「あと5回勝てば……私もあそこで受け取ってたのかな……」
「なんや獅子堂の嬢ちゃん、八一があそこにおるのがそんなに不満か?」
近寄って来た清滝八段に声をかけられる、八一くんのお師匠さんだ。
「そんなことはないですけど、やっぱり全力を出し切っても届かなかったですから。私が至らなかっただけのことです」
勝てなかったことをクヨクヨしててもしかたない、ないんだけど、いざ自分が竜王戦6組優勝の表彰者として呼ばれ。八一くんが竜王として表彰されているのを見ると、やっぱり思うところはある。
「わしと違って君は若いんや、次がある。そんなに気にすることでもあらへん」
「次があるのは、清滝八段も変わらないと思いますよ、まだ今期の竜王戦の予選は負けてないじゃないですか」
「せ、せやな」
「今年こそは八一くんとの竜王戦七番勝負を実現させるつもりです。もし、清滝八段と本戦で当たったら、八一くんのライバルだからとか抜きに遠慮なしでお願いしますね」
今年の目標は順位戦は全勝、竜王戦はタイトル挑戦。ほかは……できる範囲で。
「若い子はええなぁ。おじちゃんらは今の実力を維持するので精一杯やわ」
そうだろうか、15世名人も16世名人も長きにわたって実力を発揮し続けたし、トップクラスの棋士の実力自体は緩やかに劣化していくが、簡単に落ちるものではない、とはいえ──。
「大ソフト時代ですもんね、今時ソフト研究無しでは素手で得物を持った人に挑むようなものですし」
インフレしていく将棋環境を鑑みると、緩やかな衰えは緩慢な死とも言えるだろう。
そういえば。
「清滝八段は研究の時間ってどうしてます?私、最近忙しくって、人との研究があんまり出来てないんですよねー」
「うっ」
何か刺さってしまったらしい、わたしとしてもどうすればいいのかわからなかったので立ち去った。
〜〜〜〜〜〜
師匠が激変し、講師として登場した山刀伐八段に腰を抜かしていると、背後からしばらくぶりに聞く声がする。
「やほ、八一くん」
なんで蘭さんがここにいるんですか?!
「えー、悪いかな?」
「獅子堂くんはソフト研究にも通じてるし、居飛車、振り飛車両方とも指しこなせる。これほどまでに模範となる棋士は関東にもなかなかおらん」
師匠が言うように、獅子堂は振り飛車にも造詣がある。というか公式戦では振り飛車を比較的採用することが多い。
「そうですよ、獅子堂くんは時間の使い方だったり指し回しは独特ですが、指されてみると説得力のある一手が多くって……ふふふ」
怖い、山刀伐八段がこわい。
「創多も鏡洲四段もわたしが声を掛けたら参加してくれたし、花咲さんも連絡したら関西に引っ越してたみたいでさ、ニコニコで参加してるよ」
「けど、いいのか? 獅子堂みたいにトップを目指してる棋士がこんな研究会に参加してて」
暗に獅子堂のようなトップ級の実力者がこんな研究会に参加して居られるほど将棋界は緩くはないことを伝えると、獅子堂からは思わぬ答えが返って来た。
「うーん、八一くんにはあんまりわかってもらえないかもしれないけど、ソフト研究はもちろん大事なんだけど。対局する相手は人間なんだから人間の将棋に対する理解度を高めるというのは必要なことじゃないかな」
「とくにわたしのような三段リーグしか経由しなかった人間にとって、プロ棋士というのは同じ言語を喋るけど違う世界に住む住民なわけで。八一くんのような特別な人間はともかく、奨励会の一般的な考え方を基盤とするプロ棋士がほとんどで、わたしはその基盤についてほとんど知らない状態で戦っているわけ」
「そうすると、世界を敵に回してるのとあまり変わらないんじゃないかな、それこそ“システム”じゃないんだから途中で力尽きても意味がない。もちろんわたしが異質であることのメリットもあると思う、というか竜王戦で勝ち上がれたのもその影響は大きいし。けどそれだけじゃ戦えないわけで」
「順位戦も今期は参加できないから比較的暇だから、こうして人を集めたりしてるわけ。ちょっと残念だったのは、蔵王九段にも声を掛けたんだけど、断られちゃったことかな」
あまりにもクソ度胸がすぎる。蔵王さんも十干十二支が一回りも違う60も年下の棋士に道場で指しませんか?と言われるとは思ってもいなかっただろう。
「蔵王九段は関西で1番将棋を指してきた人だから、きっと変化が悪くなると判断して実戦に投入しなかった研究も山ほどあるはずなんだよ。それはわたしからしてみれば宝の山というか。残念だなぁ」
俺は痛感した、どこまで行っても
思わぬところで獅子堂蘭の強さの根源に触れた気がした師匠の研究会だった。