「あれ?九頭竜くんじゃないですか。こんなところで会うとは珍しい」
「……花咲さん?」
天衣の指している姿を座って眺めていると不意に横から声を掛けられた。
振り向くと、双玉クラブで決して見かけるはずのない、トップアマの顔を目にして驚愕する。
白髪の若干混じった黒髪に、眼鏡を掛けた痩せた立ち姿は紛れもなくトップアマ、花咲誠也その人だった。
「花咲さん、福岡じゃなかったんですか?」
「死ぬ前に一度、『名人』に平手で勝ちたくなった、といったらどう思う?」
正気を疑う、花咲さんはトップアマだ。アマの中でも明確に頭一つ抜けて強い彼だけど。名人に勝てるかと言われると現実的な目標とは思えない。
「冗談だよ、まあ昔より本腰入れて将棋をやりたくなった、というのは嘘じゃないからね。いまはちょっとバイト中だけど、終わったら彼女と手合わせ願いたいね」
そのまま、花咲さんと最近の棋界について話しながら、将棋盤と駒を拭く彼を見守る。
そういえば、花咲さんに聞きたいことがあった。
「花咲さんはいつ将棋を始めたんですか?」
最年少アマ名人になった彼だ、きっと早くから将棋を始めていただろうし、どんな勉強方で強くなったのかを知ればあいや天衣の参考になるはず。
「中学に入学した頃に、十五世名人の対局をテレビで見ましてね。あんなおじいちゃんがテレビに出れるぐらい強いなら自分も強くなれるだろう……今にして思えば相当な馬鹿ですよ、まあそんなこんなで今に至るという訳です」
帰ってきた答えは想定外にも程があるものだった。将棋を始めて高々6年で、アマチュアの頂点に彼は辿り着いてしまった。というらしい。
「……」
さ、参考にならねぇ……。聞く人間違えたな………。
「九頭竜くんが知りたいのは将棋の上達法、とくに彼女のような若い弟子への指導でしょうが……。私は1日16時間、将棋の勉強を独学で続けただけなので、特に参考にならないと思いますよ」
そう思って話を聞き続けていると、もっと参考にならない答えが降ってきて、頭を抱えることになった。
「ま、それはいいとして、そろそろ休憩時間なので……。すみません、店長。休憩中に対局してもいいですかね?」
「ええよ、好きにやり。あんたみたいな凄腕のにーちゃんがおったら客寄せになるわ」
天衣が指し終え、戻って来た。
「天衣、このおじさんと一局指さないか?」
「そいつ、パンサーより強いの?」
不思議そうな表情をする天衣、だいぶ仕方ない。どこからどう見てもくたびれた店員のおじさんなのだから。
「少なくとも、ここの道場の中では1番強い」
「良いわよ、あのパンサーを相手するのも疲れたし」
敢えて花咲さんがトップアマであることは伝えず、対局を促す。
…………
……
しばらく後、受けすら成立させてもらえずに圧壊した天衣の陣と、対照的に囲いがそのまま残っている花咲さんの後手玉があった。
「まあ、よくやっていると思いますよ。平手ならこうなるでしょう」
きつい相手に当ててしまったかもしれない。そう思う俺の目の前で花咲さんは天衣にあっさりと止めを刺しながらこう呟いた。
「……私も貴女ぐらいの時に将棋を始めていたら、いまこうして貴女と将棋を指していることはなかったかもしれませんね。貴女はとても運がいい、その歳で私の知る中で一番才能がある人に指導してもらえるのだから」
とてもではないがその背中はアマチュアで1番強い将棋指しには見えなかった。
「……あのおじさま、何者?こんなところに居ていい人じゃないと思うんだけど、本当はプロ棋士とかじゃないかしら」
「トップアマの中のトップ、アマの中でも元奨励会やアマ強豪を相手にしてアマチュアのタイトルを何度も獲得して、プロと対局してそれなりに勝ってしまう人が居る」
獅子堂蘭はその中でも女性だから異質だが、花咲誠也は彼女と同等の実力者だ。過去には新人王戦でレーティング1700中盤の若手棋士を吹っ飛ばしたこともある。
「女流棋士でタイトルを取って公式棋戦に参戦するとまず戦うのが四段とアマになる、このぐらいの棋士とは女流タイトル戦を勝ち続ける限り、何度も当たる」
そんな時に圧倒されて将棋になりませんでしたでは困るわけだ。いい機会だったしな。
花咲さんの強さ評価、レーティング1700半ばの棋士を吹っ飛ばしたのモデルのエピソードなので何一つ嘘はついてないんだけど、明らかに嘘っぽいよね。モデルは2人飛ばしてるんだけども。