それでは、どうぞ
「ふぅ~……すぅ~」
普段使っている学校のグラウンドとは比べ物にならないほど巨大で環境が整えられた競技場。その一角にある選手の控場所にて、紅音は深呼吸をして気合を入れなおし、入念に準備運動をしていた。
周りには同じように地区、県大会を勝ち抜いてきた選手達が並んでおり、各々思い思いの事をして時間が経つのを待っている。明るい雰囲気はあるものの、何処となく肌がひりつくような緊張感が常に走っていた。
「ゼッケン番号○○○○から○○○○まで!準備をお願いしまーす!」
「ふぅ~………よし!」
自身の走順を呼ばれた紅音は気合を入れ直して待機場所から競技場へと足を踏み出した。
「ん、すごい人が多い」
「全国大会だからな、集まる選手も多いしその応援もその分多くなるだろうさ」
ちょっとしたトラブルはあったものの取り敢えず観客席に移動してきた一行。既に観客席には応援に来た出場者の同級生や家族でごった返しており、中々の賑わいを見せていた。
「えーっと、紅音ちゃんの順番は……あ、今やってる次の次だ」
「なら早く席取らないと……!すいません、前良いですか〜?」
「っとと、すいませんこれ落としましたよ!」
「おーい!こっち丁度空いてんぞ、多分ここなら邪魔なんねぇだろ」
色々とショッキングな事があり暫くの間再起せず宇宙を背負っていた少年少女は、時間は掛かったものの復帰を果たして周囲の観客に配慮しながら友人の雄姿を見るために席を探していた。
その様子を紫亜は感心したように眺めている。
「紅音の友達、良い子が多いですね」
「あの子の人徳ね、私も親として鼻が高いわ。よく家に遊びに来る子達も礼儀正しいもの」
「類は友を呼ぶ……で良いのかな」
「あぁ、意味合い的にも使い方としても間違っていないぞ」
前を行く少年少女の後をついて行く大人達は雑談を交わしながら観客席を進んでいた。
「実際どんな感じなんです?杉谷先生」
「え、うーん……部活でもクラスでも中心に居る、って感じかな。誰が相手でも分け隔てなく話しかけるからホントに人に好かれやすい、っていうのが教師から見た感想だね」
「ん、やっぱり昔から大分社交的になったんですね。それはよかった」
そう言いながら紫亜は安心したように微笑んだ。
本当に初対面はかなり衝撃的と言うか、「トラックに轢かれかけた幼い紅音を紫亜が身を挺して助ける」というかなりショッキングな物で、紫亜の人生の危機をランキング付けすると2位に入るレベルで割と洒落にならない出来事だったので互いに記憶が曖昧だったりする。
その後、無事の確認と言うことで改めて顔を合わせた時には付き添いの父親の後ろから恐る恐るといった様子で顔を覗かせ、目が合ったら引っ込む恥ずかしがり屋という感じの印象だった。
そこから段々と交流を重ねていたが、いつの間にか挨拶と共に求婚するようになってた。その理由を察してないのは双方の家族の中で紫亜だけである。
外堀は自ら埋め立てられに行ったのだ。
「確かに、今の地域に引っ越す前の紅音は引っ込み思案だったからな」
「そういえば人と積極的に関わろうとするようになったきっかけも紫亜ちゃんだったわね」
「そうでしたっけ?」
「まぁ紫亜ちゃんに自覚は無いでしょうけど、あの子が貴方に助けられた瞬間からずっと頑張ってたのよ?例えば……」
「風音、それ以上は流石に本人以外が口に出すのは野暮じゃないか?」
「あ、それもそうね。ごめんなさい、紫亜ちゃんが家に居候してた頃を思い出してつい口が軽くなっちゃったわ」
「えぇっと……?」
身内話過ぎてついていけない教師が苦笑いしていると、先に行っていた部員達が席を確保したのか戻って来ていた。
「先生〜、紅音のお母さん達〜、こっちこっち!」
「紫亜さーん、そろそろ紅音さんの出番ですよー」
手を振ってこちらを呼ぶ2人。それについて行けば観客席の最前列、しかもゴール地点に近いというベストな位置に席を取ってくれていたようで、ワクワクしながら席に着く。
「あ、番号来たな」
「ん〜……あ、居た、第3レーン!」
帽子で日差しを遮ってスタート地点を眺めていた少女が紅音の姿を捉えて指で指し示す。
そこには確かにユニフォーム姿で立つ紅音の姿があり、名前を呼ばれたのか大きく返事をしているのが見えた。
「……!」
「ん……」
一瞬目が合った気がした後、こちらに向かって大きく手を振ってきたのでサングラスを取って振り返す紫亜。その動作が見えたのか、更に明るく笑った紅音は笑顔のまま表情を引き締めてスタート位置に移動して姿勢を整えた。
「あ~、俺が走るわけじゃねぇのに緊張してきた……」
「だって全国だもん…!紅音ちゃん大丈夫かなぁ…?」
レーンに入った選手達がスタートブロックに足を掛け、クラウチングスタートの姿勢になる。会場は未だ騒々しいが選手達やそれを応援し見守る側には緊張感が走る。
『on your marks』
機械音声と共にスタート位置についた選手達が集中し始める。張り詰める空気の中、今か今かと誰もが合図を待っている。
『set』
選手達の気迫が膨張し、一瞬だけ静まって沈黙が走ったような感覚に襲われ、
パンッ!!
それらが一気に解き放たれた。
「「「「「「「ッ!!!」」」」」」」
「ッ!ヨシッ、スタートは問題なし!」
「良いんじゃない良いんじゃない!?」
「なんかめっちゃやる気滾ってる!」
「紅音〜!頑張れ〜!」
スタートピストルの音と共に走り出した選手達の中、序盤から良いスタートを切れた紅音は他の選手が横並びになる中少し前を走る事が出来ていた。
「ん、良い顔」
そして何よりも目を引いたのはギラギラと輝く笑みである。
それは先程紫亜へ向けられた明るい物ではなく、戦意を滾らせ自分が前へ出ようとする競技者としてのそれだった。
洗練されたフォームを崩さぬままゴールを目指す姿に、隣に座っている隠岐夫婦も若干興奮したように手に力が入っている。
「シィッ……!」
コースの後半に差し掛かった辺りで、紅音の速度がグンと上がる。
ラストスパートにしては若干速い気もしなくはないが、驚異的なのは加速の持続だった。
他の選手達がラストスパートをかけた瞬間にも最高速度を維持し続け、
「ッとぁ!」
2位の選手を大きく突き放してゴールラインを通り過ぎた。
「1位だ!」
「いよっし!ダントツトップ!」
「ふぅ……あ"ー緊張したぁ……!」
「紅音ちゃーん!かっこよかったよ〜!」
「……うん、決勝進出のタイムを余裕で達成出来てる!ほぼ確実に決勝進出だ!」
「「やった〜!」」
100mを走り切った紅音がこちらを一瞥して大きく手を振ってから係員に促されて移動していくのを見届けてもなお、見ていた側の興奮は冷めなかった。
まだ予選ではあるものの、その命が掛かってるかのような気迫に、紫亜もまた熱が冷めていなかった。
「ん、すごかった」
「前の秋の大会ではギリギリ全国に届かなかったからな、紅音もかなり気合が入ってるぞ」
「紫亜ちゃんも応援してくれてるもの、あの娘も張り切ってるわね」
「さぁ、早く紅音迎えに行くわよ!」
「おっと、ならさっさと移動しないとな」
少しして落ち着いてから待機場所に移動しようとする一行。しかしながら全国から集まった観客がごった返す観客席、特に最前列には人が押し寄せており、それに伴って退散しようと移動する彼らも人の波に詰め寄られていたのだった。
「うわっと、急に人増えたなぁ」
「すいません押さない、っとぉあぁ!?」
「危なっ!?」
ぎゅうぎゅう詰めになりながら移動する途中、漸く解放されるかといった所で帽子を被っていた大人しめの少女が大きくよろめいた。幸い、後ろにいた少年の支えで転倒することは無かったものの、その代償としてか被っていた帽子がずれ落ちて手摺の向こう側……グラウンドの一角に落ちてしまった。
「あー、落としちゃった……」
「どうする?係の人に言って取ってもらう?」
「けどこの近く人居ねぇぞ。全員短距離の記録取ってっから暇あんのか……?」
帽子を落としてしまったのはグラウンドから数mは上の高さにある観客席の端、人もまばらになって周囲を見る余裕も出来てきたものの係員が見当たらず、泣く泣く会場のスタッフに伝えて取ってもらおうと探し始めた。
「……まぁこの位なら余裕か」
「うぇ?」
その時、ボソリと呟いたその声が聞き取れた一番近くにいた少年が振り向くと、そこには帽子とサングラスを外して纏めている紫亜がいた。
「え、紫亜さん…?」
「ん、ちょっと取ってくるからこれとこれ持ってて」
「いや、あの、ここ高さ5mは……」
「ほいっと」
「紫亜さん!?」
隣にいた快活な少年から聞こえた困惑の声を流し、帽子とサングラスを預けた紫亜はそのまま手摺を一息で乗り越えて下の方へと飛び降りる。
タッ
地面に着く同時に衝撃を逃がすように膝を折り畳んで音も僅かにしか立てずに着地する。
膝下に付いた土埃を払いながら落ちていた帽子を拾い上げそのまま自分の頭に被せた紫亜が降りてきた壁を見上げると、心配そうにこちらを覗き込む少年少女と目が合った。
「え!?紫亜さん!?だ、大丈夫ですか!?」
「ん、特に何も無いよ………あ、ちょっとそこ空けて、危ないから」
「え、あ、はい……?」
チョイチョイとジェスチャーで少し横へズレるよう指示を出した後、徐ろに数歩下がる紫亜。
何かを察して笑う隠岐夫婦と真逆と目を見張る先生以外の4人が何をするのかと首を傾げたその時、勢い良く壁へと走り出した。
「よっ、と」
「「「「 」」」」
僅かな凹凸しか無いコンクリートの壁へと向かった紫亜はそのまま跳躍、中腹辺りで器用に壁を蹴って更に上への推進力を確保しそのまま手摺を掴むと片腕だけで自身の身体を引き上げてするりと手摺を乗り越えて観客席に戻ってきた。
呆然とする子供達を他所に被っていた帽子の鍔を掴むとそのまま先程帽子を落とした少女の頭に優しく被せた。
「次からは落とさないよう気を付けて、ね?」
「ひゃ、ひゃい……」
「ん、良い子」
そんな風に大ファンのモデルから微笑まれながら頭をポンポンと優しく叩かれた多感な時期の少女はどうなるだろうか?
「きゅう……」
「あれ?」
「美奈ーッ!?」
A.刺激が強すぎてキャパオーバーで気絶します。
紫亜ちゃんはただ後輩の落とし物を拾っただけなんだ、誰が何と言おうと他意無く落とし物を拾っただけなんだ……!
因みに紫亜ちゃんの人生の危機の1位はマジで死にかけた上本人のメンタルがボロッボロになった事件です。冗談抜きで自死する一歩手前位に精神的に病んでここから立ち直った結果自分の戦闘欲を受け入れてメンタルが鋼になりました。
後書きにシャンフロ劇場ミニや小ネタシリーズは
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いる
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いらない
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セルマァ……