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五月四日のアレーヌは、その清澄な空気と初夏の陽光が街全体を包んでいた。朝九時に大聖堂から鳴り響く音は、街に暮らす人々の耳に、いつもと変わらぬ日常の証として何の疑念もなく受け入れられた。石畳を踏みしめる足音やパン屋から漂う焼き立てのバゲットの香り、太陽を浴びて輝くアレーヌ風の木組みの建造物。何もかもがその日が素晴らしい日になることを保証しているかのようであった。
しかし、その平穏は突如として切り裂かれた。
遠くから低く響くうなり声。誰もがそれを飛行機の音であると認識したが、一部のものを除けば誰もそれを気に留めなかった。よくあることだからだ。とりわけ最近では、帝国軍がアレーヌ市を補給拠点とするための整備を急激に進めているため、また帝国軍の飛行機が飛んできたのだろうとしか思わなかった。
だが、音は次第に近づき、青空の彼方から現れた黒い点からさらに小さい豆粒のようなものが降ってきた。その豆粒が大きくなり、白い布が空中で花開くように広がると、人々は初めてその豆粒が人であることに気付いた。
「パラシュートだ……!」
最初にそう叫んだのが誰であったのかはわからない。その声が届くよりも早く、街は静寂からざわめき、そして混乱へと転じた。もしその後も空を見続けたならば、その者はパラシュートが次々と花開くのに加えて、パラシュートをつけていない人々が、馬のような何かに跨って降りてくるのを見ただろう。それはパラシュートをつけた兵士の降下と違い、まったく自分の意思で動いているとみえる降り方だった。
アレーヌ市の防衛司令部は突如として押し寄せた現実に飲み込まれた。通信機からは絶え間なく報告が飛び交い、その多くは断片的で混乱を極めていた。
「敵空挺部隊が市街地上空に展開!空挺部隊の規模は不明!既に市街地にも展開しつつあるとのこと!」
「市街地上空に敵魔導士反応確認!」
通信兵の悲鳴のような報告に室内の空気が凍り付く。司令官は一瞬目を閉じ、深く息を吐いたが、次に発するべき命令が頭の中でまとまらない。
実は前夜から防空警戒網は不穏な兆しを見せていた。アレーヌ周辺の監視所がパルチザンによって襲撃される、航空艦隊が夜間の敵機の追跡に一部失敗するなどの異常である。
しかしパルチザンによる監視所の襲撃は以前からの問題であったゆえに、今回もいつも通りの対応で済ませていた。また、航空艦隊が追跡していた敵機は共和国空軍が定期的に行う前線後方への爆撃のルートをたどる大型機であった。前夜も爆撃が行われたことから判断が二転三転し、夜が明けるころには兵士たちの緊張は疲労に変わっていた。その隙を突かれたのである。
「全部隊、即時出動を命じろ!」
その声は震えを含んでいた。廊下を駆け抜ける兵士たちの足音が重なり、戦場に変わりつつある街の音が遠くから聞こえてくる。指揮系統は既に崩壊の兆しを見せ、命令系統が分断されているのが誰の目にも明らかだった。
「飛行場との連絡が途絶しました!敵が侵攻している模様です!」
通信兵たちが声を荒げて報告し続ける。
「敵の規模はどうなっている?」
「空挺部隊は規模不明!」
「敵魔導士部隊は増強大隊規模です!既に鉄道駅は制圧された模様!」
「わが軍の魔導士は?」
「敵魔導士中隊によって兵舎を襲撃された模様!状況不明です!」
その時新たな報告が割り込んだ。
「市内で民兵たちが蜂起しています!敵の降下を機に武装し、各所で銃撃戦が発生!」
司令官は顔をしかめた。もともとこのアレーヌは親共和国派で、帝国に反感を持つ者が多くいた。しかしまがりなりにも武器を捨てたはずの者たちが、地下に隠していた武器を手にしている。彼らは混乱に乗じたのか、もともと連携していたのか――吟味している時間はなかった。
「民兵が敵部隊と呼応している可能性は?」
「詳細は不明ですが、敵空挺部隊と協働している区域もあるとのこと!」
参謀たちは顔を見合わせ、沈黙が流れた。その沈黙の中で、司令官はついに命令を発した。
「市民に避難命令を出せ!」
司令官の声はかすかに震えていた。その命令はアレーヌ市における帝国の敗北宣言に等しいものだった。
ジルベール・ジラール大尉は市の中心にある大聖堂の中を歩きながら、自らの幸運を嚙み締めていた。
アレーヌに降下すると二週間前に言われたときは、何かの冗談か、それとも冗談にされているのは自分たちの命であるのかと思った。
帝国空軍はいまだに健在であるのに、それを潜り抜けて敵後方へ降下する?間違いなく死ぬ。だから昨日の輸送機の中では生きた心地がしなかった。魔導士といえども飛行機ごと撃墜されたら脱出するのは不可能に近い。アレーヌ市を目にする前に死ぬことになるのは確実であろうと思っていた。
しかし、やってみれば案外できるものである。
帝国軍の抵抗は想定を遥かに下回っていた。ジラール率いる第四中隊が敵航空戦力及び対空砲を排除する予定だったのだが、航空機は共和国軍機以外は一機も飛んでおらず、帝国の魔導士たちは飛び立つ前に飛べなくなった。全くの予想外であったのだろう。
第二大隊の他の中隊は鉄道や飛行場、アレーヌ司令部などの制圧が任務であった。
空挺大隊は市の中心区画、市庁舎、広場、大聖堂の制圧を命じられた。彼らは共和国で初めて実戦に参加した空挺部隊となる。中央で温存されてきただけあって練度は予想をはるかに上回るものだった。共和国軍の目標はこれ以上ないほど速やかに達成された。
降下を開始して二時間ほどで帝国軍は避難命令を出し、それを境目に帝国兵たちは次々と降伏していった。
全てがうまく行っている。恐ろしいほどに。ジラールは、まるでこれまでの自らの不幸が穴埋めされていくほどの幸運であると感じていた。
この幸運を逃がさないためにも、ジラールは最善を尽くした。その行動の一つが帝国兵捕虜と帝国派市民の保護である。彼らを市の中心にある大聖堂に集めるよう指示を出し、把握している限りで全て大聖堂へと詰め込んだ。
そして今彼は大聖堂の入り口へと歩向かっている。大聖堂の入り口や説教壇には短機関銃を持った兵士たちが立っている。第四中隊は上空の警戒に当たらせているため、大聖堂を警護させられなかったのだ。代わりに、目標を達成した空挺大隊の手が空いていたのでその内の一個中隊を借りて大聖堂を守らせているのだ。
大聖堂の近くの広場で歓声が起こった。ジラールはその歓声ではなく、魔力の反応によってビアント中佐の到来を既に知っていた。
ビアント中佐は広場にいる民兵たちに一応の挨拶を返すと、彼らから離れ、各中隊長を呼び寄せた。そして、決意を固めた表情で言った。
「さあ、『ラインの悪魔』を迎え撃つぞ。」
諸事情で次回投稿は1週間後の日曜日になります。