パエトーンのお兄ちゃんが、こんなにモテモテなわけがない!   作:雨あられ

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CH11.イヴリン・シェヴァリエ

-新エリー都 「スターループタワー」 メイク室-

 

「今日も良いライブになったわね、イヴ!」

 

「ああ……そうだな」

 

私は観客たちの熱気や一体感を思い出し、興奮が冷めやらぬ気分だったわ! 今日は歌もパフォーマンスも完璧だった……と言うのは少し自惚れが過ぎる気もするけれど、そう誇れるくらい素晴らしいライブだった。

 

それもこれも、全て、「かけがえのない彼女」こと、イヴリン・シェヴァリエのおかげに他ならない。

 

彼女は私が最高のパフォーマンスを発揮できるように、マネジャーとしてスケジュール管理にリスクコントロール、そして時にはホロウや危ない人から私を守ってくれて、私が抜け出して遊びに行ってもうまく辻褄を合わせてくれる……イヴは本当に頼りになる、最高のパートナー!

 

しかし、そんな彼女がカコカコと先ほどからしきりに携帯をいじっており、話しかけてもどこか気の抜けた生返事しか返ってこない。表情を緩めて、優しい光が宿した眼でスマートフォンを覗き込みながら……。

 

「……ねぇ。聞いてるの、イヴ~?」

 

「え?あぁ、聞いていたとも」

 

そう言ってこちらを見て微笑んだのも束の間、再び、ピコンと通知音が鳴り、画面に釘付けに……。

 

ふぅん?

いつもライブ後は、喜びつつも課題点を洗い出す厳格な彼女にしては、珍しい光景だわ。多分、連絡先の相手って……

 

「じーーっ」

 

「…………アストラお嬢様?」

 

「イヴ。あなた……私に何か楽しい隠し事をしてるでしょ!」

 

私がそう指を突き付けると、イヴは数回長い睫毛を瞬かせたけれど、普段通りのポーカーフェイスを崩さず、髪を耳にかけながらため息をついた。

 

「ふぅ……何を言い出すかと思えば……そろそろ打ち上げの時間だ。衣装を着替えて準備を始めてくれ。そうそう、勧められた酒はばかすか飲むんじゃないぞ……くれぐれもな」

 

そう言って扉を開けて逃げる様に部屋を出て行くイヴ……。

怪しい……!あとで絶対に問い詰めてやるんだから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチャと扉が開いた音がして、ナナナナ!(イヴリン!帰ってきたたたた!)とニコニコしながらお尻を振って大急ぎで玄関へと向かったのは、イヴリンさんが拾った汎用ボンプのクロクロ(仮)だ。

僕もそれに続いて扉の方へと向かうと、扉を開けた瞬間、秋の木の葉のようなイエローの髪が視界いっぱいに広がり、足元をふらつかせた彼女がこちらに倒れ込むようにして寄りかかって来る。

 

「おかえり、イヴリンさん……また、随分と飲んできたね?」

 

「アキラ……お嬢様が……飲むなと言ったのに次から次へと杯を受け取って……」

 

ブツブツと恨み節を吐き出すイブリンさん。ツンと鼻に突く酒の匂いと、ほのかな良い香りが漂ってくる……と、とにかく、今は彼女を休ませないと。

彼女の肩を抱えてソファに座らせたのだが、イヴリンさんが僕の肩に頭を乗せてきて身動きが取れなくなる。

 

「イヴリンさん?今水を持ってくるから少し離れてもらえると……「……もの」……?」

 

「…………いつものを、頼む」

 

耳を赤くしながら小声でつぶやくイヴリンさん。

僕は彼女のリクエスト通り、サラサラの髪を梳くように撫でながら

 

「今日もお仕事お疲れ様」

 

たくさん頑張ったね?とそうリンを褒める時にやるみたいに彼女に囁く。すると彼女はピクビクッと身体を震わせたあと、大人しく撫でられていたがその間も、恥ずかしいのか僕と一瞬目が合ったが、視線を外して更に顔を赤くさせる……。

やがて、黙って立ち上がると大人しくシャワーを浴びに行ったようであった。

 

僕は今の内だとばかりに台所からお酒の類を隠していると、イヴリンさんがカラスの行水ですぐにシャワー室から出てきたようだ。

僕は冷蔵庫へと向かうと冷やしてあったミネラルウォーターをコップに注ぐ。

 

「ふぅ……こうなれば迎え酒だ。アキラ、何か出してくれ……?」「はい、イヴリンさん」

 

お酒だよと、下ろした髪を拭きながら出てきたタンクトップ姿のイヴリンさんに、コップを手渡した。スンスンと鼻を動かして怪しんでいたが、やがて彼女はそれを一気に飲み干して、良い酒だ。と顔を綻ばせる。酔った彼女がこうなるのは今日に始まったことではないから、もう慣れたものだった。

 

「……なぁ」

 

そう言って彼女はソファに腰かけると、ちょいちょいと僕のことを手招きし、僕が呼ばれるがままに膝の間に座ると、そのしなやかでありながら、弾力のある身体を押し付け、目を閉じて僕の肩に顎を乗せる。所謂バックハグというやつだ。

そして、今日もお嬢様を口説こうとするゴミがいたとか、明日までにプレゼンの資料を作らなければいけないとか、そう言った弱音や愚痴をこぼし始める。

僕がそれに相槌を打ちつつ彼女に労いの言葉をかけてあげていると、彼女の言葉数が次第に少なくなっていき……やがて穏やかな寝息が聞こえ始める。

 

酔った彼女がたまに見せる、この甘えるような仕草はどこか子供っぽくて可愛らしい、普段のクールで凛々しいボディガードの彼女とはまるで別人のようだ。

 

「……もしかしたら、こっちのイヴリンさんが素の性格なのかもしれない……」

 

「どーいうことだ」

 

起きていたのか。てっきり眠ったかと思ったのだけれど……。目を瞑ったまま、イヴリンさんは顎で肩をグリグリしながら抗議にも似た眠たそうな声を上げる。

 

「普段のイヴリンさんは冷静で寡黙な従者という印象を受けていたけれど……なんだか、酔っていると甘えん坊でわがままな……お嬢様みたいだ」

 

「私が……お嬢様みたいだと?」

 

だからこそ、二人は惹かれ合ったのかもしれない。本質的に似た者同士だから。

 

「くくく、お嬢様のわがままはこんなものじゃないぞ?……今日だって、彼女は勘が鋭いからキミがここに居るのがバレそうになってな……」

 

そう打って変わって楽しそうにアストラさんの話しを始めたイヴリンさん。僕はその間、イヴリンさんの髪を乾かしたり、歯を磨いたりして徐々に彼女が眠れるように準備を進めさせて、今度こそ本当に眠ったのを確認してからクロクロが用意してくれたベッドへと彼女を運びこむ。

 

それにしても、未だに信じられないことだ。

 

まさか、僕が彼女の…………ヒモになるなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロキシ辞めてイヴリン・シェヴァリエのヒモになった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本来、人と一緒に暮らすというのは少なからずストレスのかかるものだろう。

 

趣味嗜好、生活リズムに価値観、金銭感覚の違いと枚挙にいとまがない……。

それがどうだろうか、私がアキラとの生活に不満を持ったことなど一度もないし、彼が来てくれたことによって、かつて一人暮らしをしていた時よりも私の暮らしのQOLは遥かに上がった。

 

家事も、拾ってきたボンプのことも任せられて、かつ、何かあった際に裏の仕事のことにも頼れて、おまけに……今だって、泥酔した次の日の朝だというのに、彼の献身的な介抱のお陰で二日酔いもなく、酒気が抜けてベットから離れがたいくらいには心地良く眠れて……眠れて?

 

私はベッド脇に置いてある時計を見て布団を蹴飛ばし、跳ね起きた!

 

「マズイ、資料が!?」

 

出来ていない!

昨日の夜まとめようと思っていた資料が、だ。今日の会議で使うから眠るつもりなどなかったというのに……!

私が慌ててリビングに行ってノートパソコンを開くと、おはよう、イヴリンさんと、アキラがコーヒーの入ったカップを置いてくれた。

 

「その資料なら、僕の方でまとめておいたよ」

 

「何?」

 

「昨日の夜、作らなければ……って、うわ言のように言っていたからね。そのまま使えるとは思っていないけれど、内容も聞いていたし、何もないよりもマシかと思って」

 

そう言って、彼が作ったであろうフォルダを見つけて資料に目を通す……アルバムの年度別の売上推移表とお嬢様のセールスポイントを結び付けて、最近の興行事例をまとめつつ簡潔にプレゼン資料としてまとめられていて……。

 

「……い、いや、少し修正すれば十分に使用できる資料だ。というよりも……」

 

私が作ったものよりも出来が良い……。

要点がまとめられているし、見栄えもありつつ彼女の品の良さを損ねていない。

 

「……助かった。ありがとう」

 

「どういたしまして。というよりも、置いてもらっているんだからこれくらい当然さ。朝ご飯も出来ているよ」

 

「あ、あぁ……そうだな頂くとしよう」

 

ふぅと息を大きくついて椅子に座ってその時初めて気が付いた。

アキラの目の下のクマがいつもより濃くなっていることに。コーヒーを……何杯も飲んだような痕跡もある。なのに、恩着せがましい事一つ言わずに……。

 

「?……何か僕の顔についているかな」

 

「……君といると、本当にダメになりそうだ」

 

こういう、胸がギュッとなってしまった時、お嬢様なら抱き着いてキスの一つでもしていただろうか?

 

自分一人で何でもやることには昔から慣れているし、誰かに面倒を見てもらうなんて考えたこともなかった。アストラお嬢様についても、甘えるというよりも、甘やかす対象だ。

だから、彼という頼れる存在に支えられる生活は信じられないほどに暖かくて、心に余裕が持て、なおかつ……居心地が良い。

 

私のような女に彼の傍に居る、その資格はない。

だが出来ることなら、これからも……彼とのこの生活がずっと続いてくれれば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何としても、今の生活から脱却しないと……!

 

彼女が仕事に出て行った後、膝の上に乗ってンナナ~(イ、イヴリン、し、仕事!だ、だから僕も仕事!)と張り切るクロクロの頭を撫でてあげながら、彼女に買ってもらったPCを使って、クロクロでも受けられそうな依頼が無いかを検索する。なんでも、イヴリンさんのためにお金を貯めて何かプレゼントを買ってあげたいらしい、僕はそのお手伝いだ。

 

あの血のバレンタイン事件以来、僕は様々な勢力に狙われることとなった。

ホロウレイダーにギャング、治安局に星見家に……理由は様々なようだったけれど、そんな僕がビデオ屋に居ればリンを不用意に危険に晒す事になる……!

 

そう判断した僕は、エージェントたちとの連絡を一切絶ってしばらく家を出て雲隠れすることにしたんだ。彼らにも迷惑をかけるわけにはいかないからね。

 

しかし、新エリー都のホテル代はどこもボッタくりを疑いたくなるような値段だった。

安全性などを考えるとカプセルホテルや激安ホテルに泊まるわけにも行かず、あっという間に路銀が尽きてしまう……。

こうなれば、ツケを減らす替わりにニコのところに転がり込もうかと最終手段を考え始めた……そんな時だった、彼女……イヴリン・シェヴァリエに拾われたのは。

 

僕から事情を聴いた彼女は、彼女の拾ったボンプ、クロクロの面倒を見ることを条件に、僕を家へと匿ってくれることとなった。

 

床で寝ると言ったのに、家に行った次の日には僕のために寝具や日用品を買ってくれて、おまけに今使っているPCやボク好みのビデオにゲームまで買い与えられ……。

 

 

僕は……完全に彼女のヒモだった。

 

 

申し訳ないからと、家事や簡単な仕事の手伝いをこなしていたが、それを遥かに上回る金額、彼女に援助してくれている……。

 

ハッキリ言ってマズかった。

何がマズいかというと、このヒモ暮しがあまりにも快適すぎて、時々身を隠しているのを忘れてしまうくらいにはヒモの喜びを噛み締めている自分がいることが。

 

だが、日ごとにイヴリンさんへの「貸し」はどんどんと膨れ上がっている。

金銭での返済……は難しそうだが、せめて、何らかの形で彼女に恩返しを出来ないものだろうか?

僕はそう考えて、彼女が去った後にクロクロがお金を稼ぐ手伝いを始めた。クロクロのスペックでは道に迷ったり、猫に襲われたりと苦労も多かったけれど、クロクロはイヴリンさんの為に今日もお金を稼いでいた。

 

僕も見習って、彼女に何か恩返しをしないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、そんな矢先だった。

今日も疲れた様子で帰ってきたイヴリンさんが、しきりに肩を回してため息をついていたのは。

 

「イヴリンさん、肩が凝っているのかい」

 

「ん?ああ……今日はホロウにも入っていたからな……少し疲労が蓄積しているようだ」

 

そう言って再び疲れたように息を吐く彼女を見て、僕は一つ踏み込んだ提案をすることにした。

 

「なら、オイルマッサージなんてどうかな?」

 

「オイルマッサージ……?」

 

イヴリンさんは紫色の目を見開いたあと、自身の身を抱くと少し顔を赤くして僕のことを見る。僕は慌てて首を振った。

 

「いや、変なことはしないよ!それに、こう見えてマッサージの腕は妹からも評判が良いんだ」

 

「………………」

 

僕の目を見て信じてくれ、と彼女に言うと、彼女は腕を組んだまま、僕のことをチラッと見て、最終的には、では……よろしく頼む。

と、首筋まで赤くしながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん!!」

 

と甲高い声を上げるイヴリンさんに、僕は内心焦っていた。

 

「えっと、痛かったかな?」

 

「大丈夫だ、けど前にも言っただろう……私はかなりのくすぐったがりなんだ……」

 

そう言う彼女の肩甲骨のあたりにオイルを塗り広げていくと、彼女はひゃん!と再び甘い声を漏らす。

始める前は、変なところを触ったら、反射で攻撃するかもしれないぞ?などと脅し文句を言っていた彼女だったが、攻撃されるどころか、今のように色っぽい声を出されてばかりで、中々施術が進まない。

 

僕もプロというわけではないが、昔デュイのおやじさんにマッサージについては一通り教わって、お墨付きをもらったほどだ。腕には自信がある。

 

イヴリンさんの好きな匂いのアロマを焚いて、古傷が見える彼女の白い肌に馴染ませるように優しく背中にオイルを塗ると、イヴリンさんはまたビクビクッと身体を震わせた。

 

「大丈夫、力を抜いて、リラックスして……」

 

「はぁ……はぁ……」

 

段々コツがわかってきた。

彼女のくすぐったがるポイントは、急に触れて驚かせたりしないようにゆっくりと優しく触ればいいんだ。すっかり硬くなった太ももや肩に手の平で触れて徐々に力を込めて揉みほぐす……

 

「ぁぁ……んん……」

 

イヴリンさんが聞いたことのないような気の抜けた声を上げる。けどそれはくすぐったさからでないことは何となくわかる。それにしても……

 

「どこもかしこも凄く凝っているみたいだ。働き過ぎだよ……たまにはこうやってマッサージなんか受けて疲労を回復させた方が良いかも」

 

「……言っただろう?……私は普通ならば反射的に攻撃をしてしまう、それに、だれかれ構わず、肌を見せたりなどしない……」

 

「え?じゃあ、僕は……」

 

「…………君は、特別な人だからな。お嬢様にとって」

 

「ああ、それで……」

 

「私にとってもな」

 

?オイルを馴染ませている音でよく聞こえなかったが、とよし、力加減も良い感じみたいだ。イヴリンさんも次第にトロンと蕩けたみたいにリラックスした表情になっていき、マッサージが終わるころには……すっかり眠りについたようであった。

 

「……駄目だ、キミには……お嬢様が……」

 

変な寝言を呟く彼女を起こさないようにゆっくりと寝室を出る。

折角コツをつかんだのだし、今度、ビデオ屋の会員特典にマッサージサービスでも加えようかな? なんて、そんなの喜ぶ人居ないか。

 

……後日、この裏・会員特典と呼ばれるマッサージをめぐって、とあるパエトーン信者や潜入捜査官たちを巻き込む大波乱を起こすのだが……この時の僕は知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めはぎこちなかったイヴリンさんとの生活だったけれど。

一緒に仕事の資料を作ったり、またマッサージをしてあげたり、酔っているときに介抱したりしてあげたりしているうちに、彼女も徐々に心を開いてくれて素面でもストレートに甘えてくれるようになっていった。

 

例えば、ある日の休日。

 

僕がソファに座ってそろそろ僕自身もなにか仕事を探そうと、パソコンを操作していると、いつの間にかイヴリンさんが近くに来ていて、無言でソファの背もたれと、僕の背中の間に入り込んでくることがあった。

こういうことは少なからずあった。

寝ていると、いつの間にか隣で寝ていたり、歯を磨いているとなぜかタイミングを被せて歯を磨きに来たり……。

 

曰く、ボディガードとしての性だと言われて、そう言うものかと初めは納得していたのだけれど、単にすごく甘えたがりなのだと最近気がつき始めた。

 

「えっと……イヴリンさん?」

 

「ん~?」

 

「そうくっつかれると仕事を探せないというか……」

 

そう答えると、イヴリンさんはセクシーな泣きぼくろをある目尻を下げて、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「仕事なんてしなくていいだろう?折角私も休みなんだから……な?」

 

この笑顔が、ズルいんだ。

 

元々フランス人形のように美しい彼女が、普段はあれだけガードが堅いにもかかわらず、こうして笑顔を見せられると……ギャップも相まって途轍もない破壊力を生んでいる。

それにしても……彼女はもっと自分が美人であるということを自覚するべきだと思う。

 

結局は僕が折れて、ヒモ生活が更に長引いていく……

 

 

 

 

 

そんな堕落の日々が続いたある日、唯一定期的に連絡を取っていたリンから、「お兄ちゃん!早く戻って来てくれないと、大変なことになりそう!?」と、慌てた電話がかかってきた。

何でも、きな臭い勢力は「なぜか」急速に居なくなったというし、エージェントのみんながリンが誤魔化しても、段々と僕と連絡がつかないことに疑問を持ち始め、血眼になって探し始めたらしくて、ビデオ屋に別の意味で危機が迫っているという。

 

そろそろ、ここを出ていく潮時というやつだろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは一種の「憧れ」だった。

 

私がまだ小さかったころ。

手をこすり合わせてもなかなか温まらない中、私が任務を終えて帰路につくと、ふわっと美味しそうな匂いが漂ってきた。その匂いの元を探ると、何の変哲もない家の窓から明かりが漏れていた。

 

窓の霜を指で払って中を覗くと、母親が鍋つかみでシチューの入った鍋を運び、子供二人がそれを見て大はしゃぎしている。座っていた父親も優しそうな笑みを浮かべ、それを見守っている……あまりに幸せそうで、私には眩しすぎる光景だった。

 

どこにでもあるはずのその日常の景色が、しばらく強烈に脳裏に焼き付いて離れなかった。

私はその光景を自分に置き換えて、何度も、何度も思い描き、夢に見ることさえあった。

しかし、成長とともに任務に没頭するようになった私はそのような幻想はとっくに消え失せてしまっていた。

 

アストラお嬢様に拾われてからは、その多忙さに夢のことを思い出す暇さえもなかった。

 

けれど……

 

「おかえり、イヴリンさん」「ンナ!(お、おかえりりりり!)」

 

と今日も仕事から帰ると笑顔を浮かべて出迎えてくれる……アキラとクロクロ。

その笑顔を見ると、先ほどまで溜まっていた疲労やストレスが嘘のように吹き飛ぶ。

 

「ただいま」

 

と未だにぎこちなく返事をして、部屋の中へと入ると銀のテーブルの上にはぐつぐつと煮えているクリームシチュー、香ばしい匂いのするパン、瑞々しいサラダ……あの日憧れた光景がそこにはあった。

私がジャケットを脱ぐと、彼は自然な動作でソレを奪っていき、コート掛けへとかけてくれて、手を洗ってから再び席に戻ってくると、食器と飲み物まで並べられていてもう後は食べるだけだ。

 

「すまない、君を待たせてしまったようだ」

 

「良いんだよ。僕が好きで待っていたんだ。それに、一人で食べても味気ないからね」

 

テーブルの端に置かれている飲みかけのコーヒーカップを見て、彼が私の為に起きていてくれたことは容易に推測できる……心底、お人よしなやつだ。

私は勝手に口元がにやけてはいないかと、少しばかりヒヤリとした。

 

「そういえば、君が教えてくれたアストラーズへのサービスだが、かなり評判が良かった」

 

「それはよかった」

 

「やはりファン目線での意見や要望は参考になる。そうそう、この前作ってくれた資料も先方から受けが良くて……っと、すまない、帰って早々仕事の話ばかり」

 

「良いんだよ。僕はイヴリンさんが楽しそうに話している姿が好きなんだ」

 

そう目を細めてくれるアキラに、私は、また顔が熱くなっていくのを自覚する。

 

お嬢様が太陽だとしたら、彼はまるで月のようだった。

 

月夜の明かりはすべてを照らし出さない。

隠したい傷も闇で覆ってくれ、静かで優しい月光は夜空でも飛ぶ道筋を示してくれる……

太陽も、月も、もはやどちらが欠けてもイヴリン・シェヴァリエは生きていけないだろう。

 

 

けれど、同時に後ろめたさも感じていた。

 

 

彼を独占するということは彼の妹や他の友人たち……何よりはあの、アストラお嬢様への裏切り行為に他ならないからだ。お嬢様も、きっと彼のことが……。

 

モヤモヤした気持ちを紛らわすように口に放り込んだシチューは良く煮込まれていてジャガイモまで口の中で溶けていく、すごく美味しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事が落ち着いたころ、不意にアキラとクロクロがアイコンタクトを送り合っていることに気が付いた。

何を企んでいる?と思ったが、パッと電気が消えて、咄嗟にアキラを庇おうと立ち上がったがすぐに明かりがつく。

 

「ン、ン、ンナ!!(イ、イヴリン………いつもあ、あ、ありがとう!)」

 

そういってクロクロが持ってきたのはロウソクの刺さったイチゴのショートケーキだった。

 

「これは一体……?」

 

「クロクロがアルバイトをしてイヴリンさんに買ったんだ」

 

「私のために……?」

 

「ンナ!!」

 

笑顔を浮かべるボンプに、私は、ケーキを受け取ると涙腺から何か溢れてきて……ギュッとクロクロを抱きしめた。

 

幸せというのは……こういうかけがえのないものなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーキを食べ終えて、クロクロを充電スタンドで充電し始めると、アキラと二人でお茶を飲む。不意に、アキラの方が言いにくそうに頬を掻いた。

 

あぁ、また何か買って欲しいものでもあるのだろうか?

それとも、ま、まさか…………こ、告……!?

 

不意にアキラが覚悟を決めた顔で私の方を見上げる。

 

「イヴリンさん。実は僕」「ま、待ってくれ、心の準備が……」

 

 

「えっと、実はそろそろこの家を出ようかと思って……」

 

 

「ま……………………なんだと?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

底冷えするような声、一瞬で空気が張りつめたものへと変わる。

そして、先ほどまでクロクロのサプライズで穏やかに微笑んでいたイヴリンさんの目が猛禽類のように鋭く細められて、僕のことを射殺さんばかりのプレッシャーを放つ。

 

あれ?と思った。

てっきり、僕の門出を喜んでくれるかと思ったのに……。

 

「えっと、実は僕のことを狙っていた連中がもう居なくなったらしいんだ。だから、もう帰って来ても安全だってリンが……」

 

余計なことを、と小声でイヴリンさんがつぶやいたような気がしたが、多分聞き間違えだろう。

 

「何か今の生活に不満があるのか?私に悪いところがあるのならば、解消するように努めるが……」

 

「そう言うわけではないよ、ただ、このままお世話になりっぱなしというわけにも」「私は構わない」

 

食い気味にそう胸に手を当てて主張するイヴリンさんに僕は首を振った。

 

「僕が気にするよ。イヴリンさん、今まで本当にありがとう……そうだ、今度このお礼にどこかでご馳走する……よ?」

 

僕が別れの握手をしようと、椅子から立ち上がった時だった。

ピンと、まるで月光のような光沢があるヒモ。いや……彼女の武器である縄鏢がそこかしこに張り巡らされていて、いつの間にか、僕は一歩も身動き一つ取れない状況に……!?

 

彼女はゆらりと席を立つと、徐々に僕の方へと近寄ってくる、そしてゆっくりと、指先で僕の身体に細い人差し指を這わせて、徐々に体を上って、遂に顎先で止めるとクイっと、持ち上げ、僕の目を覗き込む。そのバイオレットの瞳は……どこか黒く濁っている。

 

まさか……バレたというのだろうか。

 

僕が、買ってもらったものの返済の目途が立っていないまま家に戻ろうとしていることが……!

 

「ち、違うんだ、イヴリンさん……」

 

「何が違う?アキラ……私をこれだけダメにしておいて、逃げるつもりか?」

 

「逃げるなんて……僕は、このままでは……責任が取れないと思って」

 

「せ、責任……!?」

 

そうだ、責任をもってお金を返すにしろ、まずは家に帰ってパエトーンとして稼いだ方がはるかに効率的だ。

 

「信じてほしい……イヴリンさん。僕は必ず責任を果たす。その時まで、どうか待っていて欲しい……」

 

このまま殺されてもおかしくないような状況だが、僕はイヴリンさんに嘘を言ったりしたくない。

イヴリンさんは真っ赤になりながら放心していたが、やがて意識が戻ると、何やら潤んだ瞳で、改めて僕の顔に両手を当てて向き直る。

 

「本当……だな?私は……信じているぞ?」

 

彼女が指を弾くと張り巡らされていた縄が一瞬で赤い蛾のように燃え尽きる。

 

が……!

 

「すまない……アストラお嬢様……」

 

そう呟くのが聞こえたあと、彼女の端正な顔が徐々に近づいてきて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-新エリー都 「スターループタワー」 メイク室-

 

「今日も良いライブになったわね、イヴ!」

 

「ああ……そうだな」

 

私がそうイヴに声を掛けたものの、当の彼女はどこか上の空だ。

少し前の彼女とはまるで別人で、ぽっかり穴が空いてしまったようにぼんやりとしている。

 

「ねぇ、イヴ聞いてるの~?」

 

「あ、あぁ、聞いていたとも。」

 

そう慌てる可愛い彼女に、私は、大きくため息をついてから、ふ~ん、そんな態度で良いんだ~と、ワザとらしく声のトーンを大きくする……。そして、イヴの前に躍り出ると、彼女の唇に人差し指を当てて……

 

「それでどうだった?アキラとの同棲生活は楽しかった?」

 

「なっ!?」

 

そう笑顔で言うと、普段のポーカーフェイスが崩れて、私でもはっきりわかるくらいに狼狽するイヴ。サプライズが成功して楽しくなり、フフフと私は更にご機嫌な笑みがこぼれてしまう。

 

「何で知っているかって?フフ、実は可愛い内通者さんが教えてくれたの~」

 

「………………リン?」

 

ピンポーン!今日のチケットで教えてくれたの!と私が笑顔で頷くと、イヴは顔を青ざめさせてから、苦虫をかみ殺したような顔をする。

本当に、今日は色んな表情のイヴが見れて最高の日!

 

「すまない、お嬢様……」

 

と何故か、冷や汗を流しながら謝罪をするイヴ。

 

「どうして謝るのよ?すっごく良い事じゃない!」

 

「良い事?」

 

私がちょいちょいとイヴに近づいてきてもらうと耳元でこう囁く

 

 

「だって同じ人が大好きなら、将来……二人ともお嫁に貰ってもらえばいいだけじゃない!……ね?」

 

「な!」

 

木の葉のようなイエローをボッと紅葉させた彼女は……

私も初めて見る、可愛い恋する乙女の貌をしていた!

 

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