※もしよろしければ『暁の車』を聴きながらご拝読ください。
暗闇の中を、アーノルド・ノイマンは漂っていた。
前後左右も、上と下も分からぬ真っ暗闇。
「ここは……」
足元すら覚束ない闇の中を、ノイマンは歩き出した。留まっていてはいけない気がした。然りとて当てがある分けでもない。ただ闇雲に彷徨っているだけだ。
ふと視界の先に何かが見えた。夜のネオンの様に眩しく、蛍の様に儚く、月の様に優しい光。正体すら掴めぬ光に向かって、ノイマンは街灯に群れる蛾の様に引き寄せられる。そこに何かがある気が、誰かが居る気がして。
「アーノルド」
不意に頭に声が響いた。懐かしい声だ。
形の定まらぬ光が次第に輪郭を帯びてきた。男性とも女性とも見える輪郭。辛うじて人だと分かるぼやけた輪郭。けれどノイマンは、その姿を知っていた。
「中尉?」
ノイマンが光に向かって呼び掛ける。中尉の肩書きを持つ人は元も現役も含め数多居るが、ノイマンの知る中尉は一人だけ。彼をアーノルドと呼ぶのは。
「アーノルド」
また声が響く。未だに輪郭は歪んだままだが、ノイマンにははっきりと見えてきた。逢いたかった人。もう会えない人。
「バジルール中尉!」
ノイマンは光に手を伸ばす。その手と思わしき場所を、今度は離すまいと必死で手を伸ばす。
けれども、光は対称的にノイマンから遠ざかる。彼に触れさせまいと。彼を引き込ままいと。
「待って! 待ってくれ!」
ノイマンは必死に追い縋る。だが光は段々とその距離を離していく。
「後は、頼んだぞ」
輪郭は次第にその光を失う。見る見るうちに、手のひらよりも小さくなっていく。
「待ってくれ! ナタル!」
自分の声でハッと目が覚めた。慌てて上体を起こして辺りを探る。
そこは暗闇ではなかった。暗いことは暗いが、それは照明が落ちているだけで、誘導灯と間接照明で周りはちゃんと見える。
「ふう」
ノイマンは再びリクライニングに身を投げた。ここは飛行機の中。消灯時間になって、いつの間にか眠りこけていたようだ。横ではサラリーマン風の男性が静かに寝息をたてていた。
寝汗でグッショリとした首筋をハンドタオルで拭う。随分と厭な汗をかいたのもだ。あんな夢を見たのは、これから向かう場所のせいだろうか。ノイマンはそっと窓の外を見やる。眼下にはポツリポツリと街の灯りが点っていた。
数時間後、ノイマンはとある場所にいた。広々とした広場で、中央に重々しく黒光りするモニュメントがあり、それを囲む様に似たようなモニュメントが置かれている。それぞれのモニュメントの周りには、多くの花が添えられていた。
ノイマンは中央に進むと、モニュメントの前で跪き、その床面に刻まれた文字をそっと撫でた。
『勇敢なる魂、此所に眠る』
「勇敢なる魂、か……」
ここは戦死者たちの園。大西洋連合軍の慰霊広場。目の前のモニュメントは慰霊碑だ。目の前のだけでない。広場の中央に鎮座するモニュメント全てが、戦死者のための慰霊碑だった。添えられていた花は、全て参拝者による手向けの花だ。
オノゴロのより立派なそれを、ノイマンが皮肉めいた笑みで見渡す。勇敢もなにも、戦場に送り込んだのは自分達ではないか。自らも戦場に身を窶したとはいえ、最期がこんな石の下なんて御免被りたい。
ノイマンは献花台の一角に持参した花束を添えると、ぐるりと外周のモニュメントにそって歩みを進める。その慰霊碑に刻まれた戦死者の名を一つ一つ確認しながら、ある人の名前を探す。その名前は程なくあっさりと見つかった。
『Natarle Badgiruel』
良かった。ちゃんとあった。と少々不謹慎なことを思う。それも無理からぬこと。ノイマンは今日初めてここに来たのだ。そして大抵慰霊碑には個人名は記されず被害者として一緒くたにされることが多い。それでもキチンと名前が刻まれているということは、連合の中でも彼女が一目置かれていたことの証左だろう。事実、彼女は少佐まで昇格し、新型艦の艦長を勤めたのだ。ノイマンの知る彼女は中尉だったが。
「遅くなって申し訳ありません。バジルール中尉」
ノイマンはその名に向かって敬礼する。ヤキン・ドゥーエでの攻防戦が終結し、停戦が締結された後もロゴスの争乱、デスティニープラン、ファウンデーション戦役、その他テロリストによる紛争などゴタゴタ続きでまともに休みが取れなかった。
それに加え、ノイマンはここに来る決心が中々つかなかった。ナタルを討ったのは自分達だ。その事実が、後ろめたさが足枷となりここを訪れることを阻んだ。しかし古い資料を整理していて、ふと出てきたそれを見たとき、どうしても来なくてはと決意した。どうしても今日でなくては。
「色々とごたついて忙しいですが、まあ何とかやっていますよ」
慰霊碑に向かって話しかける。その下に、彼女は眠っていない。彼女の遺体は、文字通り宇宙の塵と化したのだ。自分達がそうしたのだ。それでも、話しかけずにはいられなかった。
彼女は何と言うだろうか。遅いと怒るか、来なくていいと叱るか。どのみち怒られることには変わりなさそうだ。しかし、最後にはよく来てくれたと笑いかけてくれるだろう。ノイマンの知るナタル・バジルールという女性は、そういう人だ。
「トノムラは艦を降りました。今は一般企業で働いているみたいです。アークエンジェルはオーブ軍配属に、俺もオーブで今は大尉です。チャンドラは……まあ相変わらずです」
ノイマンは思い出を語る。これまで来れなかった分、伝えられなかった分を。
「アークエンジェルは……すみません。ファウンデーションに墜とされました。後を任されていたのに……」
アラスカでの別れ際、ナタルはノイマンにアークエンジェルを託した。その約束を彼は守れなかった。その事が、悔やんでも悔やみきれない。ナタルは赦してくれるだろうか。そんな不甲斐ない自分を。
「ナタル……」
ポツリと呟くノイマンに、フワリと風が吹く。漂った花の香りが鼻腔を擽った。その香りは、ナタルが時折つけていた香りだ。
『珍しい香りですね? 香水ですか』
『うん? ああ、いや、アロマオイルだ。気分を落ち着かせたい時に時々焚いている』
不意に記憶が甦ってくる。あれはいつの事だったろうか。日付すら忘れていたのに内容だけは鮮明に思い出せる。
『へえ』
『……変だったか?』
『え? いえそんな事は……むしろ良い香りで俺も落ち着きます』
『そうか。なら、良かった』
そう言って、はにかんで笑ったナタルの顔。そうだあの時だ。あの時から俺は--
雨だろうか。俯いた足元にポツリポツリと水滴が落ちてきた。けどやけに鼻にかかる。それに視界も滲んできた。大雨のようだ。
「ナタル!ナタル――!」
止めようがなかった。止めどなく溢れるそれを、止める術があるならば教えてほしかった。眼から次々と溢れ出す液滴は顔を塗らし、喉から絞りでる声は音にならない慟哭で溢れた。
膝に上手く力が入らない。だというのに、指にはしっかりと力がこもる。爪が割れ血が滲むのもお構い無しに、ノイマンはナタルの名を引っ掻く。そこから消し去るように。こんなことは死者への冒涜でしかないことなど分かりきっている。それでも、荒波の様にうねる感情が、獣の様に内側から食い破ってくるのを押しとどめることができない。
見たくなかった。あって欲しくなかった。自分で探しといて何という矛盾だろう。叶うことなら、空虚な礎の前でなく、彼女の亡骸を抱いて泣きたかった。だがそれすら叶わない。そうできなくしたのは他でもない自分だ。
「俺は……! 貴女を……!」
アラスカで彼女を引き留めることも、ドミニオンから彼女を救うこともできなかった。過去は戻らない。それが自然の摂理だ。
「貴女に……会いたい……」
一目でいいから。神様が平等だと言うのならば、早く彼女の元に連れていってほしい。
また、ふっと風が吹いた。優しく頬を撫でるそれに、ノイマンは見知った感覚を覚えた。
『大丈夫』
「ナタル?」
その声にノイマンはハッと辺りを見回すが、ノイマンの他に人影はない。
『大丈夫。私は君の側にいる。いつまでも……』
また声が聞こえる。以前、キラとシンに死者の魂が自分達を守ってくれていると聞いたことがある。聞いた時は何をそんなことをと思ったが、なるほどこういう事かと、今は妙に納得できる。
袖で目元を乱暴に擦る。腫れ上がった目蓋がヒリヒリと痛むが構いはしない。今はこれ以上、情けない姿を彼女に見せるわけにはいかない。優しい風がノイマンの頬を髪を撫でる。慰めてくれるかのように。愛しい人を胸に抱くかのように。
「また来ます」
今度はしっかりと顔を上げて言う。今度は笑い話の一つでも持参しよう。
「……今度は結婚報告になるかもしれませんね」
冗談めかして言うノイマンに、少し乱暴な風が吹いた。
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