楽園病棟 作:空嵐
都内で、一番大きな病院の、地下の静かな一室。
そんな場所に俺は今、たった一人で訪れている。
いや、一人になった。
「『病は伝染する』……か」
至極当たり前の知識である。
だが、偏見でもある。
「この例の病気が、空気感染した事例はない」
もちろん、飛沫、接触、経口……そのいずれも確認されていない。
故に安全とも言えない。
「……病気ってのは、フィクションよりも複雑なんだなぁ」
分厚く、音どころか生半可な振動すらも通さないであろう、コンクリートの壁とドア。
触れていない筈なのに、冷たさがこちらにまで伝わってくるようだ。
そんなドアを、できる限り音を立てないように開き、中に進む。
……居た。
「君が、ノイズか」
「っ……だ、れ」
「俺は」
「っ……」
「……ああ、この距離と声量でも辛いのか?」
「……」
コクコク、と。
少女……ノイズは、懸命に耳を塞いでいる。
「じゃあ……」
取り出すのは、紙とペン。
サラサラと、簡潔に、伝えるべき言葉を書き記す。
『これなら、大丈夫か』
『問題がないなら、返事が欲しい』
「……もう、少し、音を……」
『わかった』
音を立てないように、ゆっくりとペンを動かす。
『これで、どうだろうか』
「は、い……」
……どうやら、許容範囲内にはなったらしい。
『簡潔に、聞かせて欲しい』
『君はどうにもならない今を』
『その、
「ぇ……?」
『俺は医者、だ』
「……い、しゃ……」
『ああ、君みたいな、患者を 』
「っ……やめ、て!」
叫び出した、少女。
「私……は」
「私、は、病気なんかじゃ、ない!」
……これは、俺のミスだな。
よくよく見ると、泣いた跡がある。
『ああ、君みたいな、患者を担当している 君の耳を元に戻す方法を模索する仕事をしているのが、俺だ』
「……」
……ダメだ、完全にこちらを拒絶しているらしい。
『また明日、話をしに来る』
「こな、いで」
「……」
部屋を静かに出る。
……まいったな、第一印象で嫌われてしまった。
■■
「よお、頭のイカれた我が親友」
「……久しぶりに会った親友にかける言葉が、それか。ジャック」
「当然だろ。何も言わずに居なくなっちまったからな」
「……」
相変わらず、憎まれ口を叩く男である。
「で、珍しいな
「まあ、な」
酒……は飲むタイミングではないので、ウーロン茶を口に含む。
「……少々、あちらと揉めているんだ。今回の少女は」
「あちらって……もしかして軍隊の?」
「そうだ」
「うっへぇ……どういうことなんだ、そりゃ」
「……ざっくり言ってしまうなら、超聴覚異常、だ」
「超聴覚異常?」
「ああ、常人の数十倍以上の聴力を得る。今のところそれだけのびょうじょ……」
「ん? どうしたんだ」
「……なんでもない。そういう特徴がある少女だ」
「ふーん……そういうことかい、軍部も悪どいこと考えるなぁ」
「それが、仕事だからな。あちらも」
「どれくらい酷いんだ? その子」
「七メートル程離れた場所からの、ペンの音をうるさく感じる程らしい」
「……マジ?」
「聞いた訳じゃないが、おそらく。……自身の声すらも、苦痛に感じている様子だった」
「そりゃ中々……で、どうしたいんだお前は」
「……」
「ありゃ? 当然治したい、って言い切ると思ったんだが」
「……あの子は、病気を否定していた」
「へぇ?」
「なら、あちらでそれを長所として捉えるのも……と思ってな」
「らしくねぇな」
「……」
「教授から逃げ出すような奴が、そんなことでなぁ……ってよ」
「逃げた訳じゃないんだが」
「結果、逃げたみたいなもんだろ。それだけの行動力があるんだし、才能もあるんだ。最後まで諦めずに、その子と触れ合ってみたらどうだ?」
「そしたら第一印象じゃ、わからないものがわかるかもしれねぇぜ?」
「……そうか」
相変わらず、変なところで優しい男である。
「そうだぜ親友、あっちの子が親友のことを知らずに怖がってるように、こっちだってあの子のことを全く知らねぇんだからな」
■■
『……また、来た』
「かえ、って」
『それは、しない』
『質問になら、答えよう』
「……」
『だから、これを』
「……?」
『イヤーマフと、俺への質問を書いた、カードだ』
『イヤーマフは……この時間の間、紙とペンの擦れる音がマシになるか、と思って用意した』
「……あり、がとう」
『気にするな』
『カードは、質問表から気になったことでも、何でもいい。それに対応した記号のカードをこちらに向けてくれれば、こちらも答える』
『もちろん、それ以外であっても、聞かれれば答えるつもりだ』
「……きたない……」
『すまない、手書きの急造品だ』
『読めない部分は、いつでも聞いてくれ』
もう少し、綺麗な字を心掛けておくべきだったか、自分しか読まない環境が続くと、簡略化を極めてしまう。
「じゃ、あ……」
未だ警戒色の強い少女が、その手に持ったのは……。
『☆』
☆の質問は……『どうして、ここに来たのか』だったな。
『昨日、言った通りだ』
『君に、道を選んで欲しくて来た』
『その耳を、どうしたいのかを』
「……」
『君の願いによっては、力になれるかもしれないから』
「そ、れなら……」
続けて、彼女が提示したのは。
『○』
『どこから来たのか』という質問。
『ここから、ずっと遠い島だ』
『そこでいつも、俺は働いている』
『と言っても、まだ三ヶ月程度の新人だが』
「……そこ、には……」
何か言いたげな少女。
「……私、みたいな、人……が……?」
……。
『全く、同じ訳じゃ、ない』
『ただ、君のように日常生活すら、ままならない子達が集まっている』
『それは、確かだ』
「……治る、の?」
『少なくとも、マシにはなってる筈、だ』
……チートを持ってしても、三ヶ月でほんの僅かにマシにした程度。
本当に、ままならない世界である。
「……」
『だからとは、言わない。君の思うままに選択して欲しい』
「……昨日、のあと……軍人さん、達が……」
『その力を、平和の為に使え、って?』
「……」
コクリと、頷く少女。
……相変わらず、あちらは威圧的らしい。
「……しょう、じき……どうでも、いい」
「今は、平和に……思える、から」
「……でも……」
「ねぇ……えっと……」
『好きに呼んでくれて構わない』
「じゃ、あ、せんせ、い」
「……昨日は、ごめん、なさい」
「どうして、も、認め、られなく……て」
『大丈夫だ』
『昨日の件は俺の方が、君のことを考えてなくて愚かだった』
『こちらこそすまない』
「……私、は……」
「お母さん、が……友達、が……みん、な、気味が悪いっ、て……うつるから……って、離れてって……」
「この、耳がなか……ったら、また、皆と……一緒に、戻れ、ますか?」
……そう、だったか。
やはり、昨日見た泣き跡はそれに関しての……ということか。
『確約は、しない』
「っ……」
『だが、君がその道を選ぶなら』
『俺は 』
「失礼する」
「っ!」
「……」
……面倒なタイミングで、面倒な奴らがずかずかと。
「おやおや、これはこれは……何の用ですかな?」
「……こちらの、セリフだ。今は、俺の予定していた、時間の筈だが」
「それは失礼、ですがそんな瑣末なことは、国家の命令の前では意味を為しません。お下がりください」
「……」
……わざと、だろうな。
ことあるごとに、因縁を付けられるのにはなれたが、やはり性格が悪いな、軍部は。
「さて、ノイズさん。返答を聞きに来ました」
「平和の為に、その力を使いなさい」
「これは、普通の国民には成し得ない大義で になり得る貴女にしかできない仕事なのですよ」
……そのくせ、誘い文句は古いし下手なのだが。
今時、大義などと言われて嬉しいと思う現代人はそう居ないだろうに。
「っぅ……お断り、します……」
「何故ですか?」
「わた、しは……平和、より……日常、が……欲しい、から、です」
「……そうですか」
はぁ、と大きなため息を隠しもしない。
……この、大きな態度を見ても何も感じなくなった俺は、おそらくもう手遅れなのだろう。
「……良かったですねぇ、また一人増えて」
「大きなお世話だ。さっさと、行け。……仕事があるんだろう」
「ええ、もちろんですとも」
振り返り、ずかずかと部屋を出ていく。
……もう少し、配慮というものを覚えれば成功確率も上がると思われるのだがな。
「……先生」
『どうした』
「さっき、何を……?」
……なるほど、途中で遮られて見ていなかったか。
『だが、君がその道を選ぶなら』
『俺は、君がその道を進み続ける限り、この身がある限り、最善を尽くすと約束する』
「ぁ……」
『無論、約束せずとも最善は尽くす』
『君は、どっちを取る?』
……先程、答えを聞いた気もするが。
勘違いだと、彼女に迷惑をかけてしまう為、一応な。
「これ、から……よろしく、お願い、します……先生」
『ああ、よろしく頼む。ノイズ」
病名:ノイズ
病状としては、異常な程の聴力が挙げられる。
自身の声、ペンの音、靴の音など……僅かな音のその全てが彼女には耳を塞がねばならない程の『雑音』として捉えられる様だ。