アレーヌ上空には黒々とした煙が渦を巻いている。煙が出始めた当初は、両軍の魔導士はその煙をできる限り避けていた。しかし今となっては、煙はあまりにも立ち込めてアレーヌの空を覆わんばかりである。雲と煙で空の光は全く遮られ、アレーヌ上空の光は魔導士の戦闘が放つものだけだった。
空の下では、アレーヌ市は端から端まで鮮烈な炎に染まっていた。それが大砲の砲口から出る雷鳴に震えて、絶えず揺らされているように見える。砲声は多くの音が響いたかと思えば、それらが重なって一つの轟音となることを繰り返した。アンリ・ブリュネの部隊とロジェ・フォールの部隊が合流したのはそのような状況の下である。
アンリの部隊と戦っていた帝国魔導士の部隊は、ロジェたちが下方から突然現れたことでアンリ隊に上方を抑えられ、ロジェ隊に下方から突き上げられるという三次元的な十字砲火を受ける形になり、やや動揺した。アンリの部隊が発動する干渉術式によって、炎の壁によってロジェたちの部隊とセレブリャコーフ少尉の部隊が引き離されたことを知りえなかったからである。
その部隊の指揮官の頭には、セレブリャコーフ少尉の部隊が撃破されたという考えがまず浮かんだ。しかし突然現れた部隊にいまだに切迫している雰囲気があることや、遠くで帝国魔導士が市街の炎の中から抜け出してきたのを見、何らかの理由があって一時的に距離が開いただけだろうと判断した。
そして半包囲による十字砲火の状況から抜け出すために下方への襲撃指示を出した。元々共和国軍魔導士は観測射撃や統制射撃に依存しがちであるため、帝国魔導士との近距離の格闘戦や夜間の有視界戦闘は不得手としていることで有名である。多少ましとはいえエース部隊でもこの傾向は同じであった。ゆえに至近距離に近づいて無理やり命中率を上げるという手も共和国魔導士はあまり使わない。
これらを踏まえつつ、セレブリャコーフ隊との距離が離れすぎることを危惧し、セレブリャコーフ隊がいるだろう方向から来た、帝国魔導士側に高度の有利もあるロジェ隊に襲撃することにしたのである。
帝国魔導士にとって予想外であったろうことは、ジラールとライン戦線の頃から同じ部隊だった者―ロジェ、アンリ、ヴィクトル―にはこの傾向が当てはまらなかったということである。そしてロジェは特にジラールの戦闘方法に影響を強く受けた。
「フォール小隊が格闘戦で奴らを相手する。ガンボン小隊は直接の援護射撃。動きを制限できればそれでいい。アンリ指揮下の小隊は今まで通りアンリに任せる。」
ロジェは落ち着いた口調でそう言うと目の前に迫る帝国魔導士を見た。
相手の数は六人でこちらに接近しているのは三人。後の三人は突入してくる連中の背後を守っている。帝国魔導士は中隊の通常編成が十二人。『悪魔』はジラール大尉の相手、お互いに中隊を半分に割って戦闘していたから五人と六人の組があるってことで数の辻褄は合う。これほど近くなればデコイを出す暇もないだろう。
ロジェはそう考えて彼我の距離をさらに縮めていく。
セレブリャコーフ少尉との先ほどの戦闘はロジェにとってひたすらに戦いにくいものだった。それもそのはず、セレブリャコーフ少尉は日中の戦闘によってロジェを非常に警戒し、とにかく近づけまいとして戦っていたのだから。
突入する帝国魔導士たちの側面と上方からガンボン小隊とセゼール小隊が牽制射撃を放つが、帝国魔導士たちは九七式演算宝珠の性能を最大限に生かした機動で一瞥もせずに全て回避する。
「そうだ!それでいい!」
しかしその回避行動によって生まれた時間でロジェとヴィクトルは敵魔導士に食らいついた。
「曹長、逃がしました!」
「カステルノー、お前はガンボン小隊と協働してそいつに手出しさせるな!それならこの二人は俺とヴィクトルで充分だ!」
カステルノーが敵魔導士の捕捉に失敗したため、それについてはガンボン小隊と協同であたらせる。
そう指示を出しつつ、ロジェは目の前の帝国魔導士と至近距離での攻撃の応酬を続ける。
あの女魔導士たちがいつ到着するかわからない以上、時間的余裕はない。ロジェはそう判断し、ゆえに超攻撃的手段に出た。
「爆発注意!」
言葉も短く周囲にそう告げると、両腕を広げたよりも近い距離にいる敵魔導士に向かって巨大な出力の爆裂術式を放った。敵魔導士はロジェの意図に気付くと驚愕の表情を浮かべ、この出力では今から安全な距離を取るのも無理と判断すると、瞬時に防殻だけでなく能動的な障壁も展開したが、結局は墜落していった。
「ヴェッ、ありゃ生きてるな。」
防殻を破った感覚がないことから、おそらく脳震盪か何かを起こしただけだろう。あの高機動に加えて、至近距離での爆裂術式に耐える防御力まであるとは。帝国の宝珠は何かおかしいんじゃないか、とロジェは多少羨ましかった。
だが無力化できればいいのだからと別の敵を相手している方へ救援に向かおうとした。ロジェはそこで殺気を感じ、乱数回避軌道をとった。すると光学術式の光線が数本ロジェの近くを走り抜けた。そしてそのまま光線が飛んできた方向へ目をやると、あの女魔導士の部隊が、たった今ロジェが撃墜した帝国魔導士の死因が墜落死となるところから救い出していた。
「敵の増援が来た、数は五人!」
ロジェはそう言うと同時にヴィクトルの方へ向かう。ヴィクトルはいつも通り全く無事なようだったが、ヴィクトルの相手は頭を銃弾がかすめたのか目から耳まで幅広く真っ赤に染まっていた。ヴィクトルはそのままとどめを刺そうとしたが、帝国の女魔導士の部隊がそれを妨害した。
そしてさらに状況は悪化する。
「北側から二個中隊規模の敵魔導士が接近中!」
アンリの小隊員がそう報告する。これによって第四中隊は北側と南側から三個中隊によって包囲されることとなる。
ロジェは戦いながら考える。アレーヌ市民は北側と西側に向かって避難しているはずである。彼らの方に向かって脱出することはできない。火災に加えて魔導士に誤射されようものなら甚大な被害が出てしまう。ゆえに包囲が閉じる前に脱出するならば南か東。どちらにするべきか。
ロジェは南と東を見比べた。雲と煙で空の明るさは似たようなものだが、より明るいのは東の地表だった。砲撃が激しく行われているのは東だ。
「第四中隊、東へ脱出し、砲兵陣地を襲撃する!カステルノーが先導し、俺が最後尾だ。」
ロジェはそう号令をかけ、続けて説明する。東にある砲は南よりも多いと推定される。それを襲撃できればアレーヌ市への砲撃は弱まるだろう。砲兵陣地を襲撃しようとすれば魔導士部隊も妨害に来るはずだ。もし砲兵陣地の襲撃が失敗に終わろうとも帝国魔導士を市民達と空挺兵達から引き離し、彼らの命を救うことになる。
そして第四中隊は一路東の砲兵陣地を目指す。帝国で最も使われている大砲で考えるならば、たとえ最大射程であっても、魔導士が最高速度で飛行すれば三分と経たず到達する距離である。そのごく短い距離が酷く厳しい道のりになることは第四中隊の誰もが承知していた。
しかしそれでも、市街の中で包囲されるのを待つよりは良い、この悪魔たちを少しでも市民たちから引き離せるのならばその方が良い、というのは第四中隊の皆が共有するところであった。
ロジェが殿を務め、第四中隊の面々は次々東へと向かっていく。そして他の隊員が次々ロジェの背後へと消えていくなかで最後までロジェの視界に残ったのはアンリだった。あの燃えるような赤毛をまとめる深い緑色のリボンはロジェが贈ったものである。
アンリはコレージュを卒業したとき、義務教育期間を終えたということで教会から出ることになった。そのときにロジェの家に引っ越してきたのだ。アンリは教会で共同生活を送ってきたから私物が少なかった。それで中学の友人たちでアンリにプレゼントをしようということになった。
友人たちでいろいろなものを贈った。ロジェが贈ったのはアンリが好きだと言っていた作家の小説をかき集められるだけ全部と、リボンだった。本命は小説で、リボンはおまけだった。
その頃アンリの髪は長かった。だから何となく、旧体制の貴族みたいな髪型にできるんじゃないかと少し悪戯心もあった。だけども決して安物を買ったわけではない。随一の親友に贈るものなのだから割合奮発した。
アンリは両方ともいたく気に入っていたようだった。休日にパリースィイの森へ家族や友人たちと出かけるときには髪をリボンでまとめ、公園として整備された森で読むための小説を持っていくのが日常だった。
軍隊に入るときに髪を短くしたため、あのリボンで髪を結ぶのもめっきり見ることはなかった。てっきり家にあるものだと思っていたが、アレーヌにはあのリボンをつけてきた。どうもいつも持ち運んでいたらしい。
しかしなぜいつもつけていなかったものをこのアレーヌに限ってはつけてきたのだろうか。ロジェはそこが少し不思議だったが、わざわざ聞くこともなかった。
ロジェとともに贈り物をした友人たちも、今では多くが戦死した。だけども、アンリのリボンを見るとロジェは軍隊に入る前の懐かしい日々を思い出す。戦前とは違う理由でロジェはリボンをつけたアンリが好きになった。
どれだけ戦前の日常と離れてしまっても、どれほど恐ろしい戦場にいようとも、アンリだけは常にロジェと共にいてくれる。
ロジェにとってアンリは、まさにかけがえのない存在であった。
次回からは隔週投稿になりそうです。
ちなみにアンリがリボンをつけて出かけていたのには女の子からの受けが良くなるっていう理由もあります。割合敬虔とはいってもやっぱり思春期の男の子なんで。