ユニットを爆発させる直前、ロジェは地面に小さな穴を偶然発見した。なのでロジェは爆発が起きるや否や、地上に転がり落ち、体をそこへにねじ込んだ。ユニットが壊れた状態で精鋭三人を正面から相手にするのも、火災の熱波に耐えて地上に潜伏することも不可能だったロジェにとってこの選択は必然だった。
入った穴は円柱の形をして上下に伸びていた。円柱の直径は大人一人には足りるが二人となれば窮屈で身動きが取れない程度のものだった。ロジェは壁にある手摺をつたって降りていった。下から生暖かさとともに臭気が漂ってくるので下水道へと繋がっていることがすぐにわかった。少し降りたところでロジェは止まり、上の様子を窺った。
ロジェの周辺の壁はぬめぬめとして、一瞬でも気を抜けばロジェは手を滑らせて落ちてしまいそうだった。それとは対照に、地上近くの壁はまったく乾いており、素手で手摺に触れていれば数十秒で手がこんがりと焼けるだろうこと間違いなしの高温であった。
ロジェは帝国魔導士が何らかの隙を見せるまで潜伏するつもりだった。この周辺を探し回るのならば足止めになる。ここから離れて行こうとすればうって出てやろう。そういう心づもりであった。
そして機会はすぐに訪れた。西の方向から轟音と共に光弾が飛来したのだ。女魔導士の回避に隙は無かったが、他の二人は彼女よりもやや大きい回避幅を取っていた。それはロジェにとって十分な隙だった。そこで間髪入れず、ロジェはライフルを片手に飛び出そうとした。しかし炎の激しさに耐えられなかったのだろう。近くの建物が轟音と共に崩れ落ち、その瓦礫のいくつかが入り口に覆いかぶさったのである。
「あっ!」
ロジェは思わずそう叫びたくなった。だが理性によってそれを押しとどめた。叫んでいたとしても、声は崩落と火災の爆音によってかき消され、セレブリャコーフたちの耳には入らなかっただろうが。
ロジェは塞がってしまった入り口をしばらく見つめた。身体強化術式と耐熱術式を併用すれば、入口を塞いだこの瓦礫を数秒でどかすことはできるだろう。だがそれは大きな隙を晒すことになる。敵がまだいるのか、それとも立ち去ったのかもわからない状態でそういった行動に出るのはあまりにも危険な行為だった。とりわけ相手がデコイと本体に同量の魔力を付与するような練度のときは。かと言って、術式なしで瓦礫を動かすのは相当無理があるように思われた。
では下水道へ降りていくのかと言えば、それも躊躇われた。空気の濃さや下水道の大きさの問題である。魔導士の身体は非魔導士に比べて頑丈だとはいえ、下りた先に空気がなかったならばたちまち窒息ということもあり得る。それに、下水道の通路に武装した兵士が通れる程度の大きさがあるのかもわからなかった。運良く空気が十分にあり、下水道の通路に十分な高さや幅があったとしよう。そうだったとしても、ロジェはこの地下空間がどのように構成されているのかについて全く知らないのだ。おそらくは川に繋がっているのだろうとロジェは思ったが、そこまでの道筋を知らなければその推測も無意味なものであった。
ロジェはライフルで瓦礫を動かせないか試してみた。すなわち、右手に持った小銃の先端で障害物を持ち上げることでずらしていくことにしたのである。これによって徐々に視界を開き、誰もいないようであればその術式でもって持ち上げてしまえばよい。誰かいるのならば作業を中止するなり、隙を見て抜け出すなり攻撃するなりすればよい。こういった目論見であった。
だが何事も計画通りにいくことはなかなかない。ロジェは小さな瓦礫をまず動かした。すると瓦礫の堆積の均衡が崩れ、いくつもの瓦礫が下水管へと落ちて来たのである。幸い、ロジェ本人はヘルメットも籠手もつけていたので怪我は負わなかった。瓦礫は重力に従って最下層まで落ちていき、水音がその着地を知らせた。ロジェが見下ろすと、火は消えていた。これが水によるものなのか酸素の欠如を意味するものなのかはわからなかった。視線を上へやると、出入り口が開いていた。三分の一ほどは建造物の残骸によって遮られているが、ここから脱出するのには十分な空間を作っていた。
ロジェは一段だけ上に上がり、穴の中から見ることができる範囲を注意深く見渡した。それで問題なさそうであればもう一段、というように上がっていき、その途中で残骸をおしのけ、完全な視界を確保した。その内に、耐熱術式なしで息ができる限界の位置に達した。そして上を見る。人はいないようであった。喉を焼くような熱気がヘルメットを通過して体内へ入ってくる。ここから見える範囲のものにはこれ以上ないほど丹念に目を配った。立ち止まっていても何か変化があるわけではなく、状況を変えるには自ら動かなければならない。ロジェは怖気づく体をそう説得すると、耐熱術式を展開し、地上に出た。
ロジェは地上に出ると周囲に人影が見えないことを確認し、すぐさま東へと向かった。耐熱術式を展開した時点で魔導反応は観測されているだろうから、こそこそと隠れる必要もあるまいと堂々と飛行術式を発動して飛んでいった。この慎重さと大胆さの持ち合わせなしにはライン戦線でエースにはなれない。慎重さが欠けていれば危険を認識できず、大胆さが欠けていれば危険の中に留まることになる。魔導士に限らず、熟練した兵士はこの二つを両立させている。
空中へと浮かび上がったロジェは東の砲兵が沈黙していることに気付いた。
「アンリ達は襲撃に成功したらしいな。しかし……」
ロジェはそこで口を噤んだ。自らが立てた仮説を言葉にすることを恐れたのだ。自身が間違っていることを願って、ロジェは四方に目をやった。赤黒く染まった地上と星々を遮る黒雲の間に、自らの望む光景を探した。しかし彼の期待は裏切られた。どこの空を探しても、魔導士の戦闘が行われる際の光は見えなかった。帝国軍の展開した干渉術式が魔導探知を不可能にしていたゆえに、視覚以外からの情報は得られなかった。
「アンリ、アンリ。お前を失ったなら俺はどう生きていけばよい?」
ロジェは責めるような口調でそうこぼした。ここに至っても彼は、口を噤んだのと同じ理由で断定を避けた。彼の精神はこれまでの生涯で最も暗くなり、視界のすべてが厚い黒煙で覆われたような感覚に襲われた。彼の精神を占めるのはあまりにも暗い現在とあまりにも不確実な未来だった。しかし絶望に反して彼の身体は戦場で行われる一連の行動を繰り返していた。習慣となった行為は精神を超越して行われることがままある。そしてそれが窮地においての助けとなることも。ロジェが背後から飛来する光学術式を避けられたのも、人間一般のこの特性によるものだった。
「さっきの女魔導士か?」
ロジェは呟いた。敵の姿は見えない。ロジェは急降下し、川へ飛び込んで飛行術式と耐熱術式を閉じ、橋桁の陰になっている橋脚に身を隠した。これは市内を流れるイル川に架かる鉄筋コンクリートの橋で、市内を包む大火災のなかでも橋のかたちを立派に保っていた。
「身を隠してばかりじゃないか。なんてざまだ、情けない」
そんな言葉がこぼれ落ち、陰から敵の姿を探している間にも、ロジェは考えていた。特殊作戦軍の生き残りであるロジェたちが東へ向かったのは敵砲兵を沈黙せしめ、市民及び空挺兵の避難を援護することが目的であった。そして現在目的の一つは達成されている。ではやはり、市民の避難を助けるのが道理だろう。そう考えて動こうとしたのとまさに同時に、ロジェは上官たるジルベール・ジラール大尉がこう言ったのが聞こえたような気がした。
「主よ!今あなたのおそばへ!」
その瞬間、猛烈な衝撃が一帯を襲った。
「!」
ロジェは頭に燃えるような痛みを覚えた。それでもここに居続けてはいけないという意思のみでもって飛行術式を展開し、再び空へ舞い上がった。ロジェはなんとなしに周りを見た。とはいっても何かに焦点を合わせられたわけではない。ロジェはおびただしい出血のために目がかすみ、遠くも近くもよく見えず、人の姿も見境がつかないありさまだった。だからこれは全く無意味な行動であった。むしろ彼は聴覚によって異常を感じ取った。炎の音が遠くに聞こえるのだ。先ほどまであれほど間近に聞こえた音が。
「なんだ……?」
もしロジェがまともな視界を持ち続けていたのならば、鉄橋を含めた一帯が火種すらなくなって平坦になっていること、大きなキノコ雲が出来ていることのを見たことだろう。そしてこれらの現象が拡散魔力爆発によるものであることも瞬時に看破しただろう。しかし現実、彼はそうできなかった。ゆえに彼は突然起きた変化についてなにもわからないまま、飛び続けるしかなかったのである。そして彼はついに力尽き、地上へと墜ちていった。