3 years later〜虹の向こうに〜 作:nami73
老兵は、ボロクズのように森の片隅で倒れていた。それは、来るべき時が来たに過ぎなかった。
群れのボスとして仲間を統率し続けた果てに、若い者に敗れ、群れを追い出された。
なんてことはない。父親も同じ末路を辿ったのだ、今度は自分の番というだけの話なのだ。
もっとも、その父親を倒して群れから追い出したのは、自分なのだが。
「大丈夫かい?なにがあったんだ?」
確か、コレはニンゲン、の声だったか。
老兵はそれを認識したと同時に睨みをきかせた。もはやボスでもなんでもなく、これから野垂れ死ぬだけの身であっても身体は闘争を求めていた。
「なんか、鋭い目付き〜!」
体の作りが丸みを帯びている、これは確かニンゲンの雌だったな。残りのニンゲンはどこか角ばっているから、雄か…。
老兵の『目』はまだ、生きていた。
「傷を見せてくれ、ストライク。」
『ストライク』…あぁ、ニンゲンは、自分たち以外の者を『ポケモン』と呼び、更にその中で区別をつけて我々のことはそう呼ぶのだったな…。
情報ツウで通っていた群れの仲間から聞いた話を思い出しながら、袋から何かを取り出した青年に、老兵は死に体を反射的に飛び上がらせた。
同時に思い出すのは、食料の調達に出ていた群れの若いののいくらかが、ニンゲンと出会して帰って来なかった、と報告を受けた時のこと。
なるほどニンゲンに狩られたのだろうと、それが自分の末路なのだろう、と老兵は認識した。数はニンゲン3つ、ポケモン3つ…いや、確かニンゲンは丸い玉にポケモンを隠しているから数はもっと多いか?
いずれにしても、最期に暴れるにはちょうどいいと踏んだ。
「おい!怪我してるんだぜお前!」
何か被ったニンゲンの小さな雄が身を乗り出してきたのを見て、老兵は両腕を思い切り振り上げた…つもりであったが僅かしか上がらない。
無理もない。叩きのめされ、群れを追われた老体だ。至る所にガタが来ていたのだ。
「よし、それなら…!」
「どうするんだサトシ?」
「ゲットしてポケモンセンターに連れて行くんだ。」
「なるほど、その手があったか!」
若い頃ならば、ニンゲンが視線を逸らして何か喋っている内にこちらから仕掛けることも出来たろう。
年老いて、痛み切った身体ではそれもかなわなかったが…。
「いけッ!モンスターボール!」
ガキン!
小さなニンゲンの雄が投げてきた丸い玉を老兵は弾き飛ばす…弾き飛ばすのが、精一杯である現状は、内心自嘲するよりなかった。
「戦おうって言うの!?」
そうだ!戦って生き、戦って死ぬ…それこそが自分の道なのだ。
「そういうことならこっちだって!ピカチュウ!」
「ぴ!ぴ〜かぁ〜!」
「待て!」
「ぴ?」
「ケンジ…。」
かかる『待った』の声に老兵は苛立った。
「相手は弱ってるんだぞ!?」
それがどうした、むしろお前たちからしたら好機であろうが。
「じゃあこのままほっとくのかよ!?」
「僕に任せろ。コンパン!頼むぞ。」
「こんぱん!」
『待った』をかけた大きなニンゲンがけしかけてきた黒い毛むくじゃらは、縄張りの周りでも見かけたことがある。厄介な粉を飛ばしてくる奴だ。
「こんぱッ!こぱっぱっぱ…!」
老兵の知る限り、この手の体の小さいものは、少し腕を振り上げて威嚇すれば萎縮して退散する。
この毛むくじゃらは食料にするにも体内にある件の粉が面倒なのだ。
「怯むなコンパン!ねむりごなだ!」
「こんッん、ぱ〜ん!!」
しかし毛むくじゃらは逃げなかった。
体を振るわせ、件の粉を飛ばしてきた。その勇気は買うが、戦いとなれば話は別。
飛び上がって距離を詰め、一刀の下に切り伏せるのみ…そう、背中の羽を羽ばたかせるも、軽く飛んだところで老兵は無様に尻餅を突いてしまった。
満身創痍の体には、ねむりごなを避けるほどの力すら残されていなかったのだ。
意識が混濁していく中、顔に何かがぶつかる感覚も、老兵は最早掴めなかった。
瞼を落とした中で老兵にフラッシュバックしたのは、この世に生まれ落ちた直後の景色。
なんてことのない青空が広がる下で、数多の仲間とともにタマゴの殻を割って這い出る。
それを慈しみを持って見下ろす大きな影は、母の眼差しであった。母の口元が動いているのが朧げに見える。
何を言っていたのかは、幼い彼には分からなかった。
そうして微睡みから目を覚ました老兵にとっては、建物という概念自体がカルチャーショックであった。
ニンゲンの縄張りだというのはなんとなく分かる。
問題は、己の意思に関わらず生きながらえさせられている状況が、我慢ならなかった。
「ねぇ…なんかずっと、こっちを睨んでるよ?」
老兵は、ただただジッと青年を睨む。
戦いに敗れた者に待つのは、死ではないのか?群れのボスとなってしばらくしてから見た、追放した父の…腕の刃は錆び、身体中が食い尽くされている変わり果てた姿こそが、自分の末路であると受け止めていた老兵にとって、治療を受けさせられているのは尊厳の無視に他ならなかったのだ。
「ストライク、大丈夫か?」
何故殺してくれなかった?青年に老兵は問いかける。
驚く彼から返答は、ない。
「動いちゃ駄目よ!しばらく安静にしてなさい。」
白衣のニンゲンの雌にも同じく問いかける。
彼女はその手際から、自分たちを治すことを生業として生きているのだろう。その経験から、多少は老兵の意図を汲んだのかもしれない。
その彼女も老兵の問いかけには答えることなく、白くて丸いポケモンに指示を飛ばしては自分を運ばせた。
「悪かったなストライク…お前、まともなバトルもしないで僕にゲットされたのが悔しかったんだな。」
ビョウシツ、というところでうつ伏せのまま動くに動けない自身の恥部を青年に射抜かれた老兵は、語り掛けられて目線を逸らす。
「でも僕はトレーナーとして、お前をあのままにはしておけなかったんだ。それがお前を傷つけることになるなんて…。」
「なぁケンジ。」
「なんだ?」
「俺、考えたんだけど…こいつを負かした新しいボスにリターンマッチさせたら、どうかな?」
「リターンマッチ?」
すなわち再戦…そんなこと、考えたことはなかった。
群れを追われた父は、その後二度と自分のもとに姿を見せることなどなかったからだ。
「どうだストライク?傷が治ったら森へ戻るか?お前がそうしたいんなら、そうすべきだぞ。」
しかしてそれは、老兵の戦士としての誇りとしては、違うものと思えた。ならば、どうするかと言えば…そんな時であった。
彼方から、同胞たちの声が聞こえたのは。
「無茶するなよストライク!」
体を治す助けがあったのか、身体中の白い布を剥がされては老兵はしゃにむに飛び出した。
まだ回復し切っていない身体を奮い立たせ、老兵は飛んだ。
「な、なんと!?」
「もう1匹いたニャー!?」
「こいつ、なんか迫力あるぞ!?」
『むしのしらせ』は的中していた。
自分もまだ捨てたものではないのかもしれない。そんなことを思いながら老兵は、捕らえられていた仲間を背に、騒がしいニンゲンとニンゲンの言葉を喋る小さい者に対峙した。
確か、ニャースとか言ったか?
敵はニンゲン2つにポケモン5つ。見えてる限りの話だが。
身体は得意の舞をするだけで息が上がる。寄る年波には、やはり勝てないのだと改めて自覚した。
「いけピカチュウ!ストライクを助けるんだ!」
「待ってくれサトシ!1人でやるって言ってるんだ。やらせてやってくれ!」
老兵は、チラと背後の青年を見た。
「ケンジ…。」
「あいつが、戦士の誇りを取り戻す為の戦いなんだよ…。」
戦士の誇り…そんなものはもう取り戻せようがない。
自分を負かした若いのは、確かに強い雄なのだ。そこを否定することこそ、老兵の誇りに傷が付く。
今更彼に再度挑み、勝ったところで群れをかき乱すことにしかならない。
そんな自分に、青年はひたむきな視線を決して逸らさない。彼は、自分がまだ戦士として戦い、誇りを得ることを信じて疑っていないのだ。
これまで感じたことのない活力が、老兵の身体に充足感を与えていた。
おかしな奴らから群れを助けた老兵の姿は、青年と共にあった。
群れの中で生まれ、ボスであった父を追放し、ボスとして生きて若い雄に群れを奪われたらば、その後に待つのは父と同じように野垂れ死に…その骸は食い荒らされるのみとばかり考えていた彼にとって、島から島へ渡る旅はその全てが新鮮で、活力となった。
「世界を救う?命がけですること?サトシがいなくなったらサトシの世界はもうないの。私の息子はもういないの。あなたがいるから世界があるの。」
青年と共に旅をする帽子の少年は、とかく騒動の渦中に飛び込む癖があると老兵は見ていた。
今回も、そんな内の1つに過ぎないと気にも留めていなかった中でボールの外から聞こえてきた言葉から、老兵は母の言葉をハッキリと思い出した。
『あなたたちがいなくなったら、あなたたちの世界はもうないの。私の子供たちは、もういないのよ。だから平凡でもいい…この子たちには、安らかに生きて欲しい。』
群れを作る為の雌として生きた母の言葉、その意思は、老兵の心を曇らせた。自分は、母の意思を汲んで生きていけているのだろうか…?
島から島へ巡る旅が終わり、青年は博士と呼ばれる偉いニンゲンの群れに加わった。
それは、老兵に安住の地をもたらした。どこまでも広い庭の中で、穏やかな日々を過ごす。
時折りおかしな奴らと似た連中が悪さをしに来たりもしたが、それは変わらぬ日常にとってのちょっとしたスパイスという程度のものであった。
その日は、雨が降っていた。
老兵にとって、それはちょうど良かった。ここのところずっと続いていた体の火照りを冷ますのに都合が良いのだ。
大きな大きな庭の木々の1本、そこにもたれ掛かって全身で雨の冷気を浴びる。
青年は、すっかり博士に信頼され、毛むくじゃらも、大きな羽を羽ばたかせる成虫へと至った。
あれならば、もうこんな老骨に頼る必要もないだろう。毛むくじゃらと仲のいい水玉も、あれで周りを見通す結構頼りになる奴なのだ。
ザー…ザー…ザー…
雨の冷気が身体を冷やす。雨粒が木の葉や幹伝いに身体を濡らす。が、それを感じることは出来ない。
ザー……ザー……
やがて雨は止み、空に色とりどりの線が橋を作っていた。
それは、群れにいた頃から見たことがあった。虹、というやつだ。
雨宿りをしていた庭のポケモンたちが、外に出てキャッキャと戯れ出す声は、老兵の耳には届かなかった。
微睡みから覚めた体が、異様に軽い。まるで、若い頃の全盛期に戻ったようだと老兵は飛翔し、虹のアーチを超えて行く。
その向こうに、穏やかな顔で自分を出迎える同種の姿が両親であると認めた時、老兵は子供の姿にまで戻っていた。
『ストライクは、もう長くない。』
研究所で暮らす者ならば、人もポケモンも関係なくそれは分かっていたことだった。
生きとし生けるものに皆平等に訪れる終末…トレーナーである青年の対応は、どこまでも彼の『誇り』に寄り添うものであった。
延命措置を持ちかけることはなく、ただただ普段と変わらぬ日常を、彼と過ごすことを選んだ。
「ストライク…。」
木陰にもたれ掛かり、既に魂が旅立ちを迎え、空っぽとなった容れ物にそっと触れる。
穏やかな寝顔を置き土産に、老いても力強さとしなやかさを忘れなかった肉体が、彼の腕の中に迎え入れられる。
「お疲れ…さまでした…。」
そう遠くないうちに来ると、分かっていたけれど、溢れ出る感情を堰き止めることは出来なかった。
老兵の身体を丁重に抱き上げ、青年は歩き出す。
虹は、少年と、老兵の旅立ちを見下ろしていた。
少なくとも老兵の魂が渡った虹の向こうには、永遠の安らぎが待っていることを、青年はただ祈った。
『ハナコ』
32歳。マサラタウン在住。
サトシの母親で、トレーナー業のために家を空ける夫と息子の帰りを家で待つ良妻賢母の鑑。
サトシの冒険用衣装は彼女が手がけたもので、現在はスポンサーが手がけた量産品が全国に流通していて、元来より持っていた町唯一の食堂のオーナー収入以上に儲けてたりするらしい。
次回3月18日より、新章に入ります。