パエトーンのお兄ちゃんが、こんなにモテモテなわけがない!   作:雨あられ

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CH14.イドリー・マーフィー

 

-新エリー都・衛非地区 『適当観』-

 

「おかえり~お兄ちゃん~。今日もお疲れ様~」

 

まだ風が冷たくなりきっていない秋のある朝のこと。

寒さに手を悴ませながら適当観の自室に帰ってくると、いつの間に入ったのかリンが寝そべるように羅漢床(長椅子)の上に座って映画を見ていた。

 

「ただいま……って、リン……また勝手に人の部屋に……」

 

「えぇ~良いじゃん~お兄ちゃんの部屋の方が広いんだし!それとも、こんなに可愛い妹を寒いお外に追い出すって言うの?」

 

そう言って僕の方を見てワザとらしくも、おろろ~んなんて子芝居をして目を潤ませるリン……こうなると……僕に勝ち目はない。たとえそれがバレバレの演技だとしても。

 

「そんなことするわけないだろう?」

 

「へへ~!お兄ちゃんならそういうと思った!あれ?お兄ちゃん?その紙袋って……」

 

「あぁ……今日のお悩み相談のお礼にもらったんだ。確か、シフォンケーキだと言っていたかな」

 

「シフォンケーキ!?あ、お兄ちゃん、お外寒かったでしょ!今、あったか~いお茶を入れてあげるね!」

 

そう目ざとく僕の手土産を見つけたリンは椅子から立ち上がるとお茶の準備を始めたようだ。まだ、食べるとも言っていないのに……けれど、鼻歌交じりにはしゃぐリンの姿を見ていると、僕も釣られて笑みを浮かべてしまう。

 

ここ最近の僕たちはといえば、儀玄師匠から術法の修行を受けたり、町の人のお悩み相談を受けたり、オボルス小隊や怪啖屋のみんなとホロウ探索をしたりとそれなりに充実している毎日を過ごしている。たまに六分街に帰ったりもしているが、現在の生活の拠点は間違いなく、この雲嶽山だ。

 

「お兄ちゃん、折角なら姉弟子たちも呼ばないとだね?」

 

「そうだね。まぁ、福福先輩たちなら、そろそろ匂いを嗅ぎつけてやって来そうだけれど……と、ほら」

 

トントンと!誰かが部屋にやってきたみたいだ。

 

リンがお茶の準備をしているので僕が立ち上がって部屋の扉を開けると、冷たい外気と一緒に……?

 

「っと?」

 

ふわっとしたアロマの匂いとともに僕の方に倒れこんできたのは……クリーム色に黒のタコ墨を付けたようなショートボブ、吸盤がついた紫の尻尾、ぽわぽわした雰囲気をしたどこか危うげな女性……つい最近ホロウで出会った怪啖屋の一人、イドリー・マーフィーだ。その彼女が、全身に触手を巻き付けてどうにも様子がおかしいようだ。

 

「イドリー?」

 

「アキラ……わたし……」

 

息も絶え絶えという感じで僕にしがみつくイドリー。

 

「しっかりするんだイドリー!いったいどうし」「寒いわ……」

 

「い、イドリー!?」

 

!?よく見たら彼女は服を着て……ない!?

すぐにそれに気が付いたイドリー本人がなぜか驚いていて、両手と触手で体の大事な個所を隠して頬を染める。そして、粘り気のある触手が僕の目を覆い、リンからはお兄ちゃんのえっち……!と理不尽なチョップが飛んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パエトーンのお兄ちゃんが、こんなにモテモテなわけがない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、ぬくいわぁ……」

 

少し袖の余った僕の服を着たイドリーがカップから口を離すとため息交じりに言葉を漏らした。それにしても……足を組みかえ、僕の視線に気が付いて目を細めて微笑むイドリー、彼女は仕草の一つ一つが妙に艶っぽい。それに加えて先ほどの一件もあり……僕は思い出すのも悪いと思いごまかすようにシフォンケーキにフォークを突き刺す。

 

「あ、お兄ちゃん、ちょっと待ってね」

 

そう言ってシフォンケーキを今まさに口に放り込もうとしていた所をリンに制止される。リンは立ち上がってから冷蔵庫の方へと行き、すぐに戻ってきた。その手にはこの前食べ残していたバケツサイズのアイス。それをごそっとスプーンで掬うと、僕たちのシフォンケーキの上に乗せる。アイスからは、白い冷気が立ち上っている。

 

「これは……?」

 

「まぁまぁ、食べてみなよ!」

 

早速一口食べてみると、この寒い日にアイスを乗せるのはどうかと懸念していたが、どちらかというと水分を吸うタイプのこのシフォンケーキとしっとりしたアイスの相性は抜群だった。それを温かい紅茶で流すと甘さが緩和されて口の中がさっぱり温まり……美味いの無限ループが完成だ。

 

「すごいのね、リン。とっても美味しいわ」

 

妹のセンスはいつだって最高だ。

僕一人なら味気なくそのまま食べてしまっていたかもしれない。彼女は僕の人生にいつだって花を添えてくれている。

 

リンに僕も称賛を送った後、しばらくして僕の方から話を戻した。

 

「……それでイドリー、今日は一体どうしたんだい?君は……何だか思い詰めているように見えるけれど」

 

イドリーはその渦潮のような紫の瞳を大きく開くと、口をつけていたカップを置き、触手と同じくらい太い太ももに両手をはさみながら縮こまって話を始める。

 

「アキラったらはわたしのこと、なんでもお見通しなのね~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「書けなくなった?」」

 

「えぇ……」

 

そう言ってイドリーは俯く。

 

彼女は優秀なプロキシであると同時に、インターノットのフォーラム、怪啖屋で活動する投稿作家でもある。彼女の書く文章には、人を物語に引きずり込むような不思議な魅力があった。背筋が凍るようなホラーから、ハラハラするような冒険物まで、ジャンルに富んでいてネット上での人気も高い。

 

けれどそんな人気作家の彼女は……どうやらスランプに陥ったらしい。

 

「インスピレーションが湧かない、ということかな?」

 

「わからないわ……こんなこと初めてで……」

 

「うーん、イドリー、あんたのネタが浮かばないってだけの話じゃなさそうだね」

 

そう言ってリンも真剣な顔をしている。

 

「だったら、私たちと一緒にホラー映画を観るっていうのはどう?」

 

そう言ってリンは両手を合わせて満面の笑みを浮かべた!?

 

「ちょっと待った!わ、わざわざホラーじゃなくても」

 

「だって怪啖屋といえば、ホラーでしょ!?ね、イドリー?」

 

僕が焦ってイドリーの方を見ると、彼女は両手で顎を支えながら、微笑を浮かべて僕のことをじっと見ていた。

 

「イドリー?」

 

「え?ええ、ごめんなさいね。ボーっとしてしまって……」

 

「……相当重症みたいだね」

 

原因はわからないが、彼女はまるで夢の中にいるかのように地に足がつかず、頬を赤くしながら呆けているようだ。しかし、リンの方からは……あ~……と納得したような声が漏れ出る。

 

「リン?」

 

「うーん……あー、刺激、うん、刺激でもあれば元に戻るんじゃないかな~」

 

「刺激だって?」

 

「そうそう、インスピレーションを感じるにしても、実際肌で感じないとわからないこともあるってこと!ってことで、お兄ちゃんは今からイドリーをどこかに連れて行ってあげて!なるべく刺激的なところに!」

 

そう言ってリンは僕たちの背中を押すと部屋から閉め出す。そして、イドリーに向かってパチンとウィンクをしたように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-新エリー都・郊外 旧油田エリア「ブレイズウッド」-

 

……私は先ほどから何を見せつけられているんですの!?

 

プロキシさんから連絡があったのはつい先刻のこと。

 

ルーシー、君が恋しい。会いに行ってもいいかい?

 

とメッセージが来て、私も会ってあげないこともなくってよ?なんて素っ気なく返信を送った後、急いで砂まみれになっていた体を洗い流して、気合を入れてメイクをし、服選びまでしたというのに……だというのに!!

 

「イドリー、ほら見てごらん、世にも奇妙なトゲの無いサボテンだよ」

 

「うふふ、わかったわ。きっと夜更かしをする悪い子には、夜な夜なこのサボテンが歩き出して針を千本飲ませているから、針がないのね?」

 

「いや、そんな恐ろしい逸話はないよ……」

 

どうして別の女を連れてきてやがりますの!この唐変木は!

っというか、また性懲りもなくケツのでかい女を!

 

「よ!来たか、アキラ!」

「いらっしゃーい!プロキシちゃん!」「ま、ゆっくりしていけ」

 

「シーザー、みんな!」

 

……プロキシさんが別のケツデカ、もといシーザー達に気を取られている間に、連れてきた女性の方へと近寄り、先ほどから気になっていたことを問いただす。

 

「ちょっとあなた……その服、どうしたんですの、プロ……アキラさんの普段着ている服と同じに……見えるのですが」

 

「えぇ、これは今朝わたしが何も着ていなかったらアキラが貸してくれたの」

「そうですの、やはり彼の服でってはぁぁあああ!?」

 

そ、それは一体全体どういうシチュエーションですの!?まさか裸で家に行くなんておバカなシチュエーションが起こるとも思えないですし、もしかして……朝、一糸纏わぬ姿で二人……!?

 

「あ、あああ、貴方、一体……あ、アキラさんとどういう関係なんですの!?」

 

「え、うーん……どんな関係なのかしら……強いて言うのなら……」

 

口元のスケベなホクロに人差し指を当てて考えた後に、耳にかかった髪をかき上げてニコリと答える巨乳女。

 

「わたしの「これから」をすべて捧げた関係……かしら?」

 

「……はああああああッ!!?」

 

プロキシさん!プロキシさん!!どうなっていますの!?

 

 

 

 

その後、誤解だといわれて理由を説明され、納得できないままバイクでツーリングをすることになったのですが、アキラさんは誰のバイクに乗るか悩んだ末、結局ライトの後ろに……!

かと思えば、いつものように襲ってきた族を返り討ちにするイベントが発生したのですが、今度は咄嗟にシーザーのバイクに乗ることになり、そのまま彼女がふにゃふにゃになるまで後ろから強く抱きしめて……!

 

私は、用意周到にして彼を嬉々として出迎え、結局戦闘で服はボロボロ、何も気が付いてもらえない馬鹿な道化女……そう思っていたら、プロキシさんは別れ際に私の方に近づき、耳元でささやく。

 

言い忘れていたけれど、今日のルーシーは服も可愛くて特別綺麗だね……!?

 

全く……次はありませんわよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-新エリー都 「スターループタワー」 VIPルーム-

 

アキラ……この男、正気か?

 

思わずこの朴念仁を見てそう思わずにはいられない。

 

突然アキラから、イヴリンさん、今日のライブを二人追加で観る方法はあるかい?と連絡があった。新エリー都で1番人気のお嬢様のライブだ、当然、チケットの金額は吊り上がり、普通であれば当日参加など到底不可能に等しいのだが、そこはお嬢様の力だ。

彼が来たがっていると知ったお嬢様が駄々をこねたため、特別にこのVIP席へ案内することにした……のだが。

 

「凄い席ね~」

 

ぼんやりとした雰囲気の女性が先ほどからテラス席からステージを見下ろして楽しそうにしている。

こともあろうか、この男、お嬢様に用意させた席に女連れでやってきたのだ……!!

 

「い、イヴリンさん……すごく視線が怖いというか」

 

「ほう?なぜだと思う?」

 

「……すまない、お金もないのにこんなにいい席を用意してもらって……」

 

この……!てっきり妹と二人で来るのかと思っていたから、私も……その楽しみにして用意したというのに!やはり一度監禁でもして……!?

 

「アキラ!私のコンサートへようこそ!」

 

そこへ、お嬢様がやってくる。もうすぐ本番だというのに、わざわざ時間を作ってまでアキラに会いに来たのだ。

 

「それで、貴方が急に会い来てくれたのはそこにいる彼女が関係しているのかしら?」

 

「あぁ、流石はアストラさんだ。紹介するよ、彼女はイドリー……物語の紡ぎ手なのだけれど、ただいま絶賛スランプ中でね……。そこで、君の美しい歌声を聞けばよい刺激を受けてインスピレーションが湧いてくるんじゃないかと思ってね」

 

「ふふ、そんなことだと思ったわ~。全く、イヴったら、す~ぐ嫉妬しちゃって可愛いんだから」

 

「わ、私は別に……」

 

お嬢様が赤くなった私の頬を突きながらクスクスと笑う。

 

「ところでアキラ、彼女はどうしてあなたの服を着ているのかしら~?」

 

「え?あぁ、リンの服のサイズが合わなくて」「そうじゃなくて」

 

「どうして、『私は断られた』あなたの服を、彼女は着ているの~?」

 

あ、やばい、お、お嬢様が……怒っている!?

 

彼女の顔は笑っているが、目は笑っていなかった。

……その様子を見ていた作家の女性……イドリーが申し訳なさそうにこちらにやってくる。

 

「ごめんなさいね。あなたたちの「特別な舞台」にお邪魔させてもらって……」

 

「……いいえ、歓迎するわ!イドリー!私も曲のアイデアが浮かばない辛さはよくわかるもの……ちなみに、普段はどんな物語を書いているの?」

 

「えっと、怪啖屋というフォーラムで……怪談話を中心にいくつか……」「ちょちょちょ、ちょっと待って!」

 

お嬢様がイドリーの言葉を遮ると肩をわなわなと震えさせる。

 

「……あなた、まさか『いちごパフェ』!?」

 

「え、えぇ、私のことを知っているの?」

 

そうイドリーが答えると、お嬢様は目を輝かせながら、彼女の手を強く握ってぶんぶんと何度も握手する。

 

「知ってるも何も私、大ファンなのよ~!私よ、『デタラメチャーハン』!」

 

「でたらめ……あぁ、いつも面白い感想をくれる」

 

「えぇ!貴方のお話は凄くインスピレーションがもらえるの!移動中とか、暇なときによく読んでるのよ~!ほら!この前の「海の怪物」のお話もすごく怖くって!!一人でおトイレに行けなく「こほん、お嬢様」あ、ごめんなさい」

 

「うふ、嬉しいわ。大スターに読んでいてもらえたなんて~」

 

そうポヤポヤと喜ぶイドリーに、サインもらえるかしら〜と、私に耳打ちするお嬢様……この二人、何だか似ているな……マイペースというか……しかし、これではどちらがスターなのか……と。

 

「お嬢様、そろそろ時間が……」「もうこんな時間?……ふふ、いちごパフェ先生の新作のためとなると、私も頑張らないといけないわね」

 

そう言ってお嬢様はアキラたちを一瞥した後に部屋を出る。かと思えば、黒い髪を靡かせて振り返って笑う。

 

「音楽の力を見せてあげるわ」

 

その顔は、先ほどまでの親しみやすい天真爛漫とした彼女の笑顔ではなく、まるで、インスピレーションくらい湧かせてあげるわ、とばかりの、トップスターの階段を昇りつめたあの「アストラ・ヤオ」の挑戦的な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-ルミナスクエア 火鍋屋-

 

「あれ?ナギねえ!あそこにいるのアキラだよ!」

 

「本当ですね、こちらにいらしていたんですね」

 

夜更けのルミナスクエア。

6課の仕事終わり、通りに立ち上る湯気と香辛料の匂いに誘われて私と蒼角の二人は火鍋屋に滑り込んだ。

テーブルに置かれた鍋は、赤と白の二色に分かれ、ぐつぐつと音を立てていて、仕事の疲れを癒してくれる。3つ目のお鍋が運ばれてきたとき、不意に蒼角がテーブルに手を置いてアキラさんのいる方を指さした。

久々に会えたのだしと、声を掛けようとと椅子を引き、立ち上がるとしたまさにその時…………。

 

「……わたし、あんなに激しいのは初めてだった……」

 

ピタリと私の体が硬直する、彼の前には、ほぅっと、色っぽい吐息を漏らして顔を赤くする妖艶な女性……。

 

「僕も興奮しっぱなしだったよ!今日みたいな体験は初めてさ!」

 

普段は知的で落ち着いている彼が珍しく声を荒げていて興奮している。

ちょっと待ってください、先ほどからの会話の内容を察するに……!

 

「アキラったら、あんなに激しく棒を振って……わたし、壊れちゃうかと思ったわ」

 

「そういうイドリーこそ、興奮して触手が僕にからみつきっぱなしだったよ」

 

「や、やだ、そんな……恥ずかしいわ」

 

「あんなイドリーの声、初めて聴いたよ」

 

…………アキラさん一体彼女と何をしていたんですか……いえ……ナニをしていたんですか!?

よく見るとその女性はアキラさんの普段着ている服を着ている……ま、ま、まさか!

 

「な、ナギねぇ、怖いお顔……」

 

「ふ、うふふ、蒼角、私は少し彼と『お話』をしてきますから先に帰っていてください。ええ、店を破壊するつもりはありませんから安心を……!」「に、逃げてアキラ!?」

 

……その後、それがアストラ・ヤオのコンサートの話だったと聞き、私は火鍋以上に顔を赤くさせることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-新エリー都 ポート・エルピス 灯台-

 

夜の海風が冷たく吹きつける。

 

わたしはアキラに手を引かれて鉄の螺旋階段の最後の一段を登りきると、目の前には普段と全く異なる風景が広がっていた。

夜の帳が下りた港には誰ひとりおらず、暗闇に溶け込む海は墨絵のようにすべてを映し返し、果てしない絵巻物のよう。それに加えて……。

 

「雨……?」

 

「あぁ、ちょうど天気予報でそろそろ降り始めると聞いていただんけど、当たってよかった」

 

降り始めた心地よい雨の音、零れ落ちる水のカーテンが海風と星の静けさに溶け込んでいきそうな意識の隣で、確かに隣にいる彼がニコリとわたしに優しく微笑む……。

 

「今日は楽しかったかい?」

 

「えぇ、どこも刺激的でいくつも物語が降ってきたわ」

 

今日、アキラに連れて行ってもらったのは、砂塵の舞う荒野、音の波に溢れた空中庭園、灼熱の炎に溶けそうな火鍋屋……どこも体験したことのない刺激に溢れていた。

人混みの中は苦手だったけれど……いつだってアキラが手を引いてくれて、わたしを現実に引き戻してくれた。

 

けど、今はこれまでの喧騒が嘘のように静かで、大きな刺激もあるとは言えない場所なのに……なのにわたしの……「イドリー」としての心は今が一番大きく揺れていた。

 

「おっと?」「!」

 

気が付けばシュルシュルとアキラに巻き着くわたしの分身たち。

 

「ごめんなさい。この子たち、また勝手に……」

 

「構わないさ。これでこの子達が落ち着くというのなら。それに今日はイドリーには随分と無理をさせてしまったからね、こうして君と、静かな時間を共有できればそれで良いんだ」

 

「アキラ……」

 

ダメよ、そんなに優しくしては…………。

だってわたし、もっと甘えたくなってしまう。

 

「巻き付いて良いのは……この子達だけ?」

 

「え?」

 

そう言ってわたしは彼を抱きしめると、そっと彼の頬に手を添える。

 

激しくなった雨が、水平線に空と海の境界がもつれ合って溶け合っていく。

気が付けば雨音以外の音は聞こえない、聞こえるのはただ、きみの心地よい心音と息遣いだけ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-新エリー都・衛非地区 『適当観』-

 

「お兄ちゃん、「いちごパフェ」先生が投稿してるよ!」

 

リンがそう言ってノックもなしに部屋にやってくる。イドリーと出かけた数日後、さっそく怪啖屋には彼女の物語が投稿されたようだった。

物語に目を通す……指先からあふれる言葉は、まるで海風に乗って運ばれてきたかのように自然で、軽やかで、彼女は完全にスランプを脱したように見える。ただ……少しいつもとテイストが違うような……。

 

「うわ~……なんていうか、見てるこっちがドキドキしてきちゃう……!こんな恋愛描写を書くだなんて、イドリーってば新しい才能が開花したんじゃない!?」

 

いつもの怪談要素に加えて、ぼんやりポヤポヤとした女性が、不思議な目をした男性と出会いともに苦境を乗り越え、二人の関係は急接近する……そんな恋愛描写がそこはかとなくプラスされていた。

イドリーの豊かな表現力とまるで体験してきたかのようなヒロインの精神機敏も加わって、リアルであり、思わず一気見してしまう凄まじいクオリティだ。ただ……。

 

「この相手役の男はもどかしくなるくらい鈍感だね」

 

「……なんてお兄ちゃん?」

 

「いや、どうみても女性が好意を寄せてくれているっていうのに、まるで気づく素振りがないじゃないか。それなのに、普段は凄く機敏で大抵のことならなんでもできるだなんて……なんだか同じ男性としてやきもきしてくるよ」

 

「……お兄ちゃん、本気で言ってる!?」

 

リンは一体何を怒って……と、僕と同じような意見を持った人がいるんじゃないかと感想欄見に行くと、そこには今までの比ではない熱量でたくさんのコメントが付いている。

 

 

『ハラハラドキドキして怖かったけれど、最後はすごくシンメトリーな物語だったのだわ!リクエストがあるとすれば、次のヒロインは臆病なウサギのシリオンの方がいい気がするの!』- T.A.T

 

『中々楽しく読ませてもらえましたわ。改善点があるとすれば、ヒロインはもう少し品があって、頭脳派の淑女が良いかもしれませんわね』-金糸雀のエレジー

 

『今回も最高のお話だったわ!惜しかった点として、ヒロインはもう少し天真爛漫で歌がうまいとかだともっと素敵になるんじゃないかしら!』-デタラメチャーハン

 

『こんな世の女性の敵のような男にヒロインの女性はもったいないと思います!そこで、レイヴンロック家の「ヒュー」、その宿敵の「ライ」と絡ませて三角関係に……』-ランペルージュ・アズナヴール・ファントムハーベン

 

……僕はそっと感想欄を閉じた。

 

その後、イドリーの恋愛物語は爆発的人気が出て、そのたびにヒロインに関するリクエストが殺到していた。

しかし、一度たりとも、イドリーはこの二人以外を題材に恋愛ものは書かなかったみたいだった。

 

 

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