拝啓、愛娘であるエマへ。
お母さんは今にも心臓が爆発しそうです。
「本日は仕事でお忙しい中、ご足労をいただきまして。誠に有り難うございます」
お高めの生地で作られたと思われる、カッチリとしたスーツに身を包んだ人。
愛娘が所属する同好会の黒一点である梶原一郎君。
そのお母様が、丁寧に頭を下げてくれている。
「いえ、その、私は普段からリモートワークでして、時間に融通が利くので……」
へどもどと、低姿勢で挨拶をする。
より厳密には、仕事なんてリモートワークしかやったことがない。
人付き合いが苦手だからだ。
他人と会話をするだけで、勇気がいる。
そのために、必死に努力して今の仕事についた。
よく自分のような人間が人工授精といえど、子供を作ったものだなと思うほどに人付き合いができないのだ。
だが、結果として生まれた子は。
エマと名付けた娘はかわいらしく、そして何よりも愛おしく育った。
それこそ自分の心臓を捧げてもいいほどに。
だからといってだ。
「さて、皆様方、定刻通りお集まり頂いて自己紹介も済ませたところで、話としましょうか。一体何用か? と疑問に思っていらっしゃることもおられるかと思います」
まさか引っ込み思案の自分の娘が、田舎のタヌキ程度に希少な男と仲良くなって、海に遊びに行くなんてイベントが起きるとは思っていなかったのだ。
お金については特に問題ない。
問題はだ、今こうして男の子のお母様とお話しをしなきゃならないってことだよ!
現代文化研究会。
そこに所属する部員の親である我々は、そこそこお高めのシティホテルに訪れて。
梶原君のお母様開催によるアフタヌーンティーに招かれていた。
「まずはお礼を言うべきでしょう。私の提案である、子供たちの海水浴旅行にご賛同頂いたことに心から感謝しております。子供たちだけでは危ないと、監督者が必要だと。断られることも懸念しておりましたが――」
横を見れば、娘の友達の親御さんである三人が緊張の面持ちで座っている。
緊張で、誰もティーカップには手をつけていなかった。
「その、娘も高校生ですし。ただの子供という歳でもないでしょう。それこそウチの娘は、ああ見えてしっかりしておりますので……」
ウチの娘が部屋に大事そうに飾っている、友達四人揃って撮影した写真。
娘にとって初めての友達である高橋千尋さんにそのまま年齢を重ねたような、そのお母様がそう口にした。
「そもそも、こういうイベントに大人が交じると台無しでしょう。嫌がられますよ。かわいい子供には旅をさせろと言いますし」
藤堂初音さんの母親である、すらりとした長身の彼女が言い添えた。
「まさに藤堂さんの仰るとおりで。ご賢察頂けますように、大人が交じるとせっかくの想い出が台無しになってしまうことを懸念しまして。一応、別荘の管理人さんには見張って頂けるようお願いしておりますが――出来れば、それも表には出したくない」
梶原さんが、おそらく気を遣ってティーカップに手を伸ばす。
私たちも釣られるようにして、自分のカップを持ち上げた。
気品のある紅茶の香りがしている。
「是非とも良い想い出を子供たちには作って貰いたいと考えております。ええ、なんてったって異性との、高校時代の青春は大切だと思うんです」
理解して頂けますか、と言いたげに告げる。
共感はできない。
なにせ、私たちは異性との夏の想い出なんか存在しないからだ。
正直言えば、その記憶を有している梶原さんへの嫉妬すらある。
だが、娘の話となると全く別の話だ。
「よいお考えかと。私も娘にだけは青春(アオハル)というものを味わって貰いたい」
瀬川涼子さんの母親で、娘さんと同じくお胸が大きい。
そんな瀬川さんが、模範的であり、同時に私たちが共通して抱く思いを答えた。
娘には幸せになって貰いたい。
是非とも、夏の良い想い出を作ってほしい。
そう願う。
「――高倉さんも、ご賛同頂けますか?」
「あ、はい。良いお考えだと」
何の問題もない。
エマには幸せになってほしいし、そのためなら何でも出来る。
とはいえだ。
なんで梶原君のお母様は私たちを呼んだのだ?
その疑問だけが、心の中にずっと渦巻いている。
「そうですか。有り難うございます。さて、こうしてお集まり頂いたのは、今回は私の勝手な暴走ではないか。子供たちに幸せになって貰いたいと今回の旅行を計画しましたが、それは私の傲慢というものであったのではないか。その念のための確認でして――もし不快な思いをされたのなら、キチンと謝罪をせねばと」
嘘ではないのだろう。
ただ、それだけでもないはずだ。
我々、女子メンバーの母親はピリピリとした緊張を隠せずにいる。
あれだ、なんだ。
ひょっとして、これは審査ではないのかという疑念があるのだ。
「いえ、全くそのようなことはありませんが。その、不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」
さすがに、エマが信望する部長さんを育てた母親だけあって堂々としたものだ。
挙手をして、高橋さんが尋ねた。
「はい、どうぞ。気になっていることがあれば、なんでも」
「これは審査ですか。その、息子さんの。梶原一郎君の伴侶に相応しい家柄かどうか、こうして集めて話を――」
うん、その懸念がある。
そうしたらウチなんか完全に駄目だぞ。
生活のお金にこそ困っていないが、別にお金持ちというわけではない。
家柄と呼べるほど大層な家庭ではなかった。
「全く違いますね」
「全く?」
「というよりも、どちらかというとウチの一郎に問題がありまして」
はて?
エマから聞く分には、一郎君はもう凄く良い男の子だと聞いているが。
というか、新しく五人で撮ったという写真を見る限りでは、大層な美男子であった。
あそこまで鍛えた身体をしている男性は珍しい。
「その、なんですか。人に心を許せないと言いますか。本心から相手を認めていないというか。男友達どころか、全く他人と反りが合わないのが我が息子でありまして、実は幼い頃から難儀を」
ウチのエマみたいなものだろうか。
いや、エマがあの性格になったのは、親である私の教育不足であり、他人とのコミュニケーションというものを全く教えられなかったのが原因だが。
「――特に、高橋千尋さんには感謝をしております。ようやく、あの子の心底からの笑顔を見られるようになりました」
「はい? いえいえ、その。ウチの娘も大変よくして頂いているようで……」
丁寧に頭を下げる梶原さんに。
まさか御礼を言われるとは思わなかった高橋さんが、慌てて頭を下げ返す。
結局のところ、私たちの不安は全くの見当違いであったようだ。
梶原さんは、娘たちとの関係にケチをつけるどころか。
「他の皆様の娘さんにも、息子はようやく気を許し始めたようで。今回集まって頂いたのは、勝手に旅行計画を算段した私の傲慢についての謝罪と。平素からの御礼を言いたくて」
むしろ歓迎していたのだ。
私は心の底からホッとした。
そういう話であれば、何の問題もないのだ。
正直なところ、息子さんとの交際をするにあたって、母親側に何らかの要求があると懸念していたのだが。
そのつもりは梶原さんには欠片もないようであった。
「そして、出来ればですが、一番聞きたかったところをお尋ねしたいかと。まだ三ヶ月ですが、実は、我が息子はどうでしょうか?」
「どうでしょうか、というと? その、ひょっとして」
藤堂さんが尋ね返す。
ある程度の期待を込めて、前のめりになってだ。
「はい。ウチの息子と、皆様の大事な娘さんとの交際を、いざというとき認めて頂けるのかと。そういう話です」
「ウチは認めますよ。断る理由がない」
食い気味に、瀬川さんが答えた。
うん、そうだよな。
まさに仰るとおり、断る理由がない。
「……その、よろしいのでしょうか? いえ、私はだんぜん認めるつもりでいますが、その、もっと良縁が」
私はここで勇気を出して尋ねた。
正直なところ、あの容姿の息子さんならば、もっと良縁だって見つかると思うのだ。
ちゃんとした家柄の、裕福なご家庭との縁談を。
「私の知る限りで、特に高橋千尋さんに至っては、これ以上の良縁などないと考えておりますし――」
名前を出された、高橋さんがうんうんと頷いた。
娘さんが上手く育ったことには自信があるらしい。
「一郎が、夕食の際によく喋るようになりました。皆様の娘さんの話です。とても楽しそうに。そこには、お母様もよく知っている娘さんの顔もあれば、知らない顔もあるでしょう。ですので、そこについての詳細は触れませんが――」
梶原さんが微笑みながら。
「とにかく、息子にはただ、幸せになって貰いたい。そのためには、少し勇み足ではありますが、もし息子が、一郎が、自分の意思で皆様の娘さんと『そういう関係』に至った場合、それを親御さんも認めて頂けますと有り難いのですが……いや、全く親が出しゃばることかどうかも悩んだんですが」
どうかお願いします、とばかりに頭を下げた。
問題ない。
何も問題がない。
全てが私の娘にとって都合の良いように動いていると、誰もが考えた。
「いやあ、何も問題ありませんよ! はい、全て仰るとおりに進めて頂ければ!!」
ハキハキと、満面の笑みで藤堂さんが答えた。
周囲をゆっくりと見渡しているが、視線を受けるまでもなく理解している。
「何一つ問題がないと、その、私は」
勇気を振り絞って、梶原さんの視線と合わせながらに答えた。
「ただ、子供に幸せになってほしい。それだけです」
全くの本音を口にした。
「まさに私の考えるとおりでして――ただ、子供たちに幸せになってもらえればと」
ほっとした様子で、梶原さんが胸を撫で下ろしたかのように息を吐いた。
いや、私たちも安心した。
うっすらと、梶原さんについては娘から恋愛結婚派らしいと聞いていたが、ここまでとは。
それは私の娘にとっては大きなメリットである。
ただ。
「さて、緊張させて申し訳ありません。話も終わりましたし、アフタヌーンティーを楽しみましょう。高倉さんも、好きなお菓子を皿にとって頂ければと」
「はい」
あの私と同じく引っ込み思案のエマが、両親が認めたところで、積極的に恋愛に踏み切れるか。
そこだけが心配であったが。
まあ、そこに手助けはできない。
あれだ、お母さんは梶原さんの供応に対処するだけで精一杯だよ。
そんな情けないことを考えながら、惚れた男と旅行中の娘について考えた。