あたしのトレーナーさんが、ウマ娘に!? 作:匿名希望のトレーナーAさん
拝啓。トレセン学園の桜並木も咲き誇り、地面を埋め尽くす桃色の絨毯に春の香りを感じます。浮足立つ足取り、桜の花弁を踏み締める新入生のまだ皺のない制服を見る度にウマ娘ちゃんとの新しい出会いに胸を馳せる。高鳴る心臓の鼓動は、まだ見ぬドラマを期待しての事。胸一杯に溜め込んだウマムスミウムの過剰摂取による副作用のせいか今、肉体という枷から解き放たれた私は三女神の石像の前を漂っています。敬具。
私の名前はアグネスデジタル、どこにでもいる平凡なウマ娘であります。
推しは推せる時に推しておけとオタ活に勤しむ私でありますが、未熟故に公式が絶対という絶対的な信念とは相反する邪な想いを抱く事もあります。同室のタキオンさんと生活を共にするという苦行……いいえ、御褒美に違いないのですが! 健全なるオタ活とは適切な距離感を以て初めて成立するものであります。タキオンさんのプライベートに私という不純物が混ざらないように日夜、己を壁と言い聞かせる精神修行。初めの頃は己を空気だと言い聞かせておりましたが、自分が空気に溶け込む姿を想像した時、彼女の唇から吸い込まれるAD分子の光景が脳裏に過ってしまったのであります。
以後、私は自分自身の事を壁と定義し、心に無にする精神修行に明け暮れる毎日を想像しておりました。
だけど幽体となった今、私の心はとても澄んでいるように思えます。
邪念というものは、肉体的な悦楽と密接に関係しているのか、今、私はウマ娘ちゃんを想像で穢すという大罪から解脱できているように感じられるのです。だけど欲望を抜いても私がウマ娘ちゃんを想う心には偽りはなかったようでして、今も中庭で談笑するウマ娘ちゃん達の姿を見ているだけで心が満たされるのです。何時もよりも澄んだ気持ちで見守れています。今の邪念と欲望を抜いた状態であれば、純粋な想いで三女神様に願いを捧げられると考えた私は、南無南無、と両手を擦り合わせながら祈りを捧げました。
ウマ娘ちゃんと趣味を共有できる友達が出来ますように、と。三度唱えてから、あ、と己の失敗に気付いてしまいました。気付いた時には、もう三女神像は神々しい輝きを放っていました。
違うんです、間違えたんです。
我に返った私の訴えは届かず、意識は肉体へと吸い込まれてしまいました。
目覚めた時、私はトレーナー室に寝かされていました。
トレセン学園に入学した直後、走るレースを限定したくないという私の想いを受け入れてくださった方が居まして、道端で私が気絶する度に運んでくださるのです。時折、放置されたままになっている事もありますが……まあ勝手に気絶をしている私が悪いのです。運んでもらえる事が当然だと思い込んでしまっているが故に出る不満、文句を言える筋合いにない事は重々に承知しています。だけどまあ道端で、一人で目覚めることが少し寂しく感じてしまうようになってしまったのは私事ながら駄目な娘になったものだと思います。
ああ、トレーナーさんは女性の方ですよ。流石の私も男性相手に無防備ではいられませんので、男性にデレデレな私が居るとすれば、たぶんきっとそれは別の世界線のアグネスデジタルだと思います。トレーナー室で目覚める度にトレーナーさんの事を慮って、小柄な身体で良かったなあ、とこの時ばかりは思うのです。
気絶して起きると丁度、ウマ娘ちゃん達のトレーニングに一区切りが付いた頃になります。
ウマ娘ちゃん達が踏み均したバ場。他のウマ娘ちゃんのトレーニングスケジュールはトレーナーさんが調べてくれていますので、今日も今日とてトレーニングという名の聖地巡礼に赴いて徳を積み重ねるのです。
ゆっくりと上半身を起こすとスンと鼻先に嗅ぎ慣れない匂いがした。
「起きた?」
見慣れないウマ娘ちゃんが居た、白毛だ。
思わず見とれてしまうほどに綺麗な白い髪をしたウマ娘ちゃんだ。
とりあえず私は自分に掛けられている毛布を見た後、部屋の中を見渡す。
私のトレーナーさんのトレーナー室で間違いないようだ。
「デジタル、大丈夫?」
彼女は片手で私の頭の後ろを支えるとコツンと額を合わせる。
過保護のトレーナーさん以外にされた事のない唐突な行動に「ヒュッ」と呼吸が止まるのを感じた。
グリンと意識が途切れた直後、トンと首筋の裏を叩かれて現世に意識を戻される。
トレーナーさんと同じ角度、同じ速度。同じ衝撃、デジたんじゃなければ見逃してました。
「じゃなくてえっ! 貴女は誰なんですかっ!?」
オーバーフローを起こした感情が一ウマ娘ファンとしてあるまじき暴言を発してしまった。
「ああ、違います! ごめんなさい、すみません……えっと、あの手刀の受け心地は、もしかしてトレーナーさんの関係者さんですか? トレーナーさんも結構なウマ娘ファンだと思っていましたが、まさか身内にウマ娘ちゃんが居たのでしょうか? もう隠さなくてもいいのに、水臭いなあ! ああ、私は、もうご承知かも知れませんがトレーナーさんの担当ウマ娘をさせて貰っているアグネスデジタルです。……あのう、もしかしてトレーナーさんを狙われています? あ、いえ、深い意味はないんです! とてもウマ娘想いの素敵なトレーナーさんだと思います。ですけど~、まだ新人さんなので複数の担当を持つのは少し難しい……かも、知れないみたいな? いえいえいえ、少しくらい忙しくなる程度で手を抜くような方ではありませんし、私が言うのもなんですがウマ娘第一で考える素晴らしい御人ですよ。傍目から見ていても一生懸命で大変だなって思いますもん。好きにさせて貰っているのが少し申し訳ないなって思う時もありますし、もし忙しいのであれば、ゆくゆくは私もトレーナーさんの下で助手的な事が出来れば~、みたいな~? ウマ娘ちゃんとずっと関われる職業でトレーナーだと思うんですよね。私はトレーナーさんみたいに責任を持てるウマ娘ではありませんが、責任を持って仕事をする人の手伝いくらいはできるんじゃないかな~って、チームで回すとなれば、どうしても人手は必要になると思いますので。って私、何を言ってるんですかね?」
あはは、と乾いた笑い声を零す私の事を白毛のウマ娘はキョトンとした顔で見つめる。
彼女はトレセン学園のジャージを着ていた。サイズが合っていないのか、少しパンパンになっている。
クスリと含み笑いを零し、彼女は目を細めて問い掛ける。
「デジタルさんってトレーナーさんの事が好きなんですねえ」
「いやあ、好きだなんて、そんな気恥ずかしいことを言わないでくださいよ。まあ好きなんですけど」
「どんなところが?」
「ウマ娘ちゃん想いなところがです!」
私は両手をパッと広げて、トレーナーさんの良い所を早口で並び立てる。
芝かダートで悩んでいた私に選ばない覚悟を説いてくれた時の事、あまり表に出せない想いの丈を笑顔で聞いてくれた時の事。一緒に推し活をし、聖地を巡礼した時の事。この話は、アグネスデジタルとの押し活に活かせるかもしれない! とトレーニングで推し活に費やす時間が減った私の代わりに情報収集をしてくれた時の事。最早、相棒を超えた
だから決めたんです、と私は両手を合わせて握り締める。
「トレーナーさんの夢は私が叶えるんです。私は、どこにでもいる平凡なウマ娘。GⅠレースを勝利しましょうだなんて言いませんが、だけど、これでも今も他のトレーナーから引き抜きを掛けられる程度には、走る才能があるみたいなんです。ならば、せめて、重賞レースの舞台までは私が連れて行ってみせるのだと!」
重賞を走るウマ娘と一緒に走るのは私の夢でもありますから、と照れ隠しに頬を掻いてみせる。
長々とした私の話を聞いてくれる黙って聞いてくれる彼女の優しい瞳は、私のトレーナーさんとよく似ていた。
そこでピンと気付いてしまいました。
「すみません、私の話ばかり……ところで貴女はトレーナーさんの妹さんでしょうか?」
「どうしてそう思ったのかな?」
「貴女の、私を見る時の目が似ているんです。勘違いでしたら申し訳ありませんが……」
思えばウマ娘以外の話題とはいえ、私が他のウマ娘ちゃん相手に此処まで語るのも珍しい。
自分が世間から少しズレている感性を持っていることは自覚している。故に私は相手が引いてしまわれないように、面と向かって話す時はオタクとしての自分は隠すようにしている。
意識してみると白毛のウマ娘ちゃんは、なんとなしにトレーナーさんと雰囲気が似ているように思えた。
まだ僅かに残る警戒心が彼女の着ている衣服に目を向ける。
衣服の裏地にある白いピラピラには、マジックでデジたんと名前が書かれていた。
「えっと、そのジャージ……もしかして、デジたんのですか?」
彼女は目を伏せた後、ポケットからトレーナー証を取り出す。
トレーナー証の顔写真には、ゆるふわな長い髪をしたトレーナーさんの顔が映されている。
私のトレーナーの髪を見たアヤベさんが無言で尻尾を振る程度のゆるふわ感だ。
「私です」
「……私です、と言われましても?」
「昨晩、タキオンちゃんがトレーニングしてたんだけど流石にもう均されてるかなあ?」
「えっ!? タキオンさんが!? いや、そうじゃなくて!?」
「はい、デジたんちゃんのトレーナーさんですよ~」
端正な顔をしたウマ娘ちゃんの、にへらとゆるく笑う仕草は確かにトレーナーさんと同一のものだ。
「えっ? えっと……はえっ?」
「なんか朝に起きたら超常現象的な事が起きたんだけど、まあトレーニングに穴を空ける訳にもいかないし? とりあえず今日は病欠って事にして学園に来てみるとデジたんの波動を感じたので足を運んでみると予想通り、倒れてたから部室まで連れて来ました」
「デジたんの……波動?」
はい、と裏のない笑顔を浮かべる彼女に少し薄ら寒いものを感じる。
いいえ、分かりますよ。なんというかこう五感を張り巡らせていれば、自然と感じ取れる気配のようなものがある事は分かります。黄色の女神様の加護を得るとイベントに遭遇しやすくなるんですよね。デジたんのジンクスにしています。信じる者は救われますし、三女神と和解する為に毎日のように祈りを捧げています。幽体離脱をした時に青色の女神様の御尊顔を拝謁すると、なんというかコツのようなものを感じ取れるようになるんですよね。赤色の女神様だと気合が入ります。それはそれとして、私のトレーナーさんが重篤気味のウマ娘オタクなのは知っています。だけど気絶した私を何時も拾うことが出来ていたのは、そのデジたんの波動を感じるとかいうのは初耳です。
少し怖いです。怖いけど、同じウマ娘オタクといて理解できてしまうので否定もできない。
「……えっ? トレーナー……さん?」
恐々と問うと彼女はパンと両手を叩いて花丸の笑顔を浮かべてみせた。
「はい、私の愛バはアグネスデジタル。デジたんちゃんの事を誰よりも愛するトレーナーさんですよ~」
へらへらと笑うウマ娘ちゃんの姿を前に私は一度、大きく息を吸い込んだ。
鼻先に擽るウマ娘の良い香りとか、この時ばかりは気にもならなかった。
私は一ウマ娘オタクとして、ウマ娘に対してあるまじき怒声を張り上げる。
「トレーニングなんかよりも、もっと行くべき場所がありますでしょ~が~!!」
「えっ?」
「なにその本気で分からないみたいな顔、怖いんですけど!! 病院に行きましょうよ! 理事長かたづなさんに相談しましょうよ!!」
「身体の調子が悪い訳でもないし、予定に穴を空けられる訳ないじゃん。次の休みの日にでも考えるから、ね?」
「トレセン学園のトレーナーさんはもっと自分の身体を大切にすべきだと思いますッ!!」
芝砂両用の私は、ダートを走るパワーでトレーナーさんを持ち上げて、ターフを走るスピードで保健室に駆け込んだ。
ウマ娘に関連する病気と怪我の九割以上を治すことができるトレセン学園七不思議のひとつにも数えられるスーパーな保健室である。サボり癖を始めとする心療系にも通ずる完全無欠の保健室なのですが、ウマ娘としては健康体だったトレーナーさんを治すことは出来なかった。
トレーナーさんは、受診者に配られるバイタル20を飲みながらへらへらと笑っていた。