冬。それは人々のみならず、あらゆる生物の活動頻度が落ちる季節である。
こと人間に関しては、ある道具が人々の活力を奪っていた。
その道具の力は絶大で、あの博麗の巫女ですら抗うことはできず、猫も丸くなる。
例年であれば、この時期には博麗神社にその姿があったはずだが、しかし今年は事情が異なっているようだ。
「はぁ〜〜。快適ねえ。まさかコタツなしで冬を過ごせるなんて思わなかったわ」
横になりながら本を読み、時折煎餅を齧っているのは、先程も話に出た博麗霊夢である。
コタツが大部分を占領していた去年までとは違い、今年は居間が広々としている。それは今まさに問題となっている地球温暖化の影響__ではない。
温かいのは居間の中、より正確に言えば博麗神社の中だけだ。その証拠に外は1週間連続で雪が降り、境内周りの木々や地面が綿帽子をかぶっている。勿論、参拝客の足跡もない。
「でも参拝客が来ないのは神社として死活問題よねぇ」
「──だから俺がこうして雪を掻いているんだろう」
やや苛立ちが垣間見える声を上げたのは、外から入ってきた悪人面の男だ。
冬とは思えない薄手の服装、というのは部屋の中の霊夢も一緒だが、彼の場合は事情が異なる。先の台詞の通り、彼は今の今まで雪掻きをしに外へ出ていた。温かい部屋の中にいた霊夢とは逆の環境と言っていい。そんな二人が殆ど同じ服装をしているというのは、どちらかの異常性を示すには十分だ。そして当然、異常なのは冬の外でも薄手な彼_宿儺の方である。
「感謝してるわよそりゃ。こんなに暖かくしてもらった上に雪かきまで」
「お前が一週間も同じ返事しかしなかったお陰でな」
宿儺が再三「積もる前に掻いておけ」と忠告したにも関わらず、「今度ね〜」と返事をしていた霊夢の方に問題があるのは明らかだろう。
「で、終わったの? さすが、早いわね」
「期待のところ悪いが、そうではない。客だ」
「──ああ客だぜ。客だから、お茶の一杯くらい出してくれよな。結構寒いんだよ」
それは隣の宿儺とは対照的な、この時期らしい服装に身を包んだ白黒の魔法使いだった。
「生憎、参拝客じゃない奴に出すお茶は無いわ」
外からの来訪者_霧雨魔理沙は、霊夢が参拝客にお茶出しをしているところを見たことがなかった。そして奇しくも、ここ一年
「この部屋、妙に暖かいな」
「宿儺のお陰でね。今年はコタツなしでも越冬できそうなの」
台所の方で優しく燃える炎は、部屋全体に伝わるほどの熱量を持っていた。霊夢は宿儺がやったこととは知っているが、詳しいことは分からない。尤も、暖かくなるという事実さえあれば仕組みなどどうでも良いというのが彼女たちの本音だが。
「お前、宿儺のこと便利屋かなにかと思ってないか?」
「思ってないわよ。で、なんの用?」
宿儺が雪かきをしているのを見ている魔理沙的には、その姿は便利屋にしか見えなかった。
「ほら、鯨呑亭に鬼の目撃情報があるって話をしただろ? それが気になって調べてみたんだよ」
魔理沙と霊夢を挟むちゃぶ台に、紙袋を置いた。それは一見何の変哲もない、人里で3秒あれば貰えるようなごく普通の紙袋だった。中身の方も饅頭やおかきなど、ただの旅土産のようである。
ただし、魔理沙がこれを問題視したのはそれらが理由ではない。
土産の出処、それを示す企業名は梱包の裏に書いてあった。
「──鯨呑亭の親父が旧地獄に行くなんて、考えられないだろ?」
「え?」
霊夢にも疑問がある。それは、なぜ鯨呑亭に旧地獄の土産があるのか__ではない。魔理沙の発言の方だ。こんなものがあるのは、当然看板娘の奥野田美宵や最近よくいる伊吹萃香のせい。それは魔理沙も知っているはずだ。
「親父さんは関係ないんじゃ……」
「なんで?」
この感覚を、博麗霊夢は知っている。誰からもその存在を忘れられ、しかし誰もがそれに違和感を覚えない。だから、彼女は願った。これがただの冗句であれと。
しかし残念ながら、現実は非情である。
「鯨呑亭は親父一人でやってる店じゃないか」
霧雨魔理沙の真っ直ぐな瞳には、困惑の色が見て取れてしまった。
「──なる程な。それで、旧地獄へと」
髪を切った日のことだろうか。看板娘の奥野田美宵は接客が上手く、料理も中々美味かったのを憶えている。人間とは違う気配がしていたが、座敷童子とは面白い。
「なんでだかは知らないけど、あんたこの前記憶を落とさなかったじゃない? だから来てもらったの」
話を聞く限り、酔った者の記憶を操作して自身の存在を忘れさせているそうだ。が、生憎のところ一升程度の酒では到底酔うに足りない。
「久方ぶりの旧地獄。酒も酔うほど飲めれば良いが」
硫黄の香りが程よく漂う通りを歩くのは、これだけでも風情があるものだ。唯一気になることといえば、周囲が少々騒がしいことぐらいか。前回来たときもこんな感じだったが、あのときはもっと賑やかさがあった。一方今は噂話でもするように声を潜めてざわついている。聞き耳を立てれば博麗の巫女という単語がちらほらと聴こえる。
「美宵ちゃんは記憶を操作できるから、私達で探すしかないわね」
その、噂の中心にいる彼女は、周囲の状況を気に留めていないようだ。マイペースというかなんというか、肝の座りようがそこらの人間とは一線を画しているというべきか。前向きなものだ。
「ん? あれは……」
そして今この瞬間だけは、その前向きさが裏目に出たと言うべきだろう。
周囲を見ていた宿儺だけが気付いた。見知った存在、この状況における最重要人物がいること。
一対の大きな角を有した、明るい茶色の髪の鬼がいることに。
「おい、博麗!」
咄嗟に宿儺は霊夢を呼び止めた。が、ここで一つの疑問が浮かんでしまった。
それは旧地獄に彼女がいること、ではない。彼女と初めて会ったのはここである上、そもそも旧とはいえ地獄に鬼がいるのに疑問があるわけがない。
浮かんだ疑問、それは彼女の目的である。以前聞いた通り、奥野田美宵は彼女の眷属である。であれば、彼女がここにいることはそっくりそのままこの旧地獄に奥野田美宵がいることの証明になる。ではなぜ、彼女は奥野田美宵を連れてきてまでここにいるのか。それを確かめなければならない。だが、幼い見た目で意外と頭が回る彼女のことだ。どうせ素直に聞いても真っ当な答えは返ってこないだろう。
「なに? まさか見つけたの?」
ならば、どうするか。
「……上から見たが、旧地獄は広い。二手に分かれて探したほうが良くないか?」
自然な形で、単独行動を可能にする。これが一番丸いだろう。
「いい考えね。そうしましょうか」
少し霊夢の顔に曇りが見えた気がしたが、賛成した辺り気取られたわけではなさそうだ。
「なら俺はこっちを探す。そっちは任せたぞ」
そうして霊夢と別れ、見失わないように鬼_伊吹萃香を追いかける。しかし、ただ追いかけても気配でバレてしまう。そこで、彌虚葛籠を展開しながら追跡することにした。
ここで彌虚葛籠について解説しておこう。簡単に言えば”呪力を隠す”事ができる結界術である。
呪力のない禪院真希のような存在は、呪術的には存在していない無機物として扱われる。呪力を認識することで呪術は成り立つ。領域展開も、呪力を認識することで術式対象を設定している。
この認識を
しかし、あくまで結界術であるため、何もしなければいずれ引き剥がされてしまう。故に基本的に組んだ手印を離さず、出力を維持しなければならない。ただそうなると手動で発動した術式や、領域内での肉弾戦で大きな不利を被ることとなるため、かつての術師たちはその駆け引きもしなければならなかった。
因みに宿儺の領域は呪力を帯びていないものにも効果があるため、彌虚葛籠の意味がない。というかむしろ彌虚葛籠対策でこういう設定にしている側面が大きい。結果として
そんな彌虚葛籠を展開すれば、隠密行動はお手の物という訳だ。
「さて、一体何をしているのやら」
こうして宿儺は腕を組みながら、伊吹萃香の追跡を始めたのだった。
「はぁ……」
湯けむりの中、ため息をつく。今日二度目の温泉だ。
誰もいない広々とした温泉は、誰にも迷惑をかけないようにと、勇儀が貸切状態にしてくれた宿のものだ。妖怪のことを認めるのは癪だが、気の利いたことをしてくれるものだ。
「それにしても、一年前の事件が今になって問題になるとは思わなかったわ……」
曰く、血の池地獄を我が物とした饕餮尤魔に筋を通させるために萃香ががやってきた。しかし、その影響で美宵ちゃんが消えかけたのでひとまず勇儀のところに一時引っ越し。旧地獄で帰りを待って今に至るということらしい。
饕餮といえば、確か畜生界の組長で血の池地獄にいた奴だ。
「そういえば、あいつを倒したのが宿儺だったっけ。初めて会ったときから一年が経ったのね……」
今まで、誰かと一緒に暮らす経験はあったが、男と一緒というのは初めてだった。最初の方は何かされるのではと警戒が解けなかったものだが、今となっては懐かしい話だ。
「っていうか、結局合流できなかったし。宿儺のやつ、どこほっつき歩いてるのかしら」
連絡手段を何も用意してなかったのは失敗だった。というか提案しておいてのこうなったので宿儺が悪い。そうだ、なにか役に立つと思っていたのに結局一人で解決できてしまったんだ。こんなことならいっそ連れてこない方が良かっ──
「──!? 何!?」
突如、凄まじい衝撃が走り、地面が揺れた。
急に何かが飛んできた、ように見えた。奥の石畳に、何かが飛んできたのだ。
土煙と湯けむりで何かはよく見えないが、この衝撃で湯量が肩まであったのが胸の下辺りまで減ってしまった。尤も今は立ち上がっているので、これは予想なのだが。
それよりも、一体何が飛んできたのだろうか。煙が霧散し、その姿が見える__
「──流石に、二人同時はしんどい…というより、中々良い連携だな。即興とは思えん」
聞き慣れた声、見慣れた入れ墨、よく見た横顔。間違おうにも間違えようがない。
「宿儺!? あんた何やってんの!?」
「ん? ああ、博麗か」
間違い無い。宿儺だ。噂をすればというものか。こちらを向いた顔は軽く汚れていたが、出血はしていないようだった。石畳に思いっきり衝突して無傷とはと思うが、宿儺が人間離れしているのは今更の話だ。
「少しばかり飛ばされてきただけだ。俺自身の意志で飛び込んだわけではない」
「飛ばされたって、誰によ? 勇儀?」
「伊吹萃香だ。あの童子、中々いい蹴りをしてくれる」
「萃香!?萃香って、今血の池地獄に居るんじゃ……」
「尾けていたらバレた。饕餮が余計なことを言ってくれたお陰でな。何がリベンジマッチだ」
そこまで語って、不意に宿儺がこちらから目線を逸らした。
「急にどうしたのよ」
「いや…その…何だ。あまり長く見ているのも悪いと思ってな」
「はあ? 何のはな……」
「し?」と言い切る前に、気づいた。否、思い出したと言うべきか。
今さっきまで、霊夢は温泉に入っていた。当然、温泉に着衣入浴するような愚か者ではない。
付け加えれば、タオルを巻いて入るタイプでもなかった。
「ッッ〜〜!!」
宿儺の顔色は変わっていなかった。というより気まずそうな表情をしていた。
だがそれ以上に、霊夢は恥ずかしさで顔が赤くなっていた。
「…文句なら、伊吹萃香に頼むぞ」
白い肌に赤い顔、これが本当の紅白の巫女。気まずさの中でそう思いながら、宿儺は立ち去っていった。その場に残ったのは、湯量の減った温泉、砕けた石畳の残骸。そして、恥じらいで屈み込む一人の少女だけだった。
「み、みられた……見られちゃった……」
当然、霊夢が異性に裸体を見られたのはこれが初めてである。
宿儺は純度100%の気まずさを抱いています。そこ変わr(殴