閑話1.ねえ、髪切ってよ
「ねえ宿儺、髪切ってくれる?」
何でもない日、何でもない朝。いつも通りの朝食を食べながら、唐突にそう頼まれた。
たしかに最近前髪が伸びているとは思っていた。後ろも、腰につくくらいには長くなっている。いつ切るのだろう、と疑問を持ったこともあったが、まさか頼まれるとは思わなんだ。
「……聞いてる?」
「ああ、聞いている。散髪だろう?」
「そ、あなたに切ってもらおうかと」
「俺は理髪師ではないんだがな。理由を聞いておこう」
「なんでってそりゃあ、あなたの能力が”切る”能力だからよ」
成程、もっともな話だ。
「それにあなた、肉とか野菜とかとんでもなく綺麗に切るじゃない」
「……分かった。座れ」
とりあえず受けることにした。こういう経験が何かの役に立つかもしれない。
鏡の前に座らせ、髪を切る準備を分からないなりにやってみる。
「テキトーに短く切ってくれる?」
「無茶言うな。さっきも言ったが、俺は理髪師ではない。適当なぞ知らん。……というかいつもはどうしてるんだ」
「んー、前髪だけなら自分で切るし……魔理沙に切られたときもあったわね」
意外と洒落ている霧雨のことだ。とんでもなく伸びていたのを見かねて切ってくれたのだろう。
「最善は尽くしてみるが……どんな出来でも文句は言うなよ」
「出来ばえ次第ね」
丸刈りや芸術作品にでもしない限り怒ることはないのだろう。
そう信じ、まずは
「……ん?」
動かない。髪の毛が硬いのか、櫛が上手く滑り落ちてくれない。もう少しだけ力を込めてみよう。
「──痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 痛いっての!」
痛みに耐えかねた霊夢が殴りかかってきた。が、拳が到達するところに掌を先回りさせ、受け流した。殴られた(未遂)のは不服だが、そんなことがどうでも良くなる程に驚きを覚えた。
「お前の髪……何と言うか、ごわついているな」
「何よ、別にいいでしょ。気にする人もいないんだし」
「俺が気にする。というか今気になっている」
別に櫛でとかさずとも髪は切れるが、切り揃えるとなると、髪を整えなければ出来が悪くなる。出来が悪ければ、博麗の機嫌を損ねることとなる。
「さて、どうしたものか」
「もうホントにテキトーでいいから切ってよ」
「折角の機会だ。出来は良い方がいいだろう」
少なくとも巫女に相応しいような、舞えばさらさらと髪が
とはいえ、散髪に関しては初心者だ。穢の神である以上、髪の成長や変質といったこととは無縁。故に散髪されたことも、整えられたこともない。
「……散髪は午後でもいいか?」
「え?」
「詳しいであろう奴に知を求めに行ってくる。切るにしても、最低限の知識は要るだろう」
彼奴であれば何かしら知っている筈。そう信じることにした。
「──で、私を頼りに来たと」
「お前の知識力を買ってのことだ。一つ頼まれろ」
やはり頼るとなると
「それにしても、貴方が誰かの為に奔走するなんてね」
「悪いか」
「別に。ちょっと感心しただけよ。貴方も成長するのね」
子の成長を見守る親のような目だ。視線がむず痒くて不快感を覚える。
「それで、髪の毛の話よね。髪の毛がゴワゴワする主な原因は、キューティクルの損傷による内部の水分・栄養流出、カラー・パーマのケミカルダメージ、アイロン等の熱変性、そして乾燥。これに加えて、湿気、日々の摩擦、ストレスによる栄養不足も、髪を硬くまとまりにくくする要因となるの。より具体的な話をすると、まず髪の毛を高温に当て続けるとタンパク質が変性して髪が硬くなるわ……幻想郷にはドライヤーはないから気にしなくて良いわね。湿度が高いと髪が空気中の水分を吸って膨張して、広がりやゴワつきを生むんだけど、最近は乾燥気味だから関係ないわ。それからタオルドライ時の摩擦や、紫外線による外部からのダメージでもアウト。多分これが原因ね。あとは乾燥・保湿不足。水分と油分のバランスが崩れると、髪がパサついてしまうわ。これも要因かしら。それと自然乾燥させるとキューティクルが開いたままになって、乾燥がより加速するわよ。あの子の性格を考えると、やってても不思議じゃないわね」
「……は?」
キューティクルだのドライヤーだの言われても粉微塵も分からない。
それを察したのか、分かりやすく纏めてくれた。有難い。
「簡単に言うと、『髪を拭くときに強く擦りすぎると髪が痛む』『ちゃんと保湿しないと髪のバリア機能が低下する』『自然乾燥させると髪がゴワゴワする』……考えられるのはこの3点ね」
確かに、博麗がワシャワシャと髪を拭いているのをよく見かける。髪の毛が見てわかるほど濡れていることもしょっちゅう。
「⋯思い当たるのがが結構あるな」
「で、髪を切りたいって話だったわね。応急的にゴワつきを抑えるには、やっぱりリンスね」
「りんす、だと?」
「油分で髪の毛に膜をするの。その膜が水分を逃さないバリアになるのよ」
「『しっかりと保湿』というやつか」
「ただ⋯今丁度切らしててウチには無いのよ。姫の消費量が凄くてね」
「あの長い髪だ。無理もない」
記憶どおりなら、蓬莱山輝夜は床までとどきそうな長い髪を持っていたはずだ。中々美しい代物だと思っていたが、維持に相当手間をかけているらしい。
「では、人里に売ってないか見てみるとする_「残念だけど、ここの人間の技術では作り出すのは無理な代物だから、人里には売ってないと思うわ」
万事休す。息巻いて出ていったのはいいが、これでは博麗霊夢に合わせる顔がない。
「⋯代わりと言っては何だけど、リンスを持っているはずの場所を教えてあげる」
「本当か? どこだ」
「紅魔館よ。あそこの吸血鬼なら持っててもおかしくないわ」
慣れてはいけない、やってはいけないと言われている行動を、慣れた手つきで行う。
呼びたい相手を呼ぶ方法を、これ以外に知らないのだから仕方がない。
それに、『やってはいけない』と言ったのは他でもないアイツだ。
「──霊夢。貴方また結界をいじくったわね」
「あんたがこれ以外の呼び方を教えてくれれば辞めてあげる」
尤も、存在自体が胡散臭さの塊みたいなものなので、教えられても信じられるかどうか。
「それよりも、あんたに一つ聞きたいことがあるの」
「……まあいいわ。何が聞きたいの?」
「本当は最初に聞いておくべきだったんだけど、気付いたら機会を逃しちゃってね」
一拍を挟み、口を開く。
「宿儺って、何者なの?」
最近、ふつふつと湧いて出てきた疑問だ。
決して、宿儺との生活に不自由があるわけではない。不満があるわけでもない。
ただ純粋に、知りたいのだ。教えてほしいのだ。
──宿儺とは、一体なんなのか。
「──貴方が知りたいのは事実? それとも真実?」
胡散臭い妖怪は_八雲紫は、不気味な笑みを浮かべながら、質問を質問で返した。
「リンス……ですか?」
「ああ」
永琳の助言通り、紅魔館にやってきた宿儺。相変わらず昼寝に勤しんでいた美鈴の警備をくぐり抜けると、たまたま花壇の様子を見に来ていた咲夜に遭遇した。事の経緯を話し、今に至る。
「一回分でいい。分けてくれないか?」
咲夜は少し考え込むと、
「……なるほど、話は分かりました。要は霊夢の髪を切るためにサラサラにしたいと」
「そうだ。そのためにリンスが欲しい」
「でしたらこれを持っていくといいわ」
先程まで何もなかったはずの手から、突如小瓶が現れた。
タネも仕掛けもない究極のマジックだが、何度も見た宿儺は流石に慣れたので驚きは少ない。
「これがリンスか?」
「髪を洗た後にコーティングするものだから、霊夢に使いたかったらまず髪を洗わせてね」
「分かった。助かる」
これでひとまず、霊夢にどやされることはない。満足のいく散髪ができそうだ。
「代わりと言ってはなんですが、一つ頼まれてくれませんか?」
「なんだ? 俺に水やりでも手伝えと?」
「察しのいい人は好きですわ」
いつの間にか手にじょうろを持った咲夜は笑顔でそう告げる。
この後宿儺は、昼寝がバレた美鈴とともに1時間ほど水やりに勤しんだ。
「──とまあ纏めると、もともと宿儺は外の世界で呪いの王と呼ばれた人間。1000年封印されてたのが数年前に解けて、それを外の世界の呪術師達が総力を上げて倒した。その魂を捕まえて、この幻想郷に送り込んだ。それが、彼がここに来るまでの事の顛末よ」
「『よ』じゃないわよ。腕が四本ある人間なんて聞いたことないけど⋯」
「そう言われても、DNA的にも完全に人間だったのよ。信じられないってのはそうだけど……」
「あんたも半信半疑じゃない!」
「ウフフ」
これだから妖怪_というかコイツは信じられないのだ。
「まあ貴方は彼に配慮して過去については聞かなかったんでしょうけど、たぶん聞いてもそこまで気にしないわよ。ここまで話して何だけど、私も彼自身についてはあまり知らないし」
「直接聞けってこと?」
「恥ずかしい?」
「そういう訳じゃないけど⋯」
『そういう訳じゃない』⋯じゃあ一体なんなのだろう。この、胸を占領する妙な違和感は。
「まあ、後は貴方に任せるわ。お昼寝の最中だったから眠いのよ〜」
「はいはい悪かったわね」
大欠伸をしながらスキマを開く紫。そのスキマの前で立ち止まり、こちらを振り向いた。
「そういえば貴方、髪伸びたわね。私が切ってあげましょうか?」
「ああ、これ?」
前髪をいじくる。目元にかかってちょっと視界が狭いのだ。勿論切りたい。
──でも、誰に切ってもらうのかは、もう決めているのだ。
「⋯駄目よ。これは宿儺に切ってもらうから」
「そう⋯」
そう告げると、紫は意味深げに目を細めた。
しかし何かを言うでもなくスキマの方を向くと、そのまま中へと消えていった。
「⋯」
誰もいない境内。霊夢は再び髪をいじりだす。
意味はない。意義もない。ただ気になるのだ。
それは視界を覆う髪の毛が、ではない。
胸の奥で渦巻く、この違和感。それを紛らわすために、髪をいじくる。いじくる。
「⋯早く帰ってきなさいよ。宿儺のバカ」
悪口。しかしその口元には、優しい笑いがあった。誰にも見られない微笑みがあった。
宿儺が帰ってきたのは、そこから10分後のことだった。
「──よし、乾ききった。じゃあ切るぞ」
「⋯うん」
流石に宿儺が洗うわけにもいかないので、咲夜の助言を伝えつつ、髪を洗うように言った。
そして洗い終えた霊夢の髪を
リンスの効果はちゃんとあり、午前中とは打って変わって髪がサラサラになった。
宿儺は霊夢を改めて鏡の前に座らせると、丁寧に髪を切り始めた。
「⋯」
二人の間には、やや気まずい沈黙が流れている。
ただし、その気まずさを認識しているのは霊夢だけであり、初めての散髪に集中している宿儺はこの沈黙を全く気にしていない。
というか、普段仲の良い人間や妖怪など相手に己を突き通そうとする霊夢が沈黙を気まずく感じている時点でかなり異常な話である。もちろん宿儺は気づいていない訳だが。
「⋯ねえ宿儺」
「⋯」
霊夢は宿儺に話しかけるが、宿儺は答えない。ひとえに、カットに集中しているからである。
しかし、霊夢は勘がいい。この無回答が話しかけてはいけないという意味ではないことを、本能の部分で察した。
「私、聞いたんだけど⋯」
「⋯何をだ」
「紫から、あなたの過去について」
宿儺は一瞬、手を止めてしまった。これを宿儺からの返答と受け取った霊夢は、ここでようやく過去に踏み込む覚悟ができた。
これから紡ぐ言葉をためらわずに済むようになったのである。
「1000年前の人間で、一年前に死んで、ここに来たこと」
「⋯」
「人を食い、人と思えない姿形で、呪いとして生きたこと」
「⋯」
「でも、あなたの内面的なことには何も触れなかった。いえ、触れられなかった。あいつでも、あなたの心まではわからなかったんだと思う」
宿儺は表情を変えずに切り続ける。髪は肩に付くくらいまでに落ち着き、前髪も瞳がはっきりと見えるくらいには短くなっている。細かい部分は抜きに、これで完成でも不思議ではない。
「そろそろ一年だし、知りたいの」
一度櫛で髪をとかし、髪に付着した切れ端を落とす。流れるように櫛が動くことに、宿儺は少しの感動を覚えた。しかし宿儺は、それ以上に気にするべきことがある。
「教えて。あなたは何なの?」
とかし終わったのを見越したのか、それともただの偶然か。霊夢は振り向き、そう訪ねた。
振り向いた時に靡いた髪と横顔は、宿儺に美しさを覚えさせる程に綺麗だった。
「⋯切り終わりはまだだ。前を向け」
宿儺がそう告げると、霊夢は眼に不満を宿しつつもまた前を向き直した。
「俺の過去が知りたい、か⋯」
「ん⋯」
ここまで来れば、あとは記憶を頼りに霊夢の髪を整えるだけの簡単な作業である。
簡単ではないのは、過去についての話だろう。どこから話すのか、何を話すのか。宿儺は一瞬で纏めると、遂に言葉を紡いだ。
「八雲紫の言う通り、俺はかつて『呪いの王』と呼ばれた人間だ。他者を慮ることもなく、快・不快のみが生きる指針だった」
「⋯」
「そして端的に言えば、俺にとって人生は暇つぶしだった。その暇つぶしの中で、多種多様な味を楽しむのが、俺の人生の大半だった。人間の底力というのは目を見張るものがあってな。ある者は恨み、ある者は妬み、ある者は歓喜し。その味の違いを楽しむのには十分だった」
淡々と話す間にも、散髪は進んでいる。
「だが、その目論見は半ばで折れた」
「⋯何があったの?」
「他でもない、八雲紫の介入だ」
「──ッ⋯!」
霊夢が少し震えた。おかげで一定のペースで切れていた髪が少し多めに切れてしまった。幸いにも、違和感を覚える程の短さになったわけではなかった。
「俺は八雲紫に敗れ、そのまま封印された。言っておくが、八雲紫に恨みはない。そも、八雲以外にも俺を殺すなり封じようとする者は居た。その中で八雲に敗れ、封じられたというだけのこと。負けたのは、俺が奴の上を行けなかったからだ」
「だから1000年前の『人間』⋯」
霊夢の方では、一つの疑問が解けた。1000年前の人間がなぜ今になって、その答えが『封印』だったのである。
宿儺は続けた。
「俺を利用しようとした者が封印を解こうと奔走してな。1000年の時を経て、俺の封印は解けた」
1000年経てば流石に封印も緩む。羂索はそれを見越して様々策を施していた。封印が緩んだところで、適切な器へと注ぐ。
「だがここでも誤算があってな。
と、話していると丁度良い長さが見つかった。あとはこの長さに切り揃えるだけだ。
「連戦に次ぐ連戦。俺も最大限応戦したが、流石に対策を立てた術師側が一枚上手だった」
「……で、死んでこっちに来たってこと?」
「言っておくが、同情はするなよ。寿命や病で死ぬよりも、『俺』として死ぬ事ができた。俺はそれで良かったと思っている。後悔はない」
「⋯」
「それに、俺は変わる事ができた。『負ければ賊軍』...は言い過ぎだが、俺に勝ったその生き方は参考にするべきだろう。そして嬉しいことに、その生き方ができる機会に恵まれた」
「私達に会えたこと?」
「そういう意味では、八雲紫にも感謝していると言えるな」
ほぼ完璧に切り終えた。あとは霊夢が気にいるかどうかだ。
「誰かと生きる。次があればそうすると決めた。そして次があった。過去の自分が間違っていたとは言わんが、少なくとも今の生き方には満足している。誰かと生きなければ、こうして髪を斬る機会もなかったろうからな」
「今までは、独りで生きてきたってこと?」
「⋯そうだな。唯一俺の側にいた料理人がいたくらいだ。そいつ以外で、俺の方から誰かを頼ることはしなかった」
「そんな人生、つまらなかったんじゃない?」
「お前にとってはそうだろうな。だがあの時の俺は不満を抱いてはいなかった。それが答えだ」
「ふーん」
「さて、髪のほうが仕上がったぞ」
「……」
霊夢の評価次第ではもう少し切らなければならない、と宿儺は内心思っていた。別に嫌ではないが、こういう細々とした作業はあまり好きではない。
「……結構いいじゃない。ちょっとチクチクするけど」
「髪クズが残っているのだろう。もう一度頭を洗え」
「そうするわ」
新しい髪が気に入ってもらえたので、宿儺の心はようやく落ち着いた。というよりここ最近で一番緊張したまである。フランドールとの戦闘、星熊勇儀との対決。それら以上に気を張っていた。
「さて、そろそろ日が暮れる。夕食はどうする気だ?」
「そうねえ⋯今日は呑みに行かない?」
親指と人差し指でお猪口を持つような形を作り、口元に運ぶ仕草をする霊夢。良い提案だ。
「ケヒッ...乗った!」
「決まりね! 場所は⋯鯨呑亭でいいわね」
──呪いの王と、博麗の巫女。絶対的な存在二人も、今だけはただの呑んだくれ。
夜はまだ、更けたばかりだ。
余韻をぶち壊すQ&Aコーナー
Q:なぜ展延でフランの破壊を防げないのですか?
A:おんみつマントしてても水流連打が急所に当たるのと一緒だと思って下さい。