紫の能力によって近親とそれ以外の境界が揺らいだ結果、幻想郷では近親としか結婚できなくなってしまった!
「ねぇ、フラン……結婚しましょ?」
「……」
妹は応えない。
「幻想郷の名だたる姉妹のうちで、未だ結婚してないのは私たちだけよ?」
「……」
妹は動かない。
「ねぇ……どうして? どうして首を縦に振ってくれないの?」
「……」
妹は口を噤んだまま、ただ俯いている。
「私は、フランのことを本当に愛しているのに……!」
重い空気の中で、ようやく妹が口を開く。
「だめ……」
「何が? 一体何がダメだというの?」
「ダメだよ、姉妹で結婚なんて……」
「そんな、そんなことないわよ……! みんな、秋姉妹だって古明地だってプリズムリバーだって九十九姉妹だって依神姉妹だって愛しあって結婚して幸せに暮らしてるじゃない! プリリバはなんかもうあれ結婚って言えるのか怪しいけど!」
「違う……違うのお姉さま、お姉さまが私を愛してくれてるのは痛いほどわかってるし、私もお姉さまが好き……でもそれは私たちが姉妹だから……結婚しちゃったらそれはもう姉妹じゃない、夫婦だよ……」
「姉妹で夫婦になったっていいじゃない! その属性は両立できるわ! だいたいどっちも家族という意味では一緒じゃない!」
「姉妹と夫婦じゃ家族の意味が違ってくると思うんだけど……」
「意味なんて!」
私は妹の逡巡を吹き飛ばさんと叫ぶ。
「どうだっていいじゃない! 愛しあってる二人が結婚して何が悪いの!?」
「……」
妹は返す言葉が見つからないようで、ただ睫毛を伏せて私を見つめていた。
「どうして、どうしてわかってくれないのよ……フランは私と結婚したくないの……?」
「……こんなのおかしいよ……お姉さまぁ……」
さめざめと泣く妹を前に、私はどうすることもできない。
欲しいものを手に入れるためなら何でもする、言葉だって力だって何でも使う、そんな私が一番大切なものをどうしても手にすることができずにただ立ち尽くしている。
こんなにも愛しているのに。
こんなにも求めているのに。
私は、どうすればいいのだろうか。
「っていう夢を見たわ! 咲夜!」
「なんて素敵な夢なんでしょう!」
「早速スキマに頼んで境界を操ってもらいましょう!」
「イエッサー!」
姉妹百合(軽め)
# 1
幼い吸血鬼の愛らしい願いを聞き届けた幻想郷の賢者、八雲紫は額に手を当てて溜め息を吐くことしかできなかった。
「なんて?」
「だから言ってるでしょ! 近親とそれ以外の境界を操ってフランと結婚できるようにしなさいって!」
「……」
「近親とそれ以外の境界を操る! 私はフランと結婚できるようになる! 私に迫られたら、まあちょっとは抵抗するでしょうけど、結局は首を縦に振らざるをえないはず! よって私とフランは結婚する。Q.E.D.証明終了」
何も証明できてない。
自分を呼び出した博麗神社の巫女、博麗霊夢のほうに無言で視線を向けるが、巫女は素知らぬ顔でお茶を啜っているばかりでこちらに目を向けすらしない。
目の前には願いの主、レミリア・スカーレットが尊大な態度で願いを叶えろと迫ってくる。
「……」
もう一度、はぁ……と深い溜め息を吐いてしまう。
「急に呼びつけられて何かと思えばもう……貴方の言うことは毎度いつも馬鹿馬鹿しい」
「私の願いはバカバカしくなんてないわよ! 誰しも一度は妹と結婚したいと思うはずでしょう!?」
「いや思わないわ」
「そっか、紫は妹がいないからわからないのね……可哀想に……」
「言っておきますけど妹と結婚したいとか思うの一般的な姉妹じゃありえないですからね?」
「えっ、さとりはしょっちゅうこいしちゃんと結婚したいって言ってるけど」
「それは貴方たちが異常なだけだから」
もはや溜め息すら出なくなり、眉間の皺をさらに深くした。
珍しく霊夢から呼び出されて意気揚々と神社に顔を出したらこれだ。
妹と結婚したいなんて正気じゃない。
「そもそも結婚なんて勝手にすればいいじゃない。妖怪に戸籍なんてないんだから」
幻想郷の妖怪に戸籍制度はない。妖怪の山で天狗たちが似たようなことをしてはいるが所詮ごっこ程度のもの。
その結婚の倫理的是非はさておくとして、結婚したかったら勝手に結婚すればいい。
「あ、そうなの?」
「止めはしないわよ。悪事を働いているわけでもなし」
考えるのも面倒になって、拍子抜けして間抜け面を晒している吸血鬼をあしらう。
もうさっさと隙間を開いて帰ってしまおうか、そう考えた瞬間に紫はひとつの違和感に突き当たった。
……この吸血鬼、自分でも姉妹間での結婚は成立しないものだと考えていた。
その上でなお妹と結婚したいという発想に至るのは気持ち悪いことこの上ないが、多少なりとも一般的な倫理観を持ち合わせている。
この吸血鬼なら、それこそ妹君の気持ちなど一切捨て置いて「結婚しました」と宣言して周囲を呆れさせるくらいはしそうなものだが。
「……そういうことじゃないのよね」
レミリアが、わずかに顔を歪めて不機嫌そうに呟く。
紫はその顔を見ながらレミリアの考えを探ろうとした。
(こいつ、結構マジトーンで結婚について考えてる……?)
この吸血鬼、適当なところは本当にテキトーだったりするが、しかし筋を通すところは通す。
義理堅いところは従者たちに慕われる理由のひとつでもあった。
つまり結婚するにあたってもちゃんと妹に筋を通すつもりでいるのだ。
(……えっこれそんな真面目な話だった?)
そもそも妹と結婚したいという前提からしておかしいのだが、それを大真面目に考えているのも異常だった。
ここで紫は、「結婚する」というのはこの吸血鬼にとって本質ではないのではないか、という考えに思い至る。
「……さしずめ、妹さんの気持ちも考えずに結婚……つまり今の関係から一歩踏み込むような真似はできない、という話かしら」
紫は自分の解釈を話し始める。
「つまり、結婚は本質ではない。貴方は『近親者と結婚できるようになった』という大義名分を欲している。それを使って妹さんの気持ちを問いただし、関係を変えたいと思っている」
レミリアがわずかに目を見開く。
「大手を振って結婚できるとなったら否応なしに関係は変化するものね」
その浅ましい、くだらない発想に紫は辟易してしまう。
「貴方と妹さんがどれだけ仲良しなのか実際のところは知らないけれど。単に姉妹仲で壁を感じている現状認識を、『結婚したい』というある種茶化した願望に変換しているだけじゃないの?」
ぐっ、とレミリアは言葉に詰まる。しかしすぐに観念したようにのけぞって声を上げた。
「紫の言ってる通りかも。まさか図星を突かれるとは……」
「……図星だったの?」
レミリアは少しばつが悪そうな顔をして話す。
「なんていうか、ねぇ……お互いに好きあってることは間違いないんだけど、ほら、あいつはああいうひねた性格だし、ストレートには攻められないところがあるのよ」
「……これ、姉妹の話よね?」
姉妹の話に攻めるとか攻められないとかいうワードが出てくる時点で意味がわからない。
「私がべたべたひっついたりすると嬉しいくせに嫌がったりとかしてさ、あいつをもうちょっと素直にさせたいなとは思うわよね。それこそあいつから求めてくるくらいにさ」
「……」
幻想郷の姉妹はどいつもこいつも大概だが、こいつは特に重症だ。
姉妹なんて本来そこまで好きあうものではないだろう。血縁関係にあるというだけで、それは家族ならではの愛やら絆やらは生まれるかもしれないが、ここまでに至ることはそうそうない、はず。
ここまで突き通されると自分が間違っている気までしてくる。
目眩すら感じて、紫は目を閉じる。
それを無視してレミリアは、突如悪魔的な考えを思いついて言い放った。
「ねぇ、そしたらさ、家族への愛情と恋人への愛情の境界を操ってさ、家族愛を恋愛感情に変換することってできない?」
「は?」
声も出ない。
紫は思わず、本気か、という表情をしてレミリアをまじまじと見つめた。
「そしたらさ、自分の気持ちにちょっとは素直になれるんじゃない? って思うんだけど」
「冗談よね……?」
「いや本気だけど」
「え、それってまさかの本気で妹さんをそういう目で見てるってこと?」
「ダメなの?」
「いえ幻想郷はすべてを受け入れるけど」
受け入れるけど、個人的な感情としてあんまり受け入れたくない。
「本当にわかってる? 普通は姉妹間で恋愛は成立しないのよ?」
レミリアが本当にそれを望んでいるのなら、姉妹で恋人のように仲睦まじく連れ添い、恋人同士がするようなことまでしたいということになる。
「……それって……妹さんとその、そういうことがしたい欲求があるってこと?」
「いや、普段抱いてる感情としてはまた別物だけど。でも、それがそっくりそのまま恋愛感情になってもいいかなって思ってる」
紫は何度目かの溜め息を吐く。
「インモラルだとは思わない?」
「インモラルでなんぼよ、私たちは悪魔だもの」
そう言ってレミリアはけらけらと笑う。
そのさまを見ながら、紫は思いを巡らせる。
レミリアとフランドールは幻想郷で唯一の吸血鬼の血族だ。
唯一の同族と考えれば、種族の存続という観点から、そういった感情を抱くのも不思議ではないかもしれない。吸血鬼は、そういう殖え方はしないとしても。
けど、多分そういうことではないのでしょうね。
こいつがやたらめったら妹のことを好いているだけの話だ。
仲がいいのは知っていた。
吸血鬼異変も元はと言えば、幻想郷に移住する際に紅魔館……ひいては妹を優位な立場に置きたいがために起こしたものだと後に当人の口から聞いた。
宴会などで話す時も妹の話題が口をついて出てくることは少なくない。
けど、いや、まさか思わないでしょう。
本気で恋人になってもいいと思うくらいの感情を抱いてるなんて。
しかしそうであっても、その考えがあまりに浅ましいのには変わらない。
そう考えて、紫もまたひとつの悪魔的な考えを思いつく。
願いを叶える気などさらさらなかった。
けれど、この話に乗ったらもしかすると面白いことになる予感がする。
家族への愛情と恋人への愛情の境界。
この姉妹の場合は、それは既に揺らいでいる。
それを完全に揺らがせて、すべてを恋人への愛情へと置き換えてしまえば。
面白いことになるのは必至だ。
退屈しのぎの余興としてはこれ以上ないだろう。
更には愚かしい吸血鬼へのちょっとした意趣返しも含ませてやる。
これでお膳立ては完璧だ。
その後に何が起きてどうなるのかはもう私の知ったことではない。
「気が変わったわ」
妖しい笑みを浮かべ、紫は愉快そうに喋りだす。
「そうね、貴方たちだったらインモラルすらハートフルに片付けそうよね」
「あー? なんだそれ、まるでうちの館がお花畑みたいじゃない」
急に態度を変えた紫に、レミリアは怪訝な顔で返す。
「お花畑だって言ってるのよ」
「はぁ?」
「悩み多い時だって、貴方たちの様子を見聞きすればあっという間に笑顔になれるもの。こいつら、本当に馬鹿だなぁって」
「それ褒めてんの?」
「私も一目置いてるのよ。幻想郷随一の馬鹿共に」
「……褒めてんの?」
「いいですわ。協力いたしましょう」
紫のその言葉にレミリアは驚いて声を上げた。
「いいの!?」
「いいけど、後悔しないわね?」
「後悔? なんでよ」
「例えば妹さんのほうは実はそれほどでもなくて、貴方だけが暴走して哀しい結果になったり」
「そんなことあるわけないじゃない。私より妹のほうが絶対に愛が強いもの」
「……そう。それはそれで」
「ん?」
思わせぶりな紫の様子にレミリアは眉をひそめたが、こいつはいつもこんな感じか、と思い特に追求はしなかった。
「なんでもないわ。それとすぐに止めてって泣きつくのも無しよ? やるなら紅魔館全体を論理結界で囲う術式を施すことになるけれど、館ひとつを囲うとなるとちょっと大変だもの」
「当たり前だわ。すぐ解いてもこっちにメリットがないじゃない」
「そうよね。あと、一日は術式を維持させてもらうわね。それ以上はこっちの妖力の消費が馬鹿にならないから打ち止め」
「いいわ。一日あったら結婚くらいできるでしょ」
「結局結婚はしたいの……? なんなのその価値観は……まぁいいわ、やってみましょう」
「ありがとう紫!」
童女のような笑みを浮かべ、レミリアは紫に感謝の言葉を投げる。
紫はその姿に、ある種サディスティックな快感を覚えていた。
自分が誰に何を頼んでしまったのか、この期に及んで理解してないさまってあまりに滑稽だわぁ。
待機していた忠実なメイド、十六夜咲夜をレミリアが呼びつけると、それじゃあね、とまだ太陽の高い日のなか、神社を後にして飛び去っていく。
紫はその愚かさに涙ぐみそうにすらなる。
本当にいいのかしらね。曖昧に揺らいでいる家族への感情を、「恋人への愛情」という陳腐で退屈なものに固定してしまって。
吸血鬼は幼く、浅慮に過ぎる。自らの抱いている感情を勘違いしている。
「結婚したい」だとか、「家族への愛がそのまま恋愛感情になってもいい」だとか。
吸血鬼は気づいていない。
彼女が妹に抱いているそれは恋愛感情に似ているようで、その実どこにも似ていない。
どこまでも家族に対する愛でしかない。
それをわからないのは、妹に対する感情も、「恋愛感情」というものに対しての認識も、何もかも見誤っているからだ。
だからこれは自分の愚かさに気づくいい機会だろう。
まぁ精々、妹の貞操を奪っちゃったりとかしてから後悔すればいいわ。
もう二度と「妹と結婚したい」とか言えなくなるように。
「ねぇ、紫。家族愛と恋愛感情の境界を操るのよね?」
ずっと縁側でお茶を飲んでは日向ぼっこしていた霊夢が、隙間で移動しようとしていた紫を呼び止める。
「ええ」
「……あいつとフランドールだけじゃなくて、あいつにとっての咲夜も、咲夜にとってのあいつも、家族と呼べるんじゃないかしら」
「さすがは私の霊夢。確かに家族愛というものは何も血縁関係にのみ限って生まれるものではないわ」
「じゃあ、咲夜も……」
紫は嗜虐的な笑みを浮かべて言う。
それはレミリアには見せなかった表情だった。
「いいえ。貴方が想像してるよりもーっと面白いことが起きるわよ? 考えてもみなさいな……あの館に住んでいる妖精たちと、付き従い続けている四人の従者と友人、そしてそれを統べる吸血鬼とその妹……その団結には、家族としての意識があって当然じゃない?」
霊夢は紫の言葉を理解する。勘が告げている。
「……まさか」
嫌な予感がする。
# 2
数刻前、紅魔館大図書館にて。
「っていう夢を見たわ! 咲夜!」
「なんて素敵な夢なんでしょう!」
「早速スキマに頼んで境界を操ってもらいましょう!」
「イエッサー!」
「うるさい」
場に全く似つかわしくない大声を上げて騒ぐ主人と従者を、大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは本から顔を上げ不満を滲ませて睨みつける。
「ねぇ咲夜、またパチェに怒られたわ。図書館で騒ぐとなぜか毎回パチェに怒られるのだけど、これはなにか因果がありそうね?」
「毎回たまたま虫の居所が悪いだけかもしれません。だからお嬢様の慎ましやかで可憐なお声のような些細な物音も気になってしまう。これだから思春期の魔女は扱いが難しいですわ」
「何が慎ましやかで可憐なお声よ」
「どうせこんなところで真面目に本を読む奴なんてパチェしかいないのにねぇ」
「ええ全く、図書館で本を読むなんてありえませんわ」
「おまえら」
パチュリーは恨みがましく呟く。
この主人にしてこの従者ありだ。こいつら本当に手に負えない。
特に今みたいにスイッチが入っている時は何を言っても聞く耳を持たず、二人で完結している言葉遊びを主従間で反復しては外野に放り投げる。こういう調子づいてる時の彼女らは厄介でしかない。
あと、この従者の物言いには毎度毎度腹が立つ。
「パチェも見たいでしょう? フランと私がヴァージンロードを歩いているさまを」
「そんな話は今はしていない。図書館では騒がないでと言っているの」
歩いているさまを見たくないとは一言も言っていない。
「そうは言っても紫に断られたらパチェにやってもらうしかないんだから、計画はちゃんと聞いててよ」
「……近親と、結婚できるようにする魔法?」
どんな魔法だ。
そんな魔法はない。
と言うか、近親との結婚は倫理とか宗教とか遺伝学とかで忌避されているだけで、別に物理的に禁止されているわけではないので魔法でどうこうしようがない。幻想郷の妖怪には戸籍もないし。
できることがあるとすれば、親友が結婚したいと宣っている親友の妹、フランドール・スカーレットその人に、近親結婚に対する忌避感を低下させる認識操作魔法を掛けることくらいか。
どんな魔法の使い方だ。
フランドール自体がそれなりに魔術に対して精通している魔法使いでもある。悪魔という種族特性も加味すると魔法を掛けるのは相当骨が折れることだろう。それに、
(掛けようとしてるのがバレたら、フランドール怒るわよね)
フランドールを怒らせることはあまりやりたくない。
まぁ、最も怒られるのはけしかけたレミィであって私はそこまで被害に遭わないと思うけれど。
自分の身に降りかかる災難を思い、パチュリーは溜め息を吐く。
「いいけど。また面倒なことを頼むのだから」
「紫がやってくれたらパチェは別に何もしなくていいから大丈夫よ」
「……」
それはそれで、なんか嫌だ。
結局頼られたいのね、とパチュリーは自嘲する。
「と言うか何としてでも首を縦に振らせてやるから。いい結果を期待しといてよ。退屈はさせないわ」
「……貴方とフランドールが結婚したところで私に何の益もなくない?」
「見たくない? フランドールの花嫁姿を」
「……」
見たい。
「見たいでしょう。咲夜も、ねぇ」
「ええ。きっとこの世のものとは思えないほど美しいお姿になられることでしょう」
「そう。私はフランと結婚する。二人で純白のウェディングドレスを着て、とびっきり豪勢な結婚式を挙げるのよ。ブン屋に記事にしてもらって、私たちの仲睦まじいおしどり夫婦のさまを幻想郷中に見せつける」
「……はぁ」
見たくはある、が。
「……それは、フランドールは良いと言うのかしら」
「言わせる」
短い言葉でレミリアは言い切った。
「私とフランは相思相愛の仲よ。それは疑いようもない事実でしょう。500年あまりの間、離れず寄り添ってきた、たった二人の肉親よ。私はフランドールを愛している。フランドールも私を愛している。私がいなければフランはこの世になく、フランがいなければ私はこの世にない。誰もが認めている。フラン本人でさえ、それを認めている。けれど」
言葉を区切って、レミリアはパチュリーに近づく。
「あいつはこの期に及んで、『私はお姉さまを愛している』とは言い切らない。否定しようもない、自分でさえ理解している事実に目を背けている。とどのつまりが素直じゃないのよ。素直になれないあいつに、素直になれるきっかけをあげようってわけ。夫婦であれば、愛の言葉を紡ぐのはおかしなことではないでしょう?」
「……」
あまりに傲岸不遜な物言いだ。しかし否定はしない。
パチュリー他、外野から見てもレミリアとフランドールはかなり仲のいい姉妹だ。
姉妹という離れがたい縁で、逃れようもなく連帯している。
妹は、言葉では時に姉に辛辣な言葉を吐き、嫌っているかのような素振りも見せるが、それはまさしく「素直になれない」と表現するに相応しい、可愛らしい振る舞いだった。
姉は妹の部屋を訪れ、言葉を交わし、たまに連れ添って庭に出ては花を見て歩き、妹のその白く小さい手に触れる。
妹もそれを拒むことはしない。
最早「素直になれない」とは体面上のものでしかなかった。
けれど、物事はそう単純ではない。
親友は浅慮だ、とパチュリーは思う。
フランドールがどれほど姉を慕っているか、それを一番理解していないのは姉であるレミィだ。
フランドールのそれは崇拝に近い。
495年分の愛と憎悪が絶えず喰い合っている。
普段のフランドールの姉への態度は、レミィに言わせれば「素直になれない」で片付けられるものだが、それは些か単純化が過ぎている。
素直になれないのは、495年間にうず高く積もりに積もった世界への憎悪と、それを赦す姉への畏敬と恐怖と厭悪が絡まった結果だ。
フランドールの根源は、破壊するしか能のない自分と崇拝する姉をともに産み落とした世界に対する圧倒的な憎悪にある。
それが時に絶望となり、時に愛となり、時に狂気となって発露する。
そのすべてを打ち消してなお、有り余る崇敬の念がある。
フランドールが溜め込んでいる感情には、彼女ら姉妹以外には到底理解できないような膨大さがある。
だから普段のフランドールの態度はそれほど簡単なものではないし、「素直になれ」と言われてなりきれないのは理解できるのだ。
そもそも、それを「素直になれない」だけで片付けてしまえるのがレミィの凄みなのだが。
それを、レミィは強引な形で解決しようとしている。
これは果たして、フランドールにとって益あることなのだろうか。
それは簡単には判断できない。
同時に、害あることなのかどうかもわからない。
しかしこの計画が成功すれば多少なりとも二人の関係が変化することは確かだった。
パチュリーは、今は様子を見るしかない、と判断してレミリアにそれ以上言葉を投げかけることはしなかった。
「見たいわね。フランドールが、素直になるさまが」
そう言う以外には。
# 3
騒々しい主従が去り、大図書館は再び静寂を取り戻した。
足るものはすべてある。
この場所は完成されている。
パチュリーはそう感じる。
けれど、その静けさに物足りなさを感じるのは、心のどこかで不完全さを求めているからだろうか。
自分も所詮はどこかの欠けた、不完全な存在だとパチュリーは自嘲する。
突如、ドアノッカーの音が静寂を破った。
扉が開き、フランドール・スカーレットその人が顔を覗かせる。
「パチュリー。小悪魔。本返しに来たよ」
パチュリーは本から顔を上げることなく、呼び鈴で小悪魔を呼びつけた。
特に反応が返ってこないのはいつものことだ。
小悪魔に本を渡し、フランドールもまたいつものようにパチュリーが座るテーブルの体面に腰掛けた。
「何読んでるの?」
フランドールが猫目を大きくして興味津々の様子で問う。
「大昔の魔法使いが書いた、心理操作魔法についての本ね」
パチュリーは静かに答えた。
「ふーん」
「貴方たちの使える魅了にも劣るもので、特段面白いものではないわ」
「なんかつまんなそうだね。でも、どうしてそれが書かれたかには興味があるわ」
「こいつはバイエルンの魔法使いで、軍の参謀だったのよ。人心掌握ができれば士気も思いのままね」
少し表情を柔らかくして、パチュリーは説明を始める。
「へぇ。くだらない理由だね。結局こいつ一人じゃ何もできないってことじゃない」
「そう。こいつは元人間で自分の欲望に勝てない弱い生き物だった。書かれてはいないけれど、この術を編み出したのも単に多くの女性を妾として迎え入れたかっただけ」
「ふーん。なに、なんでそんなつまんない本読んでるの?」
「本から読み解けるのは、文章で書かれていることだけではないわ」
パチュリーはそこで初めて本から顔を上げ、フランドールをじっと見つめた。
「人の心を魔法で操るのは、虚しいことよね。ねぇ」
その口元にわずかな笑みを浮かべて。
「けれど実際、彼は成功した。彼は数多くの女性に自分を愛させ後宮を作り、兵たちを意のままに操り軍を勝利に導いた。もっとも、最後はフライブルクの戦火に呑まれて死んだのだけど」
パチュリーは何が言いたいのか、フランドールは静かに次の言葉を待つ。
「それはどうだっていいことなのだけど、そう、魔法程度で操れる、愛情、とは何かしらね?」
パチュリーは勿体ぶって言う。
「何も人間だけの話じゃないわ。貴方たちの魅了は私たちにだって効くじゃない? 想像したら怖くならないかしら。私たちの心も愛も外的要因によっていくらでも容易く変えられてしまう」
その言葉に、フランドールはなぜか咲夜の姿を思い浮かべた。
「なら、私たちの思う愛とは本当にあると言えるのかしら。確証はないわよね。そもそも、私たちは人の想像から生まれいでし者なのだから」
「何が言いたいの?」
しびれを切らしたフランドールが問う。
「気をつけてね、ってこと」
「何?」
「レミィがまた何かやらかしそうだから、忠告」
「……まわりくどいよ。パチュリーはいつもそう」
「飲まれないように気をつけて。自分の感情に」
「いつも気をつけてる」
フランドールは少し不満そうに眉を歪める。
「そう。いいことね。能力のイメージトレーニングのほうはどうかしら」
「ぼちぼちって感じ」
フランドールは幻想郷に来てからというもの、少しずつ自分の能力を制御する術を学ぼうとしていた。
主に精密性の向上、そしてメンタルの安定を図る。それはフランドールからパチュリーに教えを乞われたものだった。
パチュリーはなぜフランドールが能力をトレーニングする気になったのか、その心境は知らない。深く立ち入るつもりもない。
フランドールの口ぶりに何かを感じ取り、パチュリーは黙ってフランドールを観察した。
「何度も言ってるけど、」
「臆病になるな、でしょ」
遮って返された言葉にパチュリーは息を吐いた。
「わかってるなら」
「でもね、怖いよ」
フランドールの声にわずかな震えが混じったのを見て、パチュリーはなだめるように諭した。
「私から見て、貴方の能力は大分安定してきている。だからもう少し踏み込んでいいと思っているのよ」
フランドールは黙っている。
「大丈夫よ。安心しなさい。私が不用意なことを言うように見えるかしら」
半眼でフランドールはパチュリーを見た。
「見える」
「信用されてないのね」
まぁ、日頃の行いというか、あまり信用されるような言動をしてないのだけど……。パチュリーは自分の行動を少し省みる。
「……はぁ。分かってるよ、もぉ」
拗ねたようにフランドールが言って、パチュリーは優しく返す。
「焦る必要はないわ。だから考えすぎないで」
実際少しずつ、少しずつ前進している。
時間はいくらでもあるのだから、焦る必要はないとパチュリーは考えている。
焦っているのはフランドールだ。
能力のコントロールを考え始めたのは、咲夜の存在があったからだった。
今までは自分なんて能力と一蓮托生で死んでいけばいいと思っていた。
今は違う。フランドールにとって壊したくないものがいくつも増えて、そうも言っていられなくなってしまった。
唇を噛むように俯くフランドールを見て、パチュリーは別のことを考えていた。
レミリアの計画について。面白そうだからわざわざ詳細を伝えて興を削ぐようなことはしない。
けれど、本当に起こりうるのだろうか。
この姉妹が結婚するなんてことが。
パチュリーはじっとフランドールを見る。
フランドールの瞳には常に姉しか映っていない。
彼女の世界のすべては、姉を介して解釈したものでしかない。
だから姉の宝物は丁重に扱おうとする。宝物でないものは眼中には入らない。
その狂信的な崇敬を少し恋慕に倒してやれば、結婚の申し出に首を縦に振らせることなど容易いのかもしれない。
「パチュリー?」
こちらを覗き込むように顔を近づけて、フランドールはその可愛い顔を不機嫌そうに歪めていた。
……かつてはそうだった。彼女は姉しか映していなかった。
今は、どうだろうか。
(……意外と一筋縄ではいかないかもしれないわね。だってフランドールは)
少しずつ変化しているのだから。
「フランドール、丸くなった?」
パチュリーが突然尋ねる。
「……どういう意味?」
フランドールは自分の身体を抱きすくめて、引き気味に訊き返した。
「いやそういう意味じゃなくてね」
「……これって、丸くなったって言うのかしら」
パチュリーが慌てて訂正しようとするのをフランドールは無視して俯きがちに言った。
パチュリーの意図は理解しているようだった。
(あれ、今ボケてた?)
「確かに丸くなったかもね。昔の私よりは全然……変わった」
フランドールはパチュリーから視線を外して、思う。
昔の自分には戻りたくない。
自分の感情も能力も制御できなくて、壊れてしまうのは全部自分のせいで。
それが嫌で閉じ籠もった。死んでしまいたいと思ったこともあった。
今もその感情は燻っている。けれどなぜだか、こんな私に近寄ってくる奇妙な人たちがいつの間にか増えて、どういうわけか彼らは私を好きでいてくれていて、だから私もその人たちを大切にしたくて。
お姉さまと私だけだった世界が広がって、私はそれに居心地のよさを感じてしまっている。
もし私が今、この能力で誰かを傷つけてしまうことがあれば、私はそれに耐えられない気がする。
……だから、立ち止まってはいられない。
「……お姉さまが何かやらかしそうなんだって?」
「ええ」
「精々気をつけとくよ。気をつけてなんとかなるかわかんないけど」
「なるようにしかならないわ。全部」
パチュリーが再び本に目を落として言った。
「……そうだね」
フランドールは小さく頷く。
その後、フランドールは目当ての本を借りようと席を外した。
「お姉さまはいつ帰ってくる?」
帰り際にフランドールが尋ねる。
「さぁ、もうすぐ帰ってくるんじゃないかしら」
パチュリーは曖昧に答えて、フランドールは不器用な笑みをにやりと浮かべて言う。
「楽しみにしておこうかな」
「ええ、楽しみにしておきなさい」
パチュリーは、フランドールのその様子が虚勢だと知っている。
けれど、それが虚勢でなくなる日を想って返す。
フランドールが去った後、大図書館の司書を務めている小悪魔が現れて言う。
「楽しみですね。妹様の反応」
「あんた仕事はどうしたのよ」
「こんな面白いイベント放っておけるわけなくないですか?」
興奮している小悪魔にパチュリーは呆れ顔をする。
「あの澄ました顔がどう歪むのか……見ものですよこれはグフフ……」
「悪趣味」
「パチュリー様も楽しみでしょう?」
「……」
楽しみだった。
天を仰いで自棄になって言う。
「どーせ、誰に頼み込んだってどうしようもないわよあんな話」
「最終的にはパチュリー様がなんとかするじゃないですか」
「……なんとかするのはレミィ。私はそれを手伝うだけ」
結局妹様は弄ばれる運命か、と小悪魔は高揚を隠せない声色で言った。
「ふん」
パチュリーはそれを鼻で笑う。
結局は親友のやることに惹かれざるをえない、自分に対しても。
# 次回予告
「だって……この術は、私にも作用している」
家族愛から変化した恋愛感情に振り回される紅魔館の面々。
「……プリンセスウンディネ」
パチュリーが突然プリンセスウンディネを放った理由とは!?
「小悪魔、行くわよ。魔法を解きに」
混乱の最中、パチュリーは小悪魔と対抗策を見つけ出す。
果たして紅魔館の面々は百合パワーに飲まれず関係性を維持できるのか!?
次 → 姉妹百合(軽め):破