「お返しです」
そう言われた瞬間、やけに鮮明になった脳内将棋盤の中で駒が勝手に動いていた。
飛車を敵陣の奥まで走らせる一手、それだけしか浮かばない、考えられない。
何かに取り憑かれたように、思考する余裕もなく、その通りに指す、それ以外に手が浮かばなかったから。
「………?………!?」
目の前で創多が衝撃を受けているが、困っているのはこちらなのに。
その後の指し手も一本道のように浮かび、まるで機械に操られるかのように私は創多を詰ませていた。
「おめでとうございます。銀子さん、これで三段ですよね?」
「あ……ええ。あの……ありが、とう…………」
自分のものとは思えない動きをした指と頭の中に不安を抱えながら、創多の祝福を受け取る。
「………………ここ…………」
あまりに衝撃的な自分の頭の中の動きで硬直した指で、最終盤の飛車を走った手を示す。私が脳内将棋盤に操られた瞬間を。
「ここ……この手しか浮かばなくて…………頭の中で、将棋盤が勝手に動いて──」
「頭の中の将棋盤? ああ、脳内将棋盤っていうやつですか」
創多は軽く首を傾げてから、
「銀子さんは頭の中に将棋盤があるんですね。すごいなぁ」
「? あなた、詰将棋が得意なんでしょ? 終盤もすごく正確だし……脳内に将棋盤がいっぱいあるんじゃないの?」
「ええ。詰将棋は得意です。でも──」
「ぼくは頭の中に将棋盤なんてありません。全て符号で思考しますから」
そんな勝手に動いた脳内将棋盤ごと粉砕するような発言が飛び出した。
符号で考える? 脳内将棋盤が……無い?
「え? でも、詰将棋は──」
「詰将棋も符号で考えます。そんなに考えなくてもだいたい見た瞬間に作意を読めるから、初手がわかれば後は勝手に棋譜が頭の中に並ぶんです」
軽く首を傾げながら、創多は本気で不思議そうに私を見る。
「やろうと思えば盤を浮かべて考えることもできますけど、かえって手間がかかっちゃうので。でもわざわざ頭の中で駒を動かしたりするのって、面倒だと思うんですよ、蘭さんも似たようなこと言ってましたし」
そんな。
そんなの。
ソフトの影響を受けてるとか、そういう次元ですらない。
目の前に座ってる子供は────コンピューターそのものだった。
「そ、そう……なんだ…………」
将棋星人ならまだ何とかなる。同じ生き物だから。でも生物ですらない相手を前に、一体どんな対策をすればいいというのか?
「この局面も、8七とから詰まされそうな気がしてたんです。8五桂を打った瞬間に詰みそうだと思って……だからその筋を読んでたら飛車を走られたでしょ? もしかしたら詰みを逃れたかと思ったんですけど、ダメですね。3二角打からはもうこっちに勝ち目はない。この角は3一に打つべきでしたか?」
詰みは見えていたのかもしれない、でも自分で読めたわけでもない手を脳内将棋盤の通りに指してそれで詰んでいたところでなんだというのだろうか。
獅子堂と同じ匂いのする全く別の、もはや生物ですらない相手を目の前にし、私はこれから三段リーグでこの化け物と戦うことになるという現実を痛感していた。