あたしのトレーナーさんが、ウマ娘に!? 作:匿名希望のトレーナーAさん
ウマ娘界隈は今、大きな賑わいを見せている。
先ず最初にクラシック世代。皐月賞で伝説的な勝利を飾ったテイエムオペラオーに東京優駿でタイレコードで見事な勝利を飾ったアドマイヤベガ。クラシックで辛酸を舐めさせられた雪辱を張らせるかナリタトップロードの三強対決に記者が筆を躍らせて、ウマ娘ファンが胸を高鳴らせる。一方でシニア世代では、黄金世代を代表するスペシャルウィークとグラスワンダーが鎬を削り、安田記念でエアジハードが俺も混ぜてくれよとマイル路線に名乗り上げた。
クラシック世代とシニア世代が合流する秋競バにウマ娘ファンは待ち遠しく、当人達もまた夏合宿で気合いを入れ直す。
その中でクラシック3強の一人、アドマイヤベガの歯車が少しずつ狂い始める。
「ふわあ……寝不足で肌荒れなんて可愛くないんだけどなあ……」
夏合宿直前、カレンチャンは夜道を出歩いている。
東京優駿で勝利した直後から同室の先輩の様子が可笑しかった。元々自分に厳しい人ではあったのだけど、近頃は特にハードトレーニングに身を窶しており、まるで何かに追い立てられるように走り続けている。自縛的で自虐的、昼夜問わず、暇さえあれば走っている。彼女には今、トレーナーが存在していない。デビューする前に居たトレーナーは、皐月賞での大敗の後、担当ウマ娘が指示も聞かずに走り続ける姿を見かねて「それ以上、俺の指示が聞けないのであれば、担当を降りさせてもらう」と言った翌日、契約を解約する届け出を叩き付けられた。少しは信頼関係を築けている、と思っていたトレーナーは数日間の休養届を提出する。
彼女は走り続ける。一人でも走り続けた彼女は、東京優駿で皐月賞の雪辱を晴らす。
観客席で元担当のウマ娘が東京優駿でゴール板を駆け抜けた姿を見たトレーナーは心が完全に折れてしまった。嬉しい気持ちがない訳ではない。しかし流す涙は元担当を称えるものではなかった。自分が担当したウマ娘を勝たせてやれなかったのは、自分のせいだったのかも知れないという罪悪感が彼自身の将来を断ち切り、夏を待たずに中央トレセン学園を去ってしまったのだ。
涙で潤んだ視界では、ゴールを走り抜けた後、絶望感に揺れる彼女の瞳を捉える事は出来なかった。
かくして彼女を守る最後の枷は失われた。
もしかすると有り得たかもしれない可能性を投げ捨て、アドマイヤベガは走り続ける。
時折、痛みを発する左足も今の彼女にとっては救いである。
次で終わらせる。壊れても良いという覚悟が、皮肉にも彼女を走らせる。
心はもう壊れている。
壊れた心で走る彼女は、身体が壊れるまで走り続けるしかなかった。
なんとなく眠れない夜がある。
何時しか同室の先輩と話した夜のことをカレンチャンは思い出す。初めて走った時の話、あの時に見せた先輩の過去を懐かしむ瞳と優しい声色。そして嬉しそうな口元を忘れていない。何時も見せる彼女の表情とは違って、まるで別人のような顔を見せたあの時のことを。夜分の散歩、そのついでにと敬愛する先輩の姿を探す。トレーニングに出たはずの彼女が、学園内というすぐバレる場所で走っているはずがないと分かっていながらスマホを片手にぐるりと学園内を一周する。
その途中、ふとトレーニングコースの一角に照明が付いているのをカレンチャンは見つけた。
「もしかして? いや、まさか、いくらなんでも大胆過ぎるよね?」
そう呟きながらもカレンチャンは足を運ばずには居られなかった。
トレーニングコースの傍に設置された観客席、見下ろすターフを駆け抜けるウマ娘はアヤベさんとは似ても似つかない白色の綺麗な髪を靡かせていた。小さく溜息を零すカレンチャンに「こんな夜分に抜け出すなんて悪い子だねえ?」と三脚を立てたビデオカメラを前に、椅子に座る白衣を纏ったウマ娘が話し掛ける。「貴女も一緒じゃないんですか?」とカレンチャンが少し喧嘩腰に応じると「私は元々不出来で名が通っているからねえ、カレン君?」と、ねっとりとした声色で口の端を歪める。
くつくつと肩を揺らす彼女に、カレンチャンが不機嫌に口先を尖らせる。
「どうせだから一緒に見て行きたまえ」
カレンチャンが観客席を後にしようとした時、白衣のウマ娘。アグネスタキオンはコース上を指で差し示す。
同室の先輩以外に興味のなかったカレンチャンは、彼女の誘いを無視しようかと考えたけど、白毛のウマ娘が走る姿を見て足を止める。信じられないものを見たかのような表情、揺れる彼女の瞳にタキオンは口元を弧で画く。カレンチャンはターフを走るウマ娘の走りにアドマイヤベガを見た。実際、彼女の瞳に何かが見えた訳ではない。だけど彼女の内に秘めるウマソウルが彼女のすぐ後ろに控えるウマ娘の姿を感じ取った。
直感する。あの子は違う、アヤベさんとは似てるけど違う存在だ。第3コーナーを回って最終コーナー、小さく膨らんだ白毛のウマ娘の更に外、アドマイヤベガに似たウマ娘が身体を外に振り、一瞬の切れ味で白毛のウマ娘と並び立った。最後の直線、二人が並んで地面を踏み締める。一瞬の間、溜めた時間はコンマ1秒以下。弾かれるように飛び出す二人のウマ娘、瞬間、カレンチャンは観客席に歓声が上がる光景を幻視する。たった二人の大舞台。勝負根性を剥き出しに競い合う二人の姿は、やはりアヤベさんの戦い方とは違っている。
アドマイヤベガは並ぶ間もなくギュンと抜き出るのだ。
ハナ差を競うゴール板を駆け抜ける二人の影。勝負を行方は分からず終いでカレンチャンは思わず、タキオンの設置したビデオカメラを見た。
彼女の視線に気付いたタキオンは少し申し訳なさそうに肩を竦める。
「残念だけど、このカメラにおともだちは映らないんだ」
「おともだち?」
「カフェの話を聞く限りだと、幽霊と呼ぶには語弊あるのでね。残留思念と呼んでも良いのだが……」
無粋だろう、と問い返すタキオンの顔をカレンチャンは真剣な顔で見つめていた。
タキオンは面倒事の気配を感じ取り、無言でビデオカメラの回収を始める。しかし既に時遅し、カレンチャンは本来取得できないはずのスキルである鋭い眼光を発動する。ヒントレベルがプラス2のシナリオイベントだ。
後輩であるはずの彼女が纏うボスウマ娘の風格を前にタキオンは委縮する。
「ちょっとカレンとお話ししよっか?」
果たしてアグネスタキオンは劇場版の風格を保ち続けることは出来るのだろうか。
たぶん、きっと、もう、おそらく、手遅れだ。
◆
新月の前夜、星空を見上げる為に外に出掛けていた彼女が学園に戻って来たのは空が白み始めた頃だった。
皆を起こさないように息を潜めて部屋に戻る彼女を待ち受けていたのは、彼女の同室の可愛い後輩。何時も自分を心配する目で見ていた彼女、カレンチャンは今日に限って覚悟を決めた表情でアヤベを見つめる。しかし自分の事で精一杯だったアヤベは、カレンを無視して汗を拭き取り、制汗スプレーを自分の身体に吹きかけた。
そんな彼女を姿を見て、カレンチャンは一度、下唇を噛んだ後、大きく深呼吸をして心を落ち着ける。
「妹さんに、会えるかも知れません」
アヤベは無言でカレンチャンの胸倉に手を伸ばした。
首を絞め付けるほどの強さで引き寄せた彼女の瞳は、欠片も怯んだ様子を見せず、睨む自分を真正面から見つめ返す。舌打ちを零し、アヤベは後輩をベッドに突き飛ばしてジャージ姿のままベッドに包まる。夏であるにも関わらず、布団乾燥機が掛けられたふかふかの布団だった。
ウマ耳をキュッと絞る困った先輩に、カレンチャンは溜息を零すのを堪えて伝えるべきを伝える。
「可能性の話です。もし今日もまた夜に出掛けるのであれば、照明の付いたトレーニングコースに来てください」
アヤベは後輩の言葉に無反応を決め込んでいた。
しかし彼女の両耳が反応を示していたので、カレンチャンは今はこれで良しとしておいた。
後輩の何時も違った雰囲気にアヤベは今夜の事を思い返す。
今日は、妹の存在を感じ取ることはできなかったな。と自分の尻尾を握り締める。