を満たしているのは今現在この部隊においてセレブリャコーフ少尉ただ一人だったのだ。セレブリャコーフ少尉はフランソワ語の要求される水準を満たし、事務処理能力についてもターニャにとってこれ以上の副官はいないとターニャが自慢できるほどである。彼女がいなかったならばターニャたちは協議の場で非常に不便な状況に置かれざるをえなかっただろう。

 アレーヌに浸透してきた共和国軍が精鋭であることは確信していたが、それでも自分の部隊がここまで損耗し、士官級の人材が切迫するのはターニャにとっては少々予想外であった。

 

「少佐殿、来ました。」

「ああ、時間通りか。」

 

 諸々考えているうちに、橋の向こう側から車が二台接近してくるのが見えてきた。車の台数も時間も共和国軍が事前に連絡した通りであった。車は橋の真ん中で止まり、共和国軍兵士が二人車から降りた。彼らは車のそばで待つ様子だったので、ターニャたちも車が止まった位置へ歩き出した。

 ターニャたちは近づくにつれて車の見た目がはっきりとわかるようになった。ターニャがそれを見た最初の印象は、兵士の移動には向いてなさそうな作りだ、民間の車両だな、というものだった。次に、前の世界の1920年代の車も大体こんな見た目であったかな、となんとなく思った。しかしケーニッヒ中尉は違った感想を抱いたようだった。

 

 「デザインが多少時代遅れですな。」

 

 歩を進めていくと、ターニャたちは車のそばに立っている二人の顔がよく見える距離まで近づいた。どちらもヘルメットを脱いでいたので顔を見ることができた。

 一人は肩にかかる長さの赤毛をリボンでポニーテイルにまとめてあり、ターニャは体格や顔を見ても最初彼が男か女かわからなかった。もう一人はオールバックの金髪で、赤毛よりも幾分か背の高い男だった。

 そしてまた距離を詰めていくと、赤毛の階級章は准士官待遇の下士官のものであり、それよりやや背が高い金髪の男の階級章は大尉のものであることが分かった。

 距離を詰めていく途中から二人の視線が自分に注がれていることにターニャは気付いた。赤毛の方は、ターニャが子供であるということへの驚愕といった視線だったが、金髪の方の視線は驚愕でも憎悪でも好奇でも好意でもなかった。何かしらの感情がそこにはあったのだが、ターニャはその視線の意味を図りかねた。その意味にたどり着く前に、ターニャたちはその二人と会話ができる距離に到達した。

 金髪の男が進み出て先に敬礼し、帝国語で姓名を述べ、ターニャは共和国語でそれに答礼した。

 

 「共和国軍魔導第三百五十三連隊第二大隊のジルベール・ジラール大尉であります。」

 「帝国軍第二百三魔導大隊のターニャ・フォン・デグレチャフ少佐だ。」

 

 そしてそれに続いてお互いの随行を紹介した。ターニャたちはそこで赤毛の方―アンリ・ブリュネが男であると分かった。その後ターニャにはジラールが、ケーニッヒ中尉とセレブリャコーフ少尉にはブリュネが護衛としてつくことをジラールから説明された。

 

 「この車はどこで?」

 「市民から買い上げました。ご安心を、軍票での買い上げではありません。」

 

 ターニャの質問にジラールはそう返した。その返答の後に運転手の兵士が車両のドアを開け、ターニャたちはそれぞれ車に乗り込んで出発した。

 そして哲学棟に到着するまで、二台の車両はつつがなく走行した。ターニャとジラールの間の会話は、ターニャが「宮殿」を発見したときのことを除けば、全てが事務的な内容についてであった。共和国側は部隊の司令官とジラール大尉が代表と補佐として出るということをターニャはそこで知った。

 哲学棟は大通りから一本外れた道と植物園の間に建てられていた。哲学棟前の門に到着すると一行は早々に車から降りて哲学棟のある敷地に踏み入り、アンリとジラールの先導で協議の場所まで歩いて行った。

 哲学棟は併合以前の建築物であるが、飛びぬけて素晴らしい特徴があるというわけでもない、アパルトマン一棟分程度の大きさのありふれた建築だった。ターニャたちは入ってすぐ右手にある階段を上って二階に上がり、協議の場となる教室に入った。

 教室に入るとターニャたちを大男が立って待ち構えていた。ターニャはその男に見覚えがあった。先ほどの戦闘でターニャが仕留め損ねた、共和国部隊の指揮官であった。その男は困惑と敵意が入り混じった視線を一瞬ターニャに向けた。しかしその感情の発露は露骨なものではなく、注意深く観察すればほんの僅かに読み取れるかもしれないといった程度だった。

 

 「第二百三魔導大隊のターニャ・フォン・デグレチャフ少佐です。」

 「魔導第三百五十三連隊第二大隊のセヴラン・ビアント中佐だ。」

 

 

 教室には窓と平行な向きで長机が二つ置かれており、窓側に共和国軍が、廊下側に帝国軍が座った。

 帝国側代表はターニャ・フォン・デグレチャフ少佐とヴィリバルト・ケーニッヒ中尉、書記はヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ少尉であった。

 共和国側代表はセヴラン・ビアント中佐とジルベール・ジラール大尉、書記はフィリップ・アントワーヌ・ド・ラペイレール中尉であった。

 「無関係の一般市民」の解放と移送についての交渉は基本的に共和国語で、時々帝国語が入り混じって行われ、記録は共和国語で成された。

 




次回更新は22日の予定です。
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