じり、じりと土を踏む音が響く。
天井に張り付いた苔がほのかに光り、薄暗いダンジョンの中を照らす。
俺は道の奥を見据え、『ヘスティアナイフ・白』を握る右手に力を込めた。
視線の先にいるソイツは、6本の足と赤茶色の甲殻を持ち、赤く光る両目の間には凶悪なアゴがガチガチと音を鳴らす。
第7層から出現するアリのモンスター、「キラーアント」。普通のアリと違うのは、その体長が1mを優に超えるという点。
(気をつけるのは硬い甲殻と強力なアゴ、仲間を呼びそうなら最優先で対処___よし)
相手の出方を油断なく伺いながら、親切なアドバイザーから叩き込まれた注意点を反芻する。キラーアントは6階層までのゴブリンやコボルトとは一線を画する。非常に硬い攻殻は剣を弾き、さらに鋭いアゴで攻撃してくる厄介なモンスターだ。今日は防具の一つも着けていないため、マトモに食らえば結構危ない。
「__シッ!」
「__キシャァァァッ!!」
先に動いたのは俺。今日の装備はナイフのみで非常に動きやすく、速攻戦術とは相性が良い。ナイフを握る指に力を込めて、真正面から肉薄する。対するキラーアントは威嚇するように立ち上がり、自慢のアゴを引き絞った。
「オォォォッッッ!!!!」
面倒な駆け引きは必要ない。力を溜めたアゴが瞬間解き放たれる寸前、ラリアットの要領で頭をカチ上げる。
ふわりと宙に浮かんだキラーアントは、次の瞬間、その上下を逆さにして地面に叩き付けられた。無防備に腹を晒しながらバタバタともがくキラーアントの胸を踏みつけ、その喉元に純白のナイフを突き立てる。
「しまった...甲殻は避けて関節を切る、だっけ」
しばらくもがいていたキラーアントが大人しくなるまで待った後、今さらエイナさんに教えられた対処法を今更思い出し、ふとナイフに目を落とす。
キラーアントの甲殻は下手な武器なら通さないほど堅牢であり、だからこそ甲殻の隙間の柔らかい肉を狙うのがセオリーだ。業物を手に入れたからといって基礎を疎かにしていい訳じゃないからな。気をつけよう。
付着した紫色の血を軽く払い、深く深く息を吐く。
空気と一緒に嫌なものを吐き出したかったが、払いきれない嫌悪感はしつこく胸の中に居座り続けている。
俺はこの"後片付け"がどうにも苦手だった。
「やるかぁ...」
試し斬りに来ただけとはいえ、倒したモンスターの魔石を回収しないのは非常にマズい。残した魔石をモンスターが食べ、強化種が生まれかねないからだ。
せめて鮮明には見るまいと、俺は目を細めてアリの死骸と向き合うのだった。
「インファントドラゴンに襲われたぁ〜〜〜?」
「ハハハ...」
明らかに怒気を含んだ彼女の声に、宇今は当たり障りなく笑うことしかできなかった。
新しいナイフの切れ味を試すため、軽くダンジョンに潜った帰り道。譲り受けたインファントドラゴンの魔石と、ついでにキラーアントの魔石を売却しようとしたところ、件のクソデカい魔石を渡す場面をエイナさんに目撃され、今に至る。
「...つまり、脱走したインファントドラゴンに追いかけられてたところを【
「当たり前っすよ、流石にそんなことしませんて!」
「うーん...」
一通りの説明を終えると、エイナさんはとりあえず納得してくれたようだ。
出会い頭に「どこでそんな物手に入れたの!」「まさか11階層まで潜ったんじゃないでしょうね?」などと問い詰められ、面談用ボックスで質問攻め。流石のエイナさんも少しだけ疲れたようで、テーブルに手をついてため息を吐いた。
「俺、そんなに死にたがりに見えます?」
「見えます」
「即答ぉ~...」
「普段着にナイフ一本でダンジョンに潜るのは死にたがりでしょ!」
「いやホラ、鎧着て出かけると神様にバレるから......あっ」
つい漏らした本音。だが時既に遅く、一瞬で事情を理解したエイナさんが目を細める。
おかしい、笑顔のはずなのに目が笑ってねぇ...!
「ふ~~~ん、神ヘスティアに黙って来たんだね~~~」
「いや、あの、ちゃうんすよ」
「何が違うのかなぁ!君は!そんな目に!遭っていながら!危機感ってものが!ないのかなぁ!?」
「ちょ、待って、お願いマッテ!?」
ついに席を立ったエイナさんが、両手を振り上げながらじりじりと迫る。反射的に座っていた椅子から飛び退くものの、後ろは壁。さらに、唯一の退路はエイナさんの背後にある扉のみ。
「謀ったな貴様ァ!?」
「誰が貴様だ! もういい、言葉で分からないなら体に教え込んでやる...!」
「いやー食われるぅー!?このエルフアマゾネスー!!」
「ちょっとうるさいわよ、何騒いで...」
二人がぎゃーぎゃー騒いでいると、エイナさんの背後でドアが開け放たれ、隙間から顔が覗く。
「ホントに何してるの?」
「...はっ!す、すみません...」
レッサーパンダを彷彿とさせる可愛らしい戦闘態勢をとっていたエイナさんは、我に返ったように手を下ろした。
突如として現れた乱入者は、多分エイナさんの同僚。ギルドの制服のカッチリとした生地を押し上げる見事な双丘が、胸に抱えた羊皮紙の束によってさらに強調されている。緩くウェーブのかかった長髪は、薔薇のように鮮やかな赤。そして何より、頭頂部にそびえるのは素晴らしい犬耳。
「すみませんローズさん、ちょっと取り乱しちゃって...」
「別にいいけど。それよりエイナ、あんた班長に呼ばれてたわよ?珍しく書類の不備があったとか」
「えっ本当ですか? すみません、すぐ向かいます!」
原作...いやゲームのシナリオで少し見ただろうか。名をローズというらしい女性は、エイナさんが敬語を使っているためか、どことなく大人びて見える。姉御肌なのかな。
しかもこの人は、俺の記憶が正しければ、ダンジョンに潜ったきり帰ってこなかった旦那がいた未亡人キャラ!
大人の"叡智"が感じられますな。
「宇今君、えっと...話はまた今度ね」
「いえ、もう無茶しません。もうエイナさんに怒られたくないんで」
「本当かなぁ...」
呆れながら仕事に戻るエイナさんを見送ると、ようやく肩の力が抜けた。
これ以上話が続いていたら、お得意の「冒険者は冒険しちゃいけない」を筆頭にアレコレと説教が始まるところだった。むしろ話の腰を叩き折ってくれたローズさんには感謝。流石おっp......大人のお姉さん。
「......何よ」
「あぁいえ、すみません」
チラチラ見てたのがバレたのだろうか。反射的に目線を20センチほど引き上げると、切れ長の瞳と目が合った。
「あー...じゃあ、自分はこの辺で...」
「ちょっと待ちなさい」
「えっ何、ちょっ!?」
ちょっと気まずくて早々に退散しようとした矢先、なぜかお姉さんに引き留められる。かと思えばぐいっと詰め寄られ、至近距離から顔を見られているではないか。
俺の身長が178センチ、彼女が目算170センチ前後だから、ヘスティア様やエイナさんよりどうしても顔が近くなる。えっなに恋しちゃうよ?
「フン、何でもないわ」
「アッハイ...し、失礼します」
しばらく観察された後ようやく解放された俺は、何が何やら分からぬまま足早にギルドを後にするのだった。
余談だが、本日はダンジョン探索の完全休養日である。
最近その日の食い扶持のためにダンジョンに潜るというギリギリの極貧生活を卒業した我がヘスティア・ファミリアは、団員の心身をリフレッシュさせるための"完全休養日"を取り決めた。一人で好きなことをするもよし、家族と時間を共有するもよし。もちろんダンジョン探索は禁止だが、俺がやっていたのは試し斬りだからセーフ。
とはいえ、完全休養日をもらったところで行ける場所は限られている。
まずオラリオという都市は、その中央に聳える巨塔から伸びた放射状のメインストリートにより、八つの区画に切り分けられている。
現在地は北西メインストリート、通称「冒険者通り」。ギルドを始めとした武器屋、道具屋などの冒険者関連の施設が集まっており、探索に必要なものはここを回れば大体手に入る。
そこから北へ歩いていくと、主にギルド職員などが住む高級住宅街がある。そこには小洒落たカフェやレストランがあるとエイナさんに聞いたことがあるが、今はお財布事情からして厳しい。
そして、東区は寂れた住宅街が広がるのみ。南区に至っては魔石製品の工場か、南東に歓楽街という危険地帯が存在している。とても行けたもんじゃない。
そうなると必然的に、行先は西区に絞られる。西区は非冒険者が住む一般住宅街であり、住宅街の隙間に広がる屋台や市場はいつも賑やかだ。
特に西のメインストリートは活気があり、まるで巨大な商店街のように様々な店がひしめき合っている。
ちなみに「豊穣の女主人」もこの通りにある。
普段なら西区の上から下までぐるっと周り、本屋で立ち読みしたり、市場を冷やかして歩くのがセオリーだ。しかし今日はその逆、冒険者通りからさらに北上する。
冒険者通りから北向きの路地に入っていくと、一見寂れた武器屋や怪しげな道具屋などが多くなってくる。最近はこういった”いかにも”な店で掘り出し物を探して回るのが、密かなマイブームになっているのだ。あっちの世界で駿○屋とかブ○クオフとかア○メイトを巡る感覚に近い。
コツコツと足音を響かせながら、薄暗い路地を右へ左へと曲がっていくと、店頭のショーウィンドウにハンマーや戦斧が飾られた寂れた鍛冶屋に辿り着く。ここ、扉まで重いんだよな。
「ちわーっす」
「おぉ、来たか
薄暗い店の中に挨拶を飛ばすと、少し間を置いて野太い声が帰ってくる。声の主は店の奥のカウンターにどっかりと座り、パイプからモクモクと煙を吹かしている。
「毎度すんません、冷やかしちゃって」
「なに、余計な気遣いはいらねェさ。武器は己の半身、じっくり選べばいい」
三つ編みに整えた髭を撫でるドワーフの店主、ギムリさんはニヤリと笑った。
なんでも彼はヘファイストスファミリアの鍛冶師であり、昔は結構すごい武器を打っていた人らしい。なんでも腰を痛めて鍛冶師業を引退したのだとか。
今は新人の育成に力を入れているらしく、店の中には新人鍛冶師の作品が多く置かれている。おかげで俺のような駆け出しでも入りやすい。
「いえいえ、今日こそ買い物させてもらいますよ」
「ウハハ、本当かねぇ」
「ふっふっふ...これを見ても同じことが言えるかな?」
最近はここに入り浸ってアレコレ物色しているから、何も買わないうちからすっかり顔を覚えられてしまっていたが、それも今日でおしまいだ。
後ろ手に握りしめていた麻袋をカウンターに乗せると、ジャラリと響く重厚な音にギムリさんが目を見開く。
「おいおい、駆け出し一人で稼げる額じゃねぇぞ」
「それが旦那、ちっと臨時収入が入りましてね...」
簡単に事情を説明すると、貫禄のある顔にシワを寄せて大笑い。
「ウハハハハッ!インファントドラゴンとやりあったとは、久々に気骨のある若者が来たもんじゃ!」
「よォし、何でも見繕ってやる。希望はあるか?」
「んー、そうだなぁ...」
しれっと発現していたスキル【
最近はこのスキルに頼って被弾上等でバットを振り回しているためか、"力"と"耐久"のステイタスの上昇幅が凄まじい。今やすっかり肉を切らせて骨を断つ脳筋スタイルが板につきつつある。
それを活かすため、相手の攻撃を受け止められるゴツい防具が欲しかったところだ。
「ならフルプレート、うんと硬いヤツを!」
「おゥ、なら丁度いいのが入ってるぞ」
そう言ったギムリさんは、店の隅に置かれていた大きな木箱を運んできた。中身は立派なプレートアーマーで、他にもヘルム、肩当て、ガントレット、レガースなど、鈍く光るガンメタルカラーの金属鎧一式が詰め込まれていた。値札には『24000』と強気な数字が。
「新人鍛冶師の作品だが、造りはしっかりしてやがる。防御力は保証するが...」
ギムリさんから胴鎧を受け取ると、まずその重量に驚いた。決して持ち上がらない訳ではないが、これをすべて身に着けて走り回るのは苦労しそうだ。
「ちと厚く作りすぎたようでな。かなり重いうえに値も張る」
「ふーむ...試着してみるか...」
卵型のアーマーを頭から被り各部の装甲も取り付けると、やはり重い。だが【
何よりこの鎧、腰回りと足回りは間接を広げており、重々しい見た目以上に動きやすい。これを作った奴は俺よりも遥かに冒険者ってものを理解しているようだ。
そして何より、鎧の裏に刻まれていた『鬼丸』という銘が決め手となった。まさに名は体を表すが如く、悪鬼の如きフェイスマスクと天を衝く二本のツノが最高にクールだ。
これは...いいものだ...(壺おじ並感)
「これ、『オニマル』っていうんスね。いいセンスだ...」
「...あぁ、そうだな」
名前のことだけ一瞬言い淀んだことは気になったが、まぁ些細なことだ。24000ヴァリスという値段も予算内。ヨシ!
「このまま着て帰ってもいいです?」
「あぁ、構わねぇが...いや待て、コイツも持ってけ」
そう言ってカウンター裏から取り出したのは、布切れといくつかの小瓶。曰く鎧のメンテナンス用具だとか。
「折角のフルプレートだ、錆びさせんよう気ィつけろ」
「おぉ、ありがとおっちゃん!」
「いいってことよ。初回特典ってことで負けてやる」
「商売上手っスね...」
「当たり前だ、年季が違ェよ」
強かに笑うギムリさんに見送られて、嬉々として店を後にする。
帰るころには太陽は半ば市壁に隠れていた。茜色に輝く空を見上げていると、言いようのない満足感が体に満ちてくる。
おニューの武器は上々、おろしたての鎧も夕日をたっぷりと浴び、キラキラと輝いている。なんならギルドでは綺麗なお姉様にも出会えた。
今日は最高の休日を過ごせたのではなかろうか。
浮かれた足取りはふわふわと軽く、ほとんどスキップのようだ。
冒険者通りから裏路地を抜けてそのまま西の大通りに出ると、街の雰囲気は一変する。
近道になりそうな路地に足を踏み入れる。ひっそりと静かな裏路地を歩いていると、高鳴っていた心臓もようやく落ち着いてきた。
こういう雰囲気は嫌いじゃない。
ひしめく石造りの家々と、その間に洗濯物が干されているという生活感あふれる様相は、昔買ったポストカードで見たヨーロッパの旧市街にも似ている。
ここが海外なら観光客狙いのチンピラに身ぐるみを剥がされそうなものだが、そんな経験はオラリオに来て一度もない。冒険者が多いオラリオでは、襲った女の子が実はメチャクチャ強かった、なんてこともあるのだろうか。
「きゃっ!」
「ぎゃっ」
浮かれたまま考え事をしていたからだろうか。
小さな足音に気づかず、路地の先から走ってきた誰かと衝突してしまった。しかも少女漫画のように都合よくはいかず、ぶつかった相手だけが弾き飛ばされ、思い切り尻もちをついた。
「すんません!大丈夫です......か...」
ぶつかられたはずの俺はビクともしない。鎧を着込んだ大の男に対して、その通行人はあまりに小さすぎた。
クリーム色のローブと巨大なバックパック、そしてそれに見合わぬ子供のような体。
それはどこか、画面の向こうで見たかのような既視感があった。俺はこの人物が誰なのか知っている。
「...すみません」
「あ、ちょ...待って」
足早に立ち去ろうとする彼女の手を掴んでしまう。びくりと跳ねる手の小ささにどきりとした。
何を言うべきか、言いたかったのかも分からず、口をついて出た言葉は陳腐に過ぎた。
「何ですか、離してくださ...」
「大丈夫か?」
「.........は?」
何言ってんだコイツみたいな顔されちゃったよオイ。そりゃ当たり前だわ初対面で「どしたん話聞こか?」ムーブしたらもうただの不審者なんだよいやマジごめんね?
「オイ! 見つけたぞクソ
「...っ!?」
路地に響く雷のような怒声。握った手から伝わる動揺だけで、彼女が逃げていた理由は察しが付いた。というかモロ原作通りだコレ。
声の方向には一人の冒険者が息を切らせて立っていた。男は後ろで縛った長髪を振り乱し、今にも背中の剣を抜きかねない剣幕でこちらへ歩き出し_____得心したように嗤った。
「なぁ、アンタもそのチビにやられたクチだろ?」
「はぁ?」
なぁ〜にを言ってだこのチンピラは。
確かに少女の手を掴む怪しげな鎧男がいたら間違いなく事案だろうが......
あっ俺かぁ!
「そのチビには好き放題されちまっててなぁ...キチンと取り立ててやらなきゃ、なぁ?」
「ひっ!?」
剣に手をかけるチンピラ、必死に逃げようとする少女、そしてその手を掴む鎧の男。うーんこれは事案。
しかし手を離すことはできない。だって今逃したら「いきなり手掴んできた不審者」じゃん。せめて「ギリ信頼できる不審者」程度に信用を回復しなくては、今後のチャートに響く。
「ここは俺とアンタで山分けってのはどうよ?」
「...いや、悪いがコイツは渡せない」
「ハァ?」
持ちかけられた取引を、なるべく低い声で突っ返す。それと同時にチンピラの目の色も変わる。あれは敵を見る目だ。
「.........」
「.........チッ!」
睨み合う両者。しかしチンピラは剣を手放し、舌打ちだけを残して去っていく。
それもそのはず。
俺の体重は65キロ、身長は178センチ。ガチガチに着込んだ全身鎧のせいで、見た目のイカツさは相当なものだ。何時間攻撃しても俺は倒せないよ(キリッ)
なお中身はLv.1のぺーぺーなので、普通に殴られてたら死んでました。あっぶえ!!
「ごめんな、手、急に掴んで」
「......」
「ん、アレ?聞こえてる?」
少女はしばしフリーズしていたが、再起動した瞬間弾かれたように逃走した。みるみる遠ざかっていく小さな背中を眺めていると、なぜだかばあちゃん家の猫を思い出した。俺から全力で逃げるとことかホントそっくり。
「...帰るか」
何故か涙が出そうな俺は、とぼとぼと帰路に着くのだった。