略敬 鱗滝左近次殿
鬼殺の剣士になりたいという少年を、そちらに向かわせました。丸腰で私に挑んでくる度胸と、頭突きで日輪刀をへし折り、私を失神させるだけの力があります。
本当です。
私が夢や幻を見たわけでも、気が触れたわけでもありません。彼は呼吸も使わずに私の動きを見切り、斬撃を耐え、私に一撃浴びせました。
彼は才能の原石です。是非貴方の手で鍛えて頂きたいと思っています。彼は必ず鬼殺隊の重要な戦力となります。今は不在の水柱となるのにも、そう時間はかからないでしょう。
次に彼の家族についてですが、全員が強力な術を使う鬼に変貌しています。しかし人間を襲う事は無いと判断致しました。
理由は分かりませんが、彼らは鬼舞辻の支配を脱しているようなのです。きちんと理性があり、飢餓状態であるにも関わらず、怒り狂った件の少年から私を庇ってくれました。
はい、私から少年を庇ったのでは無く、少年から私を庇ってくれました。
あの家族には、何か他とは違うものを感じます。本当に。
手前勝手な頼みとは承知しておりますが何卒ご容赦を。ご自愛専一にて精励くださいますよう、お願い申し上げます。
匆々 冨岡義勇
◇
『その巨躯、お前が義勇の紹介で間違いないな?』
『はい!竈門炭治郎と言います!!』
家族の眠る山小屋を担いで、狭霧山へとやってきた炭治郎は、天狗面の男と出会う。
彼の名は鱗滝左近次。
鬼殺隊の隊員の育成を担う『育手』の一人であり、かつては水柱に位列された程の熟練剣士である。
天狗面の奥に光る彼の双眸に気圧されながらも、山小屋を下ろした炭治郎は自己紹介に移る。
『えっと、家族を紹介しますね。母の葵枝に、弟の竹雄、茂、六太!妹の禰豆子と花子...』
『炭治郎。家族が人を食った時、お前はどうする?』
『え』
突然突きつけられた究極の選択に、炭治郎の思考は止まる。
『判断が遅い!』
次の瞬間、(身長の都合で)その場に跳躍した鱗滝は炭治郎の頬に裏拳を放っていた。
『うわあ!?』
『!?...なるほど。』
しかし、鱗滝の動きを完全に見切っていた炭治郎は、その巨体をバク転させて攻撃を回避して見せたのだ。
その動体視力と身のこなしに、鱗滝は愛弟子からの手紙が真実であることを悟る。
『ちょっと!いきなり何するんですか!?』
一方炭治郎の方は割と真っ当な抗議を口にしていた。しかしそんな事はお構いなしに、鱗滝の話は続く。
『なるほど。動きの速さは問題ないようだ。しかしそれだけではいずれ限界が来る。』
鱗滝は鼻がいい。
彼は一嗅ぎで炭治郎の優しさと甘さを見抜き、危惧していた。
鬼にすら同情するその思いやりの心は、いずれ彼の足を引き、死の沼へと引きずり込んでしまうのではないかと。
『もう一度聞こう。家族が人を食った時、お前はどうする?』
『それはっ...』
『判断が遅いと言っている!!』
放たれた右の回し蹴りに炭治郎は回避の姿勢をとる。だがそれは鱗滝とて想定内。身体を捻って二撃目の蹴りを繰り出していた。
『ふんっ!!』
炭治郎の顔面を捉えたはずの鱗滝の左足。しかしいつまで経っても手応えは返ってこない。
それもそのはず。炭治郎の肉体は霞のように霧散していたのだ。
『...残像か。』
『やめてください!危ないじゃないですか!?』
いつの間にか背後へと回り込んで、抗議を続けていた炭治郎。鱗滝はそんな彼に再び向き合う。
『本当に見事な肉体だ。しかしこの世には、身体よりも強くあるべきものがある。それをお前は分かっていない。』
鱗滝は育手として、鬼狩りを目指す沢山の若者をその目で見てきた。だからこそハッキリと言える。
今の炭治郎は鬼狩りに向いていない。
アホみたいに屈強な身体に優しさの残る精神が追いついていないのだ。このままでは、いずれそのギャップに押し潰されてしまうだろう。
なんせ、刀や銃弾を弾く程の分厚い筋肉であっても、心を傷つける凶刃は防いでくれないのだから。
『昨晩、鬼へのトドメを躊躇ったのは何故だ?間髪入れず質問に答えられないのは何故だ?お前の覚悟が甘いからだ!』
鬼殺隊として最も重要なもの、それは己の意志の貫く力である。今の炭治郎には致命的にそれが足りていない。
『もう一度聞くぞ!家族が人を襲った時、お前はどうする!?』
質問と同時に地面を蹴り出していた鱗滝は、全力で炭治郎を殴りにいく。
大きな可能性を抱く新たな弟子に、その身をもって教えを施す為、彼は一時的に現役時代の動きを取り戻していた。
『俺は......っ!!』
『鬼どもが考える時間をくれると思うな!迷い戸惑う暇があるなら、頭と身体を少しでも動かせ!』
再度残像を駆使し、相手の背後へ回り込んだ炭治郎。そんな彼に鱗滝の踵落としがドンピシャで迫りくる。
『(凄い動きだ!この人は何歳なんだ!?おまけに、全然足音がしないから動きが読み辛い!!)』
すんでのところでソレを回避する炭治郎だが、それすら読んでいた鱗滝は“匂い”の移動した方へと次の攻撃を放っていた。
長年をかけて洗練され、無駄を削ぎ落としてきたベテランの動きが炭治郎を追い詰めていく。
『(おまけに動きも読まれ始めた!この人も鼻が凄く良いんだ!)』
炭治郎が拳を握りしめた時には既に、天狗面が彼の間近に迫っていた。
『覚悟がないから迷いが生まれる!迷いがあるから隙が生まれる!!』
鱗滝と同様に鼻の良い炭治郎は、目の前の老人から漂う深い悲しみを嗅ぎ取ってしまう。それがまた彼の反撃を躊躇させた。
『忘れるな。鬼狩りの剣士は、迷った者から死んでいく!』
バキィッ!!
骨の砕ける鈍い音が狭霧山に響いた。
『ハァ、ハァ......判断が、ハァ、ハァ、遅い...!!』
肉体のあちこちから悲鳴をあげながらも、彼の拳は遂に
『ハァ、ハァ......これで分かったはずだ。例え肉体の強度で勝っていようとも、覚悟が甘ければハァ、ハァ、......意味がない!ハァ、ハァ.....そして、お前がこれから進もうとしているのは、並大抵の覚悟では歩めぬ修羅の道だ。ウッ、儂の言っている事が分かるか?』
『はい!あと大丈夫ですか?』
炭治郎に心配をされながら、膝がガクガクの鱗滝は話と歩みを進める。
『これから、お前が鬼殺の剣士として相応しいかどうかを試す。ついてこ、
還暦を越えた鱗滝の身体に限界が訪れた。
疲労のピークを迎えて崩れ落ちた彼は、その天狗面を地面へとめり込ませる。
『う、鱗滝さーーーーーーーん!!!』
炭治郎に抱き起こされた鱗滝は、ぼやける視界の中にかつてない素質を秘めた若者の姿を収めた。
『お、お前の強さを認める......竈門、たん、じろ、うっ...』
『鱗滝さん!?鱗滝さーーーーーーん!!』
死んだように気を失った鱗滝は、その後禰豆子達と一緒に2年ほど眠り続けたという。
【大正コソコソ噂話】
狭霧山に響いた骨の砕ける音は、炭治郎の顔を殴った時に鱗滝の手首が発した音である。