──木々のせせらぎも、鳥のさえずりも、偽物のように感じる。
穢れが止まるというのはこういうことだ。感動に心震わせることの出来ない世界。月の民は、そんなつまらない世を自ら望んだ。実に哀れな連中である。
ただそんな世界でも気づきはあるし、違和感も覚える。その対象が大きければ尚更である。
「成程。これは確かに分かりやすい目印だな」
妖怪の山の一角にある『聖地ヤマンバの地』。ここに行けと八意に言われて来てみた宿儺だが、何かが起きているのは明らかだった。
こんなに大規模かつ分かりやすく結界が張られていれば見過ごすにしても無理がある。
「外部からの侵入を拒む結界……月の都のものだろう。大きさや複雑さは比にもならんが、仕組み的には帷に近い……中々いい結界だ」
「──だから困ってんだよ。ここはうちらの住処だってのにさ」
そんな風に結界の解析をしていた宿儺に、背後から声をかけた者がいた。苛立ちを含んだ乱雑な声、この状況へのストレスをぶつけるようにも感じられた。
声の主は冠を頭に被った少女だった。目算では身長は160センチ位、幻想郷の中では比較的高い方だ。服装についてはその複雑さ故、宿儺は考えるのを秒で止めた。
「誰だお前は」
「お前こそ誰だ。ここは山姥の地だぞ」
「……最近、博麗神社に居候している者だ。改めて問う、貴様は誰だ」
「塵塚ウバメだ。一応この辺りのまとめ役ってことになってる」
山姥にもある程度社会性がある。いくらとはいえ、他種族との不可侵条約など、ある程度外部とは交流がなければならない。山姥の長である彼女は(やや押し付けられた形で)その役割を担っている訳である。
とはいえ、基本的に山姥は排他的で他者とは交流しようとしない。それは普段も、この非常事態でも、山姥の長たるウバメも同じ。ぶっきらぼうな台詞に「さっさと帰れ」というニュアンスを含んでいた。
が、宿儺はそれを感じつつも気にせず話した。
「まとめ役か。なら都合が良い。お前の許可があれば、ここを通ってもいいわけだ」
他者と生活するようになった今の宿儺的には、他人の土地に無許可で踏み入るというのは心が痛むこと。関係者に許可を取っておいた方が安心できるというものだ。
尤も、別に許可があろうとなかろうと通るつもりではあったのだが。
「通るも何も、それができればこんなとこで路頭に迷ってない。それに、自分でも『通れない』と言ったじゃないか」
「人の話はちゃんと聞け。__突破できんとは一言も言っていない」
この時、塵塚ウバメは自分の眼を疑った。自分たちがどう頑張っても通れなかった結界を、目の前の男が何事もないかのように素通りしていくのだから。
断っておくと、この結界が破れないのは決して彼女たちが弱いからではない。仮にこの場に羂索、或いは天元が居たとしても、この結界は解体することはできない。それどころか霧雨魔理沙が全力でマスタースパークを放ったとしても、五条悟が『虚式”紫”』をぶつけたとしても、この結界へのダメージは0である。おかしいのは、さも当然ように結界を通り抜けた宿儺の方なのだ。
「穢れが変化しているモノだけが通れる結界か。平時であれば誰もが容易に達成できる条件を”縛り”として活用し、結界の強度を極限まで高めているのだろう」
京都姉妹校交流会において『五条悟だけを通さない結界』があったが、あれを超絶強化したようなものだ。この状況においては寧ろ『宿儺だけが通れる結界』となっている訳だが。
「鬼が出るか蛇が出るか。……その程度で済めばよいのだがな」
そう言って、宿儺は結界の中に消えていった。
残されたのは、超常的な出来事に開いた口が塞がらないウバメだけだった。
宿儺の通り抜けた結界に触れてみたが、通り抜けるどころか押し込んでもびくともしない。
「……とりあえず、今日の分の獲物を狩るか」
あまりに衝撃的な展開に、理解しようとしても理解が及ばないので、そのうちウバメは考えるのを止めた。
結界の中は夜のように暗く、夥しいほどの穢れが奔流していた。あの山姥は入れないことに嘆いていた訳だが、内部がこの状況では入れないことはむしろ幸運だったと言えよう。
「こんなところに長く居れば、どんな影響が出るか分かったものではないな」
弱い妖怪や神の性質など簡単に変わってしまう。危険地帯もいいところだ。
──まあそんな場所だからこそ、辺りにきらめく石の数々が目立つわけだが。
「欲望を煮詰め、抽出すれば金や水銀、鉛などができる。が、これはそれらとは根本的に異なる代物だな……十中八九、彼奴の作品だろう」
キラキラと、蠱惑的な輝きを放つ宝石のカケラのようなもの。聖地ヤマンバの地が露出した鉱床とも捉えることができたが、生憎そこまでお目出度い頭をしてはいない。
──覚えもないのに自分の術式が刻み込まれていれば、疑問に思うなと言う方が無理があるというもの。そして、知り合いに
「あの
変化する石。これが八意の言っていた異変石なのだろう。
『異変石には
「本当に、人使いの荒い女だ」
八意の心配は杞憂に終わり、この異変石は微弱とはいえ普通に機能している。微弱なのも、サイズや状況を考えればまあ妥当である。というか穢れの流れが止まった世界で普通に機能している時点でかなりのものだ。
「流石は本職の
この大きさでは心もとないが、十分なサイズであれば、それこそ聖域を取り巻く結界も通り抜けられるだろう。
「……『見つけやすいように』か。俺の役割はどうやら、
幻想郷の異変は、幻想郷の専門家が止める。であるのならば、己のやるべきこととは何か。
──自分にしか解決出来ない異変、それに向かって行くことだ。
「これもまた、お前の想定通りか? なあ、八意」
そう呟き、天を仰いだ。昼間でも夜を演出できる辺り、やはりこの結界は帷に近いものなのだろう。偽物の天球に美しく醜い
──そんなことを思いながら、宿儺は森の中を進むのだった。
踏み倒すこと前提で最低限のマナーを持ってる宿儺さん