俺が告った彼女は〈野郎〉かもしれない   作:磨己途

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◆3月31日 病室の二人

「奈津森⁉」

 

 夜の十時を回った時分。薄暗い病室の入口に現れた彼女の姿に俺は思わず声を上げた。

 

「──っ! ぅうっつーっ」

 

 傷だらけの口内が痛み、自動的に(うめ)き声が漏れる。それに、押さえてどうなるわけでもないのに自然と手で口元を覆っていた。病院のベッドで意識を取り戻してからというもの、ずっとこの調子で我ながら嫌になる。

 

「ちょっと! 大丈夫? 無理に喋らなくていいからね?」

 

 無様に痛がる俺を見て奈津森が足早に近付いてくる。

 しかし、喋らなくていいと言われても口を開かねば意思疎通ができない。ここが仮想現実の世界だというのなら、テレパシーが使える世界か、痛覚がいい具合に加減された世界として構築してくれればよかったのにと恨めしく思う。

 

「矢部か?」

 

 ほとんど「やえあ」としか聞こえない発音。それすらも本当は「矢部に言われて来たのか?」という問いを省略した発話である。

 俺が苦心してそう口にした直後、その矢部当人が病室のドアの陰から顔を覗かせた。

 

「俺は向こうの階段で見張ってる。誰か来たら大声出して騒ぐから。奈津森はそれ聞いたら急いで逃げて来いよ?」

 

 消灯時間を過ぎた病棟に相応しく潜められた声でそう言うと、矢部は抱えてきた小型のモニターをベッドの脇に置き、さっさと扉を閉めて出て行ってしまう。

 

 ありがたい。

 報酬は弾むからと()き付け、矢部にこのミッションを託したのだが、さすが高一の春に知り合って以来、二十年近い付き合いになる親友。しっかり俺のオーダーに応えてくれた。

 

 矢部の意図を理解したうえで奈津森の手荷物をよく見ると、重そうに携えた紙袋の中には予想どおり、ゲーム機のハードと〈マハ・アムリタ〉のパッケージが詰められていた。

 どうにか間に合ったようだと、俺は不安で張りつめていた緊張を緩め、大きく息を吐く。

 

「頭大丈夫?」

「ん? んん……」

 

 俺は包帯でグルグル巻きにされた頭を()でさする。

 

「それもだけど。そんな状態でテレビゲームやらせろってことがよ。頭大丈夫?」

「うん……」

 

 俺は舌の先で口内の傷痕を()めながら、矢部もどうせなら奈津森の方を見張り役にしてくれればよかったのにと思う。これからまた奈津森相手に一から説得しなければならないのか。

 

「分かってる。心配しなくてもやってあげるわよ」

 

 俺の苦悶の表情を読み取った奈津森がコートを脱いで準備に取り掛かる。

 

「スマン……。生き……っフーッ!」

 

 どうやらイの段が鬼門のようだ。

 

「だーい丈夫だからっ。生きるか死ぬかの大問題だって言うんでしょ? 聞いてるわよ」

 

 そのとおりだ。奈津森はおそらく本気で信じてはいないだろうが、俺にとってこれは本当に生きるか死ぬかの大問題だった。

 

 俺は口の中に広がる痛みに顔をしかめつつ、暗がりの中、甲斐甲斐しくゲーム機のセッティングを始める奈津森の動きを見守った。

 今さっき〈マハ・アムリタ〉のパッケージを見るまで生きた心地がしなかった。

 いや、こうして目の前にしながらもなお不安は残る。果たして、いつもの自分の部屋以外であってもあの〈グリッチ〉を出現させられるのだろうかと。

 

 もしも条件が異なるせいであの現象が再現できなかったら……、それですべてがお終い──ゲームオーバーだ。

 今日の深夜0時を回った瞬間にタイムリミットとなり、この世界は再構築される。この世界のすべての事象が、一年前の同じ日まで(さかのぼ)り、住人たちの記憶もシミュレーションの初期値に置き変わる。

 この俺も含めてだ。

 これまで生きてきた記憶を失うことは俺にとって死と同義であったし、それは才川の手に落ちた鷹宮が次の周回以降、まったくの孤立無援となることも意味していた。

 再び記憶を上書きされた鷹宮が、都合よく自力で記憶を取り戻せるとは考えづらい。そうなれば、あとはすべてあの才川の思い通りになってしまう。

 

「なんで私なのかって思ってるでしょ?」

 

 モニターの電源コードを繋ぎながら奈津森が(たず)ねてきた。

 確かにそれは思った。荷物持ちとして応援を呼ぶなら男の方がいいだろうし、こんな場合に矢部が声を掛ける相手として奈津森を選ぶというのは意外だった。

 

 

 ──矢部からは、あの水族館での告白の結果を聞いていない。

 玉砕したのなら傷心の矢部の傷口を(えぐ)るようなことはすべきでないだろうと(おもんぱか)り、俺から訊ねることもしていなかった。

 その後の様子を観察した感じでも、二人が付き合うようになったとは思えなかったのだが、実はまったく想像の逆で、密かに二人はいい仲に進展していたのだろうか。

 俺自身は鷹宮の方を選んでおきながら、こんなふうに感じるのは随分身勝手な話だが、二人の関係について想像すると無性に心の奥がざわついた──。

 

 

「矢部に言われたの。ちゃんと(コク)って、しっかりフラれて来いって」

「…………」

 

 二人の間に緊張が生まれる。

 すぐに言葉を返せなかったのは、口の中が痛むからという理由だけではない。不用意に口を開けば彼女を余計に傷付けてしまう気がしたからだ。

 

「ねぇ、これね……。凄く未練たらしいこと言うんだけどさ。もしかして、今……だったらチャンス、あるかな?」

「…………」

 

 俺はベッドのシーツを掴み身を強張らせる。

 まさか、あの奈津森がそんなことを言うなんて……。

 彼女にこんなことを言わせて……、こんな、残酷な思いをさせてしまうなんて……。

 誰からも好かれる奈津森の、こんな気弱な……、卑屈な一面を俺は知りたくはなかった。

 

 だが、悪いのは俺だ。

 俺の選択が彼女にそうさせてしまったという自覚がある。

 知ってしまった以上、次に奈津森と会ったとき──、いや、これからずっと、奈津森と顔を合わせる都度、今日の出来事が俺の脳裏をよぎることだろう。

 俺はたった今、彼女自身すら気付いていなかった奈津森の内面を覗き見てしまったのだ。

 取り返しのつかない後悔の念に押し潰されそうになる。

 

 一瞬この場だけでも優しい言葉を掛けて彼女の想いに応えるべきだろうかという迷いが生じたが、すぐにそんな自分を戒め拳を固く握る。

 彼女の精神に対してそれは、冒涜だ。

 

 俺はこの場で交わされたどんな約束も、行為も、この場限りのものだと知っている。自分が同じ世界を繰り返しているのをいいことに、その優位に物を言わせて、人の心を(もてあそ)ぶような真似はしたくない。それだけはしたくなかった。

 

「……ぃや、……スマン……」

 

 後ろ向きの奈津森の頭が僅かに揺れ、それから微かに息を吸う音が聞こえた。

 表情は見えなくとも、その息遣いだけで彼女の悲しみが形を成して視えるようだった。

 

「もっと前だったらどう? たとえば、鷹宮さんが転校してくる前だったら……」

 

 いや。実際は、鷹宮が現れようと現れまいと関係なかっただろう。

 それよりずっと前に俺は一つの結論に達していたのだから。

 

「一年のときとか……。だったら結構自信あったっていうか……。てか、それも自信過剰かな……?」

 

 奈津森はすでに配線を終えて手持ち無沙汰にしていた。ゲーム機のコントローラーを持って正面を向き、心細そうに俺の返事を待っている。

 

「ああ。たぶん。一年のときなら、俺、きっと喜んで奈津森と付き合ってたと思う」

 

 この世界の異常に気付く前の、何も知らない自分であった頃を思い出して俺はそう答えた。

 その頃の自分であれば普通に誰かと恋をすることも許されていただろう。

 俺は繰り返すこの世界の秘密を知ったそのときから、自分以外の誰も、自分と同質の存在だと見なせなくなっていた。奈津森に限らず、誰のことも。

 今の俺が本当の意味で対等に心を開ける相手がいるとすれば、それは……。

 

「あー、やっぱり。そっかー。そのへんかー。二年に上がった頃にはハルキ、もうだいぶ雰囲気変わってたもんねぇ」

 

 奈津森がぎこちなく笑いながら、手に持ったコントローラーを差し出した。

 

「はい。ありがとね。ちゃんと教えてくれて」

 

 俺はコントローラーを受け取ってすぐ枕元のスマホを手に取り時間を確認した。まだ一時間近く余裕はあるが、ちゃんと電源が入り、ゲームが立ち上がるかどうかは最低限確認しておかねばならない。

 俺は病室に満ちる湿っぽい空気を無視して急いでゲーム機を起動させる。

 駆動音がカリカリと鳴り、モニターから零れるRGBの光が俺たち二人を照らす。

 

「そうよ、それそれ。その感じ。ハルキ、恋愛とか全然興味なさそうな雰囲気出してたし。油断したなー」

 

 奈津森が呆れ顔で、独り言とも俺に対する非難とも付かない愚痴をこぼす。

 脇に置いてあった丸いパイプ椅子に腰掛け、俺と同じモニターの方に顔を向ける奈津森を見て、俺の頭にふと要らぬ考えが浮かんだ。

 本当であればこのとき、無理にでも奈津森を病室の外に追い出すべきだったのではないかと、俺はのちに思い悩むことになる。

 

「何があったか、訊かないのか?」

 

 俺は極力舌や唇を動かさず、口の中で音を籠らせるようにして喋る。そんなコツを習得しつつあった。

 

「鷹宮さんのお父さんにボコられたんでしょ? それは矢部に聞いた」

「そっちじゃなくて。一年から二年に上がる間に何があったのかって方」

 

「……教えてくれるの?」

「たぶん口で説明してもきっと信じてもらえない話だけどな」

 

「何それ……? きっと話が重た過ぎて、誰にも言えないようなことがあったんじゃないかって、みんなで噂してたのよ?」

「……そうか……」

 

 モニターには〈マハ・アムリタ〉のオープニングのデモムービーが流れ始めていたが、俺はコントローラーのボタンを押し込んでそれをスキップさせた。

 いつもの手順とは違うが、俺がルーチンとしていた動作のうち、どこまでが〈グリッチ〉を出現させるために必要な操作なのかを確かめる意味もあった。どうせここが自宅でない以上、いつもと完全に同じ条件を再現することは不可能なのだ。

 幸いまだ時間はある。これで失敗したなら何度でもやり直すつもりで俺はキャラクタークリエイトを進めた。

 

 最初の頃は忘れないように細かい手順をメモに書き取っていたのだが、何度も繰り返すうちに完璧に記憶してしまっていった。今さら間違いようがない。髪型。目の形。色。鼻の位置。頬やアゴの大きさ……。

 

「あー、いるよね。男なのに女キャラ使う奴。ハルキがそのタイプだとは思わなかったけど」

 

 ゲームしてる間ずっと見ることになるんだから野郎より女キャラの方がいいだろ、と言い返したかったが、口を開くのが億劫なのでやめておいた。

 

「しかも無駄に凝ってるし……。あ、ねぇ、これ、なんか鷹宮さんに似てない?」

「似て……るかぁ? 気のせいだろ」

 

「うわー、こんなの見せられるんだったら持って来なきゃよかった。残酷ぅ。まさかこんな方法でノロケを食らわされるとは」

 

 そう愚痴りながらも、奈津森はすっかり吹っ切れたように明るく笑っていた。

 少なくとも俺の目にはそのように見えた。

 そのことに慰められるような思いで、俺はコントローラーを握りながら奈津森を見つめる。その奈津森の顔から不意に()()()()()()

 

 しまった、と思った次の瞬間にはすでに始まっていた。

 同じ部屋にいれば一緒に〈グリッチ〉に飲み込まれることになるだろうと思っていた。本当なら()()()()可能性も当然考えておくべきだったのだ。

 

「やっぱり、こういう華奢(きゃしゃ)でチッコイ感じがハルキの好みなの?」

 

 奈津森自身は自分の身に何が起きているのかを全く知覚できていないようだった。無邪気に、こちらを揶揄(からか)うような目で笑っている。

 その輪郭がいくつもの細い線に置き換わり、世界が奈津森の姿をレンダリングすることを諦めていく。病室の情景と同じく、彼女の姿形は単純な線だけになり、やがて全てがフラットになった。

 

 彼女という存在を表していた凹凸の描画は全て失われ、すでに息遣いも聞こえない。

 体感ではほんの数秒のことだ。

 気付くと俺は一人、無機質な立方体の空間でコントローラーを握り締めている。

 残ったのはゲーム機とモニター、それに病院の患者衣やスマホなど、俺が身に着けるか触れるかしていた物だけだった。

 

 奈津森を〈グリッチ〉に誘い、事情を説明する──そしてあわよくば次の周回で俺たちに協力してもらう──そうしようと考えたのであれば、少なくとも手を繋ぐかどうかして身体を触れさせておくべきだったのだろう。

 今の今まで言葉を交わしていた相手──(なま)の人間が跡形もなく消え失せたことに、俺は改めて恐怖を覚えた。自分たちがどれほど空疎で容赦のない世界に生かされているのかを思い知る──。

 

 

 しばらく俺はそのままの姿勢で呆然としていたが、やがて、兎にも角にも、周回を成し遂げたことには感謝すべきだろうと気持ちを切り替えた。

 何もかも、()()()()()()にされてしまったが、奈津森と矢部が俺にしてくれたことには必ず次の周回で報いよう心に決めた。

 そうして青く輝くモニターに向き直る。

 

『記憶を引き継いで冒険を再開しますか?』

 

 いつもどおり現れた質問に対し、慎重に〈はい〉を選択すると、何もなかった壁面に病室のドアが浮かび上がった。

 節々痛む身体を(いたわ)りながらベッドから身体を下ろし、ヨタヨタとドアの方へと歩み寄る。

 スライド式のドアに手を掛け、ソロリと開けた。

 

「あら? どちら様?」

 

 突然背後から女性の声で呼び掛けられる。

 ギクリとして振り向くと、さっきまで俺が寝ていたベッドの上には品の良さそうな六十絡みの女性がいて、少し驚いた表情でこちらを見つめていた。

 

「すみません。部屋を間違えました」

 

 俺は身体を廊下に出すと同時にドアをスライドさせ、急いで彼女の視界から自分の姿を隠す。

 薄暗い病院の廊下に俺は一人。

 着ているものは患者衣のまま。頭には仰々しい包帯。

 だが、身体のどこにも痛みはなく、口内いっぱいに広がっていた忌々(いまいま)しい切り傷も、血の味も、始めから何もかもなかったようにすっかり消え失せてしまっていた。

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