都市の喧騒から離れた郊外に、その施設はひっそりと佇んでいた。
表向きは「緩和ケアセンター」。しかし、そこを訪れる者の多くは、もはや延命ではなく「終わり」を求めている人々だった。
白い外壁とガラス張りのエントランス。庭には季節ごとの花が植えられ、整えられた小径の先には小さな池が広がっている。外から見れば穏やかで、希望に満ちた療養施設のように映るだろう。けれどもその実態は、安楽死という名の“最期の選択”を受け入れる場所であった。
運営は寄付によって支えられている。志願者本人や家族からの金銭、そして匿名の大口寄付者たち。誰が、どんな思惑でこの場所を維持しているのか、その全貌を知る者は少ない。だが一つだけ確かなのは、ここに足を踏み入れる者は皆、疲れ切り、追い詰められ、それでも静かな眠りを望んでやって来る、ということだった。
──人は、なぜ生を諦め、死を選ぶのか。
社会の片隅に押しやられた者たちが集うこの施設は、その問いに対する一つの答えを示しているように思えた。
夏の陽射しが照りつける正午、大学生の中沢悟は、施設の門の前に立っていた。
汗を拭うこともせず、ただじっと白い建物を見上げる。胸の奥が重く、喉の奥には言葉にならない苦味が溜まっていた。
――本当に、ここでいいのか。
彼は何度も自分に問いかけた。けれど答えはいつも同じ場所に戻ってくる。
就職活動。数え切れないほどのエントリー、面接、そして不採用通知。スマートフォンに届くたび、鼓動が早まり、やがて何も感じなくなるほど麻痺していった。
友人の多くは内定を得ていた。家族も心配して声をかけてくれる。だが、その優しさが逆に悟を追い詰めた。
「大丈夫だよ」「頑張ればきっと報われる」――その言葉が、まるで自分の不甲斐なさを突きつける刃のように感じられたのだ。
生きる意味を見失ったとき、彼の目に入ったのがインターネットの掲示板に書かれた一つの情報だった。
《緩和ケアセンター――ただし本当は、静かに逝ける場所》
半信半疑だった。だが、妙に丁寧に作られた公式サイトと、そこに寄せられた匿名の体験談が、彼の心を掴んだ。
「ここなら、孤独に死ぬ必要はない」
そう書かれた言葉に、悟は小さく息を吐いた。
門をくぐると、受付へと続く広いロビーが広がっていた。冷房の効いた空気と、ほのかに漂うラベンダーの香り。落ち着いた色調の家具に、静かなピアノの音楽。まるで高級ホテルのような空間が広がっている。
受付カウンターの奥から、中年の女性職員が柔らかい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「中沢悟さんですね。お待ちしておりました」
その声に悟は一瞬たじろぎながらも、深く頭を下げた。
案内される廊下を歩く。窓の外には、庭園の緑が目に映る。だがその美しさは、悟の心にはほとんど届かない。ただ「これが自分の最期の景色になるのだろうか」という冷めた感覚が胸を満たすだけだった。
個室に通されると、シンプルなベッドと机、窓辺には一人掛けのソファ。清潔感にあふれたその部屋は、奇妙なほど居心地が良かった。
「こちらが、今日からお使いいただくお部屋です」
職員がそう告げ、部屋を出て行った後、悟はベッドの縁に腰を下ろした。
静寂が降りる。
耳に残るのは、遠くで聞こえる風鈴のような音だけ。
悟は両手で顔を覆い、深く息を吐いた。
これでいいのか。本当にいいのか。
――けれど、もう戻る場所はない。
窓の外で揺れる木々を眺めながら、悟は胸の奥の空洞を持て余していた。