オールマイトのようだな
それが俊典の印象だった。
何もかも同じとは言わない。オールマイトは巌のような人物だ。
俊典は素朴で、暖かみがある。それでも──近い。何かしらが近いような気がした。
歳上の男性の安心感に英雄の幻像をかさねているだけかもしれない。しかし共通点が多いのも事実だった。
髪の色や背格好。そして何よりも目が似ていた。それは暗がりの奥を照らしだす、船を導くための灯台にも似て、見ているものに力を与えてくれるのだ。
誰もがそうであるように萌胡はオールマイトにふたつの姿があることを知っている。
大きくても小さくても、英雄はどちらも偉大だった。
萌胡は空想する。オールマイトも日常では、意外とあんなふうなのだろうか。日常の英雄はあんなふうにかわいらしいものだろうか。
仮にそうだとしても、英雄に失望はしない。
支えてあげたいと思うだろう。
英雄は萌胡を助けてくれた。
それなら誰が英雄を支えてくれるのだろうか。
助けるのではない。支えるのである。
日常の中の英雄を。
海浜祭──とその祭は呼ばれている。数年前からで歴史もないビジネス・チックな祭。特に若者に人気の祭である。
その砂浜がデート・スポットになったのはいつからだろうか。
テレビは紹介する。海浜公園は以前はゴミだらけの砂浜だった。それがいつの間にかまるで景色を取りかえたようにきれいになっていたのだと。
誰かの善意だ。奇跡だ。と真相を知らずに人々は言う。
オールマイトと弟子だけがその意味を知っている。それはすべてのはじまりの場所。そこに今ではたのしげな人々が集まっていた。
「八木さん」
その声に俊典は待ちあわせの場所で振りむいた。
「珠葦さん」
「どうですか?」
と萌胡は片手をひろげた。浴衣の袖が宙に舞った。緑の浴衣は派手な印象がなく、それが彼女らしいと思った。
「おきれいですよ」
こう言うときに口下手なのが俊典である。そんなことは一年のつきあいで理解しているので、萌胡はクスクスと袖で口元を隠すしかなかった。
「それでは」
「はい」
「行きますか」
祭の光に向かってゆく。犬たちを連れないで会うのはこれがはじめてのことだった。
ドッグ・カフェに行ってから、萌胡は俊典を様々な場所に連れていった。どれも犬を連れていけるところで、俊典にはありがたいことだった。自分の生活の華のなさに彼は自覚的だった。
だからこそ──緊張する。今はツィーゲがいない。ふたりだけだ。
男女の仲ではない。しかし萌胡が祭に行こうと誘ってくれたことの意味を俊典はどうしても考えざるを得なかった。
さぐりさぐり。それが俊典の心境だった。
「ダイナマイトだ」
さなかに萌胡は御面屋の傍で立ちどまった。
大爆殺神の面がいくつも並んでいる。華やかで人気のヒーローなのに、教育番組にだけは出ないと有名だ。
「ダイナマイトのファンだったとは」
意外な一面に俊典がおどろいた。
知りあいがダイナマイトのファンなのは……なんだかいやだな。と本人に失礼ながらも俊典は思った。
「ファンと言うか……かわいらしいですよね、ダイナマイトって」
「かわいらしい?」
「がんばっているところが」
「なるほど……そうかもね」
「あれはマウントレディ」
「傷まであるのか」
「あの顔の傷が良いってファンも多いらしいですよ」
「エンデヴァーの面もある」
「八木さんはエンデヴァーが?」
「そうだね……今はエンデヴァーのファンかもしれないな」
「おかしな人。引退しているのに」
「むしろ引退したからこそ、よさが分かってきたんだよ」
「なるほど……そう言うこともあるのかも」
こうしてヒーローの面を見ていると昔のことを思いだす。面だけではない。ほかの店にもヒーローのグッズが揃っている。
無重力綿菓子。もぎもぎスーパーボール。アンブレイカブル・アップル・キャンディ。
華やかな若者のヒーローたち。頻繁に連絡を取らなくても元生徒たちが世の中を守っていることは知っている。
──そのときだ。
捕まえて!
そんな声が周囲に響きわたった。ふたりがそちらを振りむくと覆面の男が走っていた。
鞄を持っている。おそらく引ったくりだろうか。こんなところでよくやるものだ。
俊典は動かない。それは彼らしくないことだった。しかし彼はすでにヒーローではないのだ。その仕事は別の誰かに譲るべきだった。
「大丈夫」
俊典は萌胡を安心させるように言う。
「彼等が来た」
その一刹那! 一陣の風が人々のあいだを通りすぎた。韋駄天の速度。それは瞬くうちに引ったくりに迫りきり、彼の足へ自分の足をこづくように引っかける。
「みなさん! 安心してください!」
そのヒーローは周囲に声をかける。人々に落ちつきを取りもどさせるためだろう。
委員長のころと変わらないな。と俊典は誇らしくなった。
インゲニウムの誠実な声が容易に人々を平静にする。すぐに警備の巡回が駆けつけてきて、犯人は護送されてゆくのだった。
インゲニウムがファンに囲まれているのを俊典たちは眺めていた。落ちつかせたはずなのに人々がさらに喧しくなる。
インゲニウムは前代と同じく、人々に人気の誠実なヒーローである。わるいけれども彼の目がこちらに向かないのは好都合でもあった。
「人気だね」
「はい」
と萌胡が返事をする。それから俊典は彼女がインゲニウムではなく、自分を眺めていることに気がつかされる。両眉を眇めたその表情には、繊細な愁いが浮かんでいた。
「刺激が強かったかな。無理もない、別の場所へ……」
「ちがうんです。八木さんがなんだか……寂しそうだったから」
俊典はウィーク・ポイントを突かれたような気がした。
その感傷は過去の追走だ。俊典は無自覚に人々に囲まれているインゲニウムにオールマイトをかさねていたのだ。
ファンの熱狂。サインの手はいつまでも止まることがない。俊典はそれが眩しかったのだと今に自覚した。
「ちょっと! 速すぎるって!」
それから背後で女性の声がした。どうやら走ってきているらしく、その声にはうわずりがあった。
俊典は反射的に振りかえる。どうして振りかえってしまったのだろうか。そうしなければ──遅れてきたピンキーと目が合うこともなかったはずである。
「あっ」
「あっ」
俊典とピンキーが素頓狂な声を漏らした。
「オール──」
「八木!」
「──さん!」
ごまかせたのだろうか。隣の萌胡は小首を傾げるだけだった。
一般人たちとヒーローたちは祭を離れ、人がまばらなところに移動していた。
「こんなところで会うとはね」
俊典が自販機で四本のコーラを買う。自販機の底がコロンコロンと鳴った。
「これだけ人が多いと巡回のヒーローも多いですよ」
と仮面を脱いだインゲニウムがコーラを受けとり、ピンキーと萌胡もそれと同じようにした。
「八木さんは?」
「……エーー……」
「デートでしょ!」
ピンキーの言葉は彼女の酸のように強烈である。
「デートと言うか、なんと言うか」
「デートですよ」
「珠葦さん!?」
「ほら!」
萌胡が微笑する。その表情は俊典に比べると余裕があった。
恋愛ごとに対するピンキーの姿勢は昔と変わらない。彼女は俊典の意外な色恋沙汰に津々である。
「かなりの差だよね!?」
「二十とすこしはありますね」
「歳の差!」
「こらこら……からかうんじゃないよ」
「八木さんはヒーローの知りあいが多いんですか?」
「うっ」
「一年も合ってきたのに言わなかったですよね?」
それは当然の質問と言えた。もちろん仲がよさそうなのもあるけれども、ヒーローたちの視線には俊典への敬いがあった。一般人の彼を目上に見ているヒーローの姿はあきらかに不自然と言えた。
そんな萌胡の態度にインゲニウムは俊典が正体を露見させていないことを理解する。
「八木さんは雄英の職員だったことがありまして」
「教職ですか?」
「事務のほうですよ。雄英は生徒も何かと書類が大変で」
「……ふーーーーん」
インゲニウムのフォローはすばらしかった。しかし、あきらかに萌胡は納得していないように見えた。流れが不自然なので当たりまえである。
「珠葦さんだっけ?」
「はい」
「ふたりで話そっか!」
「はい?」
そんな流れをピンキーが断ちきった。俊典に気を使ったのだろうか。おそらく彼のあれこれを聞きだしたいだけなのだろう。
萌胡はズルズルと引っぱられるようにピンキーに連れられてどこかに行ってしまった。
「誘拐?」
「あとで注意しておきますよ」
とインゲニウムは苦笑するしかなかった。
「戻りました」
萌胡が戻ってくるころにはインゲニウムは巡回の仕事に戻っていた。
「あることないこと聞かれたんじゃないかな」
「いえいえ。すこし女同士で話したかったらしいですよ」
「本当?」
「本当ですってば」
遠くのほうで祭の光がほのあかるい。その只中にいないと言うのに、気分は不思議と穏やかだった。こうしてみると光の中心にいないのもわるくなかった。
静かだった。昔のことを忘れてしまうほどに。
「八木さん。手を繋ぎませんか」
その急な提案に俊典は目を丸くした。萌胡が頬を赤らめながらも彼に手を差しだしてきた。
その意図を無碍にするほど、俊典も鈍感ではなかった。
「はい」
と俊典は言った。
日本の祭などいつぶりだろうか。
もちろん仕事の一環でイベントに呼ばれたことはある。しかし、こんなふうに誰かと肩を並べるのは──あるいは子供のころが最後だったのかもしれない。
俊典は母に
萌胡と屋台を巡るのは、つきなみにたのしかった。
たのしかった
子供のような感想だった。
しかし平和とは。一般的なよろこびとはこんなものではないだろうか。
「トウモロコシですよ!」
「うれしそうだね。好物かな」
「東北の産まれですからね、言ってませんでしたっけ?」
「食べようか」
「はい!」
悪を倒しもしない、誰かを助けもしない。
目の前の素朴なよろこびを噛みしめるように俊典は祭を巡っていた。
「あっ」
「やぶれましたね」
「おかしいな……金魚ってこんなにも捕まえられなかったかな」
「こうするんですよ、手を貸してください」
惹かれているのだと思う。
何に? ──容姿も性格も良いヒーローやファンはいくらでもいた。告白されたのも一度や二度ではなかった。それを身内が弱点になることを口実にすげなくしてきた。
「どうしたんですか?」
「いや……おいしい? 林檎飴」
「はい! すみません。子供っぽいですよね」
「わたしも好きだよ。アップルパイとか」
憧れなのかもしれない。
自分のために人生を使いなさい
リカバリーガールの言葉を思いだす。
そうではないのだ。
俊典は自分の人生を生きてきた。
悪を打ちのめすのも、誰かを助けるのも。
自分がやりたいからやったことだ。
わたしには役割がないから
無個性の自分だけが役割を持たない。
人の役に立つとうれしい
生きていても、良いと思える。
俊典は弟子と性格が似ていることを理解していた。自分たちは肯定感が低いから。そんなところまでふたりは似ていた。
俗的に言えば──俊典は自分のメサイア・コンプレックスに自覚的であった。しかし、それだけではない。彼は本当に救世主でもあったのだ。
個性を持っていない、産まれながらの救世主。
なのに個性を手にしたときから、俊典は正義の御旗として、完璧に振るまうことができた。
その虚像が自分の人生を蝕むことも知らずに。
今がこんなにもたのしいのは、萌胡といるのがこんなにもうれしいのは、それがあまりに普通の日常だからなのかもしれない。
無自覚な願望。常人が英雄に憧れるように、俊典も普通の人生に憧れていたのだ。彼は今さらのようにそれを知ることができた。
それを露出させることができたのは、萌胡がヒーローでもなんでもない、普通の女性であるからにほかならなかった。
イカレてるね
師匠はそんなふうに言った。
イカレてるよ
当時は理解できなかった。自分を犠牲にすることが当たりまえだと思っていた。自分を犠牲にすることが自分を創造するのだと信じていた。
それをまちがいだとは思わない。俊典はそれまでのおこないを信じている。
誰かの役に立つことはすばらしい。
「たのしいな」
「……」
「ありがとう」
それでもこれからは。
「はい」
悪を倒さない、誰も助けない。
そんな人生をあゆんでも許されるのだろうか。
──自分の人生を。
「遊んだね……」
「はい」
つかれたけれども、不快な気分ではない。むしろ爽快ですらあった。
祭のはずれでふたりはベンチに座っていた。靴の中の砂を落としてから、祭の土産をさぐりはじめる。
「シメですね」
「ビールも買っておくべきだったかな」
「飲むんですか?」
「すこしはね。已めていたけど、飲みはじめたんだ」
「祭のビールは高いんですよ、三百五十ミリで五百円なんですから。そのうち飲みましょうよ、行きつけの店がありますから」
ふたりはタコヤキを分けあった。
どこかで花火のアナウンスが響いていた。
「あり──」
「駄目ですよ」
と萌胡は俊典の言葉を遮った。
「八木さんはいつもありがとうを言いますよね」
「何を……」
「そんなふうに世の中に思っていたんですか」
萌胡が俊典と目を合わせた。
「オールマイトですよね?」
静寂が広がる。そのさなかに一筋の光が打ちあがる。道を示すような光の筋。それはもがくように蛇行しながらも空へ進んでいった。
「ありがとう。わたしを助けてくれて」
発光。轟音。歓声。
「ありがとう。オールマイト」