猫獣人のアーニャが工人界で感動したのは、ベッドの素晴らしさだった。
柔らかく、暖かく、されど汗ばむことはない。起きるための目覚ましはアラームではなく、
「…。…!………おおっ」
出稼ぎに来たカーシャもその恩恵に授かった。
驚くべきは、それを数ヶ月も経っていない超人、しかも獣人の血を引く己に適用させる技術力だ。身体も、肉も骨も耳の配置も異なる存在に道具を適切に反映させる汎用性。数を高めた工人ならではの特技は変人が多い魔人も認めるほどだった。
獣人は自他共に粗野な者が多い。最大の土地を誇る獣人界はその余りの広さに常に何処かしらでダンジョンから魔物が溢れ続けている、常時戦在の修羅界である。未だ世界一周を成し遂げられない雄大さは野外の魔物が土地に根付いて繁殖しまうほどに懐の広い世界は、獣人を魔物の生態と文化に近づけるには十分であった。
獣人は奪わない。有り余る資源は遠征で得られるから。
獣人は秘匿しない。明日の自分に口があると信じられないから。
獣人は躊躇わない。暴力を知らない弱者は虫にすら啄まれる故に。
力を是とする獣人は、だからこそ善意を主軸とした粗忽者だった。
「うみゃっ!」
寝つきも寝起きも素早いのが獣人である。本能は兎も角、アーシャの肉体は獣人に近い形質だった。覚醒した頭は抑えていた代謝を促進して五十を超えた体温まで引き戻す。ばさりとシーツごと身を翻した身体は滑らかに三回転を加えて床に着地した。
「夜勤担当にどつかれなくて起きれるのは新鮮だにゃ」
慈悲のある連中は怪我人から適当に採取した血を飲ませて覚醒させるが、大体は皆疲れているため雑に手のひらを爪で刺し貫く。雑な再生能力は獣人の十八番だった。
鼻歌を歌ってアーシャは身につけていた肌着を脱ぎ捨てて浴室へ入った。火に耐性のあるアーシャの身だしなみは百度近い熱湯を浴びることで始まる。少なくとも七十を超えないと腕毛に絡みついた皮脂が溶けないのだ。
肘から先に生える毛筋に這わせてたわし(正式名称は忘れたがそんな名前だったはず)をシャンプーと混ぜ合わせてがじゅがしゅと擦る。ボコボコと沸騰する泡が溢れるのは工人製故だろうか。毛並みがサラサラになるのは嬉しいが、時折雑な運用を推し進めるのは彼らの欠点だとアーシャは常々思っていた。
抱かれる機会もあるまいとちゃっちゃと全身を洗い流し、バスタオルに身を包めて軽く気を発する。獣人固有の技能である生体エネルギーの操作は超人パワーや森人の魔力に劣るものの肉体の影響力に関して万能である。体表の水滴がバスタオルへと弾け飛ばされ、あっという間に乾燥が完了した。
「ごっはんご飯ー!」
「おヤ?」
「おー。…」
「オハにゃアラクにミシシ!今日のごばっ」
お気に入りの怪獣ラバン皮の短パンを下着ごと身につけたアーニャがルームキーを持って部屋を出た矢先に受けたのは友人のアラクメカから放たれたラリアットだった。獣人的には『お前一度家に帰って鏡見た方がいいぞ』的なニュアンスで出される
「すみませんネ。センシティブだったノデ」
「い、いえ。よくわかりませんが、必要であるのであれば私としては別に」
魔人であるアラクメカは荷物持ちとして付いていた
そばにいたモデル体型の魚人、ミシシッピは首の付け根から耳裏まで伸びるエラを引っ張った。魚人の口は陸上用のサブ呼吸器としての役割が強く、会話の際はエラを使う必要がある。
「う・わ・ぎ」
「………。……にゃっ」
毛皮に覆われているとはいえ上半身を丸出しにしていたアーニャは慌てて紙袋に包まれた工人製のセーターを取り出した。
➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖
工人界にてアーニャ達などの他世界の住民は世界中の要所へ固められていた。工人にとって彼らが体内に抱える過多な神秘は死人が出かねないための措置である。世界同士が接触すると幾つか免疫反応のような事象が発生し、他世界に侵入した動植物が死滅する現象は多数発見されている。他世界人も接続して一年未満の世界に他航するには不安定だと互いに了承した結果、交流地区としてダンジョンの最前線近くに居住区が作られた。
宗教や人種が絡む柵が少ない日本は早い段階で人工島『デジマアラタメ』を建設した。廃棄されたダンジョン付近の敷地を買取り、ダンジョン攻略者に他世界への交易、つまりは利権を与えることで下地を整えたのだ。デジマアラタメで働くダンジョン攻略者、通称ホルダーは、万一の肉盾及び他世界住民への治験隊であった。
特に誰も気にしない公然の秘密である。命を賭けてダンジョンを踏破する人間には無用のリスクである。中には検疫検査が完全に完了してないのにも関わらず獣人を逆ナンする猛者もいる。大小あれ、本腰を入れてダンジョンに身を置くものは全員が命知らずであった。
「工人の掟を忘れてたにゃ。二人とも迷惑かけてごめんにゃ」
「ブラくらいは着けなさいよ。取り放題なくらい提供されたでしょう?」
「起きたらバラバラになってたにゃ」
「アーニャさんの体温と毛皮デハ布の耐久ガ不足していたヨウですね」
アーニャ、アラクメカ、ミシシッピは今回の工人遠征にて知り合った間柄である。互いに職の違いはあれど、競合することのない分野のため諍いは余りない。血が滴るレバー肉を齧り付きながら、アーニャはいつものよう世間話の口火を切った。
「アラク。こっちに
「流通貨幣ヲ使用すれバ口が滑るト思いますガ。今のトコロ検疫所で差し止めされてマス。工人の耐久ガ不明瞭ナ以上、食中毒モ有り得ますノデ」
「生肉は飽きたにゃ」
獣人の食事は工人に比べると栄養やカロリーが不足していた。ダンジョンから這い出る魔物は敵に
要は、獣人食に慣れたアーニャの舌は工人の美食に満足していなかった。
「獣人は大食漢で大変ねぇ」
「あたいにはミシシの食の方が恐ろしいにゃ」
アーニャは真横にあるミシシのトレイを自身のそれと比較する。生レバー一キロに人参・玉葱・香辛料のすり身。蒸したジャガイモにたっぷりとマーガリンを混ぜ合わせたそれなりに美味い料理。工人としてはカロリー爆弾として見えるであろう
「…その量は本当に適切なのかにゃ?せめて魚一匹は食べるべきなのでは」
「コレでも
他の世界と比較しても犯罪件数の少なさが随一である魚人界の住民は非常に理性的である。ちょっと理性的過ぎて大半が引くほど潔さと割り切りが凄まじい。ある種のノブレスオブリージュと言うべきか、あるいは名誉のために死を選ぶ連中が大多数と称すべきか、仕事と家庭に命を懸ける人間が常なのだ。
「
「浄化職ヲ本業にスレば調達サセテ頂きまスガ」
「だあらっしゃい!」
そこで感情的になるから失敗するのではないかとアーニャは思ったが、口には出さなかった。木を登る者に高さは伝えず。リスクを承知の上で足掻くものに口出しするのは被害者だけであるべきなのだ。
「アラクは儲かってるかにゃ?」
「ジツは結構食費ノ割合を高めてマス」
「確かに、最近はガッツリ食べてるのを見るわね」
ミシシッピの副業(と本人は主張する)であるダンジョンホルダー界もそこそこの人数が物好きな魔人として工人界に赴いている。すれ違う彼らは皆一様に飲み会の話をしていた。どうやら『ガソリンスタンド』という魔人専用のドリンクバーがあるらしい。彼女もダンジョン近くの店で少なくない魔人がたむろしている光景をよく見ていた。
「コノ世界の食事ハ素晴らしい。
アラクメカは子持ちの女商人である。六本の腕と伽藍堂に見える半透明な外部骨が特徴的な彼女はその金属腕で腕の数だけ子を産み育てた女傑で、工人の尺度で語れば二桁の子を産んだバリキャリだった。
「工人界ハ魔人の美食地とシテ人気になりそうデス」
「にゃ。石の味は鳥に聞かないと分からないのが残念にゃ」
「ナラ、代わりにダンジョンの様子ヲ教えてください。
ダンジョンはしばしば
成長、衰退、掃溜、食事。様々な
「工人は
「にゃにゃ。
「獣人にそこら辺の機微を求めるのは酷よー。脊髄反射で答えちゃうもの。やっぱり音楽に精通しているワタシ!みたいのに頼まないと!」
「ガハハ!ちげえねぇ!」
近くにいたライオン頭とトラ頭の男達がビール片手に豪快に笑った。そのトレイには大量のハンバーガーが積み立てられていた。彼らは側にいる工人に肩を組み合い、歯を剥き出しにして写真を受け入れた。工人は礼と共に写真代としてハンバーガーをトレイに積み上げ、それらは近くの獣人達によって消化されていた。
「だが姐さん!一応
「楽器は壊れるからな!ムハハ!アカペラ万歳!」
「そうにゃそうにゃ!にゃーだって歌くらいあるにゃ!!」
だだん!
椅子から跳躍したアーニャは一回転して椅子二つを足場に指を高く天に差した。何をするかを察した獣人達が手持ちの防具と足踏みで八拍子を鳴らし始めた。獣人の歌は八拍子を基本として作られる。アーニャが歌うのは、己の一族で歌われるいわゆる村歌だった。
「載せて熨せるは 屍肉の脂」
「我ら超人 死体は肉よ」
「落とした贅肉 心で食せ」
「ダンベル 肉塊 拾うは道義」
「情が無くとも 我らは載せる」
「誰が我らを 回収したか」
「酒場で 高らか 笑い話 ──っと」
ハキハキと、高らかに歌い上げたそれは確かに上手いと評価できる歌だった。獣人達の拍手に気分を良くしたアーニャは、ハンバーガーを片手にミシシッピにドヤ顔をした。
「どうにゃ!」
「「「「グロい(色々な語尾)」」」」
「──酷いにゃ!工人なら受け入れると思ったのに!」
獣人は食事場に長居しないのがマナーである。アーニャは涙目で席を立った。決して一族の歌が引かれたのにショックを受けたからではない。多分。そのまま食堂を出た彼女を見送ったアラクメカは、想定外だとミシシッピを見た。
「今までヲ考えれバ、異変ハ発生してないとおかしいノデスガ…」
「…まあね。普段ならワタシも駆り出されるし」
ミシシッピの副業は浄化職である。ダンジョンの魔物を駆逐する際に付着した
その彼女が、アーニャの態度に追従するように肩をすくめた。
「ないのよ、異変が。
「………」
アラクメカは眉を顰めて第二左椀に取り付けている通信機器で生配信を開いた。ブックマークから開くのは失踪が常の超人界の現人神を映すだけの公式配信。半年の期間、彼は全く工人界の日本国から離れることはなかった。
『グロロー 砕けた腰で 歩みを 終える理由には ならんぞ?』
『オウ!!工人流の極みを超えてヤラァ!!』
超人界のトップが只管に指導を餌に世界中の工人を鍛え上げている。
気まぐれにしか見えない光景に、何故かアラクメカの額から汗が流れた。
デジマアラタメ
工人界日本帝国の異界人受け皿として開発中の人工島。ダンジョン適性者しか入れない島は日本で一番のファンタジー箇所として観光名所として人気となっている。近場にクソゲーダンジョンが複数あることで有名。