2/25 文章表現の修正を行いました。
アンリは起きるとすぐにベッドから立ち上がり、上着を着ながら今は何時かとロジェに尋ねた。ロジェは自分の上着から懐中時計を引き出し、時間を伝えた。アンリはそれを聞くと「郵便局はもう閉まってる。」と呟き、明日の午後が勤務ではないはずだからその時に手紙を出しに行こうということになった。
次に、アンリは寝ている間に乱れてしまった髪を整え始めた。少し時間がかかった。彼はゲン担ぎのため、この大隊に入ってから髪を切らずに伸ばしていた。赤毛はすでに肩まで伸びていた。
ロジェが「もう長すぎて邪魔じゃないか?」と言うと、アンリも同じように感じていたらしく、「ゲン担ぎだったからうっとうしさに耐えてきたけど、その甲斐もなく酷い目にあったし、暇があれば切るよ」と答えた。
髪を整え終わった後、夕食の時間が近づいていたので、二人は早めに食堂へ向かった。食堂に着くと、掲示板に貼り紙が貼られているのが見えた。
内容は特に変わったことは書かれておらず、「魔導第三百五十三連隊の者は明日午前八時にB-104号室に集合せよ」とだけ記されていた。
アンリと手紙を読んでから二週間が経過した。この二週間というもの、ロジェは鉄道内で予想したことが全て的外れであり、休暇が取れるかもなんてとぼけたことを手紙に書いた自分を呪い続けていた。
今思えばあの時の予想は楽観的に過ぎた!馬鹿げているとすら言ってよいかもしれない。
二週間前にジラール大尉がB-104号室で言ったことが全てだ。
「共和国軍に君たちを遊ばせておく余裕はない!」
あのときのジラール大尉の鬼気迫る表情と語気と言ったら!
編成については、この部隊はもはや大隊としての機能を失ったとされ、中隊として再編成された。所属としてはビアント中佐の指揮する特殊作戦軍第二大隊に第四中隊として加えられたという。ロジェは第四中隊の第二小隊小隊長ということになる。
あの日の朝食後、すぐに手紙を出していなければ今日にいたるまで手紙は手元に残ったままだろう、とロジェは思った。
なぜなら、あの日以来『悪魔』の部隊に対抗するための錬成続きなのである。まずは高度一万を飛べるようになれとのことで、酸素ボンベなしで高高度をできる限り長く飛び続ける訓練から始まった。通常は高度六千が戦闘高度の実際的な限界なのであり、七千を飛べば戦闘はほとんど不可能、八千を飛べば宝珠が焼け付くと言われる。
特殊作戦軍の宝珠はそれ自体が特注であることに加え、馬の上半身の右側にガトリング砲を付けた形をした、新型の高機動ユニットにも宝珠が仕込まれている。そのおかげで通常の宝珠を一つ使用するよりも高度についての耐性は上がり、高度八千でも悠々戦闘ができる。
だが、高度一万はそれでも苦しい。
もともとが前線から引き抜かれたエースたちであるこの中隊に新型の宝珠も加わっているので、高度一万に到達すること自体は不可能というほど難しくはなかった。
しかし飛び続けるのは非常に難しい。部隊としてその高度を飛ぶなら三十分持てば御の字と言った調子である。
そしてただ飛べるだけでは意味がない。戦闘機動をできなければ意味がないのだ。戦闘機動を取れば高度一万を保てる時間は格別に減る。
戦闘機動を二十分以上にわたって行えるのはジラール大尉だけであり、それ以外の中隊員の高度一万における飛行可能時間はどんぐりの背比べだった。
ロジェたちからすればジラール大尉がなぜ高度一万でそれほど動けるのかは全く理解不能である。
ともあれ高度一万における戦闘機動の訓練である。まずは対空砲火を想定した乱数回避軌道を行うことから始まり、対地攻撃を想定した急降下と急上昇の反復、敵航空機が襲来した場合にどう回避するか、敵魔導士部隊に空中で格闘戦に持ち込まれた場合の連携、デコイに引っ掛かった場合の対処法、など他にも訓練可能なことは全てやったのではないかというほどであった。
ほとんどのことはいつもならば容易にこなせることだが高度一万になると途端に難しくなる。また、高機動ユニットは速度と火力、防御を底上げした優れた機械ではあるが、生身に比べれば旋回が大きくなる点があり、帝国のネームド級に格闘戦を挑むのは推奨されないとの結論が出た。アンリなどは高機動ユニットは改名して重火力ユニットと呼ぶべきだ、とまで言った。
とにかく苦しいのだ。高度ゆえ息が苦しいだけではなく魔力の消費、要求される操作の繊細さなど並外れた水準なのだ。
ロジェは意味がないと分かっているとはいえ、こうも苦しいと頭を全てすっぽりと覆ってしまっているヘルメットを脱ぎ捨てて解放感を味わってしまいたくなる。
しかし共和国の魔導士が纏う鎧には術式が刻印されているため、もしヘルメットを脱いでしまえばその完全性が損なわれることになる。その術式によって気圧の変化への耐性の強化、毒ガスの防御、肺機能の強化などが行われているのであるから、ヘルメットを外すのはよっぽど強大な魔力を持つ者でない限りは自殺行為である。
ロジェは第二大隊にはヘルメットを着けないものが何人かいると聞いたことがあるが、眉唾物であると考えている。
第二大隊は精鋭ぞろいの中央魔導士から構成されているため、一人くらいはいたっておかしくはないと思うが、複数人いるならそれは化け物の集まりであって人間かどうか疑わしい連中だ、ということである。
やっと地上に降りることができたと思えば夜間は非魔力依存行軍の訓練である。その状況下に置かれると魔導士の鎧は単なる重しに過ぎなくなり、肉体への疲労はとてつもないものとなる。これのおかげで中隊はろくに寝ることができなかった。
とにかくこの二週間というもの休みなしでひたすら訓練したのである。これほどの密度で訓練したことは軍に入ってから一度もない。
それなのに、今朝になって突然ジラール大尉から「本日の中隊の訓練は中止」と放送があった。それが逆に嫌な予感を呼び起こした。こういうことは、だいたい前線送りの前触れなのだ。
そのため、中隊の兵士たちは、いつ完全武装で集合の命令が下っても良いように、兵営の一室に集まった。
部屋に集まった兵士たちの間で、次にどこに送られるのかという話題が盛り上がった。実際、どこに送られるかなんて予測しても仕方がないのだが、気を紛らわせるために彼らは話し続けた。
そのうち、誰かが地図を持ってきて、最初はその地図を真剣に分析する兵士もいたが、しばらくすると飽きてきたのか、地図を床に広げて鉛筆を投げ始めた。鉛筆が当たった場所が次の配属地だという遊びだ。
前線の適当な場所に当たるものもあれば、連合王国に当たる者もおり、その可能性に応じて点数をつけて楽しんでいた。その様子を見ていると、確かに暇つぶしには最適だった。ヴィクトルも丁度暇をしていたので、それに加わることにした。
ヴィクトルが参加すると、ある兵士が笑いながら言った。
「ヴィクトルは勘が良いし運もいい。もしかしたら、本当に当たるかもしれんぞ。」
「鉛筆を投げることと勘の良さは関係ないでしょう。」とヴィクトルは答え、適当に鉛筆を放った。
鉛筆が当たった点を見て、兵士たちは少し笑った。そこは確かに前線に近いと言えるが、送られるには難しすぎる場所だったのだ。
「おいおい、ヴィクトル。ちゃんと投げろよ。」
「これじゃ連合王国と同じくらいの点数じゃないか?」
「いや、さすがにそれよりは高いだろう。でも、これはハズレだな。」
ロジェはヴィクトルがどこに投げたのかが気になり、地図を見てみたが、鉛筆の跡があちこちにあり、どこに当たったのかわからなかった。
そこで審判役の兵士に、どこに当たったのかを尋ねると、その兵士は鉛筆の跡がついた場所を指さした。
そこには都市が書かれていた。その都市の名前はこう記されていた。
『アレーヌ』
ロジェがその文字を認識した瞬間、放送機からけたたましい音が鳴り響いた。
『召集!召集!魔導第三百五十三連隊第四中隊は完全武装で速やかに営庭に集合せよ!繰り返す!営庭に集合せよ!』
それ来た、と思った。他の兵士たちが武装しながら同じことを考えているようだった。
自分たちがどこへ向かうのか、どうなるのかということは、すでにこの一瞬で皆捨て去った表情をしている。
鬼が出るか蛇が出るか、もう後は運命に身を任せるのみだ。