あたしのトレーナーさんが、ウマ娘に!? 作:匿名希望のトレーナーAさん
学園の授業を終えた直後、白毛のウマ娘は白衣を着たウマ娘と共に担当のメイクデビュー戦を観戦している。
此処は、マンハッタンカフェが曰く付きの品々を保管する為に生徒会公認で借りた空き教室。人目を気にせず、落ち着いた場所でおともだちと語り合えたのは最初の数週間だけであり「物品を保管するのに、こんなに広い空間は必要ない」と勝手に住み着いたのがアグネスタキオン。そして五月を過ぎた頃、新たに来たのが白毛のウマ娘である彼女。アイルランドから日本のウマ娘界隈を学ぶ為にと研修に来ているという設定である。彼女の正体は、デジタルさんのトレーナーその人であり、ひょんなことでウマ娘化してしまったとのことだ。タキオンさんが口を滑らせた時、聞いてもいないのにぺらぺらと話してくれた。正直、信じられる話ではないのだけど、白毛の彼女には、ウマ娘としての名前がない。ウマ娘の核とも呼べるウマソウルを備えておらず、ただ肉体が器として存在しているだけだった。故に彼女は自分の肉体に私のおともだち、即ち残留思念とも呼べるウマソウルをその身に宿す事が出来た。
久し振りに生の肉体で走ることが出来たこともあり、気性の荒く、扱いの難しいはずのおともだちは一夜で懐いてしまった。
今だってほら、まるで幽霊が憑りつくように白毛さんの背中にしがみ付いて、二人と一緒にデジタルさんのメイクデビュー戦を尻尾をふりふりしながら観戦している。そして彼女とは別に黒い影をしたおともだちがもう一人、私が自分用に淹れた真っ黒な珈琲をジーッと覗き込んでいる。狂犬から駄犬に成り果てたおともだちと瓜二つの姿、白毛さんが仰るには、彼女達と自分はよく似ているらしい。外見が、である。あの駄犬と中身まで似てるというのは流石に承服できない。
それで、白毛さんに指摘されるまで、私がおともだちを一人だけだと勘違いしていた事にも理由がある。
駄犬さん曰く、何処か遠い場所に連れ去ろうとしていたから。だから追い払っていたのだと。
駄犬さん自身は日本の土地を気に入っているようです。
海の向こう側よりも扱いが良いのだとか。あと葦毛のウマ娘が好きなんだとか。性癖という訳ではなくて特定のウマ娘を差しており、トレセン学園内に居るはずの大柄なウマ娘を日中に探し回っているようです。だけど目当てのウマ娘が見つからず、少し不貞腐れ気味だったのが五月までの話。タキオンさんがなにかをやらかす度にお仕置きをしていたのは八つ当たりの意味合いが強かったようでして、今では幾分か鳴りを潜めています。そこはまあ、そのままでも良かったと思うのですが……そして、自分の隣に立つおともだちの正体については未だに謎が多い。駄犬さんの目の届く範囲に居る時は大人しくしてるのだけど、葦毛のウマ娘を求めて旅に出ると、相手の心を擽るように囁きかけて来ます。
海の向こう側、旅の終着点。得られる何か、隣に立つ彼女が見つめる遠い何処か。
正直、惹かれるものがないといえば、嘘になる。
ですが今は遠い彼方ではなく、先ずは目の前の事。
トゥインクルシリーズで結果を出せなければ、海外レースなんて夢のまた夢の話です。
だけど、それとは別に、隣に立つ彼女が、どうして、そこまで執着するのか、理由は聞いてみたくあります。
自分は、白毛さんほど霊感が強い訳ではないので、おともだちと話せるのは夢の中だけです。
なので夢枕で話しかけて貰いたいと思います。
もう少し具体的に。
隣に立つ彼女に向けて微笑みかける私に、おともだちはキョトンとした顔を浮かべる。
「まあデジタルくんの様子が可笑しかったのもそうだがね。敗因は単純明快、この一着の子が純粋に強かっただけの話さ」
タキオンさんにしては珍しい誉め言葉、少し興味が湧いたのでパソコンのモニターを覗きに歩み寄る。
アグネスデジタルさんに勝ったウマ娘の名前は、マチカネラン。典型的なダートウマ娘で駄犬さんが「オレ様には劣るがな」とでも言いたげに腕を組んでいます。駄犬の方のおともだちは、芝よりも砂の方が興味が強いようです。なんでもレースの本場はダートなんだとか、もしかするとアメリカのウマ娘だったのかも知れません。もう一人の狂犬のような目付のおともだちは、砂には興味がないようで退屈そうにしています。
海の向こう側へと誘惑する彼女は欧州か、香港辺りのウマ娘なのかも知れません。
「今後のレースプランはどうなっているんだい?」
「まだ身体が完成していないから暫くはダートで慣らす予定、だけど来年に備えて一回くらいは芝に出しても良いかなって」
「脚を労わる事は大切だ。くれぐれも脚を壊さないように気を付けたまえ」
二人の会話に耳を傾けながら片手に持った珈琲をズズッと啜る。
白毛さんが来て、ひとつ分かった事がある。タキオンさんは言葉を飾らないだけで意外と周りの事をよく見ている。彼女は観察対象という言葉で濁すのだろうけど、少なくとも他者に興味を持っていなければ出来ないことです。自分だけの世界で完結しているのはどちらの方だったのか。自分の領域に触れられたくない、自分だけが理解していれば良い。誰からも理解されなくて諦めてしまった自分と彼女は、よく似ていたのかも知れない。こんな人と似ているなんて死んでも嫌ですが、その想いが彼女に対する嫌悪感を募らせる。仕方のない人、そう評価する相手と自分が似ているなんてストレスでしかなかった。
珈琲の風味が心を落ち着かせる、苦味が脳を冴え渡らせる。
彼女は自分の事を周りから理解されない事に諦観は抱いていても、他者を理解する事を諦めた事は一度もない。他人の世界に土足で踏み入る不躾さは、もしかすると理解できないものを遠ざける他人を見てきた反動なのかも知れなかった。彼女は他人を理解する事を諦めない。理解されない事は悲しい事だと理解してるから、分かり合えないのであれば、距離を取る自分とは正反対の結論。だけど誰にだって大切なものを不躾に触れられたくないってことを理解できないから、彼女は煙たがれる。
理解してしまえば、彼女はむしろ面倒見が良い方だということは分かる。
だけど理解するまでに幾つもの大きな障壁が立ち塞がるので、労力を費やすよりも先に距離を取る。
真っ当に彼女と付き合うには、恐らく特別な才能が必要なのだと思った。
「カフェ、そんなに珈琲ばかり飲んでいてまたお腹が緩くなっても知らないよ?」
まあだからといって自分から歩み寄るのは絶対に嫌ですけど。
◆
今年、デビューするウマ娘の中では群を抜いた気性難として知られる存在がいる。
彼女の名前はエアシャカール。成績は学年上位、足も速いと評判のウマ娘だが、素行不良としても知られている。何時もギリギリの門限に苛立ちを隠さない態度、合理性を追求する思考回路が彼女と他者の間に壁を作る。真に効率を求めるのであれば、人間関係は良好に築いた方が良い。そう考える人も中には居るかも知れないが、幼少期から延々と築き上げてきた彼女の他者への価値、自分に向けられてきた視線の数々が、話が通じない人間と話を続ける意味に疑問符を投げかける。警察の職質を受ける。先生に注意を受ける。幼少期から振り返れば、同世代の人間。自分の理解者であるはずの母親ですらも自分を見放していた。彼女からすれば、国家や学園の定めたルールを侵していないので、なんだかんだと言われる謂れもないのだが、しかし彼女の全身から放たれる荒々しい雰囲気と凶悪な表情が誤解に誤解を積み重ねる。
同じ言語を用いているはずなのに話が通じないことのストレスは彼女の精神を必要以上に蝕み続けた。
そんな彼女は今、ステッカー塗れのノートPCを片手に頭を抱え続けている。
原因は彼女自身が抱える課題、命題とも呼べる問題の結論にある。翌年、東京優駿における埋まらない7cm問題。現在、仮想敵に設定しているのは同期のアグネスフライト。栗毛の彼女は泥臭く、何度でも挑み続ける挑戦者だ。PDCAサイクルを回し続ける。螺旋を画く上昇気流に身を委ねて、何処までも空へと舞い上がる。東京優駿の勝利に全ての照準を定める彼女は、必ず東京優駿に間に合わせるという確信をエアシャカールは持っている。
これはトレセン学園に入学する以前から彼女が図面を引き続ける壮大な
コース状況とゲート番号、レース展開など少しでも相手に不利な数値を代入すれば、埋める事はできる。
しかし、しかしだ。
将棋でいうところの詰みへの手順、囲碁でいうところの寄せの手順。既に結論が出ている課題に対し、今日まで壮大な絵図を引き続ける彼女が道を踏み外すとは考えられなかった。
結論を覆す為には、何か他の要因を外から持ってくる必要がある。
しかし、それが何なのか彼女には分からない。
期限は翌年5月、現在は9月末。もう1年も残されていなかった。
持ち前の性格が祟り、トレーナー契約もまだしておらず、その事も考える必要がある。トレーナー契約が出来なかったウマ娘の駆け込み寺として知られるトレーナーにも話を付けに行ったのだが、何故か断られてしまった。「思い出作り、レースの未練を立つ為のステップ、それ以外の理由での契約は認めておらんのだ」と中年の男は笑って「まだ足掻ける余地が残っている内は特例すら認めん」と追い出されてしまった。
課題は多く、進捗は芳しくない。溜息を零す彼女の頭上は灰色の雲が広がっていた。
シャカールはもう一度、大きく息を吐き出してプログラムを起動する。
それは彼女が気晴らしに入れたデータであり、彼女とは関わりのない別のレースの結果を示している。
Parcaeの性能を試す試験でもある。
「菊花賞の勝者はナリタトップロード、2着はテイエムオペラオー。3着にラスカルスズカ、ここまでクビ差。本命のアドマイヤベガは掲示板外に落ちる。ま、誤差はあるんだろうがな」
アドマイヤベガの勝利、それだけは確実にない。とParcaeは示している。