「私、入院中にも勉強しないと行けないんですか?」
「そうだよ! 学校の授業に遅れないように自習くらいはしておかないと!」
知らない緑色の髪の女性がそういってバックからノートや教科書を出す。
誰だろうかこの女の人は。
「勉強したって忘れるだけですよ、私の頭のこと聞いたでしょう。食器用のスポンジみたいに思い出が消えやがるんです、ウレタン素材のね」
「ミライちゃんのブラックジョーク人を選ぶから、そういう事あんまり言わないで! お医者さんも頭を使うことは脳を活性化させるとかなんとか言ってたし」
「ふん……ジョークで笑わない人は嫌いです。だいたい勉強なんてしたって何するんですか、多額の借金の返済とか?」
ふふん、と腰に手を当てて胸を張る女の人。
「いい、勉強っていうのはね将来の可能性を広げる為にするんだよ! いつか役に立つかもしれない事を今のうちに学んで将来の役に立たせるの、人生の選択肢を増やすためにね。ミライちゃんの冗談だって面白くできるかもしれない。なんにも知らないと何にも思いつかないんだよ?」
「……ネットで調べたら二秒で出てきそうな回答ですね」
「ギクっ!」
女の人は図星を突かれて口で擬音を出した。
「で、でも……より良い未来の為に、努力はしておかないと!」
「まあ、言いたいことは分かりましたよ。世界が滅びないように願いながら勉強します」
「そんな事にはならないよ!」
抜けた女の人が持ってきた教科書をミライは手に取る。
「……なんか私の可能性拡張パック、全部高校生の問題じゃないですか?」
「あ……これ私のだ……」
「私の可能性より、お姉ちゃんは視野を広げた方がいいですね」
「ひぃん……」
お姉ちゃん、そう呼んだのか。
梔子ミライには姉が居たのか。
直後、浮遊感に瞼を開いた。
「お姉ちゃん……え、なに? 空!?」
炎に包まれるミライは自身の視界の正常性を疑う。
帽子の少女達からミライを連れ出した燃える少女に抱きかかえられていた。
「私、気絶してた?」
建物の屋上を次から次へと飛ぶ姿は、コミックのヒーローを思わせる。
身体を燃やす炎で空を飛べたりはしないようだが、重さという概念が燃える少女にはないのかと錯覚させるほど身軽だ。
それもミライを抱えながらなのだから驚きもより大きい。
恐らく少女の移動速度にミライが耐えられず失神していたのだろう。
「酔ってきました! おえっ……」
「……」
揺れに耐えきれず吐き気を催すと燃える少女はビルの屋上で止まり、解放されたミライはふらつきながら来た道を振り返る。
道などない空だが方向だけは覚えている。
「……自分に失望するのなんて人生であと何回あるんでしょうね」
力は弱く、頭も良くない、空気を読むのも微妙。
唯一前向きだと自覚していた精神的な自慢も、ただ割り切りやすい質なのではと思い始めて来た。
今もアズサの謎も少女達に殺されそうになった事実も、溜め息一つでまあいいかと考え始めている。
「さっきまでマジかよとか思ってたのになぁ〜……私ってもしかして冷たい? これでも結構、人付き合いは真剣にして来たつもりなんですけど……気付きたくない」
記憶を失ってからミライは誠実に、そして真摯に他人と向き合って来たつもりだ。
失った記憶と時間の分、それを取り戻すようにトリニティの生徒として周囲に溶け込もうとしていた、本当に誠実で真摯な対応が出来ていたかはきっと人によって意見が分かれるだろうが、ミライなりの誠意があった。
だけど周囲の人間は思っていたよりも闇を抱えていて、ミライの脳細胞では理解が追いつかないほど複雑な背景があるのだと、思慮の浅さに失望した。
「なんでとか、どうしてとか、悩みを理解できる関係とは言わずとも。相談に乗れるくらいの関係を築けてたと思ってたんですけどねー?」
ある意味凄い事だ、渾身の冗談を無下にされた以上にミライは本当に心から傷ついて悲しんでいた。
そしてそれ以上にそのくらいしか傷ついていない事に心の底から自分に失望していた。
「……みんなの無事が気になります……まあみんな私より強いので心配されているのは私の方かもしれませんが、実際心配される事態に陥っていましたし。……あなたへのお礼がまだでしたね! やっぱりあの白黒の子と関係があるんですか?」
「……」
答えは返ってこない、これでは自己紹介もままならない。
もしかしたら喋れないのかもしれない、そうだとしたら何か喋ってと言うのは失礼か。
「というか身体が燃えていて熱くないんですか?」
「……」
「ああそう、まあいいですけど……コミュ障には私も理解があります。友達の悩み一つ見抜けない人に理解あると言われても説得力なんてないでしょうけれど。まあそこはほら、培った好感度と信頼が……暗い話になる予感がします終わりにしましょう」
悩んでも仕方ないことは後回しにして、一刻も早くトリニティに戻る。
だが、先程の変態集団と帽子の少女達の狙いがミライだとすると。
「帰る方が……問題かなぁ? また襲って来るかもだし……私にスーパーパワーがあったら問題は私にあるんだって悩んで一人で突っ走り、最終的に仲間の説得を受けて立ち直るというのが王道パターンですが……パワーも悩みもないんですよねー」
「……」
「炎ちゃん、私のこと助けてくれたついでに私のお願いとか聞いてくれたりします? お礼は服とかアクセサリーとか……全部燃えるかな、ご飯でいいですか? スイーツ、お菓子!」
うんともすんとも言わないで立ち尽くす少女は燃え続ける。
恐らくかなりの人見知りなのだろう。
「校舎にトマホーク巡航ミサイルを放って来たのがあの人達だってのは流石の私も察しています。襲って来た人達の狙いが私か、他にもあったのかはまあこの際どうでもいいとして……あの人達と戦って倒してそれで解決でしょうか?」
直感的に暴力で全てを解決できないと考える。
ミライは弱いので暴力で解決できないのは当然として、彼女達の背景も目的もその全容を把握できないまま戦うのは端的に言って気持ちが悪い。
これは相手側に寄り添う心などではなく。
「これが知的好奇心?」
相手のことを何も知らないままただ戦うのをミライは望まない、せめて相手が自分を殺す理由くらいは知りたいのだ。
あの帽子の少女達が謎の変態集団を率いてトリニティを襲い、ミライは殺されるなんて何かのギャグかとは思うが。
「あの幽霊の足止めをお願いしてもいいですか? 出来る限りでいいので」
「……」
「私? 私はあの帽子の綺麗な人と喋って来ます。やっぱりアズサちゃんが心配なのもありますけれど、このままトリニティに戻ってもまた襲われるかもしれないので」
これらの理由も嘘ではない。
最悪アズサは放っておいても大丈夫だろうが、戻ってまたコハル達が襲われることは避けたい。
喋らないし表情も窺えないし聞かれてもいないがミライは勝手に燃える少女の疑問する。
「というかコハルちゃん達無事ですかね? ヒフミちゃんとハナコちゃんも……そういばテストで手抜いたって、なんであの状況でそんなこと言ったんですからしくもない! また話がそれましたね私の悪い癖です」
「……」
「あ、ちょっとあのどちらへ?」
いつの間にか燃える少女の背中が遠ざかり、地平を見下ろしていた。
同じようにミライも少女の見る景色を見下ろして、ぎょっとした。
「あ、あれ全部幽霊!?」
ビルの下を地面が見えないほど埋め尽くすのはガスマスクを装着した青白い幽霊。
虫の大群を見ているような、背筋がぞわぞわとする感覚は恐怖を超えて嫌悪感が湧いていると実感できる。
今すぐに爆弾を放り込んで消し飛ばしてみたいというその感覚は数の不利に尻込みせずに済んだと思うべきか、それとも逃げられないと悟ったが故の一種の現実逃避なのか。
「少なくとも怖くなって戦えなくなるとか思わなくて良かった。まあ行ってもすり潰されるでしょうけど」
「……」
「あ、え、ちょっと⁉︎」
蠢く虫のような幽霊に、炎の少女は飛び降りた。
「やってとは言いましたけど真正面からとか無茶な! あと私を置いて行かないで──うわぁ!?」
一人ビルの上で孤立するミライは、壁をよじ登ってこようとする幽霊を見て慄くが、幽霊達は背後からの射撃で次々と撃ち墜とされる。
壁を蹴って立体的な動きをしながら燃える少女は飛ぶように幽霊の軍団を蹴散らしていく。
人がゴミのように飛んでは消し飛んでいる。
「あそこだけなんか世界観が違う……」
漫画かアニメのキャラクターのような動きで、少女は立体的に飛び回る。
似た動きをレヴィと黒い少女が見せたが、ミライの見るものはまた別種のものだ。
無双という言葉はこの時の為にあると言わんばかりに。
「ぼーっとしてちゃダメだ! 私も行かないと! あとそうだ! あの黒い子に言っておいてください助けてくれてありがとうって、あと服とか着替えたりシャワーを浴びた方が良いよって遠回しに伝えておいてください、正直ちょっとにお!?」
地上から射撃する幽霊達の攻撃がミライの頬を掠めた。
「━━あ」
そして。
「あああ━━━━!」
虫が鳴いた。
◆ ◇ ◆ ◇
ミライを攻撃されたせいだ。
耐えられなくなったのか、かつてヒナと呼ばれていた少女は飛び出した。
更にもう一つの恐怖が完全に顕現してしまったが、近くにミライが居るお陰か周囲に影響はない。
ホルスと呼称された少女は望みを叶えるだけの存在。
それでいい。
「……、……」
もはや対等に言葉を聞く価値もなくなったホルスは唯一できる事に心血を注ぐ。
その気になれば、この悍ましい数の敵を制圧するのは簡単だ、だがその代償を支払うのは自分ではないなら意味がない。
「……」
「ああああああああああ!!」
呼ばれて来た恐怖達、ミライを守る為だけに色彩が契約した哀れな神々の成れの果て。
正気と理性を失った少女、感情と肉体を失った少女、仲間と居場所を失った少女。
恐らく誰一人、色彩のことなんて信用していないだろうとホルスは確信している。
人選ミスもいいところだ、選ばれた基準は恐らく強いだけ。
本当にミライを守りたいのだろうか。
守れなかったからこそ壊れてしまった者達だというのに。
「うわあああああああ! ちょ! 美少女だからって急に抱きしめられるとちょっと怖いです!」
「ミライ! ミライミライ! 私が! 私が絶対に守るから! 今度こそ守るから!」
「結局あなたは誰なんですか!?」
少なくとも、ミライが愛されていることだけは確か。
梔子ミライは色彩に愛されている。