空の色がわずかに赤を残して黒に染まった頃、捕虜の移送が完了したことを帝国軍と共和国軍の両者が確認した。静けさが増したことで、ライン戦線の方角から聞こえる遠雷のような音が昼間よりも少しはっきりとするようになった。
その音が聞こえてくるだけではなく、地表から発した強烈な光が夜空の下で見えるようになった。その光は、過去にロジェが経験した大攻勢のときよりも高い頻度で現れ続けていた。
ロジェはそのことを大聖堂の上空から確認すると下唇の左端を軽く噛んだ後、焦燥と安堵が入り混じった息を吐いた。どうやらラインの方も頑張ってくれているらしいが、まだまだ音が遠い。しかし、自分たちはアレーヌを抑えるだけの捨て駒ではない、ということをそれなり実感できたのは良かった。
大聖堂に着陸すると、そこでロジェは唐突な悪寒を感じた。ロジェはこの悪寒が何から来たものであろうかと思案した。戦場で感じる敵意とは違ったように感じた。それによしんば敵意であったとしても、停戦時間はまだ一時間以上あるから帝国軍は攻撃してこないだろう。ロジェは帝国のことを一般的な共和国市民が嫌うのと同程度に嫌っているが、帝国人が馬鹿でないことは知っている。
どちらかといえば何か恐怖を感じたときのような震えだった、という感想が心中に浮かぶと同時に、ロジェはそれを否定したい気持ちに駆られた。
なぜ恐怖を感じることがあろうか。戦友の死か?いや、戦場で仲間が死ぬのは珍しいことではないし、そんなことは何度も経験しているし、喜ばしくはないが、これからも体験することになるだろう。そんなことに衝撃をうけるほど細やかな感性は今となっては持っていない。悪魔どもが怖いのか?いや、むしろ今日の戦闘を経たことで奴らとて人間であるし、出血もするという当然のことを確認できた。不死身の怪物ではないのだ。
ロジェはそこで考えるのをやめた。答えの見当もつかないものに頭を使うのが疲れるというのもあったし、否定しようとすればするほどそれを考えることになるからというのもあった。だが一番の理由は、銃声が聞こえたということであった。
ヴィクトルたちもそれを聞いたようだった。ロジェは近くに来たヴィクトルたちに目配せをすると、彼らを連れてその音の発生源へと向かって行った。
銃声の発生源は大聖堂にほど近い路地であった。そこに着くと、街灯のない暗闇の中に数人の若い男性たちが見えた。ロジェたちからはその背中しか見えなかったが、動揺している様子が既に明らかであった。
「おい。」
ロジェがそう声を掛けるとその若者たちは肩を大きく震わせ、次にロジェたちのいる方へ振り向いた。そしてその内の一人が上ずった大声を出した。
「だ、誰だ!」
若者のうちの一人が小刻みに震える手で、銃をロジェたちに向けながらそう尋ねた。その他の若者も数秒遅れて銃をロジェに向けた。
「共和国軍のロジェ・フォール特務曹長だ。銃声が聞こえたものでな。そこで何をしている。」
ロジェはそう言いながら若者たちに歩み寄っていった。すると最初に銃を向けてきた若者は恐怖からか、ロジェに向かって発砲した。
「ああ、くそ!」
防殻で防げたからいいものの、まさか市民に本当に撃たれることになるとは。ロジェは心中で嘆くと、その若者から銃を取り上げて制圧した。そして若者たちで隠れていた路地の奥を見ると、銃声が聞こえた際の嫌な予想を裏付けるものが地面に転がっていた。
「そこをどけ!」
同時にそれを発見したカステルノーが若者たちを押しのけてそれに近寄って行った。ヴィクトルもそれに続いた。
「被害者は中年男性で、太腿をやられているようです。息はあります。」
カステルノーとヴィクトルが応急処置をしながらロジェに報告する。
「ヴィクトル、被害者を大至急病院に運べ。カステルノーは俺と一緒にこいつらの見張りだ。一応通信も入れておけ。銃声を聞いたからには他の連中もここに来るだろうがな。」
若者たちが被害者を襲った理由はすぐにわかった。加害者が自己弁護のためべらべらと喋ったからだ。その主張をロジェが若者たちの主観を極力排除してまとめると以下のようになった。
被害者が大聖堂で帝国軍のケーニッヒ中尉と話していたのを見た若者たちが、被害者を帝国のスパイだと早合点して私的制裁を加え、それがエスカレートした結果発砲に繋がった。
ロジェたちには知りようのないことだが、若者たちはごろつきの類であり、男性から常日頃口うるさく説教を受けていた。これも襲撃の一因であった。
なぜおまえらのような、考えなしが銃を持っていたのかとロジェが聞いたら、民兵として志願したら他の民兵が帝国軍から分捕った武器をくれたのだという。帝国軍という悪魔を倒すためであると。
これにはロジェも呆れるほかなかった。散々民兵は信用できないと言われたが、ロジェはついに身をもって、その質の低さを実感した。そりゃ職業軍人ではないし前線にいたわけでもないのだから多少の質の低さは覚悟していたが、徴兵もされていないごろつきに銃を与えるような連中とまでは思わなかった。
「まったく、ここまでとはな。」
「ええ、ここまでとは。」
慌てて来たアレーヌの警察官が加害者たちに手錠をかけて連行していくのを見ながらロジェとカステルノーは呟いた。
「ユーゲ少尉から色々と聞かされていたが、武器を見境なしにばらまくのまでは予想外だった。」
「戦闘中にやらかすどころかそれ以前とは……。」
二人はともに嘆息した。
「わかってはいたが、当てにするのはやめておこう。」
「はい。」
そうして二人は大聖堂まで戻っていった。
その途中、カステルノーが言葉を反芻しているように口に出した。
「『帝国軍という悪魔』、か……。」
「どうかしたのか?」
「いえ、この言葉も考えようだな、とも思いまして。」
「どういうことだ?」
「まず、悪魔っていうのは人間を甘い誘惑で引き付けておいて、最後には悲惨な結末へと導くものっていう風にも見れます。単に非常に悪辣な性格であるとか、神に反した存在であるとか、それだけではないんです。」
「宗教家みたいなことを言うな。それで?」
「そう考えると、悪魔ってのは戦争が非常に得意なんだと思うんですよ。だから、帝国軍が悪魔だってのも間違ってはいないんじゃないかってことです。」
「なるほど、確かに。」
ロジェはカステルノーの説を面白いと思ったし、ある種理が通っているようにも感じた。
「しかし、悪魔をだまくらかしてうまいことやった人間の話ってのもある。俺たちもそれを見倣うべきだろう。」
ロジェが笑いながらそう言うとカステルノーも笑った。二人の笑いは何か不安をぬぐい去ろうとしているようでもあった。
そして二人は大聖堂に到着し、その数分後に患者を搬送し終えたヴィクトルが戻ってきた。それに加えてアンリの小隊も大聖堂に来た。通信の集中で指揮中隊の居所を悟られるということがないように、口頭での伝令を行っているという。
ユーゲ少尉たち空挺兵は既に大聖堂から撤退していた。捕虜の移送が完了したことで民兵が大聖堂を襲う危険性もないと判断されたのか、邪魔になるバリケードも撤去されていた。ロジェたちにも北西区画へ撤退するよう改めて命令が下った。
ロジェはカステルノーの説をもう一度頭の中で繰り返した。そうすると、数十分前に感じた悪寒と同じ感覚がロジェの身体を走り抜けた。しかしアンリの顔を見、その声を聞くと悪寒は治まった。
停戦が終わろうとしていた。
次回更新は3月15日を予定しています。