誰かに肩を優しく揺すられた気がして、ふと目を開ける。
――余りにも懐かしく、同時に余りも感じ慣れた空気。
「・・・?」
起きるべきだと訴える本能に従い目を開いて体を起こすも、自分の身体を揺すった存在が見当たらない。
(・・・お腹が、空いた。)
周囲を見渡す前に、真っ先に感じた己の空腹特有の土手っ腹に風穴が開いているかの様な空洞感と極々僅かな胃の痛みを心の中で訴える。
「ごはん・・・」
改めて周囲を見渡し、体を起こす。今日も今日とて何か食べれる物を探しながらここを探検するのだ。誰とも知らない皆と一緒に。さて、あの子もその子も、昨日一緒に居た皆とはどこで別れただろうか。はっきりどころか欠片も覚えていないが、その辺を歩き回ればすぐに見つかるだろう。
眠気を全く抱えていない体に違和感を感じながら体を起こさんと視線を下に向け、足元が安定しているかを確認し――
「・・・ぁえ?・・・え・・・なに、この服・・・」
視線を下に向けた事で気付く。自分の体を覆っている衣服が普段の物じゃないという事に。何処かで拾い、今の今までずっと着てきたぶかぶかのパーカー。裾の所々が破け、元の色も識別できないくらい汚れ切ったあのパーカー。
「こんな白い、これは・・・」
それが今は汚れもほつれも無い綺麗な白いワイシャツと膝少し上程までの真っ黒なスクールスカート。更には靴下と靴まできっちりと履いており、ずっとずっと着慣れたあのパーカーの面影など欠片も残っていない。
「あの服、あのパーカーはどこに・・・!?」
後生大事にしていたものが影も形も残らず消え去った事に大いに焦りながら周囲を見渡す。生来より整った顔立ちと銀灰色という世間的に珍しい上に綺麗に光を反射する髪色と髪質のせいでよくコロニーの裏に巣食うマフィアや薄汚い欲に塗れた大人に夜の相手候補として目を付けられていた自分を隠してくれたあのパーカーの存在はただ思い入れだけの域を優に超えている。
「あれが無いと、私は・・・あ・・・!?」
特異な髪色は光の反射も含めて良くも悪くも人目を惹く。フードなどでどうにか髪を隠さなければ、すぐに見つかってしまうだろう。すぐに大焦りで周囲を見渡し、思い出す。が――
「パー・・・カー・・・?だ、なんて・・・どこでそんな言葉を知って――」
言葉を学べるものなど、この廃棄物の流れが行き着く先であるゴミ溜めには存在しない。あの人に拾われるまで、パーカーという単語は勿論服という一般名詞すらも曖昧にしか知らなかった。
――亀裂。
「・・・あぁ、夢なのか。ここは。」
塞がっていた記憶が一気に解放される。ゴミを漁り、誰かが捨てた廃棄物にこびり付いた僅かな残り物を必死に啜っていたあの頃の自分は今やネクストを駆り、人類に仇を為す不倶戴天として死に、そしてキヴォトスという地にて新たに息をしている。標根イサネという隠れ蓑を纏って。
「明晰夢・・・って言うみたいね、こういうの。」
改めて辺りを見渡し、ぼそりと呟く。今の自分は少なくともこの世界には居ない筈。だというのに、今見回した景色はどれも自分の中で最も慣れ親しんだ景色と風景。有り得ない現実と断定するには余りにも証拠が決定的過ぎた。
明晰夢。別名自覚夢、覚醒夢とも言われ、睡眠時に人の脳が行う記憶や情報の整理の際に見る事が出来る自身の記憶の断片こと夢を夢だと自覚する事が出来る夢を指す。睡眠時、脳の記憶整理の最中に前頭葉が半覚醒の状態で起こるものだとか人為的に見る事が出来る夢だとか色々言われているが、健康的な面から言えば睡眠時にも関わらず前頭葉が覚醒している以上決して良い事ではない。
「・・・流石に寝る前はちゃんと服脱いだよね?記憶が曖昧なんだけど・・・」
ここが夢だと認識した瞬間、今の自分の格好がキヴォトスにおいては極自然的な恰好であると認識できる。年齢をサバ読みすれば向こうの世界でも女子高校生として通用するだろう。だが、代わりにというべきか懸念点もある。
「それにここが夢だからか知らないけど、銃器はおろか護身用のすらもナイフの一本も無いのね。ちょっと不安だなぁ。」
そう、いくら夢の中とは言えここがキヴォトスの外、自身が生まれ育った世界を描写している以上自らの頭上に浮かぶ
「特に体が重いとかはない・・・ヘイローが私の身体にもたらした影響は頑強さだけかな?」
とは言え、夢は夢。例えここで自分が無残な死を遂げようと現実世界に何か多大なる影響が出る訳でもない為、深く気にする必要性はそうない。一応自身が丸腰である事を頭の片隅に入れつつも、現実の自分には大した影響はないだろうとして体を起こす。
「いやぁ、それにしても懐かしいなぁ!」
気持ちを切り替えるまでも無く、立ち上がった見渡した景色に思わず声を大にする。
自分の第一の故郷にして始まり。生活水準こそ最悪の更に下を往く様なレベルだが、ここで必死にあの時を無邪気に生きていた事実と記憶は今の自分を構成する中で非常に重要な要素だ。ひょいひょいと錆び切った金属塊と風化した石材で出来た小山を降り、辺りの散策を始める。
「お、あそこ、確かコロニーのここら側を仕切ってたギャングだったかの溜まり場じゃなかったっけ?飴くれた変な刺青のおじちゃん、今も生きてるかなぁ?ここがどこのコロニーか知らないから、もしかすると全滅してるかもだけど。」
歩く。
「あっ、ここあれだ!私からハンバーガーまるまる奪った小太りのクソガキが撃ち殺されてた所じゃん!懐かしいぃ~・・・まぁその後私も攫われかけたんですけどね。あははは・・・」
歩く。
「っていうか本当にあのパーカーがどこにも無い。セレンに拾われた時に割と有無を言わさず捨てられちゃったから夢の中でくらいなんて思ったけど・・・駄目そう。」
歩く。
「あの子、ここで死んじゃったんだよね。薬に頭をやられた奴らの乱闘に巻き込まれて。・・・泣いたなぁ、本当に。人目も憚らず泣き喚いたよ。」
嬉も哀も、楽も悲も、自分の根底を形作った全てがここにはそのままの形で残っている。約19年という余りにも短く、そして四半世紀も生きていない体に詰め込むには常軌を逸したという表現すらも生温い壮絶極まりない生の内の14年。
ふらふらと散歩する様に歩いたり、瓦礫の小丘をその身体能力でパルクールの如く飛び回ったりと、懐かしき故郷をただ己の感覚のままに彷徨い巡る。唯一記憶との差異があるとすれば自分の身体と何処を見て回っても人っ子一人も居ない事だろうか。
「っていうか、なんで誰も居ないの?もしかして私のせいで現実のここはこうなったとでも言いたいの?」
恐らく自分が生まれ育った向こうの世界の大半は、今頃こんな感じになっているのだろう。実際は死体や破壊の痕跡によってもっと騒がしい事になってはいると思われるが、まぁ生きた人が居ないという点は変わらない。そしてその結末を齎したのが他でもない自分だという事も。
「ああなった私を止めなかった時点で、企業連がちゃんと首輪を掛けなかった時点で、何もかも今更じゃないの?獣一匹すらもまともに収監出来ない腐った檻を檻とは言わないんだよ。」
さも自分のせいという事実を暗示していると言わんばかりの様相に腹が立つ。不倶戴天の敵らしく、逆立った叛意を剥き出しにして己が答えを頑として譲らない。
「まぁここでいくら喚いても意味無いんですけどね、ははは。」
が、ここは自分だけの世界。いくら喚こうが叫ぼうが、現実には何の意味も効力も持たない。それくらい十分理解している。だからこそ冗談の様に笑い飛ばして独り言を締めるのだが。
「しっかし、ここはどこまで続いてるんだろう。コロニーの都市部まで続いてたりする?私全然中の構造なんて知らなんだけど。いや、先に思い出の場所全部回っておこう。次いつまたここに来られるかも分からないし。」
夢なら夢の内に楽しんだもの勝ちという事ですぐに気持ちを切り替え、再び散策を再開する。何せこの人が住める場所ではない筈のゴミ溜めに14年分の思い出が詰まっている。腐り果てた連中の事など考えていてはすぐに日が暮れてしまうだろう。・・・夢の世界に暮れる日が存在するかどうかについては些か怪しい所だが。
見覚えしかない瓦礫の山々を抜け、所々に思い出が刻まれたゴミの山をただひたすらに彷徨い歩く。歩いたり走ったり、瓦礫を駆け回ったりと凡そ散策している様には見えないが、今の自分にはそれが立派な散策となり得る。
そうして至る所に思い出が散らばる瓦礫とゴミの山を思い思うままに彷徨っていると、段々と周囲からこれまで無数にあった瓦礫やごみの姿が消え始める。
「あれ、もう境目に来ちゃったのか。確かにあの頃と比べて体力は桁違いに強くなったけど。」
あたりの風景を見渡し、心外、予想外とばかりに呟く。今や
「適当に進んで来たけど、この方向は外側だったのか。」
そしてここは瓦礫やごみが至る所に散乱し、時にそれが新たな地面となっている
「・・・そういや一度だけ、来た事あったな。大冒険とか言って、確か5人くらいで。」
だが、ここで思い出せる記憶はただただ恐怖と混乱だけが深く刻み込まれた一つのみ。
「初めてノーマルを見たのも、丁度その時だったな。」
大冒険と称し5人か6人程の子供だけで普段の行動圏を外れ、見た事ない場所を探して歩き回った際に辿り着いた場所。しかし、そこで自分達を待っていたのは新天地でも何でもなく、世界を支配する企業達が生み出した、
「結局、あの後生存を確認できたのは私とあともう一人だけだったな。一人が肉片になったのは目の前で見たし、他の奴が銃持った企業の人に捕まったのも見たし。あとの2人か3人は・・・結局どうなったんだろ。」
今でも思い出そうとすればすぐに再生できる。
「・・・誘いを断ってさえいれば、知らずに済んだのかな。」
当時自身が感じた己の感情は全て鮮明に記憶している。巨大兵器ひしめく戦場が日常となった今でこそ巨大兵器に恐怖を感じることはもう有り得ないが、それでも稀に
――追懐。
「・・・あの日から、私がクレイドルを落とすまでたったの4年か。」
4年。それは自分が迷い込んだ先でセレン・ヘイズという元リンクスに何かを見出され、彼女に身元を引き取られたあの日から始まり、戦いの中で人類の絶滅という答えを導き出すまでの期間。それが凡そ4年である。自身の恩人ことセレン曰く、
――14歳。それが遺伝子情報から推測出来る今のお前の年齢だ。だから何が変わるとも無いが。
セレンに拾われて数日、彼女に連れられて来た非常に大きな病院の何処かの病室らしき所で唐突に告げられた自分の年齢と健康状態。いきなり告げられても全く理解出来ない事ではあったが、今改めて自分を俯瞰してみると、齢14にして企業の経済戦争に傭兵として身を投じる準備を始めるというのは普通に頭がイカレているとしか言い様がないとは思う。何せ超銃社会であるキヴォトスですら14歳の少女達はちゃんと中等教育を受けているのだから。
――高等、それと一部大学レベルの学問教育までは私がやる。
――あぁ安心しろ。仮にお前がリンクスになれなかったとしても、私の気紛れでこの道に叩き込んだ責任くらいは取ってやる。
――だから今はただ全力を尽くせば良い。それに一線を退いたとはいえ私もリンクスだ、お前が泣き言を言う暇も余裕もない程度には揉んでやるよ。
病室の余りの白さに衝撃を受けていた自分にそう告げたセレンの表情は、彼女の苛烈で冷徹な性質を存分に反映しながらも、これから家族となる
「まぁそうして研ぎ上げた牙は結果的に全人類に向いた・・・恩を仇で返したんだよなぁ。」
そうしてセレン・ヘイズがゴミ溜めの中から見出した類稀なる可能性は確かに雄大に芽吹き、鮮烈な輝きを伴って咲き誇った。・・・飼い主である筈の企業達すらも、その輝きを恐れる程度には。
その後見事に華開いた一つの可能性は、上空7000mのその更に上、青とダークブルーの境界が魅せる無限に心を奪われ、その極光のあらん限りを人類へと叩きつけた。・・・本来なら救済されるべき、力ある者に
「まぁ終わった事をこれ以上考えても意味ないか。人類はまだまだ残ってるし、私は死んだ。あの世界には戻れそうにも無いし・・・私は私で、この先ちゃんと死ぬまでこういう事を考えては過去を引きずり続けるんだろうなぁ。」
改めてやや曇天、夕暮れ気味の空を見上げて溜息をつく。キヴォトスに流れ着いてからというもの、あの世界に置いてきた未練をどうにも捨て切れていない様に感じる。恐らくこの先、自分という存在が今の様に不可解な生の漂流もなく完全に死ぬまでこういう事を考え続けるのだろう。
「どこまで行っても、人は人でしかないって事なんでしょ。」
凡そ同じ人類でありながら人類種の天敵という矛盾した異名を付けられた存在がしたとは思えない発言。否、殺戮と闘争の極限領域を見続け、とある一方向の一定に辿り着いた者だからこそ気付く事が出来る単純で至極当然な事実。
「あーぁ、折角懐かしい夢の中を歩けるってのに、なぁんでこういう事ばかり頭の中に浮かぶのさ。ったく、懐かしさもくそもありゃしない。」
何の幸運かは知らないが、折角ちゃんと認識する事の出来た望郷の夢。それを人類の殺戮だの己が未練だのといった思考に押し潰されてしまっては望郷の夢の風情も雰囲気も全部滅茶苦茶だ。
「全く、私はいつからこんな未練たらたらな事ばかり言うようになったのやら。はぁ、本当に情けないったら―――」
情けないったらありゃしない。いつまでも未練を引き摺るなどと。セレンが今の自分を見たら普通に説教かいきなり始まる対人訓練でどつき回されるのが容易に想像出来る。・・・が、
それが言い切れなかった。言い切るよりも先に口が真一文字に閉じられた。体が完全に硬直した。
―――誰か居る。
間違いない。誰も居ないと思っていたこの世界に、確実に一つ、それも人の気配がする。
(・・・誰だ?)
凍り付いた思考のまま、突如として背後――都市側に湧いて出た人の気配の位置と特徴を探る。可能なら知人である事を祈りたいが、どうだろうか。
(・・・こちらに気付いている?気付いていない?体の大きさは?呼吸の大きさと感覚は?敵意、殺意の類は?)
濁流の如く流れる警戒心を敢えて抑えず、周囲を威圧する様に気配の正体を探る。気配の正体が知人であるならどれほど良かった事かと言いたい所だが、今自分の背後にいる気配は間違いなく赤の他人から感じる気配のそれだ。
向こうの世界で様々な人と会ってきた自分だが、中には無線や通信でのやり取りしか無かった者もそれなりに居る。ランク16にしてGAグループの企業である有澤重工の社長、有澤隆文を始めに各企業お抱えの依頼仲介人達など、すぐに思い浮かぶ限りでもそれなりに思い出せる。
(・・・体格は小柄。動きも非常に緩慢・・・というよりは座っているのか?)
だがらこそというべきなのか、稀に見る夢の中に顔を知らない人間は出てこない。故に見知らぬ気配が湧いて出た時点でそいつが自分の知らぬ他所のどいつかである事は確定してしまう。
気配の変化から対象が殆ど動いていない事を感じつつも動けないまま1秒、また1秒と過ぎていくが、先に動きを見せたのは向こうだった。
「・・・おや、廃墟と廃棄物だらけという凡そ人が立ち入るとは思えない場所にまさか人が、それも五体満足かつ健康体で居るとは。」
自分が感じた気配の主は、今やっと自分の事を認知したらしい。同時に動くものを見かけ次第即座に襲い掛かる自律型殺戮兵器ではない事も証明された。一先ずは安心と言った所だろうか。幾ら夢の中とは言え、そう何度も死の経験などしたくない。ヘイローを持たない状態では特に。
(そう何度も死ぬとか本当に嫌。だから振り向いた瞬間に銃口が見えるとかやめてくれよ・・・?)
覚悟を決め、ゆっくりと声の方向に身体を振り向かせる。
「夢は睡眠時、脳が記憶整理を行う為に起こる現象。故に夢の中に形成される世界は当人の記憶を再現したものが殆どなのだが・・・ここは私の知り得る限りのどの場所にも当て嵌まらない。」
身長は140cm前後だろうか。言動と声色の静かな低さの割にかなり小柄な体格。時間が止まった様に夢の始まりから動きを見せない薄い夕日を反射する薄卵色の長髪。更にはこの荒み切った場に相応しくない如何にも高級素材を用いて仕立てられたであろう白を基調とし、腕のダボッとした大袖と背中の露出度が高そうな制服。そして最も目を引くのはそのさらさらの長髪、頭部から生えるこれまたふわふわな毛で覆われた狐の物と思われる大きな耳。
――
「・・・っ!!?」
―――
(この、耳・・・)
―――キヴォトスでのみ確認できた、一部生徒に見られる身体的特徴の一つ。
間違いない。今自分の視界で瓦礫の小山に座っているこの少女は、キヴォトスで生きる者だ。更に彼女が来ている制服をよく見れば見る程、白基調の色合いがどう見てもトリニティの制服のそれでしかない。
つい最近の記憶がフラッシュバックする。
――イレーネ。
本当に数日~数週間の話。危うくキヴォトス全土を巻き込む大惨事に発展しかけたとある機械仕掛けの少女と勇者の話。その事の大事に巻き込まれる要因となったミレニアム生徒会長のたった一言の単語。
――・・・は?
あの時と同じ様に、脳の奥がすーっと冷たくなっていく。キヴォトスで生活を送っていくにつれ見慣れた筈の獣耳が、その輪郭を揺らがせて異物の如く目に映る。
(また・・・また誰かに知られた?・・・見られた?)
ここは私が生まれ育ったあの世界?それとも学園都市キヴォトス?夢と現実が入り混じる。まただ、またキヴォトスの人間が私の過去に土足で踏み入ってくる。
何故自らの過去を知られたくないのか、明確な理由は自分の事ながらいまいちはっきりしていない。それでも、自らがキヴォトスの外の人間である事を知られるだけで強い焦燥感が身体の奥底から湧いてくる。
目の前のキヴォトスの住人を殺さねば。
知られた秘密を今すぐ隠匿しなければ。
手元に武器となる物は何もないが、幸いな事に凶器になる鈍器なら幾らでも転がっている。後はもう行動に移すだけだ。
「し・・・ッ!」
思考が今に戻るや否や即座に後ろに飛び、瓦礫とゴミの中から鈍器として使えそうな棒状の金属片を見つけ、右手で強く握ると同時に振り向き、狐耳の少女の頭部目掛けて全力で投擲。
「な―――!!」
少女の頭部を狙い凄まじい回転を伴って投げ出されたそれは、狐耳の少女が咄嗟に頭を下げた事で上半身を屈めた彼女の背中より3~40cm程上を通り抜けてどこかへ消える。
(外した・・・!)
一撃でせめてキヴォトスの人間なら絶対に持っている銃が撃てなくなる程度にはダメージを与えるつもりだったが、完全に当てが外れた。焦る思考のまま、自分は次の鈍器を探す。
「く・・・こんなゴミ塗れの荒野で、折角人を見つけたと思ったのは私の自惚れだった・・・!姿を見るや否や攻撃してくるとは、これでは餓えた獣と同じじゃないか・・・!」
一方で狐耳の少女もまた瓦礫の小山の天辺から大慌てで地面に降り、左太ももに手をやったと思うとすぐに拳銃を抜いてこちらに向ける。
「ヘイローが無い・・・!?ならばせめて、せめて銃声で逃げてくれると良いんだが・・・うっ!?」
狐耳の少女が銃撃をするよりも先に、再び金属片を投擲する。が、彼女は引き金を引くよりも先に身体を横に投げ出す事でこれを回避、命中こそしないものの銃撃の阻止は出来た。
だが、ここで攻勢を止めてしまっては銃撃を一度阻止した意味が無い。今度は瓦礫群からラックと思しきものを引っ張り出し、4隅にある長さ60cmくらいの支柱らしき細い鉄棒を力づくで引っこ抜き、左手に握る。
元より体が強くないのだろう、体勢を何とか立て直した狐耳の少女が拳銃を構えるよりも先に膝を曲げ、飛び掛かる。殴打はストレイドの左腕部に装備した
「人の記憶に土足で踏み入る盗人の分際が、どの口を偉そうにっ。」
偶然であれ故意であれ、人の聖域に土足で踏み入った時点で生かしておく理由など無い。地面を蹴って低く跳ぶ事で彼我の距離数mを一歩で踏み潰し、左手に握った細い鉄棒の射程に少女を捉える。
「しぃッ!」
一閃、右から左へ。
「くぅぅっ!!」
近接兵装を振るう際、ネクストのOSに初期設定として設定されている水平斬りのモーションを寸分違わず再現した一撃。
――そして、追撃のテイクバックを始めるよりも先に銃口がこちらを覗く。
「ヘイローがないとはいえ、これ以上害意を抑えないつもりなら私も引き金を引くぞ・・・!こんな貧弱でも、狙った場所に銃弾を当てる事くらいは出来る・・・」
尻餅をつき、砂の地面に座り込んだ姿勢のまま。しかしその両手にはしっかりと制服の様に白を基調とした拳銃が握られており、引き金に袖越しの指が掛けられている。そして左手に握った鉄棒は振るった時の衝撃で半ば程から捩じ切れてしまい、使い物にならなくなっている。
(警告になんの脅威も感じない。・・・所詮はどこまで行っても、外を知らない温室育ちのお嬢様でしかないって訳ね。)
こちらの攻撃手段が失われ、相手に銃口を向けられているにも関わらず、怒気で茹り切っている筈の思考は殺意で塗り固められ、冷え切っていた。
さて、ここからどうやって目の前の少女を殺害まで持って行こうか。暗く冷え切った思考がするすると滑らかに回り出す。
武器はない、向こうはあるしこちらに武器を向けている。状況は圧倒的不利。
相手の銃器の技量は不明。体の弱さの割に高いかもしれないし、そうでないかもしれない。故に拳銃を奪うべく不意打ちじみた突撃は成功するかどうかが不透明。推奨出来ない。
(彼我の距離は2~3m弱。殴り合いの射程にするには少し距離があるが銃撃戦をするには余りにもインレンジ過ぎる。・・・今の場合だと銃持ってる方が有利か。)
状況を読み取り、この状況から相手の殺害の為の手順と行動の手札を並べ直す。狐耳の少女は気付いていない様だが、彼女の頭上にもヘイローが存在していない。恐らく、自分の夢の世界にヘイローという要素は無いのだろう。自らの故郷に、ヘイローを持った存在が居なかった様に。
(ヘイローが無いのは向こうも同じ。この世界での致命傷を与えれば死ぬ。それこそ銃撃でも。)
そう、キヴォトスの住人たちのこれまた一部、特に生徒に見られる共通の特徴である頭上に浮かぶ光輪。ヘイローと呼ばれる輪が狐耳の少女の頭上にも存在していない。
つまり、銃弾を何発も撃ち込まずとも致命傷を与える事が出来る。致命傷を与える事が出来るなら、そいつは外的要因で血を流して死ぬという事。そして血を流して死ぬのなら――
―――そいつは殺せる存在であるという事。
撃てば殺せる。血を吐くなら殺せる。殺せるのなら、そいつは死ぬ。長年己が身を置いたこの世界での常識。巨大なAFだって、超兵器たるネクストだって、銃弾をぶち込めば火を噴いて死んだ。なら、たかが銃を持った少女一人殺すのなど、造作もない事だ。
――否。
それはこちらが致命傷を与える物――銃器などを持っている場合の話。持っているのなら早撃ちで負ける事などまずあり得ないが、その銃器はナイフ等も含め今どこにも無いではないか。それを確認したではないか。心許無い、と。
―――それこそ否、
右腰に下げたホルスターに。
自分が誰よりも知っているではないか、
突然の事に、迷いはなかった。それを認識した瞬間、自分はほぼ無意識に右手を
「何を――」
未だ銃口をこちらに向ける狐耳の少女が口を開くが、遅い。何かした時点で発砲しなけば、それはもう不意打ちを許容すると言っている様なものだ。
ホルスターに収まった拳銃のグリップを掴み、引き抜くと同時に
――銃声。
「ぁが・・・っ!?」
強化人間故に、衝撃吸収が困難な腕の曲げ方で拳銃を撃っても反動に負ける事はない。戦場での経験故に、ホルスターから抜いてすぐの位置で引き金を引いても狙いを違う事はほぼない。故にこの結果は必然。
「ぐ、ぅうぁっ・・・!?」
座った体勢でこちらに拳銃の銃口を向ける狐耳の少女の左脇腹に、朱が染みる。こちらに向いていた拳銃の銃口が明後日の方向を向く。引き金は引かれない。
「こ、れ・・・は・・・っ!!?」
朱く染まった左脇腹を左手で押さえながら、狐耳の少女は驚愕に目を剥いている。恐らく、キヴォトスの人間である筈の自分をたった一発の銃弾が皮膚を突き破って肉を破壊するとは思いもしなかったのだろう。脇腹の痛みより、その事実に対する衝撃の方が大きそうだ。
(無理もない。何せ自分にはヘイローがあると思い込んでいたんだから。体が強くなくとも、ヘイローがあるだけで一発の拳銃弾程度じゃ血も出ないからね。)
自らの身を守る唯一の可能性であったハンドガンすらも取り落とし、痛みに悶える狐耳の少女に至って平坦な目を向けながら、自分は彼女に向けて歩き出す。
「これが銃の、本来の効力だよ。私含めてヘイローを持つ奴らは常日頃から玩具か食器具の様にやれ5.56だの9mmだのを撃ちまくってるけどな、ここじゃあ銃を撃つって事は人を殺す事と同義なんだよ。」
彼我の距離ほぼ0mまで近寄り、彼女が取り落としたハンドガンを左手で拾い上げる。推定トリニティのお嬢様が持っている銃だから見栄え重視で手入れなど最低限かと思っていたが、手に取ってみると以外にもグリップが手に吸い付き、引き金も引き易いなどのカスタムと手入れが丁寧に施されている事が分かる。
「ほら、銃は返してやるから私に撃ってみてよ。腕も碌に上げられなさそうなその状態でさ。引き金を引くだけなら素人でも出来るんだよ。」
グリップ底部にマガジンが無い辺り本当に旧世代の装填方式を用いた銃らしいが、正直そんな事はどうでも良い。骨董品だろうが最新鋭だろうがそれで人を殺せるならそれはもう十分な力だ。力であるか否かを前に性能だとかの話は風前の塵程の価値すらありはしない。
拾い上げた彼女のハンドガンを足元に放り、しゃがみ込んで急所を晒す様に彼女の顔を覗き込む。だが、やはりと言うべきか体を貫く激痛に呻く狐耳の少女は震えるばかりで動く気配がない。
(・・・一発の銃弾で重症を負った事が、そんなに衝撃?身近って訳じゃないでしょうけど、先生っていう分かり易い例が居るでしょうに。)
「うぅ・・・っく、はぁ、はぁ・・・はぁっ・・・!っくぅ・・・」
自分の記憶に土足で踏み入った以上もう生かして返すつもりなど微塵も無いが、ここまで反応に薄いと流石に呆れの感情が表に出てくる。
「まぁ良いよ。好きに呻けばいい。」
「がっ!・・・っくぁぁ・・・!」
おもむろに立ち上がり、未だ脇腹を抑えて呻く狐耳の少女の左側頭部に蹴りを叩き込んで横倒しにする。勿論抵抗などある筈も無い。体重か軽い事も相まってかあっさりとその体躯が砂とゴミが入り混じった地面に横たわる。
「なんであれ、私の記憶の中に許可も無く土足で踏み入った咎は受けて貰う。」
横倒しにされて尚左脇腹を抑えようとする狐耳の少女の左肩を踏みつけて上半身を仰向けに倒し、右手に握ったままの拳銃の銃口をその額に数cm空けて突き付ける。
「の、覗いてはいけないものを・・・二度に渡って、見てしまったのか・・・!私は――」
引き金を引く。盗人風情に命乞いや遺言をさせる暇なぞ与えない。銃声と共に朱がぱっと舞い、狐耳の少女がかっと目を見開くと同時に痙攣を残して動かなくなる。
「・・・赤の他人とは言え、人が死ぬ様を直に見ても何も感じないとはね。これでも携行出来る武器で人を殺した事は殆ど無いつもりだったんだけど。」
人の死に様を直に見ても何も感じなくなっている事に、自分が少しづつ人間そのものから乖離していくのを感じる気がする。目の前で死体と化した狐耳の少女の姿を見て、ふと口にそれを零す。
「私そんなに人とずれてるかなぁ。こんなんでも生物学上は一応人間の筈なんだけど・・・」
妙な感覚に違和感を感じる事数秒、夢のせいか大量の血痕を残して彼女の小さな体躯が初めから居なかったかの様に消えて無くなるのを見届け、ゆっくりと立ち上がる。
「・・・夜。」
おもむろに見渡した空は、動く事のなかった筈の太陽が地平線に沈み始めていて、辺りに夜の静寂が訪れ始めている。
「あー、夢の終わりっていうか、現実の朝が近いのか。」
暗くなり始めた空を見て夢の終わりを察し、ほぼ無意識に最低限風を避けれそうな瓦礫を探し始める。生まれた時からの習性で、キヴォトスで生活する今でも無意識的にそういった所を探してしまう消えない癖。
「全っ然眠くないけど・・・まぁ、おやすみ。」
いい感じの風除けになりそうな瓦礫の傍に身を仰向けに横たわらせ、目を閉じる。今のところ眠気など欠片も感じていないが、このまま眠れると一切の根拠も無しにそう感じた。
(あー、結局都市部に行く前に終わっちゃったかぁ。でももうなんか動く気力が無くなっちゃったし、また次の機会にするかなぁ。)
己の直感に従い、目を開けずに取り留めも無い事を考えては夢の終わりを待つ。恐らく無理にでも起き上がればまだ続きそうではあるが、先程の闖入者のせいで興が削がれた気がしてもう動きたくない。
(また・・・つぎ・・・の、きか・・・い・・・に・・・)
ある一瞬を起点に麻酔の如く爆発的に膨れ上がった眠気を前に、何の抵抗も出来ないまま意識をそこに落としていく。
今日も騒がしいキヴォトスの空の下。時刻は午前10時54分。天気は快晴。
「ぅぐぉ・・・あたまがおもい・・・」
標根イサネの寝起きは最悪だった。
捕捉
第3話にてノアがイサネのヘイローについて形まで言及する発言をしたと思うのですが、大分前に公式の発表で「生徒はヘイローの存在こそ認知できるが、形までは認識できない」という設定がお出しされた為、結構悩んだのですが本作でもヘイローについては公式の設定を用いようと思います。3話あたりのヘイローに関する言及は改案が思い付き次第修正を入れるつもりですが、ワンチャン忘れちゃう可能性もあるのでそこはご容赦頂けると幸いです。