ジョーズがせめてきたぞっ 作:SPC
エレンがビデオ屋Random Playに居座り、我が物顔で過ごす時間が大幅に増えたからには当然のことではあるが、アキラのみならずリンもエレンと過ごす時間が増えた。
アキラの家とはすなわちリンの家であり、シアタールームに居座るということはアキラ・リン両名の私室に居座ると同義であったからだ。
そしてアキラはともかくとして、リンはエレンとほぼ同年代の若い女性である。
エレンが映画の最中にうっかり寝落ちしてしまったとき。あるいは体力を使い果たして動きたくなかったとき。そのまたあるいは、日を跨いだ壮大なサボタージュを実行に移すとき。
そんなとき、往々にしてエレンはリンの部屋でお泊まりをすることがあった。
つまるところ、暇つぶしと称してビデオ屋にやってきていたエレンが次第に宿泊まで行うようになったと、ただそれだけのことである。
「──それでね、エレンのパジャマがすっごく可愛くて!」
エレンがスタッフスペースの厳選ソファでうっかり寝落ちしてしまったときを除いて、アキラが女性陣のお泊まり会に関与したことはない。
それはアキラが新エリー都でも随一の紳士的プロキシであるからだし、またリンがそこら辺のコンプラ意識にめちゃくちゃ厳しいからでもある。
ニコが人様のベッドで豪快なイビキを奏で始めた時も、無言で彼女をリンの部屋に投げ込んだ経験だってある。
「これは……サメの着ぐるみかい? ちょっと意外だね」
「でしょでしょ! でもね、エレンったらすごく可愛くて!!」
だから、アキラがエレンの寝巻き姿を見たのはこの日が初めてだった。
リンが押し付けんとばかりに見せてくるスマホに映る着ぐるみエレンは、なるほど確かに可愛らしい。気だるげでクールな雰囲気を醸し出すエレンの印象とはいまいちそぐわない着ぐるみじみたサメの寝巻きは、しかし不思議と「そうあるべき」と思わせられるだけの馴染みがある。
こと妹には甘いアキラには、他人の寝巻き姿を勝手に人に見せるのは如何なものかなどという陳腐な指摘は存在しなかった。
そしてリンも、「エレンはお兄ちゃんにこの写真を見せても怒らない」という半ば確信じみた理解があったから、このような行動に及んでいた。
この兄にしてこの妹ありと言うべきか、ともかく二人はエレンの寝巻きで盛り上がっていた、というわけである。
「へぇ、じゃあやっぱりエレンはうつ伏せで寝るのか。大変だなぁ」
「どうしても尻尾が邪魔なんだって。一応仰向けでも寝られるみたいだけど、最終的には横向きに落ち着いてたなぁ」
「リンのベッドは低反発だからね」
新エリー都、六分街、ビデオ屋Random Play、夜。
日々のアレコレと雑談を享受する彼らは、まさしく家族の時間のまっただ中だ。
「次の映画はもう決めたのかい? まだなら僕のオススメを……」
「お兄ちゃんの選ぶ映画はスローすぎるからエレンが寝ちゃうよ!」
「お泊まり会ってそういうものじゃないのか?」
聞くところによると、リンは早くも次の予定を決めているようだ。
エレンはふらっとやってきてふらっと帰る人だけど、いつ来るか知ることが出来たのならば相応のおもてなしができる。
本業のメイドさんに満足してもらえるかはともかくとして、エレンにはビデオ屋での経験を楽しんで欲しいものだ。
「……ところでお兄ちゃん、ものは相談なんだけど」
会話の切れ目に上目遣いで何か言ってくる妹に、アキラはなにか悪巧みの気配を感じた。
リンは無邪気で天真爛漫なように見えて、なかなか狡猾であざとい。そんなところも可愛いんだけど、とはアキラとボンプ店員の総評だ。
「お兄ちゃんの部屋って、音響に結構拘ってたよね? 今度はお兄ちゃんの部屋で映画を見たいんだけど……」
なんと、言うに事欠いてこの妹、女子会に兄の部屋を貸せと言ってきた!
世が世なら一悶着ある発言だ。いくら兄妹とて遠慮というものがあって、超えてはいけない一線がある。
アキラは妹に強く言い聞かせてやろうと口を開いた。
「いいよ。じゃあその日は出かけておくよ」
「やった!」
兄とは妹のお願いを断れないものなのだ。なぜなら妹の笑顔は値千金であるから。
清廉潔白で品行方正、青天白日なアキラに漁られて困る部屋なんてない。インターノットも発達していることだし。
それならばどこで時間を潰そうか、ラーメン屋に居座ってチョップ大将に雑談にでも付き合ってもらうかなどとあまあまお兄ちゃんが考え始めたのを察知してか、リンはすかさず続きの言葉を放った。
「お兄ちゃんも一緒に映画見ようよ!」
「……それは、いいのかい?」
ラーメンなんて吹っ飛ぶインパクト。
女子のお泊まり会に混ざる男子。
それはなんだか、こう……あまりにも、よろしくないような。
「よくエレンと映画見てるんだし、今更だよ!」
やけに楽しそうなリンはそう言うと、忙しなく立ち上がって
「リン、いったい何を……」
「それに、ほら!」
リンは、やはり慌ただしい様子でアキラの元に戻ってくると、満面の笑みで
「お兄ちゃんのパジャマ、もう買っちゃった!」
「へぇ。仲が良いんだね」
まぁ知ってたけど、と呟き、尾びれを指先でいじいじ。
尻尾の先っちょにもナイトキャップを乗せたおやすみモードのエレンは、しかしアキラの私室でどうにも居心地が悪そうに見える。
「ははは……否定はしないけどね」
エレンに自身のベッドを譲ったアキラは、椅子の上でモゾモゾと居住まいを正す。
「アキラもそんなの着るのかと思った。驚いたよ」
「文句はリンに言ってくれ……」
黒い寝巻き。頭上に伸びる突起はマズルで、つぶらな瞳も完備。
ある意味では着ぐるみとも言えるその寝巻きは、エレンがわざわざ持ち込んだサメパジャマに明らかに寄せられたチョイスだった。
「……下手人はどこに?」
「ええと……『宴の肴を買い忘れてた! おふたりでごゆっくり〜』だって。あんたの妹もなかなかだね」
リン、リンである。
成人男性にはとんと似合わない着ぐるみパジャマをわざわざ買ってきて、着なければ『イアスと一緒に家出する!』なんて言い出して。
もしかして、前回のビデオの仕入れでアキラの趣味に全振りしたから怒っているのだろうか?
追加でお詫びのスイーツでも買ってこようかと考えたアキラは、もう一度姿勢を正した。
「さっきからモゾモゾして、どうしたの」
「尻尾がね……まさか、こんな形でエレンの追体験を出来るとは」
着ぐるみパジャマの完成度はなかなかに高く、
それゆえに、椅子に座りにくいったらありゃしない。エレンは普段からこれを抱えているのだと考えたら、さぞや大変なのだろう。
いくら現代社会がクマやサメのシリオンに向けたバリアフリーを謳おうとも、世には限度というものがある。シリオンが潜在的に抱える困難を思い、そして今の今までそれを真の意味で理解できていなかったことを悔いるアキラを見かねてか、エレンが動く。
「………………椅子、座りにくいでしょ」
横にズレた。
アキラが自身の快眠のために厳選に厳選を重ねたフカフカマットレスは、結果としてエレンの臀部と、そして尻尾の形をくっきり残していた。
とんだファインプレーだ!
内心を一切顔に出さずとも、アキラは過去のアキラに五体投地の勢いで感謝した。
それから、すぐに自身の暴走を悟る。訳の分からない着ぐるみパジャマなんて着たせいで、情緒が少し荒ぶっているようだ。
ほら、エレンが場所を空けてくれている。好意を無下にするのは良くないし、実際座りづらいのだから、行かないと。
「じゃあ、お邪魔するよ」
「ん」
少しだけ離れて、並んで座る。
……………………なぜだろうか。
同室にいるだけならともかく、同じベッドに座っていると背徳感が生まれてしまう。
二人とも色気もへったくれもない着ぐるみだからいいものの……リンはまだ帰ってこないのだろうか?
「ねぇ」
歴戦のプロキシが悶々と悩んでいると、気付けばエレンがじっとこちらを見つめていた。
こちら、というよりは、正確にはアキラの格好を見つめていた、というべきか。
エレンが尻尾を振る。垂直に生えた尾びれの先端が、アキラの擬似しっぽを突いた。水平に生えた尾びれ。
「その服、なんの動物なの?」
「なんの、って……」
黒い体。エレンのそれとよく似たシルエット。
だけど、お腹を見ると──白い。体の各所には、白い模様。
リンに服を押し付けられた時から今までまったく気にしていなかったが、これよく見たらエレンとは違ってサメではないのでは?
そう、これは──
「シャチ、かな」
「…………!!」
その瞬間、エレンは小さく飛び上がった、と思う。
一瞬だけビクリと跳ねて、それからほんの少しだけ、アキラとの距離を開く。
それから、小さく呟いた。
「サメのシリオンに向けて、大胆なことをするね」
「?」
真意を問おうとしたアキラは、しかし階下から響いてきた声に遮られた。
「ただいま〜! オツリちゃんが故障してて時間かかっちゃった!!」
良かった、これで安心だ。落ち着いて映画を見よう。
そんな様子でリンを出迎えるアキラを、尻尾を両手で抱えたエレンはジットリとした目で見つめていた。
「ンナ、ナ?(どういうこと?)」
『情報を検索──ヒット。どうやらサメにとって、シャチとは絶対の捕食者のようです。助手2号もなかなか愉快な悪戯をしますね』