【完結】俳優、女子中学生になる~殺された天才役者が名家の令嬢に憑依して芸能界に返り咲く!~ 作:朱音ゆうひ
――『演劇祭四日目・午前・不思議の国のアリス』
本番前の
ピアノの音は、現実から空想の世界へと連れて行ってくれる。
曲はいいが、演奏している
ずっと素知らぬ顔で、子供を他の男に育てさせた托卵男だ。
才能はあるかもしれないが、人としてはドクズじゃないか。
そんな奴の演奏に、俺は踊らされるんだ。
……反吐が出る。
「こんな曲、聴きたくない。イヤホンを外してデータを抹消したい。音楽プレイヤーが汚れた。壊して新しいのを買う」
心身が悲鳴を上げている。反発している。
聴いているだけで、むかむかする。
でも――この音、すごく綺麗だ。エモい。
曲に感情が揺さぶられる。なんか、違う世界に連れていってくれる広がりがあるんだ。
「はぁっ……、この曲が好きだ。ずっと浸っていたい。音楽に誘われるまま、ピアノが誘ってくれる世界に行こう」
気持ち悪い。気持ちいい。
嫌いだ。好きだ。
自分がぐちゃぐちゃになる。
……これでいい。
自我を捨てるんだ。これは、そういう儀式だ。
「ルイス」
誰も近寄ってこない俺に、少女が近寄ってくる。
黒髪の『アリス』役、
彼女を見て、ルイスは思うんだ。
俺のアリスだ。
アリス・リデルを想いながら作った主人公だ。
アリスは、無邪気に俺に手を伸ばしてくる。
何がしたいんだい、小さなレディ。
俺の肩に手を置いて、顔を近づけて。
耳元に口を寄せて、ナイショのお話?
何を話してくれるのかな、可愛いアリス。
俺はなんでも聞いてあげる。
君と話すのが、好きなんだ。
君と過ごす時間が、好きだよ。
俺は、見返りなんて、いいんだ。
俺は、君のために尽くすのが嬉しいんだ。
君の笑顔を想像しただけで、幸せになれる。
「わたしを見ててね、ルイス」
主人公は、彼女だ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【
舞台の上は、気持ちがいい。
観客席は満員だ。
数えきれない人の目が私を見ている。
以前、大人はアリサにルールを押し付けた。
伝統とか慣習とか、そういうルールだ。
本人がどんなに努力しても、どうにもならない現実だ。
『お嬢さんは、舞台には上がれませんよ』
私は気づいた――そのとき、お兄ちゃんが、安心していた。
お兄ちゃんは、私に自分の居場所を奪われないかと怖がってたんだ。
『アリサちゃんって浮気相手の子なんだって? おかあさんがいってた。それに、役者になりたくてもなれないんでしょう?』
お友だちは、同情してきた。
可哀想に、と優しく寄り添う言葉を聞いたとき、純粋に「私を憐れんでくれていて、味方だ」と思えなくなったのは、その頃からだった。
『私が目立たないようにしてたら、世の中のみんなは、私のこと忘れてくれるかな?』
『アリサ。お兄ちゃんがめちゃくちゃ目立って、みんながお兄ちゃんしか見ないようにして、アリサを隠しちゃうよ』
私は、隠れた。
それは楽な選択肢だった。
お兄ちゃんは張り切って頑張り出して、きらきらと輝いて見えた。
お兄ちゃんは、推し活の対象として優れていた。
カリスマ性みたいなのがあるし、プリンスとか呼ばれてるし、私に優しくて、明るくて、前向きで、がんばり屋さん。
楽しみながら努力ができて、いろんなことに挑戦する行動力があって、結果も出しちゃう。
私はお兄ちゃんの影で「お兄ちゃん、すごい」って言って、学校で良い成績を修めて、就職をしたり結婚をしたりして、子どもを産んで育てて、平穏に死ぬ。
そんな人生がほとんど確定みたいに頭の中に出来上がってきて、「次の人生では、男の子に生まれてみたいな」なんて空想したりもした。
『高槻さん家のお嬢さん、家族旅行も仲間外れ? ……可哀想に』
私は隠れるようになったけど、世間はそれを好きに解釈してお家を叩く材料にした。
可哀想じゃありません、と言っても、きっと世間は「言わされてる」とか勝手な受け取り方をするのだろう。
中学生になった私は、SNSの炎上騒動などをよく見かけていた。
大勢の人は、なんだか「人間って、怖いな。嫌だな。愚かだな」と思わせてくる。
もちろん、「人間っていいな、好きだな」と思う瞬間だっていっぱいあるけど、なんだかそれはリアルな人間より、架空の人間に思うことが多い気がした。
漫画とか、映画とか、小説の中で「さあ、この人間、大切な人のために自分を犠牲にするんです」とか「この人間は、今時こんな優しくて善良な人いないよってぐらい心が綺麗なんです」とか、描かれた人間は、魅力的だ。
美しく描かれた人間たちに「いいな」と心を洗われ、現実世界に意識を戻すと、ギャップがひどく大きく感じられた。
現実は窮屈で、生きにくくて、生臭くて、夢がなさすぎた。
現実の世界や人間が嫌いになってしまいそうだった。
高校生になったら、家を出よう。
漫画で読んだみたいに、北海道とかの牧場で住み込みで働きながら生活するのはどうだろう。
人の悪意を毎日「嫌だな」と思って見ているよりも、のーんびりとした動物たちのお世話をする人生の方が、なんだか美しく思える。
そんなことを考えながら、あの日、オーディション配信を見ていた。
『エントリーナンバー13番。
:こいつ知ってる、しょうもないクズ野郎だよ
:こいつ動かねーな
:緊張してるんか?
『女子だったの?』
クラスメイトの男の子が、画面の中にいた。
評判が悪い子だ。
本人もいつもコソコソしている感じで、誰とも目を合わせない。
何考えてるかわからないし、関わらないでおこうって思っていた子だった。
王司くんは、性別を生配信でカミングアウトした。
私はびっくりして、マグカップを落として割ってしまったぐらいだ。
音を聞きつけたお兄ちゃんが心配してやってきて、一緒に配信を観て、「この子、14年間も男の子のふりをしていたのかい?」と呟いた。
そのとき、胸の奥がじんじんと痺れた。
世間に何も理解されず、ずっと真実を隠して生きてきた子が、勇気を出したんだ。
自分の人生を自分の行動で変えるぞって、決死の覚悟でカミングアウトしたんだ。
私、人が自分の力で自分の人生を変える瞬間を、見たんだ。
お芝居は、アリスが泣くシーンに進んでいる。
「……うわああぁん!」
『地球のおへそはどこにある』という本に書いてあったのだけど、つらくて、いやなとき。泣くのも、自己主張なんだって。
ここで、わたしが助けを必要としています~って、みんなに知らせて自分を助けてもらうんだ。
赤ちゃんみたいだけど、アリスは元気いっぱい、泣ける子だ。
王司ちゃんがカミングアウトしたのも、「わたしは、今までの状態がいやなんです! みんなにわたしの本当を知ってほしいんです! 知って、受け入れてほしいんです、人生を変えたいんですー!」って、泣いたようなものだよね。
えらいんだ。王司ちゃんは、えらかったんだ。
よし、よし。いい子、いい子。
わたし、いっぱい褒めてあげる。ぎゅうって抱きしめてあげる。
「うわああん。ひっく、ひっく、ふええ……っ」
黒髪のアリスは、感情を解き放った。
涙を流して泣いて、自分で自分を叱咤した。
「ぐすっ……、さあアリス。そんなふうに泣いていたって、どうにもなりませんよ! いいこと、今すぐ泣き止みなしゃい!」
アリスは、自分で立ち上がる。
堂々と生きるの。
ルイスが見ていてくれるわ。
わたしはニセモノ。
だから、いつもルイスと一緒にいられるね。
わたしと遊んでも、誰もルイスを怒らない。
……本物のアリス・リデルさんがルイスをいらないって言っても、わたしはルイスが大好きよ。
現実世界では、大人が「こらアリス、礼儀正しくしなさーい、お勉強しなさーい」って言うんだよ。
けれどワンダーランドは、みんなが自由!
大人が見たら、「こらー!」と怒っちゃうようなことがいっぱいで、「こんな世界、ゆるしませーん」って言われちゃいそう。
でもでも、でもね、子どものアリスは、これが好き!
ほうら、ハトさんが、大騒ぎ。
「卵を
「それは、本当にお気の毒です」
ほうら、海ガメさんが、おかしいよ。
「実は、教育を受けたんだ……毎日、学校に行ったんだ」
「わたしだって、毎日学校に行っているわ。そんなこと、自慢になる?」
大空。緑の葉っぱ。歌うお花に、動物たち。
大きなキノコに、しゃべる虫さん。
チェシャねこ、ブーブー赤ちゃん、公爵夫人。
トランプ兵に、帽子屋さんに、女王様。
わたしが歩くと、景色が変わる。
わたしが見上げると、おそらが見える。
わたしはアリス。
ルイスに作られた空想上のキャラクター。
アリスは現実を離れて、冒険をして、また現実に帰ってしまう。
将来のこととか、社会的な立ち位置とか、外聞とか。
大人が気にするつまらないことを気にせずにずっと遊んでいればいいのに、子どもはすぐに成長してしまうんだわ。
ルイスは理屈っぽくて、優しくて、愛情深い。
だから、アリスは元の世界に帰るのね。
「ああ、わたし、とってもへんてこりんな夢を見たわ!」
夢って、儚い。
1秒ごとに忘れていってしまいそうで、怖くなる。
お姉さん、聞いて。
わたし、不思議の国を旅したの。とっても愉快な冒険だったの。
そこにはいろんな「へんてこりん」がいて、みんなと楽しくお話したのよ。
お姉さんは、わたしのおでこに、こめかみに、鼻のてっぺんに、順番にキスをした。
小鳥さんがくちばしでついばむみたいな、親愛のキスよ。
「ほんとにへんてこな夢ね。でも、もうお茶の時間だから、走っていってらっしゃい。遅れるわよ」
お姉さんが言うので、わたしは現実世界で立ち上がる。
お茶の時間は、守らなきゃ。
遅刻なんて、いけません。
わたしは小さなレディで、これからもっと大人になるの。
走り出す。
一生懸命、走り出す。
走りながら、わたしは「ああ、素敵な夢だったな、楽しかったな」と胸の中で噛みしめる。
夢って、寂しい。
楽しくて、また見たいって思っても、もう一度同じ夢を見るのは困難だ。
けれど、本物のアリスはルイスに紙の本を作ってもらったから、見たいときにいつでも夢が見れるのね。
ルイス、ルイス。ありがとう。
わたしを作ってくれて、ありがとう。
わたしを見ていてくれて、ありがとう。
夢で楽しませてくれて、ありがとう。
それにしても、気持ちいい。
ランナーズハイという言葉があるけど、役者の場合も「アクターズハイ」みたいなのがあるんだろうか。
自分がすごい、自分が特別だ、と思えて、自己肯定感が高く高くなっていく。
スポットライトは、わたしのもの。
『お兄ちゃん』は、わたしを応援して。
わたしを見ていて。わたしの引き立て役をして。
やだな……自分の中に、こんな思いがあったんだ。お兄ちゃん、ごめんね。
思いがけず自覚して、
お芝居の終わるとき。
ルイスは、わたしではない本物のアリス・リデルを思いながらエンディングの挨拶をする。
「親愛なる友達、アリス。君のことを考えて、僕はこのお話を紡いだよ」
わたし、アリスは虚構の存在。
わたしを作ったルイスは、もうわたしを見ていない。
「君は僕の知らないところで、大人になっていく……僕は、それが寂しいよ。けれど、このお話を形にして君に届けることができてよかった。君の心のどこかに、あの美しい日々が残っていたら、嬉しいな」
拍手が湧く。
わたしに勇気をくれた葉室王司は、他の子の応援をしていて、この舞台を観ていない。
それがちょっとだけ、寂しい。
わたし、こんなにできるんだよ、王司ちゃん。
わたしを見て。
わたしが王司ちゃんを見たように、王司ちゃんもわたしを見て。
『アリサ。この子は、つらい人生を過ごしてきたんだね。心の傷はすごく深いだろう……お家の人は、どんな感じなのかな。児童相談所に通報した方がいいのかな』
お兄ちゃんの声が脳裏によみがえって、頭が冷静になっていく。
観客の拍手も、だんだんと小さくなって――舞台は、終わった。そう思ったら、どんどん自分らしさを意識するようになっていく。
高槻アリサは、大人しくて、地味めで、控えめで、「普通」って感じで、いい。
『アリサ。王司さんは、これから女の子として生きたいから、こういうことをしたんだ。アリサ、普通の女の子として接してあげるんだぞ。それが喜ばれると思うから』
普通のアリサが、王司ちゃんの隣で「私たち、普通だね」って笑いかけるの。
そうすると、王司ちゃんは嬉しそうにするんだ。
ああ……だから、私は「すごい」とか「できる」とか誇ったり、しないんだ。
いけない、いけない。私、幼稚なことをしちゃったよ。
王司ちゃんが舞台を観ていなくて、よかった。