あたしのトレーナーさんが、ウマ娘に!? 作:匿名希望のトレーナーAさん
ウマ娘化という前例のない事象に対して、理事長以下が出した結論は要観察でした。
というのも彼女の事を世間に発表した所で信じて貰えるとは思えませんし、彼女自身が既に担当ウマ娘を持つトレーナーだったので自分の事よりも担当を優先したいという強い希望を優先したという話があったと聞いています。戸籍云々に関しては、海外研修という形を取るようです。日本と海外のトレーナーを交換するという話が進められており、白羽の矢が立ったのが私のトレーナーさんでアイルランドに留学、代わりにアイルランドから日本に来たのがウマ娘になったトレーナーさん。細かい手続きはたづなさんがしてくれるようで、実際に何が行われるのか分かりませんが、たづなさんのことなのでどうにかしたんだと思います。
新しく発行されたトレーナー証には、顔写真には白毛のウマ娘が映っていた。
どうしてアイルランドなのかというと学生時代、トレーナーさんが海外留学で滞在した事があったからのようです。
基本的に中央のトレーナーは、エリートという話を聞いています。日本だけに留まらず海外のウマ娘も肌身で感じたいと考えた強火のウマ娘オタクであるトレーナーさんは、アイルランドまで聖地巡礼に行ってしまわれたようです。再来年にアイルランドからの留学生を受け入れる事が決まっていた事もあってか、あっさりと身元を証明してくれる人が現れたのだとか。まあオペラオーさんのトレーナーさんが、オペラオーさんの歌劇の公演を決めた際に、個人の伝手で著名人だとか財界人だとか集められたりするので、中央のトレーナーというのは、そういうものなのかも知れません。やっぱりおかしいかも知れません。
兎も角、ウマ娘化してもトレーナーさんは平常運転。今日も今日とて私の為にトレーニングの調整をしています。
変わったのは周りの私に対する反応でした。
対外的に見て、新しいトレーナーに乗り換えた私に対するスカウト熱が再燃してしまったようです。積極的にスカウトを仕掛けるトレーナーというのは、基本的にレースに強い情熱を持った陽の者であることが多いのです。ウマ娘ちゃんと一緒に走りたいという不純な動機で走る私には、心身を削って勝利を目指すというのは性に合いません。そして、こういうのは決まって、トレーナーさんの姿が見えない時に来るので精神的に疲れてしまいます。
トレーナーさんがウマ娘化する前は、身長の高いトレーナーさんの背中をぴったりと付いて行くことで難を凌ぐことも出来ました。だけど今は難しいです。無防備に揺れる白い尻尾に目が奪われてしまうので、罪悪感で隠れることが難しくなってしまいました。対外的にはアイルランドから来た留学生という事もあり、ウマ娘のトレーナーという事もあり、端正な見た目で白い髪という事もあり、在学中のウマ娘ちゃん達の人気も高かったりします。
隣に立つのも気恥ずかしくて、自然と距離を空けてしまうのがここ数日の話です。
前と変わらない関係性でいられるのは、トレーナー室の中だけだ。
トレーニングの後、シャワールームで簡単に汗を流した私はトレーナー室にある簡易ベッドの上で俯せになる。身体は変わっても仕草が変わることはない。俯せなので相手の顔を見ることもないので、ふんにゃりと身を委ねることができる。自分から話しかけることはしない。トレーナーさんの声質が変わってしまったので、否応なしに今、マッサージをしているのが綺麗なウマ娘だということを意識してしまうからだ。あ~、とか、う~、とか、女性が出すべきではない野太い声が漏れる。少し痛い、だけど、痛過ぎるという事はない。あまり無理せず我慢できる程度の心地良い痛みであり、あ~、と声が零れてしまうのである。特別、難しいことをしている訳でもないのに、トレーナーさんのマッサージを受けたら足が軽くなったような感覚に陥る。
トレーナーさんがいうには、マッサージはウマ娘トレーナーの基礎技術なのだという。
必須技術ではない。必須技術ではない理由は、マッサージは口実に過ぎない為だ。思春期の女性が異性に身体を触られるのは勿論、同性であっても好きに肉体を弄られるのも好まない子も多い。なので明確な利点のあるマッサージを口実にする事でウマ娘の身体の状態を確認するのだという。マッサージを練習するのは、どうせするならってのもあるのだけど、下手なマッサージだと身体を触らせて貰えなくなるからだと教えてくれたことがある。
どうして、それを私に教えてくれたのかって聞くと「デジタルは、そういうの気にしないでしょ?」とトレーナーさんはへらへらと笑ってみせた。
トレーナーさんがウマ娘になったからといっても私達の関係が何か変わる訳ではない。
元から距離感の近いトレーナーさんにドギマギする事が増えた程度である。もしもあの時願ったことが原因でウマ娘化してしまったのなら、申し訳ない事をしました、と思いながら心地良い痛みに眠気を感じ取る。
遠のく意識。睡魔に身を委ねて、私は瞼を閉じる。
◆
深夜、学寮を抜けたウマ娘が一人、夜道を歩く。
ちょっとしたスキップの軽快な足取り、肌寒い夜風から身を守る為に纏った白衣の裾を揺らす。少女が赴く先はトレーニングコース。観客席に座る彼女は、踏み荒らされた芝を走る白い影を眺めて笑みを零す。事情は知っている。彼女がウマ娘になった初日の夜、まだ理事長の対応も決まっていないタイミングで話を聞かされていた為だ。へらへらとした笑顔には既視感があったし、二人の間しか知らない情報を知っていたので彼女がアグネスデジタルのトレーナーくんだと白衣の少女、アグネスタキオンは断定する。
ウマ娘の肉体を得た彼女は、これ幸いにと自分の身体で研究を始めたのである。
こういったデータの収集は自分の本分でもあったので、今は共同研究者として彼女と言葉を交わす機会が増えた。デジタルくんからトレーナーを奪うつもりはないのだが、近い将来、学園での自分の立場が危うくなった時には隠れ蓑として利用されて貰うつもりでいる。
一人で走る彼女の姿を勝手にカメラに収めているとタキオンは、ふと不思議な事に気付いた。
そして口元を歪める。
「私も、おともだちとやらに会ってみたいものだね」
虫の声が煩わしくなる真夜中に映える白い影、彼女のコース取りは本番さながらの動きである。
少なくとも、彼女と併走するウマ娘が居なければ不自然に思えるものだった。