俺が告った彼女は〈野郎〉かもしれない   作:磨己途

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▽8月19日 グリッチの二人(3)

 不意に俺の左肩に手が置かれる。

 その反対。右肩越しに、頭の後ろから鷹宮の細い腕が伸びてきて前方を指した。

 つられて顏を前に向けると、これまで何もない真っ白な地平だった先に、黒くて細い、ウネウネと動く線の塊が見えた。

 

 子供がクレヨンで落書きしたような黒いモジャモジャと形容すればよいだろうか。それが段々と大きくなり、こちらに向かって近付いてくる。

 ……いや、違う。この空間全体を飲み込むようにして広がっている。

 

 〈クジラの欠伸(あくび)〉が終わるのだ。

 

「意外と長く安定してたが、もう行かないと」

 

 別れを告げる鷹宮の声を聞き、俺はいつの間にか自分の心が切ない感情で満たされていたことを知る。

 無性に堪らなくなり、立ち上がって振り向いた。

 今度は首を(ねじ)って戻されたりはしなかった。

 

 鷹宮も立ち上がり俺から少し距離を取っていた。

 サヨナラをするように左手が持ち上がり左右に小さく揺れている。

 そうやってコンソールを操作し、ログアウトしようとしているのだと俺は察する。

 何か言わねばと心は(はや)るが、その何かが頭の中で形を成さない。

 

「あー。あ、そうだ。()()()()()からって鷹宮遥香に変なことするなよ?」

 

 冗談めかして言う鷹宮の顔は少し引きつって見えた。

 

「しねーよ。そういうのはしないって、言っただろ?」

 

 そういうの、とは俺が同じ世界を周回して得た知識を使って、他の人間の心に踏み込んだり操ったりというような、俺が道義に反すると思う行いのことだった。今回の鷹宮のようなケースでは少し意味合いは変わるが根本は同じだ。

 前周回で稼いだ金を持ち越して少しリッチな生活を送るとか、友達が大きな失敗をしでかさないように助言してやるような話とは全然違う。

 何でも思い通りに操れる道具のように、他人を一人の人間として見られなくなってはお終いだろうと。それは、俺が自分自身に課した誓約だった。

 

「知ってる。俺はハルキのその高潔さが一番気に入ってるんだ」

 

 はにかみながらこちらを見つめる鷹宮に俺はドギマギしてしまう。

 前回の半年に及ぶ付き合いの中でも面と向かってそんなふうに言われたことはなかった。

 

「俺も。そのぅ、上手く言えてなかった」

「ん?」

 

「その水着、めちゃくちゃ似合ってるぜ」

 

 虚を衝かれたらしい。一瞬鷹宮が目を丸くする。

 遅れて肩を(いか)らせた鷹宮が、大声で「馬鹿!」と叫び、それを見て俺がニヤリと笑う。

 次の瞬間には鷹宮の姿は俺の視界から跡形もなく消えていた。

 

 ここがゲームのような世界なら、何か転送的な現象を想起させるシュワッという音や、キラキラした視覚エフェクトなどがあって(しか)るべきなのではと思うが、実際は呆気ないほど淡泊なログアウトだった。

 

 俺の最後の言葉は感傷的になってしまった気持ちを誤魔化すためという理由が半分。残り半分は、裏表なく俺の正直な感想と感謝の表明のつもりだったのだが、そちらの意図はちゃんと伝わっただろうか。

 

 ……さて。

 と心の中で呟きながら振り返る。

 

 目の前には、いまや視界いっぱいに広がった黒いモヤモヤの何かが迫っていた。

 覚悟を決める間もなく、そのモヤモヤの中に取り込まれ、俺は思わず目をとじ息を詰めた。

 

 とじた瞼の上に陽の光を感じる。

 またしても呆気なく、変化は唐突に起きていた。

 目を開けると、俺はあの〈グリッチ〉に向かって飛び込んだ流れるプールの中。ポツポツと身体に当たる雨粒の感覚によって、あの豪雨が小雨に変わっていたことを知る。腰より下には生ぬるい水の感触があった。

 

「何してんのハルキ? もうみんな着替えに戻ってるから上がりなよ⁉」

 

 プールサイドを見上げると、そこには呆れ顏で俺を見下ろす鷹宮が立っていた。

 鷹宮の……〈中身〉のいない鷹宮。プレイヤー不在時にその間の不整合を補うために行動する、NPCの鷹宮だ。

 

 なるほど。世界はこんなふうに辻褄を合わせようとするのかと舌を巻きつつ、俺はノロノロとプールから這い上がるのだった。

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