茶色い五階建てのビル、昔からニュースや雑誌で取り上げられて、すっかり私の中ではお馴染みの将棋会館……。噂では100周年に伴って、移転すると言われてるけど。(そして関東の上層部は私を資金集めのマスコットにしたいらしい、確かに自分で言うのもあれだけど、見た目はいいしそれなりに喋れるからマスコットには持ってこいだろう)
「ここまで無敗の鏡洲三段は勝ち数で昇段を確定させています。最後の1枠を2敗の獅子堂三段と、3敗勢で争う形になります」
初の女性棋士誕生か、はたまた他の三段が意地を見せるか。そんな風に騒ぎ立てるテレビのリポーターを横目に見ながら脳内で今日の対局相手の将棋をシミュレーションする。
「鏡洲三段と獅子堂三段は最終の2局目に対局があります」
ちなみに残りの2局で3敗勢との直接対決がないので全部勝たないと確定にならない。つまりここまで死ぬほど調子がいい鏡洲さんに勝たないといけないわけで。
「獅子堂三段!初の女性棋士へ後わずかですが、今のお気持ちは?」
「要するに難しいこと考えずに二つ勝って上がればいいんですよ、私も連勝中なので、当たって弾き飛ばす勢いで行きます」
レポーターに返事を返したことで考えがまとまった。
星勘定なんて考えてたらアホらしい、要するに全部勝てばプロになれる。それでいい。
研究も、関西、関東の三段全員分揃えてここまでやったんだ。もっとやりたいけど資料が足りない。
1戦目、関東の若そうな三段、居飛車党、居飛車穴熊を得意としてる。
奨励会での対振り飛車経験は少ない。というか飛車を振ってみての指し手から考えると全然得意としてない。
というか、私がアマで振り飛車をそこそこ相手してるから思うんだけど。振り飛車は人間には難しすぎる、駒が飛び交い、駒台と盤面を高頻度で行き来する。振ってる側もそうだけど、対振り飛車も難しい。ミスや見落としが発生しやすい、奨励会だと研究も薄くなる。
これを経験の少ない三段が指しこなせるとしたらそれは本当に天才だろう。
案の定中盤にミスが出た、ここで攻めた方が都合がいい。奨励会では1度目の好機は見逃す?一度しか巡ってこないこともあるのに?そんな常識で、私は止められない。
八一くんはここで止まらなかった。私だって止まれない。
……ここまで慣れないようだと完全に手玉に取るように誘導できる、まるで昔の機械のような指し回し。
あっという間に粘る間もなく投了した。
「振り飛車を指せ、とは言わないけど。もうちょっと振り飛車相手に受けられるようにした方がいいよ」
私と違って期間限定のチケットじゃない、正真正銘ちゃんと奨励会を上がってきた人だから。才能だけなら私より上だろう。
だからこれで十分。おせっかいが必要な相手はここまでだ。
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獅子堂蘭、という子を知ったのは。世代戦、中学生高校生のアマチュア棋戦。それを総なめにしている女子がいると聞いてからだった。
大学に入った後もいくつものアマチュアタイトルを取り、その実力なら女流棋士になれば食うに困らないだろう獅子堂は、いつも何かを探しているような……そんなふうに俺には見えた。
最も、その何かが九頭竜だったのを知ったのはごく最近、三段編入試験の記事で。だったが。
「飛車、振りましょうか?」
獅子堂の挑発を無視するようにじっくりと駒組をすすめる。
中盤に移ると、獅子堂は一瞬の隙を突いて攻めかかってくる。
まるで一本のロープの上を目隠ししたまま歩くような、慎重な、それでいて大胆な手付きで。
「正気か?!今は攻めどきじゃないだろうに」
「セオリー?奨励会の常識?知りませんよ、私が戦ってきたのはここじゃないんですから」
何度もロープから落とそうと攻撃してもヒラヒラと曲芸師のように交わされる。まるでサーカスを見ているかのようだ。
「そういえば、この将棋。この中盤。どこかで見たことがあると思ったら、椚か」
「私が椚くんに似てるんですか?そんなことないと思いますけどね」
「違うな、創多がお前に似てきてるんだよ。自分ではわからないだろうが」
対局室で創多の将棋が徐々に変化していった、その元凶をようやく発見する。
……しかしこの女、受けが上手い。攻めどきは理解している上に、駒が切れるような無理攻めがない。
まるで宙に舞う布を切ってるような手応えの無さ……。まさかな。
「楽しい……やっぱり
「舐めるなよ、ここが楽しい?お客様だもんなぁ、地獄なことも知らないか」
「だって、私にはここに来る資格も最初はなかったんだから」
「羨ましいよ、開かないはずの門をこじ開けてここに立っているんだから。門なんて最初からなかった人にはわからないと思うけど。
まあ、それももう、今日で終わりなんだけどね」
………まさか。
ないな、ない。逆転の余地がない。
ミスがなければ、じゃない。ミスをする余地もない。
「これは……ないな……ともかく、おめでとう。獅子堂新四段」
「ありがとうございます、鏡洲新四段」