「高度八千五百、速度二百二十。このまま進路と速度を維持し高度八千二百まで降下。目標空域には十分以内に到達予定。」
航法士が機長にそう報告する。彼らの機体は爆撃部隊の先頭に位置するため、進路や高度には特に気を使わなければならない。これまでの進捗は概ね順調だった。
高度がやや低いことを機長は懸念していたが、それについては諦めてもいた。前線で新型に置き換えられつつあるこの爆撃機が原因であれば愚痴の一つもこぼしただろうが、相手は自然なのだ。雲が低く垂れていることに文句を言ったとてどうなるわけでもない。近くに展開している砲兵を誤爆する危険を考えれば、雲より下へ高度を下げるほかはなかった。
機長からは他の機体の姿は見えなかった。彼の機体が爆撃部隊の先頭にいるからというのもあるし、夜の闇の中にいるからというのもある。そうはわかっていても、周りに味方の機影が見えないというのは心細く感じた。
そのうちに機体は雲の中へと入り、機体が揺れだした。しかしエンジン不調や対空砲火のような揺れではなく、搭乗員たちも極めて落ち着いた態度を保ったまま各々の作業を続けた。
雲の中をゆっくりと抜けると、ひときわ明るく輝く大きな塊―アレーヌ市―が遠くの地表に見えるようになった。そして航法士がまた言葉を発した。
「高度八千二百、速度二百二十。進路と速度、高度を維持。目標空域まで五分。後続機も問題なく来ています。」
機長はそこで問いを発した。
「停戦期限は?」
「既に一分過ぎています。空域に到着次第爆撃を開始して問題ないかと。」
「了解。砲兵隊の砲撃は爆撃と同時に開始だったな?」
「はい。誤射の危険性は無いそうです。」
彼らは『誤射』の話で少し笑おうとした。だが笑い声は上がらず、黙り込んでしまった。自分たちがこれから行おうとしていることへの苦悩がそうさせたのである。いくら内容が曖昧にされていようとも実際にそれをする段階となれば、彼らは自分たちが何をしようとしているのかについて、もはや誤解の余地もないほど理解していた。
しかし彼らが苦悩する必要はすぐになくなった。アレーヌ市から放たれた光線のうちの一つが機首に直撃し、彼らの生命を瞬く間に奪っていった。
「帝国の奴ら、まさか本当に無差別攻撃をしてくるとは!」
ラペイレール中尉は超長距離狙撃術式を再度展開して爆撃部隊を狙い、墜落していく爆撃機を視界に入れながらそう言った。
帝国による無差別攻撃という可能性を発見したのは彼だった。彼は捕虜の移送の完了を確認する場に赴いた後にこの可能性を発見した。
『軍隊は非戦闘要員の存在する区画に対しての無差別行為を禁じる』
これが戦時陸戦規定第二十六条三項である。
帝国側は降伏勧告をする際に、以下のように述べた。
「直ちに無関係の一般市民を解放せよ。諸君の虐殺行為は許容できない。戦時陸戦規定第二十六条三項に基づき帝国市民の解放を要求する」
そして「帝国市民」を表す言葉には、citoyens impérialsが使われた。ゆえに共和国側は、その時代における常識や先入観も混ざりつつ、帝国側の言い回しを踏まえてこう解釈した。
「帝国が意図している無関係の一般市民とはすなわちcitoyens impérialsのことである。これを『帝国市民』として解釈した場合、あまりにも非現実的な要求となってしまう。ゆえに、この場合citoyens impérialsとは『帝国派市民』であると解釈するべきであろう」と。
交渉がもっぱら共和国語で行われたことも、この誤解を解消することから遠ざけた。加えて、帝国側が提案した、『戦時陸戦規定第二十六条三項に基づくcitoyens impérials及び帝国兵捕虜の解放について』という文書名もこの誤解を促進した。というより、帝国側は共和国側が誤解していることを察しつつそれを放置したのである。
そして「第二十六条三項に基づく」と帝国側がわざわざ入れたことについて、共和国側は以上の誤解の上で以下のように解釈した。つまり、「『帝国兵捕虜』と『帝国派市民』という帝国人、もしくは帝国寄りの非戦闘員を避難させることで、避難済みの区画における戦闘行為の幅を広げたいのだろう」と。そして帝国兵が大聖堂を避けて射撃していたという証言もこの誤解を後押しした。
帝国側は帝国派市民と捕虜がいる場所を把握したうえでこの要求をしている。大聖堂を含む主要区画での戦闘の幅を広げるつもりなのだ、と。しかしビアント中佐は協議の時点で主要区画から撤退して北西区画で戦闘を行う方向性で既に心中は決していたため、これを大して問題視しなかった。
ラペイレール中尉が違和感を抱いたのは文書を再度読み直しているときであった。改めて読むと、citoyens impérialsを解放するということについて区画や地理的な範囲の指定が一切ないのである。
ここで彼は、協議内容の適用範囲がアレーヌ市全域にわたっている可能性にまず行き着いた。そして次に、citoyens impérialsとは「帝国派市民」ではなく「帝国市民」そのものである可能性に。最後に、解釈次第では非戦闘員たる「帝国市民」、つまり「無関係の一般市民」は全て避難させたと解釈することも可能ではないか、ならばアレーヌ全域に対する無差別攻撃が可能なのではないか、と。
彼はまず最初にこの解釈を疑ってかかった。帝国が非現実的な要求をしてくるとは思えなかったというのもあるし、市全域に対する無差別攻撃という非人道的行為を行うということが空想的であるとすら思えるゆえでもあった。しかし彼は万が一の危険性に備え、その解釈をビアントに報告したのである。
そしてビアントはそれを真剣に受け取った。戦闘直後に気絶したゆえに忘れていた、『悪魔』との戦闘時に『悪魔』本人が無差別攻撃の手段の存在を示唆する発言をしていたことを思い出したのだ。
市全域に対する攻撃手段として取られうるものとしてビアントが考え付いたのは爆撃機と砲兵隊だった。そうなっては空挺兵が取れる反撃手段はないことから、ビアントは空挺兵を市民の避難誘導へとまわした。
そして魔導士は爆撃機の迎撃と砲兵陣地への襲撃を第一として再配置された。砲兵については砲撃が飛んでこなければ陣地の場所がわからないことから後手に回ることになるが、爆撃機については、超長距離狙撃術式を用いれば爆撃されるよりも先に撃墜可能であると判断された。
加えて、この夜は雲が低く垂れていた。雲で遮られては爆撃が困難であろうということから、雲の下、つまり第二大隊の兵士なら口笛を吹きながらでも到達可能な高度へと下がってくることが予想された。ゆえに第二大隊の魔導士は魔力を隠蔽しつつ目をウロコのようにして爆撃機の編隊を探した。そして彼らはそれを見つけると、すぐさま超長距離狙撃術式による統制射撃で爆撃機を攻撃したのである。
第二大隊の魔導士は高機動ユニットにも演算宝珠を使用していたゆえに、通常の超長距離狙撃術式よりもさらに長い射程を実現していたのである。二つの宝珠を同時に使用するのは、魔力の消費も戦闘中の演算の管理に費やされる注意も、通常の二倍ではきかないほど必要となる。射程の延長はそれをこなせる第二大隊の練度が可能にした力業であった。
彼らの目的は、共和国軍が原因で無差別攻撃の対象となってしまったアレーヌ市民を、一人でも多く市外へ逃がすためにできる限り長く持ちこたえることであった。
夜闇の中という目視するには難しい状況であっても、第二大隊の魔導士たちは短時間のうちに次々と狙撃を爆撃機へ命中させていった。そもそも爆撃機は魔導士よりも圧倒的に大きく、魔導士とは比ぶべくもない鈍重な目標であるから、第二大隊の魔導士にとっては夜間の対魔導士戦とは比べるべくもないほど簡単な作業であった。
しかし、その簡単な作業の時間はすぐに終わりを迎える。魔導反応を真っ先に感知した第四中隊の兵士が叫ぶ。
「敵魔導士、来ます!」
「爆裂術式でデコイを剥がせ!」
ターニャ率いる第二百三大隊は爆撃機が攻撃されているのを見るや否や直ちにアレーヌ市街に再突入した。
ターニャにとって想定外であったのは、第二大隊の超長距離狙撃術式の射程の長さだった。これ以上爆撃機を落とされてはアレーヌ市全域を早急に鎮圧することがかなわなくなる。ゆえに爆撃機を狙う敵魔導士部隊を排除するべく第二百三大隊は市外へと突入したのである。
ターニャが懸念していた点は、中隊長級の士官がもはやケーニッヒ中尉しかいないことと、残る大隊員の数であった。
ヴァイス中尉、ノイマン中尉が負傷して後退していることに加え、この件についてはその作戦の性格からして、大隊の中からさらに選抜した隊員しかつれてきていない。現在アレーヌに残る第二百三大隊の人数は三個中隊弱といったところであろうか。
しかし、ターニャの懸念は突入前に解消された。
「共和国軍魔導士の魔導反応は三個中隊規模です。捕虜移送の最中の魔導反応と変わりありません。」
セレブリャコーフ少尉が告げたその言葉を聞くと、ターニャは自信ある口調で断言した。
「その程度の数ならば今度こそ奴らを潰せるぞ。私の中隊は南側、それ以外の部隊は北側だ。」
そうして部隊を分離させると、ターニャは市街に突入した。そしてその進路上に第四中隊が現れた。セレブリャコーフ少尉が直ちに魔導反応の照合を行う。
「敵中隊の魔導反応照合。全員がライブラリに該当者あり。」
「つまりラインのお仲間というわけだな。諸君、踊り慣れた相手だ、粗相はするなよ。」
ターニャはそう言うと先陣を切って第四中隊による統制射撃の光線を潜り抜け、第四中隊の中で最も強い魔導反応を発する魔導士に近接した。
その魔導士はターニャが近くに来たのを見ると、顔全体を覆うヘルメットでも隠し切れない喜びを声に滲ませつつ、ターニャに聞こえるように流暢な帝国語で言った。
「来ると思ったよ!デグレチャフ少佐。」
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