3 years later〜虹の向こうに〜 作:nami73
サトシはシューティーの研鑽を肌に感じながら、一撃の元に切って落とす。
強敵(とも)と認めている相手だからこその敬意であった。
バトルを終えたサトシとシューティーは、波止場に腰掛け、水平線を眺めていた。
船は乗船時間ギリギリに差し掛かってはいるのだが、オレンジアカデミーの面々はなかなかサトシを呼べずにいた。
戦い終えた2人の男が連れ立って醸し出す空気に、言葉を紡げなかったのだ。
「ありがとう。サトシ。」
先に口を開いたのは、シューティーであった。
サトシからすれば、シューティーという人物は、目的が済めばすぐその場を立ち去り、次に向けての準備を始めるタチであることは3年前の付き合いから知っていた。
そんなシューティーが立ち去らないということは、彼の目的はまだ済んでいないと推察できた。
サトシは、シューティーが言葉を紡ぐのをただひたすら待つ。
「僕は、この3年間、遮二無二アデクさんの下でトレーナー修行をしてきた。」
「うん。」
「それは、間違いなく僕のトレーナー人生の中で、至福のひとときだと思う。アデクさんの教えを身につけるたびに、自分が強くなってゆく実感を持てた。」
「ぴぃか。」
「そんなひとときは、いつしかアデクさんの教えさえ守っていれば、それだけでいいという、凝り固まった考えに変わっていったんだ。」
そこにサトシは反応を示さない。ポケモントレーナーとして、おおよそ師匠と言うべき固有の人物を持たないサトシには返答のしようがないからだ。
無論、それまで関わってきた全ての人たちの存在は、かけがえのない財産であるのは言うまでもないのだが。
「イッシュ地方は確かに広い。でも、この水平線の向こうには、イッシュと同じくらい、いや、それ以上にポケモンバトルが進歩した世界だってあるんだ。それを僕は、ずっと見て見ぬ振りをして来たんだ。」
「なら、これからいっぱい見に行けばいいじゃん。」
今からだって遅くはない。シューティーなら、きっと出来る。それは、慰めではない。
サトシからすれば、それは確定的な話であった。そして、それはある意味で、懇願でもあった。
「そうだね。これから、そうなるんだろうね。」
シューティーが、サトシの言に首肯するのに、ピカチュウは首を傾げていた。
何故、『そうする』ではなく、『そうなる』なのか…?
「シューティー…。」
「視野が狭い男には、視野が狭い男なりの意地ってものがあるってことさ。」
サトシがシューティーを向き、シューティーは笑みを浮かべながら返す。頭の中で浮かんだ予感を肯定され、サトシは眉を八の字に曲げた。
シューティーは、ポケモントレーナーを辞めると言うのだ。
シューティーにとって、アデクに師事して得たことこそがポケモントレーナーとしての全てであり、たとえそこに明確な『先』があったとしても、『今』を踏み越えて進むというのは、どうしても選択出来なかった。
それは、シューティーという男の、愚直なまでの義理堅さの発露だった。
「PWTでジュニアカップからオープンカップまで足掛けのV3。ヒガキ大会でもベスト入りまで行けたんだ。じゅうぶんさ。」
頑迷固陋な男が、自分なりに導き出したケジメ…。
シューティーの重ねる自嘲が、サトシの中の引き留める言の葉を奪った。
「それに、デビューしてすぐと、引退する前にワールドチャンピオンが直々に手合わせしてくれたんだ。こんな幸運は他にないよ。」
シューティーの自嘲ながらの言葉に、サトシは返さない。いや、返せない。
「これからどうするんだ?」
「コレさ。」
どうにか搾り出したサトシの問いに、シューティーは青緑色のカメラを懐から取り出して見せる。
旅の記録、と各地のポケモンを撮影するのがシューティーの日課でもある。
機械に疎いサトシでも、3年前に使っていたモデルから随分と進化しているのは目に見えた。
「アララギ博士が、全国調査を視野に入れたリサーチフェローの人材募集をしてるらしいんだ。そこで1から出直して、勉強して、ポケモンウォッチャーを目指そうと思う。」
「ぴーかー…。」
シューティーが手を伸ばし、ピカチュウの頭を撫でる。
「それで芽が出なかったらカノコタウンに帰って、ポケモンバトルの私塾でも開くよ。」
ピカチュウはおとなしく撫でられていた。そこには、主人のサトシを事あるごとに『田舎者』と侮っていたいけすかない少年は、もういなかったからだ。
「そっか…。」
サトシは改めて水平線へ顔を向け、視線を移した。
鎬を削ったライバルが違う道に進むのを見届けるのは、これが初めての事ではない。
3年前、同じマサラタウンの幼馴染であるシゲルが、ジョウトリーグの後にバトル方面から研究者として歩む道を変えることになり、その彼のバトル方面に対して引導を渡すことになった張本人も、またサトシであった。
サトシは今またこうして、ポケモントレーナーとしての引導を、強敵(とも)に渡したのだ。
「サトシはーん!」
船からチリが大声で呼び掛けている。時間を確認すればもうほとんどギリギリのギリギリであった。
「あぁ!」
「次はパルデア地方かい?」
「うん。」
サトシが立ち上がり、シューティーもそれに続く。
この場の目的は果たしたようだ。と、なれば、彼にとってもここに長居する理由はない。
「シューティーは、アララギ博士の研究所に行くのか?」
「その前にアデクさんに挨拶をしなきゃならないな。取り急ぎは、身なりを整えてからだね。」
ジャローダ同様、極限までその身をすり減らし、最高のパフォーマンスをぶつけるため、特訓のみに時間を費やした2日間。
その分の汚れや疲れを綺麗さっぱり流して落とし、真っさらな姿で師に暇乞いをしにゆく。
そうしなくては、新たに前には進めないとシューティーは分かっていた。礼儀の問題でもある。
顎先に手で触れてみれば、僅かに生えていた無精髭は、彼の羞恥心を刺激するのに充分であった。
「なら、アララギ博士に俺から言っとこうか?」
「必要ないさ。」
サトシの口添えの申し出に、シューティーは鼻で笑って見せた。
そこには、在りし日の傲慢とすら言える不敵な顔があった。あえて、そう見せた。
「正々堂々履歴書を書いて就活する…基本だろ?」
ここに来て、初めてシューティーの口癖が出た。
空元気なのかもしれないにしろ、いつものシューティーの姿が見れて、サトシは嬉しくなった。
「シューティー。」
サトシが右手を差し出せば、シューティーは一瞬躊躇してから、握手に応じた。
「またバトルしようぜ。」
「もちろんさ。次は負けやしない。」
シューティーの言は、サトシには実感であった。
バトルの世界から身を退いたシゲルも、むしろその後の方が強くなっており、実際に苦杯を舐めさせられたこともあるからだ。
アララギ博士の元で研究の世界に足を踏み入れ、未知のものを吸収すればするほど、シューティーが強くなるのは間違いないのだ。
「それと…きみの故郷のこと、田舎だなんて馬鹿にするようなことを何度も言ってしまって、ごめんなさい。」
「いいよ。マサラタウンが田舎なのはホントのことだし。」
シューティーからの謝罪を、サトシは笑い飛ばす。
「これからも強いチャンピオンであってくれよ。僕は応援している。」
「サンキュー。」
握手を解き、その手で握り拳を作れば、互いにコツンとぶつけ合う。
そして…。
「「ベストウィッシュ。良い旅を。」」
「ぴかぴか。」
サトシとシューティーは、離した右手でサムズアップを送り合った。
それを見るピカチュウは、しみじみと頷いていた。
プオーーーーーン…。
船の汽笛が鳴り響き、ゆっくりと船体が動き出す。それを、シューティーが見送ることはない。
サトシが乗船して行けば、すぐに背を向け歩き出していた。
そこには、ここ3年間の中にはなかった、晴れやかな気持ちがあった。
「これから忙しくなるぞ。」
呟く口角は、笑みで吊り上がっている。
この日、『ポケモントレーナーのシューティー』の冒険は終わった。しかし、それは、シューティーという少年の人生そのものが終わった訳ではない。
バトルの世界から、別の世界へ移っても、人生という旅の歩みはまだまだ続くのだ。
「よーし!」
シューティーは勢いよく走り出す。
彼の道行きを祝うように、雲ひとつない大空は、どこまでも広がっていた。
船の船首ほど近くをサトシは陣取り、潮風に当たっている。
端的に言えば、ボーッとしていた。ガラにもなく黄昏ている。
「ぴかぴ?」
「ん?大丈夫だよピカチュウ。」
ピカチュウに応える声に、いつもの覇気がない。正直言って、シューティーとのやり取りは堪えた。重かった。
それは、勝ち続けるものの宿命。
頂に立ち続け、登り来るものを蹴落とし、それでも挑み続けるもの、登ることを諦めるものを見下ろし続ける修羅の道…それこそが、チャンピオンという立場の栄光と引き換えに与えられた責務なのだろう。頭では分かっていても、というのがサトシの本音と言えた。
そんなサトシの周りを彷徨くツナギ姿の清掃員が3人…正確には、2人と1体。
「ねぇねぇ。なんかジャリボーイ元気なくない?」
「あんなんじゃあ襲いかかり甲斐がないぜ。」
「しばらく様子見するしかないニャー。」
「そ〜〜〜〜〜なん、もごもごもご…!」
物陰からサトシの様子を窺いながらムサシ、コジロウ、ニャースが話す中、ムサシのボールから勝手に飛び出してくるソーナンスの口を、慌てながらみんなで塞ぐ。
相も変わらずピカチュウゲットに燃える彼らは、サイユウスタジアムでのランクマッチの時と同様、PWTの会場でもまんまと活動資金を稼いで見せていた。
もっとも、その方策としては、地道かつ至極真っ当な露店商売やアルバイトによるものであったが。
「なぁに。チャンスはいくらでもあるさ。」
その資金を元手に秘密兵器を用意し、乗船後、海上で逃げ場がないタイミングを突きすぐに襲うつもりだったのだが、シューティーとのやりとりにより寂寥感に苛まれるサトシを前に、それは断念することにした。
ピカチュウを巡る敵同士ではあっても、共通の困難を前に幾度となく手を取り合ってきた仲であるサトシとロケット団。彼らとしても、仕掛けるならば元気な時に、という妙なフェアプレー精神が芽生えていたのだ。それはそれとして、ピカチュウを狙うのは変わらないのだが。
であるからして、パルデアへ赴くサトシにこうして付いて回り、彼らもまたパルデアへ行こうというのだから…。
「ぴかぴ!ぴかぴ!」
ボーッとし続けるサトシの体をピカチュウが揺らしては、空高くを指差す。
「なに?ピカチュウ?」
サトシがピカチュウが指差す先を見上げれば、後からぞろぞろと船首近くにやってきた。オモダカにクラベル、チリである。
「さすがサトシはん!誰よりも先に見つけるとはやっぱチャンピオンは目の付け所が違いますわ。」
空を見上げたままサトシは答えない。黄昏ていただけだと言っても仕方ないのだ。
「クラベルさん。あれは…。」
「伝説の鳥ポケモン、ファイヤーに近いようなフォルムをしてますが…。」
「あんなファイヤー、見たことない。」
「ぴかぴか。」
オモダカが問い、クラベルが紡いだ言葉に、サトシが続けた。ピカチュウも頷いている。
空高く、船の遥か上を横切って、漆黒の鳥ポケモンが何処かへ飛んでいくのが見えた。
「あの方角には…ガラル地方?」
「なんかあるんやろか。」
チリとオモダカが地図アプリを確認して飛ぶ方角の行き先を調べている。
かえんポケモンファイヤー…全国各地に伝承を残す希少種たるポケモン。
サトシはその度の道すがら、何度かファイヤーと対峙したことがある。
ある時はルギアの背から、ある時はヒノヤコマと共に、そしてまたある時はゴウカザルと共に…。
その記憶をして、上空を飛ぶ黒き火の鳥の姿には見覚えがなかった。
「キミも、寂しいのかい?」
赤黒く燃え盛る炎の翼をはためかせ、その禍々しい威容を満天下に晒しながらも、その青い瞳は、どこか悲しんでいるようにサトシには見えた。
語りかけるサトシに、黒き翼が視線をやることはない。
「大丈夫。キミの寂しさに寄り添ってくれるやつは、きっと現れるよ。」
謎のポケモンを見た興奮で盛り上がっているオモダカたちを尻目に、サトシはポツリ呟いた。
少なくとも、あの黒いファイヤーとの巡り合わせは、自分にはないと、ハッキリ感じていた。
「ぴぃかちゅう…。」
船はゆく。熱闘の地に別れを告げて。
そうして旅人を新たな地へと導くため、海を行く。
サトシの次なる新天地…パルデア地方に待つのは、一体なにか。
『アララギ博士』
32歳。イッシュ地方を代表するポケモン博士。父娘二代でポケモン研究の世界に身を投じている美女。
研究業界ではまだまだ駆け出しだが、旺盛な好奇心は研究者としてじゅうぶんな資質だ。
今回でこのパートは区切り。外伝を挟み、次のパートに入ります。