あたしのトレーナーさんが、ウマ娘に!? 作:匿名希望のトレーナーAさん
坂路の申し子と呼ばれたミホノブルボンのハードトレーニングとは、また違った意味でストイックな性格をしたアドマイヤベガの異変は、彼女の事を知る者達の間で心配の声と共に噂になっている。
ナリタトップロードもまた彼女の事を気に留めていたのだが、皐月賞と東京優駿の二度の敗北は彼女を必要以上に追い詰めており、周りを気にする余裕なんて持てなかった。唯一、テイエムオペラオーだけが周りに気を配るだけの余裕がある。いや、彼女自身も東京優駿の敗戦は応えているのだ。内心では、焦りもある。だが好敵手の不調は、彼女の求める勝利には不要の代物だ。己を彩る
アドマイヤベガの様子が、急激に変化したのは、夜中、学寮を抜け出した新月の夜の翌朝の事だ。
アドマイヤベガ、アヤベは当日の授業を全て休んでしまった。
病気でもしたのかと心配したオペラオーが、寮長であるフジキセキに話を聞こうと栗東寮まで足を運んだ時、よく見知った姿のウマ娘が玄関から姿を現した。彼女の姿を見たオペラオーは、彼女らしからぬ判断で姿を隠す。もしアヤベ君と顔を合わせる事があれば、挨拶をする程度の気持ちはあったのだ。しかし彼女を彼女だと認識した時、オペラオーは本能で物陰に身を隠さざる得なかった。
何故ならば、彼女はオペラオーの知る姿ではなくなっていたからだ。
全身から危うい雰囲気を醸し出していた彼女は、まるで憑き物が落ちたかのようにゆるっゆるの姿に成り果てていた。というよりも画風そのものが変わっている。シンデレラグレイの漢女と書いて乙女と呼ばせるような絵柄から、うまよんのもっちもちの姿に変わり果てていたのである。それでいて肌がつやつやである。艦これの戦意高揚状態のようなキラキラのエフェクトが全身から放たれていた。
彼女のジトっとした目にすら溢れんばかりの活力で漲っている。
ルンルン気分のスキップすら披露する彼女の姿を見たオペラオーは、見てはいけない何かを見せられてしまったような心境に陥る。兎も角、もう彼女の心配は必要ないようだ。少し不安も残るが、しかし、オペラオーの覇王としての直感が、彼女の変化が良いものであると捉えていた。
もしかすると本来、彼女の気質とは、ああいうものなのかも知れない。
「……まあ、菊花賞を楽しみさせて貰おうかな」
オペラオーは呟き、彼女は彼女のトレーニングを熟す為にトレーニングコースへと足を運んだ。
◆
生徒会公認で借りている空き教室には、寮の部屋に入り切らない曰く付きの品々が保管されている。
おともだちとのパーソナルスペースの半分は、後から押し入って来たアグネスタキオンの研究所となっており、よく分からない研究レポートを執筆してはシュレッダーに掛けるという事を定期的に行っている。迷惑な隣人の事は兎も角、マンハッタンカフェは空き教室に持ち込んだソファーに腰を下ろす。自前の珈琲を啜る彼女は、全身から不機嫌オーラを放ち続けている。こういう時、彼女の云うおともだちの活動は活発になる。身構えたタキオンは先ずパソコンの電源を落としてコンセントを抜いた。次にレポートを始めとした可燃物を机の引き出しの中に隠し、最後に試験管などの研究道具が倒れても良いように配置換えをする。
しかし今日に限って、おともだちはタキオンに対してなんの手出しもしなかった。
普段、二人だけの部屋には招かれざる客人が居る。
教室机の椅子に腰を下ろし、虚空に向けて手を振る白毛のウマ娘はアグネスデジタルのトレーナーだ。彼女には、自分には視えない何かが視認できている。タキオンはパソコンの電源を入れ直し、昨晩、トレーニングコースで撮った映像を再生する。画面に映るのは二人のウマ娘、今年のダービーウマ娘であるアドマイヤベガとデジトレの一騎討ちだ。第3コーナーから最終コーナーに入るまでは、特に面白みもない。しかし最終コーナーを抜ける直前、デジトレの走り方に変化が生じる。アヤベ君と似た走り方だった。アヤベ君が目を見開いて驚きの表情を見せる。二人はまるで双子のように瓜二つの走り方をしていた。しかし脚質は明確に違っている。白毛のウマ娘は、じわりと伸ばすロングスパート。驚愕し、出遅れてしまったアヤベ君では、じわりじわりと速度を伸ばす白毛のウマ娘に追いつくことが出来ず、半バ身の差で二人はゴール板を駆け抜けた。
一騎打ちに負けたアヤベ君は、呆然と白毛のウマ娘を見つめる。
二人の間で会話が交わされる。観客席に設置したビデオカメラでは、コース内の音声まで拾う事は出来なかった。何度か会話を交わした後、アヤベ君は膝を着いて泣き崩れる。観客席まで届く程の大きな鳴き声、タキオンは音量を落として暫し二人の様子を眺めて、次の動画に映る。
白毛のウマ娘が一人で走る映像。この動画が、カフェが機嫌を悪くする原因である。
肉食獣のように獰猛な笑みを浮かべた彼女は、最終コーナーを回りながら加速する。
アヤベ君の親族と同じように憑依紛いのことができるのであれば、とカフェのおともだちでも同じ事が出来ないかと提案する。カフェが何時も目標にしているおともだちの走りが、どのようなものなのか前々から興味があったのだ。そして実験は成功し、効率を限界まで追求するコーナリングは、思わず見惚れてしまうほどの代物である。アグネスタキオンが求めていた答えを突き付けられたかのような心境だ。そして心構えのなかったところに突き付けられた解答にタキオンは一種の燃え尽き症候群に陥っている。少なくとも今日まで自分が追い求めていた理想は過去の産物に成り果てた。
そして自分だけが持っていたものを勝手に暴かれて、共有されたカフェは機嫌を悪くしているのである。
タキオンは何時ものようにほとぼりが冷めるまで大人しくする算段だ。
幸いにも今日はカフェが不機嫌になっても心霊現象が起きる気配はない。デジタル君のトレーナーがいうには、思い切りコースを走れたことでおともだちの機嫌が良いとの事である。今度から何か起きた時には、彼女をこの教室まで連れて来ようとタキオンは考えた。
カフェが何時もよりも苦みの強い珈琲を啜っていると白毛のウマ娘がカフェを見て告げる。
「君達二人はカフェとよく似てるよね。まるで瓜二つの親子みたい」
へらへらと笑うトレーナー君にカフェが長い前髪から覗かせる金色の目を見開いた。
「日本のダートはダートじゃない? 日本のダートコースは撥水性の問題で砂の割合が多めだからねえ」
カフェの反応も露知らず、トレーナー君はおともだちとの談笑を続けている。
◆
東京優駿を終えて、安田記念と宝塚記念を超えた頃に夏合宿が始まります。
春の激戦を乗り越えたウマ娘が英気を養い、そしてまた秋から始まる激戦に備えて心身を鍛え直す。本番を控えたジュニアクラスのウマ娘にとっては初めてとなる合宿になります。まあメイクデビュー戦は7月から始まるので仕上がりの早いウマ娘は、勝ち上がりを優先することになるので合宿に参加するジュニアクラスのウマ娘は少なかったりします。
また強豪とされるウマ娘が夏場に準備期間を取ることもあり、対抗ウマ娘の少ないこの時期に開催されるサマーシリーズに出走するウマ娘も少なくありません。こういった時期に活躍したウマ娘は、夏の上がりウマ娘として、菊花賞や秋シニア三冠レースに出走するのはトゥインクル・シリーズの醍醐味とも云えます。
サマーシリーズにも興味はありますが、仕上がりの遅れで秋にデビューする事が決まった私、アグネスデジタルは夏合宿に参加させて貰うことになりました。
先ず、最初に伝えておきたいことがあります。
私が事前情報として聞いていたのは、知り合いの伝手で合宿施設を紹介して貰えること。合宿施設の近場にあるトレーニング場では、他のウマ娘も参加することになる2点だけです。細かい事をいえば、綺麗に整備された砂浜があり、夏祭りが開催されることも聞いています。集合時間まで、重賞ウマ娘ちゃんは居るのかな? もしかしたらGⅠウマ娘ちゃんの水着姿が見れましたり? いけません、いけません! と念仏唱えて邪念を振り払いながら楽しみにしていました。
だけど、現実は小説より奇なり、という諺もあるように夏合宿は私の想像の遥か上を超えていました。
初めに、トレーナーさんの伝手というのがアドマイヤベガさんという事です。
ウマスタグラムでフォロワー数300万を超えるカワイイの権化、カレンチャンさんもまたアヤベさんに付いて来る形で夏合宿に参加しており、同じトレーニング施設を共有するウマ娘にはクラシック3強のテイエムオペラオーさんとナリタトップロードさんが居ます。また合宿メンバーの一人であるハルウララさんに付き添いでドリームトロフィーリーグに所属するライスシャワーさんも参加していました。心の休まる暇がありません。近場までのバスでの移動は皆、一緒です。移動中も常に心が限界だった私が合宿施設に辿り着いた時、部屋に荷物を置きに向かった私のすぐ後ろを付いて歩くのは、同室のアグネスタキオンさんと彼女の知人であるマンハッタンカフェさんでした。経費削減の為、大きめの部屋を三人で使用するそうです。
限界に次ぐ限界を幾度と超えた私は、最後の事実を知った時、キュウと気絶してしまいました。
私はこの合宿中に何度、気絶をすることになるのでしょうか?
私、夏合宿を乗り越えたら尻尾ハグするんです……誰とですかって?
……トレーナーさんと、ということにしておきます。
ウマ娘ちゃんとするなんて畏れ多い。
トレーナーさんは、トレーナーさんなので、ウマ娘の姿をしたトレーナーさんです。